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鬼神と月兎
EP 23
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傷痕と、夜明けのスープ
龍魔呂が意識を失ってから、三日が過ぎた。
その間、水車の街・アクアブルックは、帝国騎士団の管理下で、少しずつ日常を取り戻し始めていた。解放された住民たちは、英雄である勇者ダイチと、彼を護衛する騎士団長ダイヤに感謝の言葉を口にしたが、あの日の惨劇の中心にいた「黒髪の鬼神」については、誰もが恐怖に口を閉ざした。
宿屋の一室では、静かな時間が流れていた。
龍魔呂は、変わらずベッドで眠り続けている。ユイが彼の汗を拭い、ダイチが時折、新しい水を持ってくる。ダイヤは、部屋の窓辺に立ち、街の様子を監視しながらも、その意識の半分は、眠る男と、その傍らで健気に世話を焼く少年に向けられていた。
「…ん……」
不意に、ベッドの上の龍魔呂が、かすかに身じろぎをした。
ゆっくりと、その重い瞼が開かれていく。
「龍魔呂様!」
その変化に気づいたユイが、安堵の声を上げる。
「目が覚めたんですね! 良かった…!」
ダイチも、慌ててベッドのそばに駆け寄った。
龍魔呂の瞳は、しばらくの間、虚空を彷徨っていた。
「…ここは…」
掠れた声が、静かな部屋に響く。
「アクアブルックの宿屋です。あなたは三日間、眠っていたんですよ」
ユイの言葉をきっかけに、龍魔呂の記憶が、濁流のように蘇る。
少女の慟哭。崩れ落ちる自分。そして、その後、世界が赤と黒に染まっていく感覚。自らの手で、命を摘み取っていく、冷たい感触。
「――ッ!」
龍魔呂は、まるで幻の血を振り払うかのように、自らの両手を見つめ、そして、勢いよく身を起こした。
「俺に、触るな」
駆け寄ろうとしたダイチとユイを、鋭い拒絶の言葉が突き刺す。その瞳には、激しい自己嫌悪と、他者を寄せ付けない、かつての冷たい光が戻っていた。
ダイチは、その言葉にびくりと肩を震わせたが、しかし、彼はもう、ただ怯えるだけの少年ではなかった。
彼は一歩も引かず、静かに、そこに立ち続けた。そして、部屋の隅のテーブルに置いてあった、温め直したスープの器を手に取った。
「…お腹、空いてませんか?」
ダイチの声は、震えていなかった。
「ユイさんに教わって、街の人から分けてもらった野菜で、スープを作ったんです。食べないと、元気になりませんよ」
それは、あまりにも場違いで、あまりにも日常的な言葉。しかし、龍魔呂の張り詰めた心の壁を、その言葉は、静かに、しかし確かに叩いた。
その時、部屋の入り口に寄りかかっていたダイヤが、腕を組んだまま口を開いた。
「鬼神龍魔呂。貴様が三日間、意識を失っていた間、私たちは貴様の傍にいた。そして、ダイチ様が、ずっと貴様の看病をしていた」
その声は、相変わらず冷たかったが、以前のような敵意はなかった。ただ、事実を告げる、静かな響き。
「貴様のあの状態は、制御不能な危険物だ。だが、ダイチ様は、それでも貴様を仲間だと言っている。私も、騎士として、勇者様の判断を尊重すると決めた」
ダイヤは、龍魔呂の目を真っ直ぐに見据える。
「…だが、忘れるな。次はない。次に貴様が理性を失い、ダイチ様を危険に晒すようなことがあれば、その時は、私が貴様を斬る」
それは、脅しではなかった。ダイヤ・ソルティアという一人の騎士が、自らの覚悟を懸けた、誓いの言葉だった。
龍魔呂は、何も言えなかった。
圧倒的な拒絶でもなく、盲目的な信頼でもない。ただ、事実を受け止め、その上で、一つの「仲間」としてのルールを提示する。そんな関係性を、彼はこれまで築いたことがなかった。
彼は、ゆっくりと、目の前に立つダイチへと視線を移した。
少年は、まだ、スープの器を、まっすぐな瞳で、こちらに差し出している。その瞳には、恐怖も、憐れみもなかった。ただ、純粋な、心配の色だけが浮かんでいた。
長い、長い沈黙の後。
龍魔-呂は、まるで重い枷でも外すかのように、ゆっくりと手を伸ばし、その器を受け取った。
「…世話を、かけた」
それは、ほとんど吐息のような、か細い声だった。しかし、それは確かに、彼が発した、初めての謝罪の言葉だった。
龍魔呂は、差し出されたスープを、一口、また一口と、静かに口に運んでいく。
その温かい味が、彼の凍てついた心の奥底へと、ゆっくりと染み渡っていくようだった。
この日、この部屋で、四人の関係は、確かに変わった。
彼らはもはや、ただの寄せ集めの集団ではない。
一人の男の、どうしようもない弱さと、それを支えようとする者たちの、不器用で、しかし確かな意志によって結ばれた、本当の「パーティ」としての第一歩を、今、ようやく踏み出したのだった。
