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鬼神と月兎
EP 25
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騎士と勇者と、夜明け前の温もり
北の山脈へと向かう旅路は、アクアブルックでの一件以来、奇妙な一体感に包まれていた。龍魔呂の「弱点」という危険な秘密を共有したことで、彼らは否応なく、互いを意識し、そして支え合う運命共同体となっていたのだ。
特に、その変化が顕著だったのがダイヤだった。
彼女は、騎士団長としての厳格な態度を崩さない。しかし、その蒼い瞳が、時折、ダイチと、そして龍魔呂に向ける視線には、以前のような純粋な警戒心や敵意とは違う、もっと複雑な感情の色が混じるようになっていた。
旅を始めて数日が過ぎた、ある夜のこと。
一行は、山岳地帯の麓で野営をしていた。夜の空気は冷たく、焚き火の暖かさが身に染みる。龍魔呂は少し離れた岩の上で目を閉じ、気配を探っているのか瞑想しているのか、静かに座っている。ユイは、明日のために薬草を調合していた。
そんな中、ダイヤだけは、一人離れた場所で、月明かりを頼りに愛用のレイピアの手入れをしていた。彼女は、常に完璧でなければならない。特に、あの龍魔呂という規格外の存在が隣にいる今、ほんのわずかな油断も許されない。そう、自らに厳しく言い聞かせていた。
「…ダイヤさん」
不意に、背後から声をかけられ、ダイヤはびくりと肩を震わせた。振り返ると、そこには、二つの木製のマグカップを持ったダイチが、少しはにかみながら立っていた。
「だ、ダイチ様。何か御用でしょうか」
ダイヤは、即座に騎士団長の顔に戻り、居住まいを正す。
「ううん。あのね、夜は冷えるから」
ダイチはそう言うと、マグカップの一つを、ダイヤの前にそっと差し出した。カップからは、湯気と共に、ハーブと蜂蜜の甘い香りが立ち上っている。
「ユイさんに教わって、体が温まる薬草茶を淹れてみたんだ。ダイヤさん、いつも僕たちのために、一番気を張ってくれてるから…。僕にできること、これくらいしかなくて」
その言葉と、差し出された温かいマグカップ。
ダイヤは、一瞬、何を言うべきか分からず、言葉に詰まった。彼女の努力や緊張を、この少年は、ちゃんと見て、そして、気遣ってくれていた。
彼女は、おずおずとマグカップを受け取った。冷たい金属の籠手をつけた手に、じんわりと、温かさが伝わってくる。
「ありがとう、ダイチさん…」
ダイチは、思わず「様」付けではなく、名前で呼んでくれたダイヤに、嬉しそうに微笑んだ。そして、少しだけ真剣な眼差しで、彼女の顔を見つめる。
「ダイヤさんも、あんまり一人で頑張りすぎないでね」
「…!?」
「僕も、ユイさんも、龍魔呂さんも、ちゃんとここにいるから。ダイヤさんは、一人じゃないよ」
その、あまりにもまっすぐで、優しい言葉。
それは、帝国最強の騎士団長という鎧を易々と貫き、ダイヤ・ソルティアという一人の女性の、柔らかな心の中心に、まっすぐに突き刺さった。
――キュン。
彼女の心臓が、きゅっと、甘く締め付けられるような音を立てた。
な、なんだ、今の、この感じは。
顔に、カッと熱が集まるのが分かる。
「わ、私は、騎士団長だ! この程度のことで疲れたりなどしない! だ、ダイチ様こそ、早くお休みにならないと、明日の行程に差し支えるぞ!」
ダイヤは、自らの動揺を隠すかのように、わざとぶっきらぼうな、大きな声を出した。
「うん。おやすみなさい、ダイヤさん」
ダイチは、そんな彼女の強がりを、まるで分かっているかのように、優しく微笑むと、自分の寝床へと戻っていった。
一人残されたダイヤは、その場に立ち尽くしていた。
胸のドキドキが、まだ収まらない。彼女は、持っていたマグカップに口をつけた。薬草茶は、ダイチが言った通り、とても温かく、そして、今まで飲んだどんな飲み物よりも、甘く感じられた。
(…なんなのだ、あの方は…)
普段は、守ってあげなければならない、か弱い少年。
しかし、時折見せる、あの、全てを見透かすような、優しい強さ。
(…ずるい、だろう、あんなのは…)
ダイヤは、誰にも見られないように、真っ赤になった顔を、両手で覆った。
聖都を出てから、彼女の世界では、あり得ないことが、立て続けに起こりすぎていた。
鬼神に完膚なきまでに敗れ、そして今、守るべき勇者に、完膚なきまでに、心を揺さぶられている。
