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EP 5
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最強の猛獣使い(に見える男)
ルミナス帝国の国境(山脈)を強引に突破し、俺たちはガルーダ獣人国の領土である「大樹海」を歩いていた。
空気は濃く、湿度は高い。
あちこちから「ガサッ」「グルル」という、心臓に悪い音が聞こえてくる。
「ねぇ、ネギオ。ここ、本当に大丈夫なのか? 今にも魔物が出そうなんだが」
「訂正します、雑草(リカル)。『出そう』ではなく『囲まれている』が正解です。……右に3、左に4、頭上に2」
「詰んでるじゃねーか!!」
俺が悲鳴を上げようとした、その時だった。
ズシン……ズシン……。
周囲の気配が一斉に消えた。
森の小動物たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、静寂が訪れる。
代わりに現れたのは、その静寂を引き裂くような、圧倒的な「死」の気配。
「グルルルルゥゥ……」
目の前の茂みがかき分けられ、巨大な影が現れた。
体長5メートル。
全身が血のように赤い剛毛で覆われた、二足歩行の熊。
この森のヌシにして、Aランク冒険者パーティーですら全滅させる災厄の獣――「キング・レッドベア」だ。
「ひっ……!」
俺の喉が引きつる。
終わった。逃げられない。
俺の腰にあるのは木の枝(元・聖剣)だけ。ネギオがいるとはいえ、ルナを守りながら戦える相手じゃない。
恐怖で足がすくみ、俺は彫像のように硬直した。
腰が抜ける寸前で、膝がガクガクと震え――それを必死にこらえる姿が、傍から見れば「微動だにせず、敵を見据える戦士」に見えたことを、俺は知る由もなかった。
「まぁ……!」
その時、俺の背後から能天気な声が響いた。
ルナだ。
彼女は、涎を垂らす凶悪な魔獣を見て、頬を紅潮させていた。
「なんて大きなクマさん! モフモフですわ! テディベアみたい!」
ルナがタタタッと前に出る。
「おいバカ! 喰われるぞ!」
「大丈夫ですわリカル様。この子、寂しそうな顔をしてますもの。……ほら、よしよし~」
ルナは無防備に手を伸ばし、キング・レッドベアの鼻先に触れた。
ベアが大きく口を開ける。その牙は、ルナの頭蓋骨など容易く噛み砕ける凶器だ。
「ガァァァァッ!!(貴様、俺を誰だと……!)」
ベアが咆哮し、腕を振り上げた瞬間。
ルナの世界樹の杖が、ピカリと光った。
「――『アニマル・フレンドシップ(強制友好条約)』♡」
ズギュウウウウン!!
目に見えないピンク色の衝撃波(慈愛の波動)が、ベアの脳髄を直撃した。
野生の本能が一瞬で書き換えられる。
『捕食対象』から『絶対服従のご主人様』へ。
「クゥ~ン……♡」
振り上げられた剛腕が、そっと下ろされる。
そして、その巨大な巨体が地面に転がり、お腹を見せて「撫でて」のポーズを取ったのだ。
「わぁ、いい子いい子! お腹もモフモフですわ~!」
ルナはキャッキャと熊の腹に顔を埋めている。
俺は口をパクパクさせたまま、その光景を見守ることしかできなかった。
「……解説します」
ネギオが呆れた声で言った。
「マスターの過剰な魔力が、熊の脳内麻薬物質を暴走させました。あの熊は今、極上のマタタビを与えられた猫と同じ状態です」
「どんな聖女だよ……」
◇
その様子を、高い木の上から固唾を呑んで見守る集団がいた。
猫耳と尻尾を生やした、しなやかな戦士たち――猫耳族(キャット・ピープル)の狩猟部隊だ。
「お、おい見たかニャ……?」
「ああ、信じられねぇニャ……」
彼らの動体視力は、事態をこう捉えていた。
1. 森の王、キング・レッドベアが現れた。
2. 先頭にいた人間の男(リカル)は、眉一つ動かさずに仁王立ちしていた。
3. 男の背後から少女が出てきたが、男は止めることもしなかった。それは「俺が出るまでもない」という自信の表れ。
4. 結果、熊は戦わずして降伏した。
「あの男……殺気だけで森の王を屈服させたのかニャ!?」
「それに、あの少女……手も触れずに熊を手懐けた。あんな高位の『ビーストテイマー』は見たことがないニャ!」
「とんでもない連中が来たぞ……! 里の長(おさ)に知らせるんだ!」
◇
数分後。
ようやく腰の震えが止まった俺の前に、茂みから数十人の獣人たちが飛び出してきた。
