​「敵は本能寺!」で転生したイージス艦長の明智光秀。現代防衛論と遅滞戦術で「中国大返し」を迎撃し、三日天下を回避する

月神世一

文字の大きさ
6 / 9

EP 6

しおりを挟む
猿が来た
 ポツリ、と。
 坂上の頬に冷たいものが落ちた。
 空を見上げる。鉛色の雲が、天王山の上空を覆い尽くしている。
 本降りになる。
「雨だ……! 雨だぞ!」
「天は我らを見放したか!」
「鉄砲が使えぬ! これでは秀吉の軍勢を止められん!」
 陣地の中に動揺が走る。
 火縄銃にとって、水は天敵だ。火縄が湿れば火は消え、火皿の口薬(着火剤)が濡れれば発火しない。
 梅雨時の野戦において、鉄砲隊は「ただの棒を持った集団」に成り下がる。それが戦国の常識だった。
 だが、坂上は動かなかった。
 濡れていく軍配を無造作に腰に差し、怯える鉄砲組頭(くみがしら)の方へ歩み寄る。
「騒ぐな。想定の範囲内(イン・ザ・スコープ)だ」
 坂上は、低い声で告げた。
 そして、近くの荷駄隊に目配せをする。
「配れ」
 荷駄隊が木箱を開ける。中に入っていたのは、武器でも防具でもない。
 大量の茶色い紙――「油紙(あぶらがみ)」だった。
 堺の商人・津田宗及から買い占めた、和傘や合羽(かっぱ)に使われる、防水加工された丈夫な紙だ。
「筒の機関部(ロック)をこれで覆え。火縄ごとだ。……撃つ瞬間まで外すな。火蓋(ひぶた)を切る、そのコンマ一秒だけ紙をめくればいい」
 坂上は自ら一挺の鉄砲を取り、手本を示した。
 油紙を機関部に巻き付け、紐で固定する。簡易的な防水カバーの完成だ。
 現代の軍隊なら当たり前の「防水処置」だが、当時の足軽にそこまでのマメな装備管理の概念はない。
「それと、早合(はやご/簡易カートリッジ)の口もしっかり蝋(ろう)で封じてあるな? 湿気を吸わせるなよ」
 坂上の落ち着いた手つきを見て、兵たちのパニックが収まっていく。
 指揮官が動じていない。その事実だけで、兵は正気を取り戻す。
「雨は好都合だ。敵は『雨なら鉄砲は撃てない』と油断して突っ込んでくる。……そこが地獄の一丁目だ」
 ***
 ズズズズズ……。
 地鳴りのような音が、街道の向こうから響いてきた。
 土煙が雨に濡れて沈む中、無数の旗指物が姿を現す。
 五七の桐。
 羽柴秀吉の軍勢だ。
 その数、およそ3万。
 先頭を走る兵たちは泥まみれで、具足もろくに付けていない者もいる。
 まさに「中国大返し」。
 常軌を逸したスピードで、約200キロを走破してきた怪物たち。
「……速いな」
 坂上は、単眼鏡の代わりにかざした手の中で呟いた。
 彼らの目は血走り、殺気立っている。
 「信長様の仇討ち」という義憤、そして「勝てば官軍、負ければ賊軍」という極限のプレッシャーが、彼らを突き動かしている。
 隣に控えていた小姓の少年――まだ元服したばかりの15歳ほどの若者が、ガタガタと震え出した。
 槍を持つ手が定まらない。歯の根が合わない音がする。
「ひ、ひぃ……お、鬼だ……猿の皮を被った鬼が来る……」
 無理もない。
 数にして3倍。勢いは向こうにある。
 ここで負ければ、一族郎党皆殺しだ。
 坂上は、ふとポケット(着物の袂)に手を入れた。
 指先に、硬い感触が触れた。
 
