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EP 16
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加速する「現在(いま)」
1942年6月12日 - 呉海軍工廠 電波研究部
坂上真一の「本当の戦争」は、埃っぽい研究室から始まった。
F-35B(ヴァルキリー)はドックに封印され、堀越二郎ら航空技術者たちが、その「存在しない合金」と「理解不能な構造」を前に、唸りながらスケッチを続けている。
だが、坂上が今、最も優先していたのは「空を飛ぶ魔獣」ではなかった。
「目に見えない魔法」――電波(レーダー)と暗号(コード)だ。
「違う、そうじゃない!」
坂上は、二号一型電探の操作盤を前に、苛立たしげに声を上げた。
「ブラウン管(オシロスコープ)に映るこの『波』を見てください! この細かなノイズ! これは敵機じゃない、艦内の発電機(ダイナモ)から漏れた『電磁汚染(EMI)』だ!」
集められた電波技術者たちは、坂上が口にする「EMI」や「周波数フィルタリング」という未来の用語に、目を白黒させていた。
「坂上顧問…しかし、これを消そうとすると、敵の微弱な反応まで消えてしまう…」
「だから、回路(システム)の『思想』が間違っているんです」
坂上は、設計図をひったくると、黒板にチョークで、2025年では基礎中の基礎である「ロックインアンプ」の原型とも言える、単純な同期検波回路の概念図を描きなぐった。
「送信パルスの『位相』に同期した信号だけを増幅(アンプリファイ)する! それ以外の、ランダムなノイズは全て捨てる(カット)! これだけで、S/N比(信号対雑音比)は劇的に改善する!」
技術者たちは、そのあまりにもエレガントで、しかし常識外れな回路図に釘付けになった。
彼らは何ヶ月も、真空管の数を増やし、出力を上げる「足し算」の改良に固執していた。
だが、坂上が示したのは、「不要なものを捨てる」という「引き算」の思想だった。
「…試してみよう」
技術長が、ゴクリと喉を鳴らした。
三日後。
改造された二号一型電探が、呉沖の「大和」に仮設された。
そのブラウン管に映し出された光景に、立ち会った山本五十六と南雲忠一は、言葉を失った。
「……」
「……」
これまで、海面の乱反射(シークラッター)とノイズの「海」だった画面が、まるで掃き清められたように静まり返っている。
そして、遥か80キロ先にいた演習用の標的艦(旧型駆逐艦)の反応が、くっきりと、針のように鋭い光点(ブリップ)となって、点滅していた。
「……見える」
南雲が、震える声で言った。
「まるで、坂上1尉のタブレットで見た『証拠』のように…敵が、くっきりと見えるぞ!」
「まだです」
坂上は、休まなかった。
「この技術を、今すぐ小型化する。
――『月光(夜間戦闘機)』に搭載し、B-29を夜の空で狩る、『空飛ぶ電探』を作るんです」
同日 - 戦艦「大和」長官室
レーダーの成功で、海軍首脳部における坂上の地位は、もはや「預言者」の域に達していた。
山本五十六は、深刻な顔で、坂上と二人きりで向き合っていた。
「……それで、坂上1尉」
山本は、あの日の予言を切り出した。
「私の、戦死の件だ」
「はい」
坂上は、一枚の紙を差し出した。
そこには、数字と文字が、意味のない羅列でびっしりと書き込まれていた。
「これは?」
「『ワンタイム・パッド(One-Time Pad)』。使い捨ての乱数表です」
坂上は、その運用方法を簡潔に説明した。
「送信側と受信側が、同じ『パッド(乱数表)』を1部ずつ持つ。
暗号化に1ページ使ったら、そのページは『二度と』使わずに焼却する。
これだけで、理論上、この世のいかなる計算機(エニグマ、あるいは未来のコンピューター)でも、解読は『数学的に不可能』になります」
山本は、そのシステムの単純さと、それ故の「完璧な安全性」に、目を見開いた。
「……こんな、簡単なことで…」
「ええ。問題は『運用』です。この『パッド』そのものを、敵に奪われないこと。そして、絶対に使い回さないこと。
この『規律』さえ守れば、長官の飛行ルートが漏れることは、二度とありません」
山本五十六は、その紙切れ(ワンタイム・パッド)を、まるで自分の命そのもののように、静かに握りしめた。
「……わかった。
ただちに、この方式を『甲(A)暗号』の最上位として採用する。
全艦隊司令部、および、ラバウルの前線基地へ、最新の注意を払って配布せよ」
山本は、立ち上がり、窓の外の呉の海を見た。
