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鬼神と月兎
EP 19
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光の門出、影の旅路
聖都ソラリスの正門前は、勇者の旅立ちを見送る民衆で埋め尽くされていた。色とりどりの紙吹雪が舞い、子供たちの歓声が上がる。彼らの目に映るのは、希望の象徴である少年勇者と、彼を守る帝国最強の白銀の騎士団長。それは、誰もが胸を躍らせる、英雄譚の始まりの光景だった。
しかし、その中心にいる四人の心は、決して一枚岩ではなかった。
「ダイチ様、お気をつけて!」「ダイヤ様、ご武運を!」
民衆の歓声に応え、馬上から気品ある笑みで手を振るダイヤ。その隣で、少し気圧されながらも、懸命に手を振り返すダイチ。その後ろを、馬を牽きながら静かに歩くユイ。そして、その全てから数歩距離を置き、まるで異物であるかのように、ただ黙って前を見据える龍魔呂。
旅立ちの前、龍魔呂は宰相にただ一言だけ告げていた。
「勘違いするな。俺は帝国の犬になるつもりはない。ただ、あのガキが死ぬのを見たくないだけだ。それだけだ」
宰相は、その言葉に、ただ不気味な笑みを返すだけだった。
「…龍魔呂殿」
馬上のダイヤが、冷ややかな声で龍魔呂に話しかける。
「貴殿には馬も用意したが、乗らないのか?」
「慣れていない」
龍魔呂は短く答えた。それは事実でもあり、同時に、彼らと馴れ合うつもりはないという、無言の意思表示でもあった。
ダイヤは、チッと小さく舌打ちをすると、それ以上何も言わなかった。宰相の命令は絶対だ。この男を同行させねばならない。だが、その存在は、まるで騎士団の隊列に紛れ込んだ一匹の飢えた狼のようだった。一瞬でも目を離せば、喉笛に食らいついてくるかもしれない。彼女の全神経が、常に龍魔呂へと向けられていた。
そんな緊張を和らげようとするかのように、ダイチが馬の上から龍魔呂に話しかけた。
「あ、あの、龍魔呂さん! 疲れてないですか? 僕、歩きましょうか?」
「…黙って乗っていろ。お前が歩く方が、足手まといだ」
返ってきたのは、やはり突き放すような言葉。ダイチはしょんぼりと肩を落とす。
しかし、ユイだけは、その言葉の裏にある不器用な気遣いの「音」を、確かに聞いていた。ダイチを歩かせれば、この物々しい旅のペースはさらに落ちる。そして、何より、子供であるダイチの体力を気遣っているのだ。
一行が聖都の喧騒を抜け、街道へと出ると、民衆の声は次第に遠ざかっていった。後に残されたのは、馬の蹄の音と、鎧の擦れる音、そして、四人の間のぎこちない沈黙だけだった。
最初の目的地は、聖都から数日の距離にある「水車の街・アクアブルック」。表向きは、勇者が地方の民の暮らしを視察するという名目。だが、その裏では、近隣の森で魔物の活動が活発化し、街との交易路が脅かされているという報告が上がっていた。宰相が仕組んだ、龍魔呂という「毒」の使い道を試すための、最初の実験場だった。
日が暮れ始め、一行は街道沿いで野営の準備を始めた。騎士たちが手際よく天幕を張り、見張りを固める。その中心で、ダイチはそわそわと落ち着かない様子だった。
やがて、彼は一つの鍋を手に、一人離れた場所で火の番をしていた龍魔呂の元へと、おずおずと近づいていった。
「あ、あの…龍魔呂さん」
差し出された鍋の中には、湯気の立つ温かいシチューが入っていた。
「夕食、できました。一緒に、食べませんか…?」
龍魔呂は、その鍋と、不安げにこちらを見上げるダイチの顔を、黙って見つめていた。その視線に、隣で見張りに立っていたダイヤが、いつでも割って入れるように、そっとレイピアの柄に手を添える。
長い、長い沈黙の後。
龍魔呂は、ふっと息を吐くと、無言でその鍋を受け取った。
それは、拒絶でも、歓迎でもない。
ただ、差し出されたものを受け取った、というだけの行為。
しかし、ダイチの顔には、ぱっと、花が咲いたような笑顔が広がった。
光と影。聖と俗。優しさと暴力。
