鬼神と月兎

月神世一

文字の大きさ
37 / 60
鬼神と月兎

EP 22

しおりを挟む
鬼神の眠りと、残された者たち
盗賊団「赤牙」の最後の一人が絶命してから、どれほどの時間が経っただろうか。
水車の街・アクアブルックの中央広場は、死の匂いと、血の静寂に支配されていた。解放されたはずの街に、歓喜の声はない。家々の窓から恐る恐る顔を覗かせた住民たちは、目の前の惨状と、その中心で力尽き、崩れ落ちた龍魔呂の姿に、ただ恐怖で立ち尽くすだけだった。
「…ひどい…」
震えるダイチの声が、その沈黙を破った。ユイの腕の中からそっと顔を上げた彼は、目の前の光景から目を逸らすことができなかった。あれは、自分が知っている龍魔呂さんじゃない。でも、あの人があんな風になってしまったのは…。
ダイチの脳裏に、母親を斬られて泣き叫ぶ少女の姿が焼き付いて離れない。あの慟哭が、この地獄を招いたのだと、彼は直感的に理解していた。
「…全員、我に返れ!」
その場の空気を切り裂いたのは、ダイヤの鋭い声だった。彼女は、自らの頬を強く張り、無理やり平静を取り戻していた。
「負傷者の救護! 街の安全確保を急げ! そして…」
ダイヤは、地面に倒れ伏す龍魔呂へと、複雑な視線を向けた。
「…彼を、街の宿屋へ。丁重に運べ」
その命令に、部下の騎士たちは一瞬ためらった。あの怪物を? という無言の問いが、彼らの顔に浮かんでいる。
「団長の命令が聞けんのか!」
ダイヤが一喝すると、騎士たちは慌てて数人がかりで、ぐったりとした龍魔呂の身体を担ぎ上げた。その身体は、あれだけの闘気を放っていたのが嘘のように、今はただ重く、冷たい。
宿屋の一室。ベッドに横たえられた龍魔呂は、静かに寝息を立てていた。その寝顔は、鬼神でも、死神でもなく、ただの傷ついた少年のように、どこか幼く見えた。しかし、その額には玉のような汗が浮かび、時折、苦悶の表情でうなされている。悪夢に囚われているのは明らかだった。
部屋には、ダイチとユイ、そしてダイヤの三人がいた。重い沈黙が、三人を支配している。
「…あれは、一体何なのだ?」
最初に口を開いたのは、ダイヤだった。その声は、騎士団長としての威厳を失い、純粋な問いかけとして響いた。
「あの男は、一体、何なのだ…?」
ユイは、眠る龍魔呂の顔を見つめながら、静かに答えた。
「あの人の中には…とても深くて、悲しい『鬼』がいます。普段は、龍魔呂様自身の強い意志で、それを心の奥底に封じているのですが…」
彼女は、言葉を選びながら続ける。
「子供の、あの、悲しい声が…その封印を、壊してしまったんだと思います。あの状態の彼は、もう、龍魔呂様自身にも止められない…」
ダイヤは、その言葉を黙って聞いていた。鬼。まさに、言い得て妙だ。だが、それは、魔族のような生まれついての悪ではない。あまりにも深い悲しみが作り出した、後天的な、呪いのようなもの。
彼女の脳裏に、宰相の冷酷な言葉が蘇る。『毒をもって毒を制す』。帝国の上層部は、この男のこの危険な本質を、理解した上で利用しようとしていたのか。
その時、ずっと黙っていたダイチが、おずおずと動いた。彼は、水差しと布を持ってくると、ベッドの傍らに座り、龍魔呂の額の汗を、そっと拭い始めた。
「ダイチ様…!?」
ユイが驚きの声を上げる。あれほどの恐怖を味わったのに、なぜ。
「…怖かった」
ダイチは、手を止めずに、ぽつりと呟いた。
「すごく、怖かった。でも…」
彼は、苦しそうに眠る龍魔呂の顔を見つめる。
「…でも、あの時の龍魔呂さん、なんだか、すごく苦しそうだったから。泣いてるみたいだったから…」
僕が勇者なのに、とダイチは思う。僕がしっかりしていれば、あのお母さんも傷つかなかった。あの女の子も、泣かなかった。そうすれば、龍魔呂さんがあんな風になることもなかった。
全て、自分のせいだ。
罪悪感と、そして、この人を助けたいという、純粋な思い。それが、彼の恐怖を上回っていた。
ダイヤは、その光景を、ただ、言葉もなく見つめていた。
勇者のくせに、と最初は思った。あまりにも非力で、気弱で、理想ばかりを口にする子供だと。
しかし、今、目の前にいるのは、恐怖を乗り越え、自らを救ってくれた「怪物」を、その優しさで包み込もうとしている、紛れもない「勇者」の姿だった。
その夜、ダイヤは聖都の宰相へ、定期報告の書状を書いた。
『――水車の街・アクアブルックを占拠せし盗賊団「赤牙」を、鬼神龍魔呂の助力により、これを殲滅。街の解放に成功せり。鬼神は、その戦闘において、ある種の強力な秘術を行使。代償として、現在は魔力枯渇により昏睡状態にあり――』
彼女は、筆を止めた。そして、書いた一文を、インクで塗りつぶす。「Death4」への変貌については、一切触れない。それは、報告義務の違反。帝国への、ささやかな反逆だった。
彼女は、ペンを置き、窓の外の月を見上げた。
私の任務は、勇者ダイチ様を守ること。そして、その勇者が守りたいと願うものを、守ること。それが、騎士としての、私の新たな誓いだ。
この日、水車の街で流れた血と涙は、四人のバラバラだった心を、一つの、危険で、そして切実な秘密で固く結びつけた。
彼らの旅は、もはや帝国の思惑の下にあるのではない。
彼ら自身の、意志の旅へと、その意味合いを、静かに変えようとしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双

四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。 「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。 教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。 友達もなく、未来への希望もない。 そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。 突如として芽生えた“成長システム”。 努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。 筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。 昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。 「なんであいつが……?」 「昨日まで笑いものだったはずだろ!」 周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。 陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。 だが、これはただのサクセスストーリーではない。 嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。 陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。 「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」 かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。 最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。 物語は、まだ始まったばかりだ。

処理中です...