鬼神と月兎

月神世一

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鬼神と月兎

EP 21

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鬼神、慟哭に沈む
「――みつけた」
その呟きは、誰の耳にも届かなかったかもしれない。だが、その場にいた全ての生物が、その瞬間に感じていた。世界の温度が、数度下がったのを。
次の瞬間、龍魔呂の姿は、崩れ落ちた場所から消えていた。
盗賊の頭目は、目の前で母親を刺したという、己の浅はかな行為の余韻に浸っていた。だが、不意に、背筋を駆け上がった悪寒に、反射的に振り返る。
そこに、龍魔呂が立っていた。
虚ろな瞳が、ただ、じっと、自分を見つめている。
「ひっ…! な、なんだてめぇ…!」
頭目は、恐怖に引きつりながらも、虚勢を張って剣を構え直す。しかし、その切っ先は、恐怖に震えていた。
龍魔呂は、何も言わない。ただ、ゆっくりと、その腕を上げた。
頭目は、防御しようと剣を掲げる。だが、龍魔呂の狙いは、剣ではなかった。
ゴッ。
鈍い音。龍魔呂の指が、頭目の左腕に、まるで枝を折るかのように、易々と食い込んだ。
「ぎゃあああああああああっ!」
激痛に、頭目が絶叫する。龍魔呂は、その悲鳴をBGMにでもするかのように、無感情なまま、その腕を、ゆっくりと、引き千切った。
肉が裂け、骨が砕ける、生々しい音。
凄惨な光景に、周囲でまだ抵抗していた盗賊たちの足が、完全に止まった。
「な…なんだ…ありゃあ…」
「ひ、ひぃぃ…! あいつは、人間じゃねえ…!」
恐怖は、伝染する。
そして、その恐怖の根源である「Death4」は、自らの仕事を開始した。
「ダイチ様! 見ちゃ駄目!」
その地獄絵図が始まるのを察したユイは、すぐさまダイチの元へ駆け寄り、その両手で、彼の目を強く覆った。ダイチは、ユイの腕の中で、ガタガタと全身を震わせていた。目隠しをされていても、聞こえてくる。肉が潰れる音、骨が砕ける音、そして、もはや悲鳴にさえならない、短い断末魔の数々。
それは、もはや「戦闘」ではなかった。
一方的な虐殺。蹂躙。
逃げ惑う盗賊たちを、龍魔呂は、まるで虫でも潰すかのように、一人、また一人と、確実に、そして残忍に処理していく。ある者は、地面に頭を叩きつけられて沈黙し、ある者は、心臓を素手で抉り出され、ある者は、自らの武器で身体を貫かれた。
ダイヤは、その光景を、ただ呆然と見つめていた。
帝国最強の騎士団長である彼女でさえ、これほどまでに純粋で、冷徹な「死」の顕現を、見たことがなかった。目の前で起きているのは、人の技ではない。天災だ。人の形をした、歩く天災。彼女は、レイピアを握る自分の手が、わずかに震えていることに気づいた。
やがて、悲鳴は、完全に止んだ。
後に残されたのは、血の海と、無数の肉塊と化した盗賊たちの亡骸。そして、その中心に、血飛沫を浴びながら、虚ろな目で立ち尽くす龍魔呂の姿だけだった。
赤黒い殺気が、陽炎のように彼の全身から立ち上っている。
街は、死の静寂に包まれた。
その静寂を破ったのは、まだ嗚咽を漏らし続ける、小さな少女の泣き声だった。
その声に、ユイははっと我に返る。彼女は、震えるダイチに「ここで動かないで」と強く言うと、意を決して、斬られた母親の元へと駆け寄った。
少女は、母の亡骸にすがりつき、ただ「おかあさん」と呼び続けている。
「…大丈夫。私が、助けます」
ユイは、少女の頭を優しく撫でると、母親の傷口に、そっと両手をかざした。今は、夜。天には、半分の月が浮かんでいる。
「月の御光よ、その慈悲深き癒やしの力で、失われし命の灯を、今一度ここに…!」
ユイの手のひらから、柔らかな銀色の光が溢れ出す。光は、母親の身体を優しく包み込み、致命傷だったはずの胸の傷が、ゆっくりと、しかし確実に塞がっていく。
やがて、母親の身体が、ぴくりと動いた。
「……ん……」
うっすらと、その瞼が開かれる。
「…おかあさん…!」
「…あなた…無事、なのね…よかった…」
母娘は、涙ながらに抱き合った。
奇跡のような光景。命が、死の淵から呼び戻された瞬間。
その光景を、虚ろな目で見ていた龍魔呂の身体が、ふらり、と傾いた。
張り詰めていた何かが、切れた。赤黒い殺気が、霧散していく。
そして、彼は、まるで糸の切れた人形のように、その場に、静かに崩れ落ちた。
街を占拠していた盗賊団「赤牙」は、その日、謎の黒髪の男によって、頭目を含め、全員が惨殺された。
街は解放されたが、住民たちの間に、喜びの声はなかった。
ただ、あの地獄のような光景と、一人の男への、神への祈りにも似た、根源的な恐怖だけが、深く刻み込まれた。
ダイチたちは、静まり返っていた。
助けられた母親と少女の、感謝の言葉さえ、彼らの耳には届いていない。
ダイチは、ユイの腕の中で、未だ震えが止まらない。
ダイヤは、崩れ落ちた龍魔呂の姿と、眼下の惨状を、ただ、無言で見下ろしていた。
自分たちが共に旅をしている存在が、何なのか。
その一端を、彼らは、この日、初めて思い知らされたのだった。
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