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EP 1
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その弁護士、劇薬につき
「異議あり。検察官様、その証拠品は私の作ったマドレーヌより甘いですね?」
ルミナス帝国、王都中央裁判所。
重厚な石造りの法廷に、場違いなほど鈴の鳴るような声が響き渡った。
証言台の前に立っていたのは、フリルのついた豪奢なドレスを纏った小柄な女性――私、桜田リベラだ。
栗色の髪を緩く巻き、垂れ目の瞳を細めて微笑む姿は、どこぞの深窓の令嬢にしか見えないだろう。
だが、対峙する検察官の顔色は土気色だった。
「な、何を言うか! この獣人の娘が宝石店からダイヤを盗んだのは明白だ! 目撃証人の男もこうして――」
「あら、証人の男爵家の使用人、ボブさんのことですか?」
私は扇子をパチリと閉じて、ガタガタと震える証人の男に視線を流す。
私のユニークスキル【真実の天秤(レディ・ジャスティス)】には、彼の上に浮かぶ天秤が『真っ黒な嘘』に傾いているのが見えていた。
買収された偽証言。この世界では日常茶飯事の冤罪セットだ。
だからこそ、私も「こちらの流儀」でいかせてもらう。
「ボブさん。奇遇ですね」
「ひっ……」
「実は、貴方が先週、我が『サクラダ商会』の倉庫番に応募されていた書類……今朝、決済が降りましたの」
法廷がざわめく。
サクラダ商会。ここ数年で急成長を遂げた大陸屈指の商会だ。給与は相場の三倍、福利厚生は王宮並み。平民にとっては夢の就職先である。
「採用条件は一つ。『誠実であること』。……さて、ボブさん? 貴方は今、法廷で嘘をつくような不誠実な方ではありませんよね? もし偽証なんてしたら、採用は取り消しですけれど」
ニッコリ。
私は慈愛に満ちた(と自分では思っている)笑顔を向けた。
ボブさんの天秤が、劇的に揺れ動く。
男爵家からの端金(はしたがね)の報酬か、サクラダ商会での安定した未来か。
答えは火を見るよりも明らかだ。
「……見てません!!」
「なっ!?」
「あっしは嘘をついてました! 検察官に金をもらって、その猫耳の嬢ちゃんを犯人に仕立て上げろって……!」
検察官が絶叫し、裁判長が木槌を叩き鳴らす。
カオスと化す法廷で、私は優雅に一礼した。
法律が未熟なこの世界では、正義を行うのにも「力(コネ)」と「お菓子(甘い蜜)」が必要なのだ。
◇ ◇ ◇
「……無罪判決、勝訴。お疲れ様でした、私」
夕暮れの路地裏。
裁判所を出た私は、大きなため息をついて肩の力を抜いた。
猫耳の少女は泣いて感謝してくれたし、腐敗検事は失脚するだろう。
けれど、人の悪意に触れ続けるのはカロリーを使う。精神的にも、肉体的にも。
「糖分……あと、タンパク質が必要……」
フラフラと歩く私の足が向かったのは、大通りの喧騒から離れた、薄暗い路地の奥。
一見さんなら回れ右をして逃げ出しそうな場所に、小さな赤提灯が揺れている。
小料理屋『鬼灯(ほおずき)』。
知る人ぞ知る、私の給油所(ガソリンスタンド)だ。
ガララ、と引き戸を開ける。
「いらっしゃい」
低い、地を這うようなバリトンボイスが出迎えてくれた。
店内はカウンター七席のみ。けれど、その席はすでに満席だった。
それも、近衛騎士団の女騎士や、冒険者ギルドの受付嬢など、美女ばかりで埋め尽くされている。
その視線の先にいるのは、一人の男。
厨房に立つ店主――鬼神 龍魔呂(きしん たつまろ)さんだ。
身長一八五センチの鍛え抜かれた肉体を、黒いシャツと深紅のエプロンで包んでいる。鋭い眼光は、料理を作っているだけなのに「これから人を殺しに行く」ような殺気を放っていた。
