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EP 5
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天王山は登らない
6月10日。
決戦の地となる「山崎」に到着した明智軍の本陣では、怒号が飛び交っていた。
「殿! ご乱心召されたか! 天王山を押さえぬなど、兵法の初歩を捨てるも同然!」
斎藤利三が、唾を飛ばさんばかりの勢いで詰め寄っていた。
他の武将たちも、不安げな表情で坂上(光秀)を見ている。
山崎の戦い。
史実では、天王山という高所をどちらが先に取るかが勝敗を分けた――と語られることが多い(実際はそこまで単純ではないが)。
高所を取れば、敵の動きが見え、射撃の位置エネルギーも有利になる。それが戦国の、いや、戦争のセオリーだ。
だが、坂上は涼しい顔で、現地の地図を指で弾いた。
「利三、落ち着け。……誰が『捨てろ』と言った? 『登るな』と言ったんだ」
「同じことです! 秀吉軍に山を取られたら、頭上から鉄砲を撃ちかけられ、我らは袋の鼠になりますぞ!」
「それでいい」
坂上は、現代のアスファルトではなく、泥と草の匂いがする地面を踏みしめた。
「いいか。今回の敵は『中国大返し』という強行軍で戻ってくる。奴らは疲労困憊だ。そんな連中が、わざわざ険しい山道を通って迂回攻撃をしてくるか? しない。奴らは最短距離――この街道(平地)を突っ切ってくる」
坂上は、天王山と、その反対側を流れる淀川に挟まれた、狭い平地を指差した。
「ここが『ボトルネック』だ」
「ぼと……?」
「瓶の首だ。大軍といえど、ここでは横に広がれない。必ず縦に細長く伸びる。……そこを叩く」
坂上は、懐から筆を取り出し、地図に線を書き込んだ。
それは、防御陣地(ライン)の構築図だった。
「天王山は囮(デコイ)だ。秀吉の別動隊に登らせてやれ。山登りで体力を使い果たした頃に、麓に置いた伏兵で叩けばいい。……主力は、ここだ」
坂上が指したのは、街道のど真ん中。
円明寺川(えんみょうじがわ)という小さな川を天然の堀として利用した、平野部の陣地。
「ここに、全火力を集中させる。高所からのパラパラとした撃ち下ろしではない。水平射撃による濃密な弾幕で、敵の前衛を物理的に粉砕する」
坂上の目に、かつてイージス艦のCIC(戦闘指揮所)でモニターを睨んでいた時の鋭さが戻る。
「敵を『迎撃(インターセプト)』するのではない。この狭い空間(キルゾーン)に誘い込み、『処理』するのだ」
***
そこからの坂上の指示は、明智軍の常識を覆すものだった。
普請(工事)が始まった。
だが、作られるのは通常の「馬防柵」ではない。
木を切り倒し、枝を尖らせて敵側に向けて配置する「逆茂木(さかもぎ)」。それを幾重にも重ね、敵が直進しようとしても足を取られ、左右に動こうとしても泥沼にハマるよう、地面を掘り返させた。
それは、敵の動きをコントロールするための「誘導路」だった。
そして、鉄砲隊の配置。
「いいか! 敵を狙うな!」
鉄砲頭たちを集め、坂上が怒鳴る。
「は? 敵を狙わずに、どこを撃てと……?」
「空間を狙え。……あそこの杭から、こっちの岩まで。お前の隊は、この『四角形の範囲』だけに弾をばら撒け。敵が居ようが居まいが関係ない。合図があったら、その空間を鉛で埋め尽くせ」
個人の射撃スキルに依存した「狙撃」ではない。
一定の空間(セクター)を火線で埋め尽くす「面制圧」。
現代のCIWS(近接防御火器システム)の発想だ。
毎分4500発のバルカン砲のように、鉄砲三千挺をシステムとして運用し、突っ込んでくる敵兵という「ミサイル」を撃ち落とす。
