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黒の国 ネロ
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世界のどこかにあるネロという国に、イーハトーブという穏やかな町がありました。吹き抜ける風は穏やかで、木々はさわさわと音を立てて揺れています。草原には花が咲き乱れ、風に乗って良い香りが町を包んでいました。
森からは小鳥のさえずりが響き、美しい川が流れています。ただ、この美しいイーハトーブには、白と黒の色しかありませんでした。町を作った神様が、この町には黒しか塗らなかったのです。だけど、町に住む人たちはそんなことは気が付きません。だって、白と黒以外の色を見たことがないのですから。
そんな穏やかな町には、小さな町には似つかわしくない古くて大きな図書館がありました。一階には子供たちが読む楽しい物語が、そして、二階には難しい魔導書なんかが置いてあります。町の子供たちはこの図書館が大好きでしたが、一階の本を読んでばかりで、二階にはあまり上がりませんでした。ですが、一人だけ、ちょっと冒険心が満ち溢れた子供がいたのです。今日もとんとんと軽快に階段を上る音が聞こえてきました。ほうら、トトリが図書館の二階に上がって行きましたよ。今日はどんな本を読むのでしょうね?
トトリは学校のカバンを机の上に投げるように置くと、小さな梯子を上って上の段にしまってある本を物色し始めました。そして、少し埃をかぶった一冊の本を取り出すと席に戻り、キラキラと輝く目で本を開き始めました。
本のタイトルは『七色の虹の橋』というものです。トトリだって『虹』は知っています。雨が降った後にお日様が顔を出すと、空に大きな橋かかかるのです。ですが、『七色』については知りません、学校の先生だって教えてはくれません。だって、先生だって知らないのですから。
トトリは本の中にかかれていることを一字一句漏らさないように目で追いました。そして、世界には『白』と『黒』以外の色があることを知ったのです。もう居ても立ってもいられません。トトリは本を抱えると、一階に駆け下りてきて貸し出しのカードを書きました。そして、鉄砲玉のように駆け出して行ったのです。
トトリはいつもみんなで遊ぶ広場まで来ました。キョロキョロと誰かを探しています。
「おういトトリ! 一緒に遊ぼうよ!」
クラスメイトのエータが声をかけてくれましたが、トトリは首を横に振ります。
「エータ、アリスを知らないか!?」
「アリス? アリスは帰ったよ。今日も元気がないみたいだったから。まぁ、アリスに元気がないのはいつものことだけどな」
「ありがとうエータ!」
「泣き虫のアリスなんか放っておいて一緒に遊ぼうよトトリ!」
「ごめんねエータ、また今度一緒に遊ぼう!」
エータに大きく手を振っていると、他のクラスメイトが顔を見せました。
「おいエータ、孤児トトリなんかとしゃべるなよ」
「でも、トトリは友達だから……」
「トトリなんか、親に捨てられた可哀そうなやつじゃないか。あんなやつと一緒にいたら、不幸が移っちまうぞ。耳だって変な形だしな! それに、あいつは泣き虫アリスと仲良しじゃないか、おまえまで泣き虫になるぞエータ」
クラスメイトの言葉に、エータは何も言い返せず黙り込んでしまいました。代わりにトトリが負けじと言い返します。
「僕は孤児だけど、だからって他の誰のこともバカになんてしないよ! アリスだって泣き虫なんかじゃない! 心が優しいだけだ!」
トトリはそう言い放つと駆けだしました。トトリは少しだけ、そうほんの少しだけ嫌な気持ちになりました。耳のことをからかわれたからです。トトリの耳は他の子供たちと少しだけ形が違っていました。他の子供よりも少しだけ大きく、そしてとがっていたのです。自分でもおかしな形だと思っていたので、からかわれて余計に嫌な気持ちになりました。だけど仕方がありません、耳の形はどうしようもないのですから。
町には花の咲き乱れる季節が訪れて、良い香りが漂っています。トトリは桜の小道を抜けて、町のはずれにあるアリスの家を目指しました。
「こんにちは、トトリです!」
アリスの家に着くなり、トトリは大きな声をあげました。アリスのおばあさんが出ていてきてトトリを優しく迎え入れてくれました。アリスは自分の部屋でずっと泣いているようです。
