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鬼神と月兎
EP 20
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水車の街の慟哭
水車の街・アクアブルックは、その牧歌的な名前とは裏腹に、死んだような静寂に包まれていた。街の象徴であるはずの巨大な水車は止められ、家々の窓は固く閉ざされている。城壁の上や街の入り口には、明らかに正規の兵士ではない、柄の悪い男たちが徒党を組んで見張りに立っていた。盗賊団「赤牙」が、この街を完全に占領していたのだ。
「…状況は最悪、だな」
街を見下ろす丘の上で、ダイヤが苦々しげに呟く。
「住民を人質に、街を要塞化している。下手に手を出せば、民に犠牲が出るぞ」
彼女は、即座に部下の騎士たちに指示を出し、緻密な突入計画を立て始めた。陽動部隊と本隊に分かれ、住民の被害を最小限に抑えつつ、盗賊の頭目を叩く。騎士団長としての、冷静で的確な判断だった。
「…龍魔呂殿、貴殿には別動隊として、頭目の首を狙ってほしい。それが最も被害が少ないはずだ」
ダイヤが龍魔呂に役割を伝えるが、彼は街を見下ろしたまま、興味なさそうに答えた。
「俺は俺のやり方でやる」
言うが早いか、龍魔呂の姿は、丘の上から消えていた。
「なっ…!? あの男、一人で突っ込む気か!」
ダイヤの怒声が響く。計画は、開始と同時に崩壊した。
龍魔呂は、まるで散歩でもするかのように、街の正門へと続く街道を、一人、ゆっくりと歩いていく。
「おい、止まれ! 何者だ!」
見張りの盗賊が警告するが、龍魔呂は止まらない。放たれた矢は、彼に届く前に、見えない闘気の壁に弾かれて落ちる。
やがて、龍魔呂の姿は、街の入り口で、まるで闇に溶けるように消えた。
直後、街の中から、断末魔の悲鳴が上がり始める。
「も、もういい! 全員突入! 勇者様とユイ殿は後方で待機!」
ダイヤは舌打ちをしながらも、全軍に突撃命令を下した。街の解放作戦は、最悪の形で、しかし、もう始まってしまったのだ。
街の中は、既に地獄絵図と化していた。
龍魔呂は、まるで黒い死神のように、盗賊たちの間を駆け抜けていた。彼の動きに、派手さはない。ただ、効率的に、最短で、敵の命を刈り取っていく。鬼神流の技は、もはや「武術」ではなく、「殺戮術」として完成の域に達していた。
ダイヤと騎士団も、その混乱に乗じて街の各所を制圧していく。ユイは住民の避難誘導に奔走し、ダイチもその手伝いをしながら、生まれて初めて見る凄惨な戦いに、ただ唇を噛みしめていた。
戦いは、帝国騎士団と龍魔呂の圧倒的な力によって、一方的に進んでいるように見えた。
そう、あの瞬間までは。
街の中央広場。追い詰められた盗賊の頭目が、最後の抵抗として、近くの家から逃げ出してきた母娘を人質に取った。
「動くな! 動くとこいつらの命はねえぞ!」
その卑劣な行為に、ダイヤが怒りの声を上げる。
「卑怯者めが!」
その時だった。母親は、一瞬の隙を突いて、自らの娘を突き飛ばした。
「…! 早く、逃げて!」
「おかあさ…!」
少女が叫ぶ。その行動に逆上した頭目は、娘を庇おうとした母親の胸を、その汚れた剣で、深々と貫いた。
ザシュッ、という生々しい音。
母親は、娘の名を呼びながら、ゆっくりと崩れ落ちる。
少女の目の前で、真っ赤な血が、石畳の上に広がっていった。
「……おかあさん……?」
少女は、何が起こったのか分からないという顔で、動かなくなった母を見つめていた。やがて、その小さな瞳から、大粒の涙が溢れ出す。
「――うわあああああああああああああんっ!!」
魂を引き裂くような、子供の慟哭。
その声を聞いた瞬間、近くで別の盗賊を始末していた龍魔呂の動きが、ぴたり、と止まった。
彼の世界から、音が消えた。
少女の泣き声が、あの日の、ユウの泣き声と重なる。
燃える家。血の匂い。守れなかった、小さな手。
絶望が、彼の魂を、再び喰らい尽くしていく。
「――ッ、ぁ…」
龍魔呂の全身から、急速に力が抜けていく。顔は蒼白になり、その場に、がくりと膝から崩れ落ちた。その手から、赤黒い闘気が霧散していく。
「龍魔呂殿!? どうした!」
ダイヤが、その異変に気づき叫ぶ。
ユイもまた、遠くから、龍魔呂の魂の「音」が、粉々に砕け散っていくのを感じていた。
(だめ…! その音は、あの時と同じ…いや、もっと深い、絶望の音…!)