指にはめられた赤黒い指輪が、怪しく鈍光を放っている。
相変わらず、裏社会のボスみたいなオーラだこと。
けれど、私は知っている。
「……随分と疲れた顔をしているな、リベラ」
包丁を動かす手を止めず、龍魔呂さんが私を一瞥した。
私は空いていた端の席にどっこいしょと座り込む。
「ええ、今日はタチの悪い検察官が相手でしたから。……何か、甘くてガツンとくるものが食べたいです」
「注文は聞いていない」
龍魔呂さんは素っ気なく答えると、手元の鍋から小皿に何かを盛り付け、カウンター越しにスッと差し出した。
「お前の顔を見れば分かる。……今日の『おすすめ』だ」
湯気と共に漂ってきたのは、生姜と醤油の芳醇な香り。
飴色に輝く、特製の『豚の角煮』だった。
箸でつつくだけで崩れそうなほど柔らかく煮込まれ、煮汁には隠し味の蜂蜜がたっぷりと使われているのが分かる。
「わぁ……!」
「疲れた頭には糖分と脂質だろ。食え」
一口食べた瞬間、口の中に濃厚な旨味と甘みが爆発した。
とろける脂身。染み渡る出汁。
一日の疲れが、物理的に溶けていくようだ。
「……んんっ、美味しいぃ……生き返ります……」
私が頬を緩ませて呻くと、龍魔呂さんは無愛想な顔のまま、ボリッと角砂糖を一つ齧り、短く言った。
「そうか。……いい顔になったな」
ふわり。
凶悪なはずの目元が、一瞬だけ優しく細められる。
その瞬間、店内の女性客たちから「はぁぁん……♡」という悩殺された吐息が漏れたのが聞こえた。
――これだ。
この男、本人は無自覚なのだが、弱っている人間に刺さる言葉と顔をナチュラルにお出ししてくる『天然ジゴロ』なのである。
私は熱くなった頬を隠すように、角煮をもう一口頬張った。
まったく、この店は心臓に悪い。
けれどこの時の私はまだ知らなかった。
明日の朝、私の事務所に『国を揺るがす特大の厄介事』が飛び込んでくることを。
そして、この最強の店主と、共犯関係(パートナー)を結ぶことになる未来を。
「異議あり。検察官様、その証拠品は私の作ったマドレーヌより甘いですね?」
ルミナス帝国、王都中央裁判所。
重厚な石造りの法廷に、場違いなほど鈴の鳴るような声が響き渡った。
証言台の前に立っていたのは、フリルのついた豪奢なドレスを纏った小柄な女性――私、桜田リベラだ。
栗色の髪を緩く巻き、垂れ目の瞳を細めて微笑む姿は、どこぞの深窓の令嬢にしか見えないだろう。
だが、対峙する検察官の顔色は土気色だった。
「な、何を言うか! この獣人の娘が宝石店からダイヤを盗んだのは明白だ! 目撃証人の男もこうして――」
「あら、証人の男爵家の使用人、ボブさんのことですか?」
私は扇子をパチリと閉じて、ガタガタと震える証人の男に視線を流す。
私のユニークスキル【真実の天秤(レディ・ジャスティス)】には、彼の上に浮かぶ天秤が『真っ黒な嘘』に傾いているのが見えていた。
買収された偽証言。この世界では日常茶飯事の冤罪セットだ。
だからこそ、私も「こちらの流儀」でいかせてもらう。
「ボブさん。奇遇ですね」
「ひっ……」
「実は、貴方が先週、我が『サクラダ商会』の倉庫番に応募されていた書類……今朝、決済が降りましたの」
法廷がざわめく。
サクラダ商会。ここ数年で急成長を遂げた大陸屈指の商会だ。給与は相場の三倍、福利厚生は王宮並み。平民にとっては夢の就職先である。
「採用条件は一つ。『誠実であること』。……さて、ボブさん? 貴方は今、法廷で嘘をつくような不誠実な方ではありませんよね? もし偽証なんてしたら、採用は取り消しですけれど」
ニッコリ。
私は慈愛に満ちた(と自分では思っている)笑顔を向けた。
ボブさんの天秤が、劇的に揺れ動く。
男爵家からの端金(はしたがね)の報酬か、サクラダ商会での安定した未来か。