龍魔呂が意識を失ってから、三日が過ぎた。
その間、水車の街・アクアブルックは、帝国騎士団の管理下で、少しずつ日常を取り戻し始めていた。解放された住民たちは、英雄である勇者ダイチと、彼を護衛する騎士団長ダイヤに感謝の言葉を口にしたが、あの日の惨劇の中心にいた「黒髪の鬼神」については、誰もが恐怖に口を閉ざした。
宿屋の一室では、静かな時間が流れていた。
龍魔呂は、変わらずベッドで眠り続けている。ユイが彼の汗を拭い、ダイチが時折、新しい水を持ってくる。ダイヤは、部屋の窓辺に立ち、街の様子を監視しながらも、その意識の半分は、眠る男と、その傍らで健気に世話を焼く少年に向けられていた。
「…ん……」
不意に、ベッドの上の龍魔呂が、かすかに身じろぎをした。
ゆっくりと、その重い瞼が開かれていく。
「龍魔呂様!」
その変化に気づいたユイが、安堵の声を上げる。
「目が覚めたんですね! 良かった…!」
ダイチも、慌ててベッドのそばに駆け寄った。
龍魔呂の瞳は、しばらくの間、虚空を彷徨っていた。
「…ここは…」
掠れた声が、静かな部屋に響く。
「アクアブルックの宿屋です。あなたは三日間、眠っていたんですよ」
ユイの言葉をきっかけに、龍魔呂の記憶が、濁流のように蘇る。
少女の慟哭。崩れ落ちる自分。そして、その後、世界が赤と黒に染まっていく感覚。自らの手で、命を摘み取っていく、冷たい感触。
「――ッ!」
龍魔呂は、まるで幻の血を振り払うかのように、自らの両手を見つめ、そして、勢いよく身を起こした。
「俺に、触るな」
駆け寄ろうとしたダイチとユイを、鋭い拒絶の言葉が突き刺す。その瞳には、激しい自己嫌悪と、他者を寄せ付けない、かつての冷たい光が戻っていた。
ダイチは、その言葉にびくりと肩を震わせたが、しかし、彼はもう、ただ怯えるだけの少年ではなかった。
彼は一歩も引かず、静かに、そこに立ち続けた。そして、部屋の隅のテーブルに置いてあった、温め直したスープの器を手に取った。
「…お腹、空いてませんか?」
ダイチの声は、震えていなかった。
「ユイさんに教わって、街の人から分けてもらった野菜で、スープを作ったんです。食べないと、元気になりませんよ」
それは、あまりにも場違いで、あまりにも日常的な言葉。しかし、龍魔呂の張り詰めた心の壁を、その言葉は、静かに、しかし確かに叩いた。
その時、部屋の入り口に寄りかかっていたダイヤが、腕を組んだまま口を開いた。
「鬼神龍魔呂。貴様が三日間、意識を失っていた間、私たちは貴様の傍にいた。そして、ダイチ様が、ずっと貴様の看病をしていた」
その声は、相変わらず冷たかったが、以前のような敵意はなかった。ただ、事実を告げる、静かな響き。
「貴様のあの状態は、制御不能な危険物だ。だが、ダイチ様は、それでも貴様を仲間だと言っている。私も、騎士として、勇者様の判断を尊重すると決めた」
ダイヤは、龍魔呂の目を真っ直ぐに見据える。
「…だが、忘れるな。次はない。次に貴様が理性を失い、ダイチ様を危険に晒すようなことがあれば、その時は、私が貴様を斬る」
それは、脅しではなかった。ダイヤ・ソルティアという一人の騎士が、自らの覚悟を懸けた、誓いの言葉だった。
龍魔呂は、何も言えなかった。
圧倒的な拒絶でもなく、盲目的な信頼でもない。ただ、事実を受け止め、その上で、一つの「仲間」としてのルールを提示する。そんな関係性を、彼はこれまで築いたことがなかった。
彼は、ゆっくりと、目の前に立つダイチへと視線を移した。
少年は、まだ、スープの器を、まっすぐな瞳で、こちらに差し出している。その瞳には、恐怖も、憐れみもなかった。ただ、純粋な、心配の色だけが浮かんでいた。
長い、長い沈黙の後。
龍魔-呂は、まるで重い枷でも外すかのように、ゆっくりと手を伸ばし、その器を受け取った。
「…世話を、かけた」
それは、ほとんど吐息のような、か細い声だった。しかし、それは確かに、彼が発した、初めての謝罪の言葉だった。
龍魔呂は、差し出されたスープを、一口、また一口と、静かに口に運んでいく。
その温かい味が、彼の凍てついた心の奥底へと、ゆっくりと染み渡っていくようだった。
この日、この部屋で、四人の関係は、確かに変わった。
彼らはもはや、ただの寄せ集めの集団ではない。
一人の男の、どうしようもない弱さと、それを支えようとする者たちの、不器用で、しかし確かな意志によって結ばれた、本当の「パーティ」としての第一歩を、今、ようやく踏み出したのだった。
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