あまりにも違う者たちが集った旅は、温かいシチューの湯気が立ち上る最初の夜と共に、こうして、本当に静かに始まったのだった。
聖都ソラリスの正門前は、勇者の旅立ちを見送る民衆で埋め尽くされていた。色とりどりの紙吹雪が舞い、子供たちの歓声が上がる。彼らの目に映るのは、希望の象徴である少年勇者と、彼を守る帝国最強の白銀の騎士団長。それは、誰もが胸を躍らせる、英雄譚の始まりの光景だった。
しかし、その中心にいる四人の心は、決して一枚岩ではなかった。
「ダイチ様、お気をつけて!」「ダイヤ様、ご武運を!」
民衆の歓声に応え、馬上から気品ある笑みで手を振るダイヤ。その隣で、少し気圧されながらも、懸命に手を振り返すダイチ。その後ろを、馬を牽きながら静かに歩くユイ。そして、その全てから数歩距離を置き、まるで異物であるかのように、ただ黙って前を見据える龍魔呂。
旅立ちの前、龍魔呂は宰相にただ一言だけ告げていた。
「勘違いするな。俺は帝国の犬になるつもりはない。ただ、あのガキが死ぬのを見たくないだけだ。それだけだ」
宰相は、その言葉に、ただ不気味な笑みを返すだけだった。
「…龍魔呂殿」
馬上のダイヤが、冷ややかな声で龍魔呂に話しかける。
「貴殿には馬も用意したが、乗らないのか?」
「慣れていない」
龍魔呂は短く答えた。それは事実でもあり、同時に、彼らと馴れ合うつもりはないという、無言の意思表示でもあった。
ダイヤは、チッと小さく舌打ちをすると、それ以上何も言わなかった。宰相の命令は絶対だ。この男を同行させねばならない。だが、その存在は、まるで騎士団の隊列に紛れ込んだ一匹の飢えた狼のようだった。一瞬でも目を離せば、喉笛に食らいついてくるかもしれない。彼女の全神経が、常に龍魔呂へと向けられていた。
そんな緊張を和らげようとするかのように、ダイチが馬の上から龍魔呂に話しかけた。
「あ、あの、龍魔呂さん! 疲れてないですか? 僕、歩きましょうか?」
「…黙って乗っていろ。お前が歩く方が、足手まといだ」
返ってきたのは、やはり突き放すような言葉。ダイチはしょんぼりと肩を落とす。
しかし、ユイだけは、その言葉の裏にある不器用な気遣いの「音」を、確かに聞いていた。ダイチを歩かせれば、この物々しい旅のペースはさらに落ちる。そして、何より、子供であるダイチの体力を気遣っているのだ。
一行が聖都の喧騒を抜け、街道へと出ると、民衆の声は次第に遠ざかっていった。後に残されたのは、馬の蹄の音と、鎧の擦れる音、そして、四人の間のぎこちない沈黙だけだった。
最初の目的地は、聖都から数日の距離にある「水車の街・アクアブルック」。表向きは、勇者が地方の民の暮らしを視察するという名目。だが、その裏では、近隣の森で魔物の活動が活発化し、街との交易路が脅かされているという報告が上がっていた。宰相が仕組んだ、龍魔呂という「毒」の使い道を試すための、最初の実験場だった。
日が暮れ始め、一行は街道沿いで野営の準備を始めた。騎士たちが手際よく天幕を張り、見張りを固める。その中心で、ダイチはそわそわと落ち着かない様子だった。
やがて、彼は一つの鍋を手に、一人離れた場所で火の番をしていた龍魔呂の元へと、おずおずと近づいていった。
「あ、あの…龍魔呂さん」
差し出された鍋の中には、湯気の立つ温かいシチューが入っていた。
「夕食、できました。一緒に、食べませんか…?」
龍魔呂は、その鍋と、不安げにこちらを見上げるダイチの顔を、黙って見つめていた。その視線に、隣で見張りに立っていたダイヤが、いつでも割って入れるように、そっとレイピアの柄に手を添える。
長い、長い沈黙の後。
龍魔呂は、ふっと息を吐くと、無言でその鍋を受け取った。
それは、拒絶でも、歓迎でもない。
ただ、差し出されたものを受け取った、というだけの行為。
しかし、ダイチの顔には、ぱっと、花が咲いたような笑顔が広がった。
光と影。聖と俗。優しさと暴力。
あまりにも違う者たちが集った旅は、温かいシチューの湯気が立ち上る最初の夜と共に、こうして、本当に静かに始まったのだった。
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