「三段撃ちはやめる。あれは指揮が煩雑すぎる」
「では、どうやって……」
「五人一組を作れ。一人が撃つ。残りの四人は、全力で早合(カートリッジ)を使って次弾を装填し、筒を渡せ。撃ち手(シューター)は、ひたすら引き金を引くだけのマシーンになれ」
分業化による、発射レートの最大化。
熟練の射手をリーダーにし、残りを装填手(ローダー)にすることで、未熟な足軽でも戦力化する。
「……恐ろしいことを考えなさる」
利三が、完成しつつある陣地を見て呟いた。
そこは、一見するとただの荒れ地に見える。
だが、一度足を踏み入れれば、四方八方から十字砲火を浴び、逃げ場のない「処刑場」と化す仕掛けになっていた。
「恐ろしい? 違うな」
坂上は、麦湯の入った竹筒を腰にぶら下げながら、静かに首を振った。
「これは慈悲だ」
「慈悲、でございますか?」
「ダラダラと斬り合いをすれば、互いに死傷者が増える。……圧倒的な火力で、敵の戦意(心)を瞬時にへし折る。それが、最も死者の少ない終わり方だ」
それは、核抑止力にも通じる、現代防衛論のパラドックス。
圧倒的な暴力装置こそが、平和を担保するという思想。
坂上は空を見上げた。
雨雲が近づいている。
梅雨の湿気。火縄銃には最悪のコンディションだ。
「雨か……」
「殿、雨では火縄が使えませぬぞ」
「案ずるな。それも見越して、堺から『あるもの』を取り寄せた」
坂上はニヤリと笑った。
技術開発官としての「秘密兵器」が、荷駄隊によって運ばれてくるところだった。
「報告! 前方に砂煙! 羽柴軍の先鋒と思われます!」
物見の兵が駆け込んでくる。
ついに、来た。
坂上は、愛刀・和泉守兼定の鯉口を、親指でパチンと鳴らした。
「総員、第一種戦闘配置。……衝撃に備えよ」
時は天正10年6月13日。
歴史が分岐する「山崎の戦い」が、幕を開けようとしていた。
6月10日。
決戦の地となる「山崎」に到着した明智軍の本陣では、怒号が飛び交っていた。
「殿! ご乱心召されたか! 天王山を押さえぬなど、兵法の初歩を捨てるも同然!」
斎藤利三が、唾を飛ばさんばかりの勢いで詰め寄っていた。
他の武将たちも、不安げな表情で坂上(光秀)を見ている。
山崎の戦い。
史実では、天王山という高所をどちらが先に取るかが勝敗を分けた――と語られることが多い(実際はそこまで単純ではないが)。
高所を取れば、敵の動きが見え、射撃の位置エネルギーも有利になる。それが戦国の、いや、戦争のセオリーだ。
だが、坂上は涼しい顔で、現地の地図を指で弾いた。
「利三、落ち着け。……誰が『捨てろ』と言った? 『登るな』と言ったんだ」
「同じことです! 秀吉軍に山を取られたら、頭上から鉄砲を撃ちかけられ、我らは袋の鼠になりますぞ!」
「それでいい」
坂上は、現代のアスファルトではなく、泥と草の匂いがする地面を踏みしめた。
「いいか。今回の敵は『中国大返し』という強行軍で戻ってくる。奴らは疲労困憊だ。そんな連中が、わざわざ険しい山道を通って迂回攻撃をしてくるか? しない。奴らは最短距離――この街道(平地)を突っ切ってくる」
坂上は、天王山と、その反対側を流れる淀川に挟まれた、狭い平地を指差した。
「ここが『ボトルネック』だ」
「ぼと……?」
「瓶の首だ。大軍といえど、ここでは横に広がれない。必ず縦に細長く伸びる。……そこを叩く」
坂上は、懐から筆を取り出し、地図に線を書き込んだ。
それは、防御陣地(ライン)の構築図だった。
「天王山は囮(デコイ)だ。秀吉の別動隊に登らせてやれ。山登りで体力を使い果たした頃に、麓に置いた伏兵で叩けばいい。……主力は、ここだ」
