​『イージス艦長、インパール最前線へ。――牟田口廉也に転生した俺は、地獄の餓死作戦を「鉄壁の兵站要塞」に変える』

月神世一

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EP 10

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出陣、「死なないために」
​ 昭和19年(1944年)春。
 ビルマ方面軍・第15軍司令部が置かれた前線基地は、異様な熱気と静寂に包まれていた。
​ 史実より数週間遅らせて発動された「ウ号(インパール)作戦」。
 朝靄(あさもや)が立ち込める広大な練兵場には、出撃を待つ数万の将兵が整列していた。彼らの足元にあるのは、鈍重な牛の群れではない。工兵隊が廃トラックから部品を引っぺがして組み上げた、頑強な全天候型の手押し車(リヤカー)の列である。
 水筒には素焼きのフィルターで濾過され、完全に煮沸された水。
 荷嚢(かのう)には、不要な私物を極限まで削ぎ落とし、カロリー計算に基づいた最低限の糧食と弾薬だけが詰め込まれている。
 残りの膨大な物資は、すでに夜陰に乗じて、ジャングルの奥深く――チンドウィン川沿いに構築された複数の「前進陣地(ハブ)」へと密かに運び込まれていた。
​ 演壇の脇の天幕。
 坂上真一(牟田口廉也)は、あの「泥のように濃い、焦げた木の実の汁」をマグカップから一息に呷った。
 胃の腑が焼けつくような苦味が、彼の意識を極限まで研ぎ澄ませる。
​(……準備は整った。盤面(ボード)の駒は、すべて俺の想定通りに配置されている)
​ 坂上は、きつく軍服の帯革(ベルト)を締め直した。
 背中を覆う「阿吽の仁王像」。誰にも見せられない、そして誰にも知られてはならない現代日本での若気の至りが、分厚い羅紗(らしゃ)の軍服の下で、まるで出陣の法螺貝を待つかのように熱を帯びている。
​ 正体を隠した雲の上の権力者が、自らの手で泥にまみれて現場の窮地を救う。それは奇しくも、彼がかつて好んだ時代劇のような図式であった。だが、彼が直面しているのは娯楽劇ではない。一歩間違えれば数万の命が文字通り白骨と化す、絶望的な防衛戦だ。
​「閣下。全軍、整列を完了いたしました」
 久野村参謀長が、緊張した面持ちで天幕に入ってきた。
​「行くぞ」
​ 短く応じ、坂上は天幕を出た。
 彼が演壇の階段を上り、全軍の前にその姿を現した瞬間、数万の将兵が息を呑む気配が練兵場を波打った。
​ 威風堂々。
 そこに立っていたのは、将兵たちが噂に聞いていた「癇癪持ちで、精神論ばかりを喚き散らす小太りの将軍」ではなかった。
 背筋は鋼の矢のように伸び、その眼光は、はるか先のジャングルの奥、見えない敵の喉元を正確に狙う冷徹な狙撃手(スナイパー)のそれであった。
​ 静まり返る練兵場。
 マイクはない。坂上は、北辰一刀流の呼吸法で丹田に気を満たし、数万の兵士の隅々にまで届くよう、低く、重厚な声を響かせた。
​「――第15軍の将兵諸君。ついに、進撃の時が来た」
​ 兵士たちの間に、緊張が走る。
 誰もが、これから始まる狂気じみた「大和魂」や「天皇陛下万歳」を絡めた、死地へ赴くための長大な訓示を予想していた。
​「我が軍の目標は、インパールにおける英軍の撃滅である。……だが」
​ 坂上は、全軍を見渡すようにゆっくりと首を振った。
​「勘違いするな。俺は貴様らに『立派に死んでこい』などとは一言も言わん。死んで護国の鬼になるなどと、甘ったれたことを考えるな」
​ ざわめきが起きた。
 日本陸軍において、それは最大のタブーに触れる言葉だ。「生きて虜囚の辱めを受けず」が常識とされる軍隊で、軍司令官自らが「死ぬな」と口にしたのだ。
​「戦争は、精神力だけでは勝てない。兵站(ロジスティクス)が、そして貴様らの一命が繋がってこそ、初めて戦線は維持される。武器が壊れれば直せ。弾が尽きれば退け。食料がなくなれば、俺が必ず前線(ハブ)へ届けてやる。だから――」
​ 坂上は、拳を天に向かって突き上げた。
​「諸君、死ぬな。生きて、食って、その上で勝て。それが、第15軍司令官たる俺の、貴様らに対する絶対の命令だ!」
​ 静寂。
 一秒、二秒。
 誰もがその言葉の意味を咀嚼し、そして理解した。
 この司令官は、自分たちを「捨て駒」にして手柄を立てようとしているのではない。本気で自分たちを「生かしたまま勝たせよう」としているのだ、と。
​「……ッ!!」
​ 最前列に並んでいた第31師団の列から、一人の将官が進み出た。
 猛将・佐藤賢了である。
 彼は、かつて牟田口を誰よりも軽蔑していたはずのその顔に、不敵で、しかし絶対的な信頼を込めた笑みを浮かべると、軍刀を引き抜き、天高く掲げた。
​「第31師団、司令官閣下の命に従い、生きて地獄を踏破する!! 出陣ッ!!」
​「「「ウオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」」」
​ 練兵場が揺れた。
 数万の将兵から沸き起こったのは、死を覚悟した悲壮な雄叫びではない。生き抜いて見せるという、純粋で暴力的なまでの生命力の爆発だった。
 兵器廠で坂上と共に汗を流した整備兵たちが、涙を流しながら見送っている。輜重兵たちが、力強くリヤカーの取っ手を握りしめる。
​ 軍靴の音が、大地を震わせて前進を始めた。
 目指すは、アラカン山脈の麓。彼らが築き上げる、巨大な「遅滞防御要塞」である。
​ 演壇の上で、坂上は将兵たちの背中を見送りながら、静かに息を吐いた。
 彼の網膜には、史実においてこのジャングルで白骨と化した数多の命の残像と、それを上書きするように行軍する、頼もしい現代の「部下」たちの姿が重なって見えた。
​(……さあ、かかってこい、スリム将軍)
​ 坂上は、はるか西、インド・インパールの方角を睨み据えた。
 そこには、史実において日本軍を完璧にすり潰した、英軍の誇る知将ウィリアム・スリムが待ち構えている。圧倒的な物量と、完全な航空支援を持つ近代軍隊。
​(俺は、お前と同じ土俵――『論理と兵站』で、大英帝国を迎え撃つ)
​ 昭和の狂気に降り立った、現代日本のエリート・アーキテクト。
 背中の仁王を隠し持った男の、歴史の常識を根底から覆す孤独で壮絶な防衛戦が、今、ジャングルの泥濘の中で幕を開けた。
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