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第五章 月下の宴
EP 19
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パンの耳と換気扇の匂い
【太郎国・裏路地】
「いい? 後輩。これから行く場所は、この界隈でも『特等席』と呼ばれる聖域よ。静かにね」
リーザは人差し指を唇に当て、抜き足差し足で路地裏を進んでいく。
その小脇には、先ほどパン屋の裏口で「いつもありがとうねぇ!」と大量に貰ってきた『パンの耳(無料)』の袋が抱えられている。
「聖域……だと? パワースポットか何かか?」
イグニスはゴクリと喉を鳴らした。
強力な魔力が渦巻く場所か、あるいは伝説の武器が眠る場所か。
リーザが立ち止まったのは、とある小料理屋の勝手口――にある、油で少し黒ずんだ換気扇の前だった。
「ここよ」
「……は?」
イグニスは拍子抜けした。
「ただの排気口じゃねぇか。ここが聖域?」
「ふふん、甘いわね後輩。……深呼吸してみて」
リーザに促され、イグニスは換気扇の前でスゥーッと息を吸い込んだ。
「……ッ!?」
その瞬間、イグニスの脳内に電流が走った。
甘辛く煮込まれた醤油の香り。
食欲を刺激する出汁の深み。
そして、脂の乗った肉が焼ける香ばしさ。
「こ、これは……!!」
「ここは『小料理屋・龍魔呂』の裏手。
この店の主人は、どんな食材も絶品に変える天才料理人なの。この換気扇から出る排気は、そこらの高級レストランのメインディッシュにも匹敵する『香りの暴力』よ!」
リーザはパンの耳を袋から取り出し、一本差し出した。
「さあ、この匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、素早くパンの耳を齧るの!
脳を騙すのよ! 今食べているのはパンの耳じゃない……特上カルビだと!!」
「な、なんだその貧しい食い方は!?」
イグニスは愕然とした。
「誇り高き竜人が、換気扇の煙をおかずに残飯を食うだと!? できるかぁぁ!」
「あらそう? じゃあ私が全部頂くわ。……スゥ~ッ(深呼吸)……パクッ! ん~ッ! 今日のメインはブリ大根ね! 味が染みてる~!」
リーザは恍惚の表情でパンの耳を咀嚼している。
そのあまりに幸せそうな顔に、イグニスの喉がゴクリと鳴った。
豚汁だけでは満たされなかった若者の胃袋が、強烈な匂いに刺激されて暴れだす。
(くそっ……! 匂いだけならタダ……減るもんじゃねぇ……!)
イグニスは震える手でパンの耳を掴んだ。
「うおおおおッ! 俺は……俺は今、肉を食っているッ!!」
イグニスは換気扇に顔を近づけ、限界まで息を吸い込んだ。
濃厚な煮付けの香りが鼻腔を蹂躙する。
ガブッ!!
パンの耳を齧る。
ただの硬いパンのはずだ。しかし、口の中に広がる香りと合わさることで、脳が錯覚を起こす。
芳醇な旨味(幻覚)と、パンの甘味が見事なハーモニーを奏でている!
「う……うめぇぇぇぇッ!!」
イグニスは叫んだ。
「なんだこれは! 口の中にはパンしかないのに、心は高級料亭にいるようだ!」
「でしょ!? 想像力こそが最大の調味料なのよ!」
「先輩……あんた天才か!?」
「ふふん、伊達に路上生活してないわよ!」
二人は並んで換気扇の前にしゃがみ込み、一心不乱にパンの耳を貪った。
「次は焼き魚の匂いだ!」「おっと、今度は唐揚げが揚がったわよ!」
換気扇が回るたびに変わるメニュー(排気)に一喜一憂する、奇妙な宴。
そこへ。
ガチャリ……。
重たい金属音が響き、二人の目の前の勝手口が開いた。
「……おい」
現れたのは、黒いインナーに真紅のジャケットを羽織った、鋭い目つきの男。
この店の主人、鬼神・龍魔呂である。
「……店の裏で何してる。騒がしくて仕込みの邪魔だ」
低い声。
その瞬間、イグニスの全身の鱗が逆立った。
(ッ!? こ、こいつ……!!)
ただの料理人ではない。
イグニスの「竜の本能」が、最大級の警鐘を鳴らしていた。
目の前の男は、親父(族長)よりも、今まで戦ったどの魔物よりも――「ヤバい」。
(生物としての格が違う……!? こいつ、まさか……!)