その夜、ダイヤ・ソルティアは、生まれて初めて、甘いお茶のせいで、なかなか寝付けなかった。
北の山脈へと向かう旅路は、アクアブルックでの一件以来、奇妙な一体感に包まれていた。龍魔呂の「弱点」という危険な秘密を共有したことで、彼らは否応なく、互いを意識し、そして支え合う運命共同体となっていたのだ。
特に、その変化が顕著だったのがダイヤだった。
彼女は、騎士団長としての厳格な態度を崩さない。しかし、その蒼い瞳が、時折、ダイチと、そして龍魔呂に向ける視線には、以前のような純粋な警戒心や敵意とは違う、もっと複雑な感情の色が混じるようになっていた。
旅を始めて数日が過ぎた、ある夜のこと。
一行は、山岳地帯の麓で野営をしていた。夜の空気は冷たく、焚き火の暖かさが身に染みる。龍魔呂は少し離れた岩の上で目を閉じ、気配を探っているのか瞑想しているのか、静かに座っている。ユイは、明日のために薬草を調合していた。
そんな中、ダイヤだけは、一人離れた場所で、月明かりを頼りに愛用のレイピアの手入れをしていた。彼女は、常に完璧でなければならない。特に、あの龍魔呂という規格外の存在が隣にいる今、ほんのわずかな油断も許されない。そう、自らに厳しく言い聞かせていた。
「…ダイヤさん」
不意に、背後から声をかけられ、ダイヤはびくりと肩を震わせた。振り返ると、そこには、二つの木製のマグカップを持ったダイチが、少しはにかみながら立っていた。
「だ、ダイチ様。何か御用でしょうか」
ダイヤは、即座に騎士団長の顔に戻り、居住まいを正す。
「ううん。あのね、夜は冷えるから」
ダイチはそう言うと、マグカップの一つを、ダイヤの前にそっと差し出した。カップからは、湯気と共に、ハーブと蜂蜜の甘い香りが立ち上っている。
「ユイさんに教わって、体が温まる薬草茶を淹れてみたんだ。ダイヤさん、いつも僕たちのために、一番気を張ってくれてるから…。僕にできること、これくらいしかなくて」
その言葉と、差し出された温かいマグカップ。
ダイヤは、一瞬、何を言うべきか分からず、言葉に詰まった。彼女の努力や緊張を、この少年は、ちゃんと見て、そして、気遣ってくれていた。
彼女は、おずおずとマグカップを受け取った。冷たい金属の籠手をつけた手に、じんわりと、温かさが伝わってくる。
「ありがとう、ダイチさん…」
ダイチは、思わず「様」付けではなく、名前で呼んでくれたダイヤに、嬉しそうに微笑んだ。そして、少しだけ真剣な眼差しで、彼女の顔を見つめる。
「ダイヤさんも、あんまり一人で頑張りすぎないでね」
「…!?」
「僕も、ユイさんも、龍魔呂さんも、ちゃんとここにいるから。ダイヤさんは、一人じゃないよ」
その、あまりにもまっすぐで、優しい言葉。
それは、帝国最強の騎士団長という鎧を易々と貫き、ダイヤ・ソルティアという一人の女性の、柔らかな心の中心に、まっすぐに突き刺さった。
――キュン。
彼女の心臓が、きゅっと、甘く締め付けられるような音を立てた。
な、なんだ、今の、この感じは。
顔に、カッと熱が集まるのが分かる。
「わ、私は、騎士団長だ! この程度のことで疲れたりなどしない! だ、ダイチ様こそ、早くお休みにならないと、明日の行程に差し支えるぞ!」
ダイヤは、自らの動揺を隠すかのように、わざとぶっきらぼうな、大きな声を出した。
「うん。おやすみなさい、ダイヤさん」
ダイチは、そんな彼女の強がりを、まるで分かっているかのように、優しく微笑むと、自分の寝床へと戻っていった。
一人残されたダイヤは、その場に立ち尽くしていた。
胸のドキドキが、まだ収まらない。彼女は、持っていたマグカップに口をつけた。薬草茶は、ダイチが言った通り、とても温かく、そして、今まで飲んだどんな飲み物よりも、甘く感じられた。
(…なんなのだ、あの方は…)
普段は、守ってあげなければならない、か弱い少年。
しかし、時折見せる、あの、全てを見透かすような、優しい強さ。
(…ずるい、だろう、あんなのは…)
ダイヤは、誰にも見られないように、真っ赤になった顔を、両手で覆った。
聖都を出てから、彼女の世界では、あり得ないことが、立て続けに起こりすぎていた。
鬼神に完膚なきまでに敗れ、そして今、守るべき勇者に、完膚なきまでに、心を揺さぶられている。
その夜、ダイヤ・ソルティアは、生まれて初めて、甘いお茶のせいで、なかなか寝付けなかった。
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