答えは火を見るよりも明らかだ。
「……見てません!!」
「なっ!?」
「あっしは嘘をついてました! 検察官に金をもらって、その猫耳の嬢ちゃんを犯人に仕立て上げろって……!」
検察官が絶叫し、裁判長が木槌を叩き鳴らす。
カオスと化す法廷で、私は優雅に一礼した。
法律が未熟なこの世界では、正義を行うのにも「力(コネ)」と「お菓子(甘い蜜)」が必要なのだ。
◇ ◇ ◇
「……無罪判決、勝訴。お疲れ様でした、私」
夕暮れの路地裏。
裁判所を出た私は、大きなため息をついて肩の力を抜いた。
猫耳の少女は泣いて感謝してくれたし、腐敗検事は失脚するだろう。
けれど、人の悪意に触れ続けるのはカロリーを使う。精神的にも、肉体的にも。
「糖分……あと、タンパク質が必要……」
フラフラと歩く私の足が向かったのは、大通りの喧騒から離れた、薄暗い路地の奥。
一見さんなら回れ右をして逃げ出しそうな場所に、小さな赤提灯が揺れている。
小料理屋『鬼灯(ほおずき)』。
知る人ぞ知る、私の給油所(ガソリンスタンド)だ。
ガララ、と引き戸を開ける。
「いらっしゃい」
低い、地を這うようなバリトンボイスが出迎えてくれた。
店内はカウンター七席のみ。けれど、その席はすでに満席だった。
それも、近衛騎士団の女騎士や、冒険者ギルドの受付嬢など、美女ばかりで埋め尽くされている。
その視線の先にいるのは、一人の男。
厨房に立つ店主――鬼神 龍魔呂(きしん たつまろ)さんだ。
身長一八五センチの鍛え抜かれた肉体を、黒いシャツと深紅のエプロンで包んでいる。鋭い眼光は、料理を作っているだけなのに「これから人を殺しに行く」ような殺気を放っていた。
指にはめられた赤黒い指輪が、怪しく鈍光を放っている。
相変わらず、裏社会のボスみたいなオーラだこと。
けれど、私は知っている。
「……随分と疲れた顔をしているな、リベラ」
包丁を動かす手を止めず、龍魔呂さんが私を一瞥した。
私は空いていた端の席にどっこいしょと座り込む。
「ええ、今日はタチの悪い検察官が相手でしたから。……何か、甘くてガツンとくるものが食べたいです」
「注文は聞いていない」
龍魔呂さんは素っ気なく答えると、手元の鍋から小皿に何かを盛り付け、カウンター越しにスッと差し出した。
「お前の顔を見れば分かる。……今日の『おすすめ』だ」
湯気と共に漂ってきたのは、生姜と醤油の芳醇な香り。
飴色に輝く、特製の『豚の角煮』だった。
箸でつつくだけで崩れそうなほど柔らかく煮込まれ、煮汁には隠し味の蜂蜜がたっぷりと使われているのが分かる。
「わぁ……!」
「疲れた頭には糖分と脂質だろ。食え」
一口食べた瞬間、口の中に濃厚な旨味と甘みが爆発した。
とろける脂身。染み渡る出汁。
一日の疲れが、物理的に溶けていくようだ。
「……んんっ、美味しいぃ……生き返ります……」
私が頬を緩ませて呻くと、龍魔呂さんは無愛想な顔のまま、ボリッと角砂糖を一つ齧り、短く言った。
「そうか。……いい顔になったな」
ふわり。
凶悪なはずの目元が、一瞬だけ優しく細められる。
その瞬間、店内の女性客たちから「はぁぁん……♡」という悩殺された吐息が漏れたのが聞こえた。
――これだ。
この男、本人は無自覚なのだが、弱っている人間に刺さる言葉と顔をナチュラルにお出ししてくる『天然ジゴロ』なのである。
私は熱くなった頬を隠すように、角煮をもう一口頬張った。
まったく、この店は心臓に悪い。
けれどこの時の私はまだ知らなかった。
明日の朝、私の事務所に『国を揺るがす特大の厄介事』が飛び込んでくることを。
そして、この最強の店主と、共犯関係(パートナー)を結ぶことになる未来を。
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