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第三章 大和
EP 17
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巨人のアキレス腱
ハワイ、オアフ島。
真珠湾の上空は、開戦から二日が過ぎてもなお、太陽を遮るほどの黒煙に覆われていた。
「……酷いな」
米太平洋艦隊司令長官として急遽着任したチェスター・ニミッツ大将は、ジープの上からその光景を見上げ、呻くように言った。
彼の視線の先にあるのは、無残に横転した戦艦群……ではない。
湾の奥、フォード島の対岸にある、「燃料貯蔵施設(タンクファーム)」だ。
450万バレル。
太平洋艦隊が数ヶ月間活動するための「血液」が、すべて炎と化していた。
黒い煙は、アメリカ海軍の「足」が、物理的に切断されたことを意味していた。
「ジャップは、戦艦を殴りに来たんじゃない」
幕僚の一人が、煤(すす)だらけの顔で報告した。
「奴らは、我々を『ここ(ハワイ)』から追い出しに来たんです。
燃料がなければ、艦隊は動けません。
修理ドックも水門を破壊され、乾ドックとしての機能は全滅です」
ニミッツは、ギリリと歯を噛み締めた。
戦艦が沈むより、遥かに悪い。
戦艦は「駒」だが、燃料とドックは「盤」そのものだ。
これでは、艦隊をアメリカ西海岸(サンディエゴ)まで後退させるしかない。
ハワイを放棄し、太平洋の制海権を一時的に日本へ明け渡す。
屈辱的な「戦略的撤退」だ。
「……見事だ」
ニミッツは、敵ながらその冷徹な戦略眼を認めざるを得なかった。
「誰が指揮したか知らんが、相手はただの侍(サムライ)じゃない。
我々の弱点(アキレスけん)を、外科医のように正確に切り裂いていきやがった」
だが、ニミッツの青い目は、絶望してはいなかった。
その奥には、冷たい復讐の炎が灯っていた。
「だが、奴らは間違いを犯した」
ニミッツは、東の空――アメリカ本土の方角を睨んだ。
「奴らは、眠れる巨人を叩き起こしただけでなく、その腹を空かせ、怒り狂わせた。
……見せてやろう。
デトロイトの、ピッツバーグの、アメリカの工業力が本気になった時、
誰が本当の『物量』を持っているのかを」
一方、東京。築地。
「掃き溜め」研究所は、奇妙な静けさに包まれていた。
外の通りでは、戦勝を祝う提灯行列が続き、「軍艦マーチ」が鳴り響いているというのに、ここだけは別世界だった。
壁の海図には、最新の戦果報告が書き込まれている。
『ハワイ燃料施設、全壊』
『空母エンタープライズ、不在(接触できず)』
「……空母は、逃したか」
坂上真一は、ぬるくなったコーヒーを啜りながら、独りごちた。
「まあいい。タンクを焼いたことで、奴らの空母もしばらくは補給に苦しむはずだ」
「坂上さん」
早乙女薫が、集計されたデータを持って駆け寄ってきた。
「未帰還機、最終確定しました。
……全機で、11機です」
「11機……」
史実の29機から、大幅な減少。
潜水艦(特殊潜航艇)の損害を含めても、人的被害は驚異的に低い。
「やりましたね!」
薫の声が弾む。
「大勝利です。損害は軽微、相手の基地機能は壊滅。
これなら、日本は……」
「勝てる、と思うか?」
坂上が、冷や水を浴びせるように言った。
薫の笑顔が消える。
坂上は、立ち上がり、窓のブラインドを下ろした。
外の「万歳」の声が、少しだけ遠くなる。
「……薫君。
俺たちがやったのは、ボクシングの試合開始のゴングと同時に、相手の足を踏みつけて骨を折っただけだ」
坂上は、淡々と言った。
「相手は激痛でうずくまっている。
だが、相手はヘビー級の世界チャンピオンだ。
足が折れても、腕力だけで俺たちを殺せる」
坂上は、机の引き出しから、新しいファイルを取り出した。
そこには、『対米防衛構想』と書かれていた。
「ハワイのタンクを焼いたことで、我々は『時間』を買った。
半年、いや、うまくいけば一年。
アメリカ艦隊が態勢を立て直し、太平洋を渡ってくるまでの猶予期間(グレースピリオド)だ」
「一年……」
「その一年で、俺たちは『要塞』を作らなければならない」
坂上は、太平洋の地図、マリアナ諸島からトラック諸島を結ぶラインに、赤い線を引いた。
「『絶対国防圏』。
ここを、レーダーと、長距離航空隊と、潜水艦で固める。
攻めてくるアメリカ艦隊を、このラインで出血させ、消耗させ、
『日本を倒すにはコストがかかりすぎる』と思わせるまで、耐え抜く」
坂上の目は、勝利の余韻など微塵もなく、すでに来るべき「地獄」を見据えていた。
「急ぐぞ。
アメリカの工場が本気を出し始めたら、月産数千機の航空機が湧いてくる。
……その前に、次の『魔改造』を終わらせる」
坂上の指が、地図上のある一点で止まった。
中部太平洋の要衝、ミッドウェー。
史実では、日本の運命が暗転した海。
「次は、ここだ。
……山本五十六は、必ずここを狙う。
だが、史実通りの『杜撰(ずさん)な計画』では行かせない」
坂上真一の戦いは、終わってはいなかった。