イグニスはパンの耳を咥えたまま、ガタガタと震え出した。
匂い泥棒が見つかった気まずさと、死の恐怖。
しかし、龍魔呂は震えるイグニスと、口元にパン屑をつけたリーザを一瞥すると、ふっと息を吐いた。
「……腹減ってんのか?」
「え?」
リーザがキョトンとする。
「……入れ。売れ残りだが、捨てるのも勿体ねぇ」
龍魔呂はドアを開けたまま、親指で店内を指した。
「まかないの時間だ。手伝うなら食わせてやる」
地獄の鬼神かと思われた男の、不器用すぎる優しさ。
イグニスとリーザは顔を見合わせた。
「い、いいんですの!?」
「く、食わせてくれるのか……!?」
「早くしろ。冷めるぞ」
二人は慌てて立ち上がり、吸い込まれるように店内へと入っていった。
換気扇の匂い(幻覚)ではなく、本物の料理が彼らを待っていた。
【太郎国・裏路地】
「いい? 後輩。これから行く場所は、この界隈でも『特等席』と呼ばれる聖域よ。静かにね」
リーザは人差し指を唇に当て、抜き足差し足で路地裏を進んでいく。
その小脇には、先ほどパン屋の裏口で「いつもありがとうねぇ!」と大量に貰ってきた『パンの耳(無料)』の袋が抱えられている。
「聖域……だと? パワースポットか何かか?」
イグニスはゴクリと喉を鳴らした。
強力な魔力が渦巻く場所か、あるいは伝説の武器が眠る場所か。
リーザが立ち止まったのは、とある小料理屋の勝手口――にある、油で少し黒ずんだ換気扇の前だった。
「ここよ」
「……は?」
イグニスは拍子抜けした。
「ただの排気口じゃねぇか。ここが聖域?」
「ふふん、甘いわね後輩。……深呼吸してみて」
リーザに促され、イグニスは換気扇の前でスゥーッと息を吸い込んだ。
「……ッ!?」
その瞬間、イグニスの脳内に電流が走った。
甘辛く煮込まれた醤油の香り。
食欲を刺激する出汁の深み。
そして、脂の乗った肉が焼ける香ばしさ。
「こ、これは……!!」
「ここは『小料理屋・龍魔呂』の裏手。
この店の主人は、どんな食材も絶品に変える天才料理人なの。この換気扇から出る排気は、そこらの高級レストランのメインディッシュにも匹敵する『香りの暴力』よ!」
リーザはパンの耳を袋から取り出し、一本差し出した。
「さあ、この匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、素早くパンの耳を齧るの!
脳を騙すのよ! 今食べているのはパンの耳じゃない……特上カルビだと!!」
「な、なんだその貧しい食い方は!?」
イグニスは愕然とした。
「誇り高き竜人が、換気扇の煙をおかずに残飯を食うだと!? できるかぁぁ!」
「あらそう? じゃあ私が全部頂くわ。……スゥ~ッ(深呼吸)……パクッ! ん~ッ! 今日のメインはブリ大根ね! 味が染みてる~!」
リーザは恍惚の表情でパンの耳を咀嚼している。
そのあまりに幸せそうな顔に、イグニスの喉がゴクリと鳴った。
豚汁だけでは満たされなかった若者の胃袋が、強烈な匂いに刺激されて暴れだす。
(くそっ……! 匂いだけならタダ……減るもんじゃねぇ……!)
イグニスは震える手でパンの耳を掴んだ。
「うおおおおッ! 俺は……俺は今、肉を食っているッ!!」
イグニスは換気扇に顔を近づけ、限界まで息を吸い込んだ。
濃厚な煮付けの香りが鼻腔を蹂躙する。
ガブッ!!
パンの耳を齧る。
ただの硬いパンのはずだ。しかし、口の中に広がる香りと合わさることで、脳が錯覚を起こす。
芳醇な旨味(幻覚)と、パンの甘味が見事なハーモニーを奏でている!
「う……うめぇぇぇぇッ!!」
イグニスは叫んだ。
「なんだこれは! 口の中にはパンしかないのに、心は高級料亭にいるようだ!」
「でしょ!? 想像力こそが最大の調味料なのよ!」
「先輩……あんた天才か!?」
「ふふん、伊達に路上生活してないわよ!」
二人は並んで換気扇の前にしゃがみ込み、一心不乱にパンの耳を貪った。
「次は焼き魚の匂いだ!」「おっと、今度は唐揚げが揚がったわよ!」
換気扇が回るたびに変わるメニュー(排気)に一喜一憂する、奇妙な宴。
そこへ。
ガチャリ……。
重たい金属音が響き、二人の目の前の勝手口が開いた。
「……おい」
現れたのは、黒いインナーに真紅のジャケットを羽織った、鋭い目つきの男。
この店の主人、鬼神・龍魔呂である。
「……店の裏で何してる。騒がしくて仕込みの邪魔だ」
低い声。
その瞬間、イグニスの全身の鱗が逆立った。
(ッ!? こ、こいつ……!!)
ただの料理人ではない。
イグニスの「竜の本能」が、最大級の警鐘を鳴らしていた。
目の前の男は、親父(族長)よりも、今まで戦ったどの魔物よりも――「ヤバい」。
(生物としての格が違う……!? こいつ、まさか……!)
イグニスはパンの耳を咥えたまま、ガタガタと震え出した。
匂い泥棒が見つかった気まずさと、死の恐怖。
しかし、龍魔呂は震えるイグニスと、口元にパン屑をつけたリーザを一瞥すると、ふっと息を吐いた。
「……腹減ってんのか?」
「え?」
リーザがキョトンとする。
「……入れ。売れ残りだが、捨てるのも勿体ねぇ」
龍魔呂はドアを開けたまま、親指で店内を指した。
「まかないの時間だ。手伝うなら食わせてやる」
地獄の鬼神かと思われた男の、不器用すぎる優しさ。
イグニスとリーザは顔を見合わせた。
「い、いいんですの!?」
「く、食わせてくれるのか……!?」
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※別サイトにも掲載しています。
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