「坂上1尉。貴官は、この海戦で『槍(鉄槌)』と『盾(電探)』をくれた。
そして今日、私の『命』を救ってくれた」
彼は、坂上に向き直った。
「……もう、疑う者はいない。
陸軍の石頭どもが何を言おうと、私が、貴官を、この帝国海軍の『頭脳』として、絶対に守り抜こう」
1942年6月15日 - 東京・市ヶ谷 陸軍省
東條英機の執務室は、冷たい怒気に満ちていた。
彼の前に、憲兵隊司令官が、直立不動で立っていた。
「……つまり、呉は『鉄壁』で、何もわからん、と。そういうことか」
東條は、低い声で言った。
「海軍め、山本め。ミッドウェーで大勝利(おおがち)したのをいいことに、陸軍(われわれ)を完全に締め出すつもりか」
「はっ…」
憲兵隊司令官は、冷や汗を流しながら報告を続けた。
「しかし、一つだけ。
その『謎の男』、坂上真一と名乗る男について、呉の工廠に出入りする下士官から、奇妙な噂を拾いました」
「奇妙な噂?」
「はっ。その男は、海軍の技術者たちに対し、
『B-29(ビー・ニジュウキュウ)という新型爆撃機が、マリアナから飛んでくる』
『そのために、ジェット戦闘機と、高射砲の『信管』を急げ』
…と、触れて回っている、と」
「……!」
東條英機の目が、細められた。
「B-29…? ジェット…? マリアナ…?」
それは、陸軍の索敵網にも、一切かかっていない、未知の単語だった。
だが、その「マリアナ」という地名が、東條の猜疑心(さいぎしん)に火をつけた。
(海軍は、ミッドウェーで勝った。
その勢いで、マリアナ諸島(サイパン・テニアン)の防衛強化を、大本営に進言するつもりか?
あの島々は、海軍ではなく、我々(陸軍)の管轄だぞ…)
東條の脳裏に、最悪のシナリオが浮かんだ。
海軍が、この「謎の男」の予言を盾に、陸軍の管轄である防衛圏にまで、その影響力を及ぼそうとしているのではないか。
それは、彼が統括する「大東亜共栄圏」の構想そのものへの、挑戦だった。
「……面白い」
東條は、爬虫類のような笑みを浮かべた。
「その『坂上真一』とやらが、呉(うみ)から一歩も出ぬというなら、こちらから『餌』をくれてやろう」
「はっ?」
「そいつが、本当に『未来』を見通せる『神』なのか、あるいは、海軍が仕立て上げた『詐欺師』なのか。
――試す場所を、用意する。
憲兵隊、動け。
呉の『神様』を、東京に呼び出すぞ」
1942年6月12日 - 呉海軍工廠 電波研究部
坂上真一の「本当の戦争」は、埃っぽい研究室から始まった。
F-35B(ヴァルキリー)はドックに封印され、堀越二郎ら航空技術者たちが、その「存在しない合金」と「理解不能な構造」を前に、唸りながらスケッチを続けている。
だが、坂上が今、最も優先していたのは「空を飛ぶ魔獣」ではなかった。
「目に見えない魔法」――電波(レーダー)と暗号(コード)だ。
「違う、そうじゃない!」
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「ブラウン管(オシロスコープ)に映るこの『波』を見てください! この細かなノイズ! これは敵機じゃない、艦内の発電機(ダイナモ)から漏れた『電磁汚染(EMI)』だ!」
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「坂上顧問…しかし、これを消そうとすると、敵の微弱な反応まで消えてしまう…」
「だから、回路(システム)の『思想』が間違っているんです」
坂上は、設計図をひったくると、黒板にチョークで、2025年では基礎中の基礎である「ロックインアンプ」の原型とも言える、単純な同期検波回路の概念図を描きなぐった。
「送信パルスの『位相』に同期した信号だけを増幅(アンプリファイ)する! それ以外の、ランダムなノイズは全て捨てる(カット)! これだけで、S/N比(信号対雑音比)は劇的に改善する!」
技術者たちは、そのあまりにもエレガントで、しかし常識外れな回路図に釘付けになった。
彼らは何ヶ月も、真空管の数を増やし、出力を上げる「足し算」の改良に固執していた。
だが、坂上が示したのは、「不要なものを捨てる」という「引き算」の思想だった。
「…試してみよう」
技術長が、ゴクリと喉を鳴らした。
三日後。
改造された二号一型電探が、呉沖の「大和」に仮設された。
そのブラウン管に映し出された光景に、立ち会った山本五十六と南雲忠一は、言葉を失った。
「……」
「……」
これまで、海面の乱反射(シークラッター)とノイズの「海」だった画面が、まるで掃き清められたように静まり返っている。