槍や弓を構えているが、敵意はない。むしろ、瞳をキラキラさせている。
「ようこそ、強き旅人よ!」
リーダー格らしき、凛々しい猫耳の女性剣士が進み出る。
「我らはガルーダ獣人国の国境警備隊。貴殿らの『武威』、しかと見届けさせてもらった!」
「へ? 武威?」
「謙遜するなニャ。あのキング・レッドベアを、一歩も動かずに制圧する度胸……只者ではないニャ! 貴殿の名を聞かせてほしい!」
俺は助けを求めるようにネギオを見た。
ネギオは「面倒なことになりましたね」という顔をしつつ、スラスラと通訳(?)を始めた。
「彼の名はリカル。……趣味は『猛獣狩り』と『山脈斬り』。先ほど通った関所が消滅しているのも、彼が準備運動で消し飛ばしたからです」
「ネギオォォォ!? 何余計な設定盛ってんだ!!」
「山を消し飛ばした……!? まさか、噂の『山斬りのリカル』とは貴殿のことかニャ!?」
猫耳剣士たちがザワつく。
噂の伝達速度がおかしい。SNSでもあるのかこの世界は。
「す、凄いニャ……! こんな英雄にお会いできるとは!」
「ぜひ我らの里へ来てくれ! 長老様も喜ぶはずだニャ!」
俺は両手を振って否定しようとした。
だが、俺の足元では、すっかり駄犬(駄熊)と化したキング・レッドベアが、俺のブーツをペロペロと舐めて媚びを売っている。
「ほら、リカル様! クマちゃんも『行こう』って言ってますわ!」
「お前が手懐けたんだろーが!」
結局、俺は反論する隙を与えられず、獣人たちに神輿のように担ぎ上げられた。
「英雄リカル万歳!」
「最強のテイマー万歳!」
「今夜は宴だニャー!」
運ばれていく俺を見ながら、ネギオがボソリと呟く。
「……ちなみに雑草。今回の『キング・レッドベア無許可飼育』および『生態系破壊』により、推定賠償額はさらに跳ね上がりますが、計算しますか?」
「やめろ……今は聞きたくない……」
歓声の中、俺の借金カウンターだけが静かに回っていた。
【借金総額:4億5000万ゴールド】
ルミナス帝国の国境(山脈)を強引に突破し、俺たちはガルーダ獣人国の領土である「大樹海」を歩いていた。
空気は濃く、湿度は高い。
あちこちから「ガサッ」「グルル」という、心臓に悪い音が聞こえてくる。
「ねぇ、ネギオ。ここ、本当に大丈夫なのか? 今にも魔物が出そうなんだが」
「訂正します、雑草(リカル)。『出そう』ではなく『囲まれている』が正解です。……右に3、左に4、頭上に2」
「詰んでるじゃねーか!!」
俺が悲鳴を上げようとした、その時だった。
ズシン……ズシン……。
周囲の気配が一斉に消えた。
森の小動物たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、静寂が訪れる。
代わりに現れたのは、その静寂を引き裂くような、圧倒的な「死」の気配。
「グルルルルゥゥ……」
目の前の茂みがかき分けられ、巨大な影が現れた。
体長5メートル。
全身が血のように赤い剛毛で覆われた、二足歩行の熊。
この森のヌシにして、Aランク冒険者パーティーですら全滅させる災厄の獣――「キング・レッドベア」だ。
「ひっ……!」
俺の喉が引きつる。
終わった。逃げられない。
俺の腰にあるのは木の枝(元・聖剣)だけ。ネギオがいるとはいえ、ルナを守りながら戦える相手じゃない。
恐怖で足がすくみ、俺は彫像のように硬直した。
腰が抜ける寸前で、膝がガクガクと震え――それを必死にこらえる姿が、傍から見れば「微動だにせず、敵を見据える戦士」に見えたことを、俺は知る由もなかった。
「まぁ……!」
その時、俺の背後から能天気な声が響いた。
ルナだ。
彼女は、涎を垂らす凶悪な魔獣を見て、頬を紅潮させていた。
「なんて大きなクマさん! モフモフですわ! テディベアみたい!」
ルナがタタタッと前に出る。
「おいバカ! 喰われるぞ!」
「大丈夫ですわリカル様。この子、寂しそうな顔をしてますもの。……ほら、よしよし~」
ルナは無防備に手を伸ばし、キング・レッドベアの鼻先に触れた。
ベアが大きく口を開ける。その牙は、ルナの頭蓋骨など容易く噛み砕ける凶器だ。
「ガァァァァッ!!(貴様、俺を誰だと……!)」
ベアが咆哮し、腕を振り上げた瞬間。
ルナの世界樹の杖が、ピカリと光った。
「――『アニマル・フレンドシップ(強制友好条約)』♡」
ズギュウウウウン!!