崩れ落ち、頭を抱え、悪夢に苛まれる龍魔呂。その姿は、もはや鬼神ではなく、ただの傷ついた獣だった。
だが、それは、ほんの数秒間の出来事に過ぎなかった。
ゆっくりと、龍魔呂が顔を上げる。
その瞳には、もはや何の光も宿っていなかった。それは、感情というものが存在しない、絶対零度の虚無。
そして、彼の全身から、これまでの闘気とは比較にならないほど、冷たく、そして禍々しい「殺気」が、嵐のように噴き出した。
理性の枷が、外れた。
彼は立ち上がり、少女を泣かせた元凶――盗賊の頭目を、その虚ろな瞳で、捉えた。
「――みつけた」
その声は、地獄の底から響くような、冷たい囁き。
次の瞬間、龍魔-呂の姿は、その場から、消えていた。
水車の街・アクアブルックは、その牧歌的な名前とは裏腹に、死んだような静寂に包まれていた。街の象徴であるはずの巨大な水車は止められ、家々の窓は固く閉ざされている。城壁の上や街の入り口には、明らかに正規の兵士ではない、柄の悪い男たちが徒党を組んで見張りに立っていた。盗賊団「赤牙」が、この街を完全に占領していたのだ。
「…状況は最悪、だな」
街を見下ろす丘の上で、ダイヤが苦々しげに呟く。
「住民を人質に、街を要塞化している。下手に手を出せば、民に犠牲が出るぞ」
彼女は、即座に部下の騎士たちに指示を出し、緻密な突入計画を立て始めた。陽動部隊と本隊に分かれ、住民の被害を最小限に抑えつつ、盗賊の頭目を叩く。騎士団長としての、冷静で的確な判断だった。
「…龍魔呂殿、貴殿には別動隊として、頭目の首を狙ってほしい。それが最も被害が少ないはずだ」
ダイヤが龍魔呂に役割を伝えるが、彼は街を見下ろしたまま、興味なさそうに答えた。
「俺は俺のやり方でやる」
言うが早いか、龍魔呂の姿は、丘の上から消えていた。
「なっ…!? あの男、一人で突っ込む気か!」
ダイヤの怒声が響く。計画は、開始と同時に崩壊した。
龍魔呂は、まるで散歩でもするかのように、街の正門へと続く街道を、一人、ゆっくりと歩いていく。
「おい、止まれ! 何者だ!」
見張りの盗賊が警告するが、龍魔呂は止まらない。放たれた矢は、彼に届く前に、見えない闘気の壁に弾かれて落ちる。
やがて、龍魔呂の姿は、街の入り口で、まるで闇に溶けるように消えた。
直後、街の中から、断末魔の悲鳴が上がり始める。
「も、もういい! 全員突入! 勇者様とユイ殿は後方で待機!」
ダイヤは舌打ちをしながらも、全軍に突撃命令を下した。街の解放作戦は、最悪の形で、しかし、もう始まってしまったのだ。
街の中は、既に地獄絵図と化していた。
龍魔呂は、まるで黒い死神のように、盗賊たちの間を駆け抜けていた。彼の動きに、派手さはない。ただ、効率的に、最短で、敵の命を刈り取っていく。鬼神流の技は、もはや「武術」ではなく、「殺戮術」として完成の域に達していた。
ダイヤと騎士団も、その混乱に乗じて街の各所を制圧していく。ユイは住民の避難誘導に奔走し、ダイチもその手伝いをしながら、生まれて初めて見る凄惨な戦いに、ただ唇を噛みしめていた。
戦いは、帝国騎士団と龍魔呂の圧倒的な力によって、一方的に進んでいるように見えた。
そう、あの瞬間までは。
街の中央広場。追い詰められた盗賊の頭目が、最後の抵抗として、近くの家から逃げ出してきた母娘を人質に取った。
「動くな! 動くとこいつらの命はねえぞ!」
その卑劣な行為に、ダイヤが怒りの声を上げる。
「卑怯者めが!」
その時だった。母親は、一瞬の隙を突いて、自らの娘を突き飛ばした。
「…! 早く、逃げて!」
「おかあさ…!」
少女が叫ぶ。その行動に逆上した頭目は、娘を庇おうとした母親の胸を、その汚れた剣で、深々と貫いた。
ザシュッ、という生々しい音。
母親は、娘の名を呼びながら、ゆっくりと崩れ落ちる。
少女の目の前で、真っ赤な血が、石畳の上に広がっていった。
「……おかあさん……?」
少女は、何が起こったのか分からないという顔で、動かなくなった母を見つめていた。やがて、その小さな瞳から、大粒の涙が溢れ出す。
「――うわあああああああああああああんっ!!」
魂を引き裂くような、子供の慟哭。
その声を聞いた瞬間、近くで別の盗賊を始末していた龍魔呂の動きが、ぴたり、と止まった。
彼の世界から、音が消えた。
少女の泣き声が、あの日の、ユウの泣き声と重なる。
燃える家。血の匂い。守れなかった、小さな手。
絶望が、彼の魂を、再び喰らい尽くしていく。
「――ッ、ぁ…」
龍魔呂の全身から、急速に力が抜けていく。顔は蒼白になり、その場に、がくりと膝から崩れ落ちた。その手から、赤黒い闘気が霧散していく。
「龍魔呂殿!? どうした!」
ダイヤが、その異変に気づき叫ぶ。
ユイもまた、遠くから、龍魔呂の魂の「音」が、粉々に砕け散っていくのを感じていた。
(だめ…! その音は、あの時と同じ…いや、もっと深い、絶望の音…!)
崩れ落ち、頭を抱え、悪夢に苛まれる龍魔呂。その姿は、もはや鬼神ではなく、ただの傷ついた獣だった。
だが、それは、ほんの数秒間の出来事に過ぎなかった。
ゆっくりと、龍魔呂が顔を上げる。
その瞳には、もはや何の光も宿っていなかった。それは、感情というものが存在しない、絶対零度の虚無。
そして、彼の全身から、これまでの闘気とは比較にならないほど、冷たく、そして禍々しい「殺気」が、嵐のように噴き出した。
理性の枷が、外れた。
彼は立ち上がり、少女を泣かせた元凶――盗賊の頭目を、その虚ろな瞳で、捉えた。
「――みつけた」
その声は、地獄の底から響くような、冷たい囁き。
次の瞬間、龍魔-呂の姿は、その場から、消えていた。
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