坂上が指したのは、街道のど真ん中。
円明寺川(えんみょうじがわ)という小さな川を天然の堀として利用した、平野部の陣地。
「ここに、全火力を集中させる。高所からのパラパラとした撃ち下ろしではない。水平射撃による濃密な弾幕で、敵の前衛を物理的に粉砕する」
坂上の目に、かつてイージス艦のCIC(戦闘指揮所)でモニターを睨んでいた時の鋭さが戻る。
「敵を『迎撃(インターセプト)』するのではない。この狭い空間(キルゾーン)に誘い込み、『処理』するのだ」
***
そこからの坂上の指示は、明智軍の常識を覆すものだった。
普請(工事)が始まった。
だが、作られるのは通常の「馬防柵」ではない。
木を切り倒し、枝を尖らせて敵側に向けて配置する「逆茂木(さかもぎ)」。それを幾重にも重ね、敵が直進しようとしても足を取られ、左右に動こうとしても泥沼にハマるよう、地面を掘り返させた。
それは、敵の動きをコントロールするための「誘導路」だった。
そして、鉄砲隊の配置。
「いいか! 敵を狙うな!」
鉄砲頭たちを集め、坂上が怒鳴る。
「は? 敵を狙わずに、どこを撃てと……?」
「空間を狙え。……あそこの杭から、こっちの岩まで。お前の隊は、この『四角形の範囲』だけに弾をばら撒け。敵が居ようが居まいが関係ない。合図があったら、その空間を鉛で埋め尽くせ」
個人の射撃スキルに依存した「狙撃」ではない。
一定の空間(セクター)を火線で埋め尽くす「面制圧」。
現代のCIWS(近接防御火器システム)の発想だ。
毎分4500発のバルカン砲のように、鉄砲三千挺をシステムとして運用し、突っ込んでくる敵兵という「ミサイル」を撃ち落とす。
「三段撃ちはやめる。あれは指揮が煩雑すぎる」
「では、どうやって……」
「五人一組を作れ。一人が撃つ。残りの四人は、全力で早合(カートリッジ)を使って次弾を装填し、筒を渡せ。撃ち手(シューター)は、ひたすら引き金を引くだけのマシーンになれ」
分業化による、発射レートの最大化。
熟練の射手をリーダーにし、残りを装填手(ローダー)にすることで、未熟な足軽でも戦力化する。
「……恐ろしいことを考えなさる」
利三が、完成しつつある陣地を見て呟いた。
そこは、一見するとただの荒れ地に見える。
だが、一度足を踏み入れれば、四方八方から十字砲火を浴び、逃げ場のない「処刑場」と化す仕掛けになっていた。
「恐ろしい? 違うな」
坂上は、麦湯の入った竹筒を腰にぶら下げながら、静かに首を振った。
「これは慈悲だ」
「慈悲、でございますか?」
「ダラダラと斬り合いをすれば、互いに死傷者が増える。……圧倒的な火力で、敵の戦意(心)を瞬時にへし折る。それが、最も死者の少ない終わり方だ」
それは、核抑止力にも通じる、現代防衛論のパラドックス。
圧倒的な暴力装置こそが、平和を担保するという思想。
坂上は空を見上げた。
雨雲が近づいている。
梅雨の湿気。火縄銃には最悪のコンディションだ。
「雨か……」
「殿、雨では火縄が使えませぬぞ」
「案ずるな。それも見越して、堺から『あるもの』を取り寄せた」
坂上はニヤリと笑った。
技術開発官としての「秘密兵器」が、荷駄隊によって運ばれてくるところだった。
「報告! 前方に砂煙! 羽柴軍の先鋒と思われます!」
物見の兵が駆け込んでくる。
ついに、来た。
坂上は、愛刀・和泉守兼定の鯉口を、親指でパチンと鳴らした。
「総員、第一種戦闘配置。……衝撃に備えよ」
時は天正10年6月13日。
歴史が分岐する「山崎の戦い」が、幕を開けようとしていた。
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