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第三章 大和
EP 5
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呉の怪物
昭和13年(1938年)、春。
瀬戸内海に面した軍港都市、呉。
街全体が、鉄と石炭、そして重油の匂いに包まれていた。
坂上真一と早乙女薫は、海軍省の公用車で、呉海軍工廠の厳重なゲートをくぐった。
ここへ入るには、通常の海軍将校でさえ特別な許可証が必要とされる。
それほどまでに、今、このドックの中で建造されている「モノ」は、国家の最高機密だった。
「……異様ですね」
薫が、車窓から外を見て呟いた。
工廠の奥、最も巨大なドックの周囲だけが、高い塀と、さらにその上から吊るされた大量の「シュロ縄の暖簾」で、徹底的に目隠しされていた。
対岸の丘からも、民家からも、中が絶対に見えないようになっている。
「隠せば隠すほど、中身の大きさが知れるというものだ」
坂上は、不機嫌そうに腕組みをしていた。
「あの目隠しだけで、どれだけのリソースを使っているんだ」
車が、ドックの脇で止まった。
案内役の技術将校が、緊張した面持ちでドアを開ける。
「……顧問殿。ここから先は、発言にくれぐれもご注意を。
現場の職人や設計官たちは、神経が張り詰めております」
「善処する」
坂上は短く答え、車を降りた。
そして、見上げた。
そこには、空を遮るほどの「鉄の壁」があった。
全長263メートル。全幅38.9メートル。
戦艦「大和」。
まだ上部構造物はなく、船体(ハル)だけの状態だったが、その圧倒的な質量は、見る者を物理的に圧迫した。
「……でかい」
薫が、息を呑んだ。
長門など比較にならない。これは、船というより、動く「島」だ。
「どうです、顧問」
現場の責任者である造船官が、誇らしげに胸を張った。
「これが、帝国の技術の結晶です。
世界最大、最強の不沈艦。
これさえ完成すれば、米英の艦隊など恐るるに足りません」
坂上は、無言でその巨体を見つめていた。
彼の脳内では、21世紀の知識と、この昭和の現実が、激しく火花を散らしていた。
(……美しい。確かに、造船技術としては世界最高峰だ)
(だが……)
坂上は、冷徹に、その「評価」を口にした。
「……世界最大の、無駄遣いだ」
「……なっ!」
造船官の笑顔が凍り付いた。
「この巨体を動かすのに、どれだけの重油を食う?
この装甲を貼るのに、どれだけの希少金属(レアメタル)を使った?
……そして、これを『沈める』のに、航空機が何機必要だ?」
坂上は、建造中の船体を指差した。
「あんたたちが作っているのは、最強の戦艦じゃない。
世界で一番豪華な、鉄の『棺桶』だ」
第69話:46センチの呪縛
呉海軍工廠、設計室。
現場の空気は、最悪だった。
坂上の「棺桶」発言に激昂した技術者たちが、殺気立った目で彼を睨みつけている。
「……撤回されよ」
設計主任の牧野技術大佐が、机を叩いた。
「大和は、46センチ砲9門を擁する。
射程距離は40キロ以上。敵艦隊のアウトレンジ(射程外)から一方的に叩けるのだ。
航空機? 笑わせるな。
本艦の装甲は、いかなる爆弾も跳ね返す!」
「跳ね返せない」
坂上は、黒板にチョークで図を描いた。
「垂直落下する徹甲爆弾、あるいは、水面下を直進する酸素魚雷。
集中攻撃を受ければ、不沈艦など存在しない」
坂上は、設計図の「主砲」部分を指で弾いた。
「それに、この46センチ砲だ。
こいつの命中率は? 40キロ先で、移動する目標に当たる確率は何%だ?」
「……我が海軍の練度をもってすれば……」
「精神論はいい。データだ」
坂上は切り捨てた。
「俺の計算では、遠距離砲戦の命中率は数%にも満たない。
つまり、95%以上の弾薬は、海水を沸騰させるだけの無駄玉になる」
坂上は、設計室を見渡した。
「いいか。
これからの海戦は、『見えない距離』での殴り合いじゃない。
『空』からの立体的制圧だ。
この艦に必要なのは、バカでかい大砲じゃない」
坂上は、持参した新しい設計案(ブループリント)を、牧野の前に広げた。
「……なんだ、これは」
牧野が、目を見開いた。
そこには、大和の船体の上に、異様な構造物が描かれていた。
主砲はそのまま(建造が進みすぎて撤去不可能だった)だが、
艦橋構造物が肥大化し、その頂上には、ハリネズミのように多数のアンテナが突き出している。
そして、艦の内部には、体育館のような巨大な空間が確保されていた。
「防空指揮所(CIC)だ」
坂上は言った。
「この艦の役割を変える。
『殴り込み』の戦艦ではない。
艦隊全体の防空を指揮し、情報を処理する、洋上の『サーバー(司令塔)』にする」
「……司令塔?」
「そうだ。
強力なレーダーと通信設備を積み、上空のゼロ戦隊と、周囲の護衛艦を、一元的に指揮する。
そのための『場所』と『電力』を確保しろ」
「馬鹿な!」
牧野が叫んだ。
「そんなことをすれば、副砲が積めなくなる!