むしろ、巨大な消耗戦という、彼の最も得意とし、かつ最も忌み嫌う「数字の戦争」が、今まさに幕を開けたのだった。
ハワイ、オアフ島。
真珠湾の上空は、開戦から二日が過ぎてもなお、太陽を遮るほどの黒煙に覆われていた。
「……酷いな」
米太平洋艦隊司令長官として急遽着任したチェスター・ニミッツ大将は、ジープの上からその光景を見上げ、呻くように言った。
彼の視線の先にあるのは、無残に横転した戦艦群……ではない。
湾の奥、フォード島の対岸にある、「燃料貯蔵施設(タンクファーム)」だ。
450万バレル。
太平洋艦隊が数ヶ月間活動するための「血液」が、すべて炎と化していた。
黒い煙は、アメリカ海軍の「足」が、物理的に切断されたことを意味していた。
「ジャップは、戦艦を殴りに来たんじゃない」
幕僚の一人が、煤(すす)だらけの顔で報告した。
「奴らは、我々を『ここ(ハワイ)』から追い出しに来たんです。
燃料がなければ、艦隊は動けません。
修理ドックも水門を破壊され、乾ドックとしての機能は全滅です」
ニミッツは、ギリリと歯を噛み締めた。
戦艦が沈むより、遥かに悪い。
戦艦は「駒」だが、燃料とドックは「盤」そのものだ。
これでは、艦隊をアメリカ西海岸(サンディエゴ)まで後退させるしかない。
ハワイを放棄し、太平洋の制海権を一時的に日本へ明け渡す。
屈辱的な「戦略的撤退」だ。
「……見事だ」
ニミッツは、敵ながらその冷徹な戦略眼を認めざるを得なかった。
「誰が指揮したか知らんが、相手はただの侍(サムライ)じゃない。
我々の弱点(アキレスけん)を、外科医のように正確に切り裂いていきやがった」
だが、ニミッツの青い目は、絶望してはいなかった。
その奥には、冷たい復讐の炎が灯っていた。
「だが、奴らは間違いを犯した」
ニミッツは、東の空――アメリカ本土の方角を睨んだ。
「奴らは、眠れる巨人を叩き起こしただけでなく、その腹を空かせ、怒り狂わせた。
……見せてやろう。
デトロイトの、ピッツバーグの、アメリカの工業力が本気になった時、
誰が本当の『物量』を持っているのかを」
一方、東京。築地。
「掃き溜め」研究所は、奇妙な静けさに包まれていた。
外の通りでは、戦勝を祝う提灯行列が続き、「軍艦マーチ」が鳴り響いているというのに、ここだけは別世界だった。
壁の海図には、最新の戦果報告が書き込まれている。
『ハワイ燃料施設、全壊』
『空母エンタープライズ、不在(接触できず)』
「……空母は、逃したか」
坂上真一は、ぬるくなったコーヒーを啜りながら、独りごちた。
「まあいい。タンクを焼いたことで、奴らの空母もしばらくは補給に苦しむはずだ」
「坂上さん」
早乙女薫が、集計されたデータを持って駆け寄ってきた。
「未帰還機、最終確定しました。
……全機で、11機です」
「11機……」
史実の29機から、大幅な減少。
潜水艦(特殊潜航艇)の損害を含めても、人的被害は驚異的に低い。
「やりましたね!」
薫の声が弾む。
「大勝利です。損害は軽微、相手の基地機能は壊滅。
これなら、日本は……」
「勝てる、と思うか?」
坂上が、冷や水を浴びせるように言った。
薫の笑顔が消える。
坂上は、立ち上がり、窓のブラインドを下ろした。
外の「万歳」の声が、少しだけ遠くなる。
「……薫君。
俺たちがやったのは、ボクシングの試合開始のゴングと同時に、相手の足を踏みつけて骨を折っただけだ」
坂上は、淡々と言った。
「相手は激痛でうずくまっている。
だが、相手はヘビー級の世界チャンピオンだ。
足が折れても、腕力だけで俺たちを殺せる」
坂上は、机の引き出しから、新しいファイルを取り出した。
そこには、『対米防衛構想』と書かれていた。
「ハワイのタンクを焼いたことで、我々は『時間』を買った。
半年、いや、うまくいけば一年。
アメリカ艦隊が態勢を立て直し、太平洋を渡ってくるまでの猶予期間(グレースピリオド)だ」
「一年……」
「その一年で、俺たちは『要塞』を作らなければならない」
坂上は、太平洋の地図、マリアナ諸島からトラック諸島を結ぶラインに、赤い線を引いた。
「『絶対国防圏』。
ここを、レーダーと、長距離航空隊と、潜水艦で固める。
攻めてくるアメリカ艦隊を、このラインで出血させ、消耗させ、
『日本を倒すにはコストがかかりすぎる』と思わせるまで、耐え抜く」
坂上の目は、勝利の余韻など微塵もなく、すでに来るべき「地獄」を見据えていた。
「急ぐぞ。
アメリカの工場が本気を出し始めたら、月産数千機の航空機が湧いてくる。
……その前に、次の『魔改造』を終わらせる」
坂上の指が、地図上のある一点で止まった。
中部太平洋の要衝、ミッドウェー。
史実では、日本の運命が暗転した海。
「次は、ここだ。
……山本五十六は、必ずここを狙う。
だが、史実通りの『杜撰(ずさん)な計画』では行かせない」
坂上真一の戦いは、終わってはいなかった。
むしろ、巨大な消耗戦という、彼の最も得意とし、かつ最も忌み嫌う「数字の戦争」が、今まさに幕を開けたのだった。
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