目に見えないピンク色の衝撃波(慈愛の波動)が、ベアの脳髄を直撃した。
野生の本能が一瞬で書き換えられる。
『捕食対象』から『絶対服従のご主人様』へ。
「クゥ~ン……♡」
振り上げられた剛腕が、そっと下ろされる。
そして、その巨大な巨体が地面に転がり、お腹を見せて「撫でて」のポーズを取ったのだ。
「わぁ、いい子いい子! お腹もモフモフですわ~!」
ルナはキャッキャと熊の腹に顔を埋めている。
俺は口をパクパクさせたまま、その光景を見守ることしかできなかった。
「……解説します」
ネギオが呆れた声で言った。
「マスターの過剰な魔力が、熊の脳内麻薬物質を暴走させました。あの熊は今、極上のマタタビを与えられた猫と同じ状態です」
「どんな聖女だよ……」
◇
その様子を、高い木の上から固唾を呑んで見守る集団がいた。
猫耳と尻尾を生やした、しなやかな戦士たち――猫耳族(キャット・ピープル)の狩猟部隊だ。
「お、おい見たかニャ……?」
「ああ、信じられねぇニャ……」
彼らの動体視力は、事態をこう捉えていた。
1. 森の王、キング・レッドベアが現れた。
2. 先頭にいた人間の男(リカル)は、眉一つ動かさずに仁王立ちしていた。
3. 男の背後から少女が出てきたが、男は止めることもしなかった。それは「俺が出るまでもない」という自信の表れ。
4. 結果、熊は戦わずして降伏した。
「あの男……殺気だけで森の王を屈服させたのかニャ!?」
「それに、あの少女……手も触れずに熊を手懐けた。あんな高位の『ビーストテイマー』は見たことがないニャ!」
「とんでもない連中が来たぞ……! 里の長(おさ)に知らせるんだ!」
◇
数分後。
ようやく腰の震えが止まった俺の前に、茂みから数十人の獣人たちが飛び出してきた。
槍や弓を構えているが、敵意はない。むしろ、瞳をキラキラさせている。
「ようこそ、強き旅人よ!」
リーダー格らしき、凛々しい猫耳の女性剣士が進み出る。
「我らはガルーダ獣人国の国境警備隊。貴殿らの『武威』、しかと見届けさせてもらった!」
「へ? 武威?」
「謙遜するなニャ。あのキング・レッドベアを、一歩も動かずに制圧する度胸……只者ではないニャ! 貴殿の名を聞かせてほしい!」
俺は助けを求めるようにネギオを見た。
ネギオは「面倒なことになりましたね」という顔をしつつ、スラスラと通訳(?)を始めた。
「彼の名はリカル。……趣味は『猛獣狩り』と『山脈斬り』。先ほど通った関所が消滅しているのも、彼が準備運動で消し飛ばしたからです」
「ネギオォォォ!? 何余計な設定盛ってんだ!!」
「山を消し飛ばした……!? まさか、噂の『山斬りのリカル』とは貴殿のことかニャ!?」
猫耳剣士たちがザワつく。
噂の伝達速度がおかしい。SNSでもあるのかこの世界は。
「す、凄いニャ……! こんな英雄にお会いできるとは!」
「ぜひ我らの里へ来てくれ! 長老様も喜ぶはずだニャ!」
俺は両手を振って否定しようとした。
だが、俺の足元では、すっかり駄犬(駄熊)と化したキング・レッドベアが、俺のブーツをペロペロと舐めて媚びを売っている。
「ほら、リカル様! クマちゃんも『行こう』って言ってますわ!」
「お前が手懐けたんだろーが!」
結局、俺は反論する隙を与えられず、獣人たちに神輿のように担ぎ上げられた。
「英雄リカル万歳!」
「最強のテイマー万歳!」
「今夜は宴だニャー!」
運ばれていく俺を見ながら、ネギオがボソリと呟く。
「……ちなみに雑草。今回の『キング・レッドベア無許可飼育』および『生態系破壊』により、推定賠償額はさらに跳ね上がりますが、計算しますか?」
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