そして、遥か80キロ先にいた演習用の標的艦(旧型駆逐艦)の反応が、くっきりと、針のように鋭い光点(ブリップ)となって、点滅していた。
「……見える」
南雲が、震える声で言った。
「まるで、坂上1尉のタブレットで見た『証拠』のように…敵が、くっきりと見えるぞ!」
「まだです」
坂上は、休まなかった。
「この技術を、今すぐ小型化する。
――『月光(夜間戦闘機)』に搭載し、B-29を夜の空で狩る、『空飛ぶ電探』を作るんです」
同日 - 戦艦「大和」長官室
レーダーの成功で、海軍首脳部における坂上の地位は、もはや「預言者」の域に達していた。
山本五十六は、深刻な顔で、坂上と二人きりで向き合っていた。
「……それで、坂上1尉」
山本は、あの日の予言を切り出した。
「私の、戦死の件だ」
「はい」
坂上は、一枚の紙を差し出した。
そこには、数字と文字が、意味のない羅列でびっしりと書き込まれていた。
「これは?」
「『ワンタイム・パッド(One-Time Pad)』。使い捨ての乱数表です」
坂上は、その運用方法を簡潔に説明した。
「送信側と受信側が、同じ『パッド(乱数表)』を1部ずつ持つ。
暗号化に1ページ使ったら、そのページは『二度と』使わずに焼却する。
これだけで、理論上、この世のいかなる計算機(エニグマ、あるいは未来のコンピューター)でも、解読は『数学的に不可能』になります」
山本は、そのシステムの単純さと、それ故の「完璧な安全性」に、目を見開いた。
「……こんな、簡単なことで…」
「ええ。問題は『運用』です。この『パッド』そのものを、敵に奪われないこと。そして、絶対に使い回さないこと。
この『規律』さえ守れば、長官の飛行ルートが漏れることは、二度とありません」
山本五十六は、その紙切れ(ワンタイム・パッド)を、まるで自分の命そのもののように、静かに握りしめた。
「……わかった。
ただちに、この方式を『甲(A)暗号』の最上位として採用する。
全艦隊司令部、および、ラバウルの前線基地へ、最新の注意を払って配布せよ」
山本は、立ち上がり、窓の外の呉の海を見た。
「坂上1尉。貴官は、この海戦で『槍(鉄槌)』と『盾(電探)』をくれた。
そして今日、私の『命』を救ってくれた」
彼は、坂上に向き直った。
「……もう、疑う者はいない。
陸軍の石頭どもが何を言おうと、私が、貴官を、この帝国海軍の『頭脳』として、絶対に守り抜こう」
1942年6月15日 - 東京・市ヶ谷 陸軍省
東條英機の執務室は、冷たい怒気に満ちていた。
彼の前に、憲兵隊司令官が、直立不動で立っていた。
「……つまり、呉は『鉄壁』で、何もわからん、と。そういうことか」
東條は、低い声で言った。
「海軍め、山本め。ミッドウェーで大勝利(おおがち)したのをいいことに、陸軍(われわれ)を完全に締め出すつもりか」
「はっ…」
憲兵隊司令官は、冷や汗を流しながら報告を続けた。
「しかし、一つだけ。
その『謎の男』、坂上真一と名乗る男について、呉の工廠に出入りする下士官から、奇妙な噂を拾いました」
「奇妙な噂?」
「はっ。その男は、海軍の技術者たちに対し、
『B-29(ビー・ニジュウキュウ)という新型爆撃機が、マリアナから飛んでくる』
『そのために、ジェット戦闘機と、高射砲の『信管』を急げ』
…と、触れて回っている、と」
「……!」
東條英機の目が、細められた。
「B-29…? ジェット…? マリアナ…?」
それは、陸軍の索敵網にも、一切かかっていない、未知の単語だった。
だが、その「マリアナ」という地名が、東條の猜疑心(さいぎしん)に火をつけた。
(海軍は、ミッドウェーで勝った。
その勢いで、マリアナ諸島(サイパン・テニアン)の防衛強化を、大本営に進言するつもりか?
あの島々は、海軍ではなく、我々(陸軍)の管轄だぞ…)
東條の脳裏に、最悪のシナリオが浮かんだ。
海軍が、この「謎の男」の予言を盾に、陸軍の管轄である防衛圏にまで、その影響力を及ぼそうとしているのではないか。
それは、彼が統括する「大東亜共栄圏」の構想そのものへの、挑戦だった。
「……面白い」
東條は、爬虫類のような笑みを浮かべた。
「その『坂上真一』とやらが、呉(うみ)から一歩も出ぬというなら、こちらから『餌』をくれてやろう」
「はっ?」
「そいつが、本当に『未来』を見通せる『神』なのか、あるいは、海軍が仕立て上げた『詐欺師』なのか。
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