居住区も減る! 重心のバランスも崩れる!」
「副砲などいらん。対空機銃に変えろ」
坂上は譲らなかった。
「居住区? 大和ホテルと揶揄されたくなければ、畳を捨てて機材を詰め込め。
……これは、『お願い』ではない」
坂上は、懐から一枚の辞令書を取り出した。
山本五十六の署名と実印が押された、海軍大臣命令書(特例)だった。
「命令だ。
大和を、ただの筋肉ダルマにするな。
……『頭脳』を持たせろ」
昭和13年(1938年)、春。
瀬戸内海に面した軍港都市、呉。
街全体が、鉄と石炭、そして重油の匂いに包まれていた。
坂上真一と早乙女薫は、海軍省の公用車で、呉海軍工廠の厳重なゲートをくぐった。
ここへ入るには、通常の海軍将校でさえ特別な許可証が必要とされる。
それほどまでに、今、このドックの中で建造されている「モノ」は、国家の最高機密だった。
「……異様ですね」
薫が、車窓から外を見て呟いた。
工廠の奥、最も巨大なドックの周囲だけが、高い塀と、さらにその上から吊るされた大量の「シュロ縄の暖簾」で、徹底的に目隠しされていた。
対岸の丘からも、民家からも、中が絶対に見えないようになっている。
「隠せば隠すほど、中身の大きさが知れるというものだ」
坂上は、不機嫌そうに腕組みをしていた。
「あの目隠しだけで、どれだけのリソースを使っているんだ」
車が、ドックの脇で止まった。
案内役の技術将校が、緊張した面持ちでドアを開ける。
「……顧問殿。ここから先は、発言にくれぐれもご注意を。
現場の職人や設計官たちは、神経が張り詰めております」
「善処する」
坂上は短く答え、車を降りた。
そして、見上げた。
そこには、空を遮るほどの「鉄の壁」があった。
全長263メートル。全幅38.9メートル。
戦艦「大和」。
まだ上部構造物はなく、船体(ハル)だけの状態だったが、その圧倒的な質量は、見る者を物理的に圧迫した。
「……でかい」
薫が、息を呑んだ。
長門など比較にならない。これは、船というより、動く「島」だ。
「どうです、顧問」
現場の責任者である造船官が、誇らしげに胸を張った。
「これが、帝国の技術の結晶です。
世界最大、最強の不沈艦。
これさえ完成すれば、米英の艦隊など恐るるに足りません」
坂上は、無言でその巨体を見つめていた。
彼の脳内では、21世紀の知識と、この昭和の現実が、激しく火花を散らしていた。
(……美しい。確かに、造船技術としては世界最高峰だ)
(だが……)
坂上は、冷徹に、その「評価」を口にした。
「……世界最大の、無駄遣いだ」
「……なっ!」
造船官の笑顔が凍り付いた。
「この巨体を動かすのに、どれだけの重油を食う?
この装甲を貼るのに、どれだけの希少金属(レアメタル)を使った?
……そして、これを『沈める』のに、航空機が何機必要だ?」
坂上は、建造中の船体を指差した。
「あんたたちが作っているのは、最強の戦艦じゃない。
世界で一番豪華な、鉄の『棺桶』だ」
第69話:46センチの呪縛
呉海軍工廠、設計室。
現場の空気は、最悪だった。
坂上の「棺桶」発言に激昂した技術者たちが、殺気立った目で彼を睨みつけている。
「……撤回されよ」
設計主任の牧野技術大佐が、机を叩いた。
「大和は、46センチ砲9門を擁する。
射程距離は40キロ以上。敵艦隊のアウトレンジ(射程外)から一方的に叩けるのだ。
航空機? 笑わせるな。
本艦の装甲は、いかなる爆弾も跳ね返す!」
「跳ね返せない」
坂上は、黒板にチョークで図を描いた。
「垂直落下する徹甲爆弾、あるいは、水面下を直進する酸素魚雷。
集中攻撃を受ければ、不沈艦など存在しない」
坂上は、設計図の「主砲」部分を指で弾いた。
「それに、この46センチ砲だ。
こいつの命中率は? 40キロ先で、移動する目標に当たる確率は何%だ?」
「……我が海軍の練度をもってすれば……」
「精神論はいい。データだ」
坂上は切り捨てた。
「俺の計算では、遠距離砲戦の命中率は数%にも満たない。
つまり、95%以上の弾薬は、海水を沸騰させるだけの無駄玉になる」
坂上は、設計室を見渡した。
「いいか。
これからの海戦は、『見えない距離』での殴り合いじゃない。
『空』からの立体的制圧だ。
この艦に必要なのは、バカでかい大砲じゃない」
坂上は、持参した新しい設計案(ブループリント)を、牧野の前に広げた。
「……なんだ、これは」
牧野が、目を見開いた。
そこには、大和の船体の上に、異様な構造物が描かれていた。
主砲はそのまま(建造が進みすぎて撤去不可能だった)だが、
艦橋構造物が肥大化し、その頂上には、ハリネズミのように多数のアンテナが突き出している。
そして、艦の内部には、体育館のような巨大な空間が確保されていた。
「防空指揮所(CIC)だ」
坂上は言った。
「この艦の役割を変える。
『殴り込み』の戦艦ではない。
艦隊全体の防空を指揮し、情報を処理する、洋上の『サーバー(司令塔)』にする」
「……司令塔?」
「そうだ。
強力なレーダーと通信設備を積み、上空のゼロ戦隊と、周囲の護衛艦を、一元的に指揮する。
そのための『場所』と『電力』を確保しろ」
「馬鹿な!」
牧野が叫んだ。
「そんなことをすれば、副砲が積めなくなる!
居住区も減る! 重心のバランスも崩れる!」
「副砲などいらん。対空機銃に変えろ」
坂上は譲らなかった。
「居住区? 大和ホテルと揶揄されたくなければ、畳を捨てて機材を詰め込め。
……これは、『お願い』ではない」
坂上は、懐から一枚の辞令書を取り出した。
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