 (……ああ、そうか。まだ一粒、残っていたか)
 第1話で食べたのが最後だと思っていたが、予備の軍服(着物)の裏地に紛れ込んでいたらしい。
 包み紙の中で少し溶けかかった、ライオネスコーヒーキャンディ。
 坂上はそれを取り出すと、震える少年の口元に差し出した。
「食え」
「は……? で、殿……?」
「いいから食え。命令だ」
 少年は戸惑いながらも、口を開けた。
 黒い飴玉が、少年の舌の上に乗る。
「……っ!? に、苦い!?」
「そうだ。苦いだろう」
 坂上は少年の肩をポンと叩いた。
「それが『大人の味』だ。……そして、落ち着く薬だ」
「く、薬……?」
「カフェインという成分が入っている。頭が冴えて、恐怖が消える魔法の薬だ」
 嘘ではない。
 少年は「魔法の薬」と聞いて、ごくりと唾を飲み込んだ。
 口の中に広がる濃厚なコーヒーの香りと、遅れてやってくる砂糖の甘み。
 未知の味覚が、少年の脳から「秀吉への恐怖」を一瞬だけ追い出した。
「う……美味い、ような……」
「そうだろう。勝ったら、もっと美味いものを食わせてやる」
 坂上は視線を前方に戻した。
 少年の震えは、止まっていた。
 ***
 秀吉軍の前衛部隊が、円明寺川の対岸に迫る。
 彼らは、明智軍の陣地を見て嘲笑った。
「見ろ! 逆茂木ばかりで、堀も浅い!」
「雨だぞ! 鉄砲なぞ恐るるに足らん!」
「一番槍は頂いたぁぁぁ!!」
 功名心に駆られた武者たちが、我先にと川へ飛び込む。
 その数、数百。
 泥水を蹴立てて、明智軍の「懐」へと侵入してくる。
 坂上は、静かに右手を挙げた。
 そこには、赤い布が結び付けられた杭が打ってある。
 測量によって定められた、鉄砲の有効射程限界線。
 そして、その奥にある「第二の杭」は、殺傷率が最も高くなる「最適交戦距離」の目印だ。
 敵の先頭集団が、第一の杭を越える。
 まだだ。
 第二の杭に、敵兵の胴体が重なる。
 今だ。
 坂上の手が、振り下ろされた。
「射撃開始(オープン・ファイア)!!」
 号令と共に、300挺の鉄砲(第一波)が火を噴いた。
 油紙を跳ねのけ、火縄が落ちる。
 雨音を切り裂く轟音。
 ズドオオオオオオオン!!!
 白煙が視界を覆う。
 だが、坂上は見ずともわかっていた。
 個々人が狙ったのではない。
 事前に設定された「空間(セクター)」に対し、面で制圧射撃を行ったのだ。
 そこに敵がいれば、確率論的に必ず当たる。
「ぎゃあああ!?」
「な、なぜだ!? 雨なのに、なぜ撃てる!?」
 川の中で、先頭集団が薙ぎ倒されたように水面に沈む。
 血飛沫が川を赤く染める。
 だが、攻撃は終わらない。
「次弾装填手(ローダー)、交換!」
「第二射、用意!」
 五人一組のシステムが作動する。
 撃ち終わった筒は即座に後方へ送られ、既に弾込めが完了した筒が射手の手元へ滑り込む。
 間髪入れず、第二波。
 ドン!!
 第三波。
 ドン!!
 本来なら数十秒かかる次弾装填のタイムラグが、わずか数秒に短縮されている。
 それは、戦国時代には存在し得ない「機関銃(マシンガン)」の如き連続射撃だった。
「ひ、ひぃぃ……!」
 さきほどの少年兵が、目を見開いて叫んだ。
 恐怖の対象は、敵ではない。
 目の前で淡々と虐殺を続ける、味方の「システム」に対してだ。
 坂上は、硝煙の匂いを深く吸い込んだ。
 コーヒーの香りよりも強く、鉄錆の味がする戦場の空気。
「ようこそ、キルゾーンへ。……教育してやる。これが『近代戦』だ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。

石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。 だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった 何故なら、彼は『転生者』だから… 今度は違う切り口からのアプローチ。 追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。 こうご期待。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...