「アリス! すごいものを見つけたよ!」
トトリが声をかけると、アリスは顔を上げました。泣きはらした目がトトリを見つめます。
「なぁに?」
「これだよ! 七色の虹をかけるんだ!」
「なないろ?」
アリスは首をかしげます。トトリはアリスに『七色』について説明を始めました。そして最後にこう言ったのです。
「アリス! 七色の色を集めて虹をかけたら、きっとお母さんの病気を治す薬が手に入るよ!」
アリスのお母さんは春が来る前に病気になってしまいました。病気は一向に良くならず、アリスはそれ以来ずっと沈み込んでいて、学校にだってろくに来られません。
「お母さんの病気が治るの?」
ポロポロと涙を落とすアリスに、トトリは頷きました。
「そうだよ! さぁ、一緒に色を探そう! そして光を集めよう!」
トトリの言葉に、アリスは涙を拭い、頷きました。
「だけど、どうしたらいいかしら?」
「森に住む良い魔女にお願いしてみよう。あの人なら、何か知っているかもしれない」
トトリとアリスは手を取り合って町の東にある森へ向かいました。森の中では小鳥が歌い、花の匂いが漂っています。良い魔女の住む家は森の奥にありました。二人は細い小径をかけていきます。
しばらく行くと、温かな煙が立ち上る煙突が見えてきました。魔女の家です。レンガ造りの家の中からは甘い香りが漂ってきていました。
扉には可愛らしい花のリースがかかっています。トトリはトントンと樫の木でできた扉をたたきました。ほどなくして扉が開いて、中から綺麗な女の人が顔を出しました。森の中で二百年生きている若い魔女です。名前をリリエといいました。
「リリエ、こんにちは!」
「あら、トトリにアリス。ちょうどよかったわ、今クッキーが焼きあがったところなの。何か話があるのでしょう? お茶を淹れるからゆっくり聞かせてちょうだい」
招き入れられるまま、トトリとアリスはリリエの家に入りました。リリエの家には可愛らしいものがたくさんあります。壁に飾ってある絵画は生き生きと動き、まるで生きているかのようです。柱時計では可愛らしい人形たちが忙しく動き回っています。
中でもアリスとトトリのお気に入りはリリエが作ったテラリウムでした。壁には森の草木で作った戸棚があって、中にはいろいろな小瓶が並んでいました。中には森のいたるところを閉じ込めたような小さな世界が詰まっています。
「さぁ、クッキーを持ってきましたよ。紅茶も入ったから、椅子にお掛けなさい」
「ありがとうリリエ!」
トトリとアリスがテーブルに着くと、リリエは大きなお皿に山盛りのクッキーを置いてくれました。温かな湯気の立つカップも二つ、いいえ、三つ。なみなみと注がれたミルクティーからはアカシアの花のような香りがしました。
「さぁ、クッキーをおあがりなさい。紅茶も冷めないうちにね。アカシアのはちみつがたっぷり入っているから甘くておいしいわよ」
「いただきます!」
二人は目を輝かせながらリリエのお菓子をつまみました。クッキーにはキラキラと輝くお砂糖がちりばめられています。二人がいくつかクッキーを食べ、紅茶を飲んで落ち着いたころ、リリエはにっこりと微笑んで話を切り出しました。
「さぁ話を聞きましょうか?」
「リリエ! 僕たち虹の橋を架けたいんだ」
「虹の橋」そう小さくつぶやいてから、リリエは会得したようにうなずきました。なんといってもリリエは魔女なのです。魔女の寿命はとてもとても長いのです。姿形は美しく、お姉さんのようですが、もうニ百年は生きている魔女です。人間で言うと、二十歳くらいでしょうか? とにかく、魔女はとても長生きで、物知りなのです。
「なるほどね、虹の橋を架けて、アリスのお母様の病気を治したいのかしら。名案だわ!」
リリエにそう言われて、二人はとても嬉しい気持ちになりました。リリエが「良い」と言ってくれたら、なんでも叶う気がしたのです。
「色々と教えてあげましょう。まずはこの世界の成り立ちね」
リリエは大きな地図を取り出してきて、テーブルの上に広げました。そこには、中央にぽっかりと穴の開いた大きな円盤状の陸地と、大きな大きな海が描かれていました。海の果てには、不思議な生き物が描かれています。二人は、大きな好奇心と少しの不安を抱きながら地図を覗き込みました。
「ここが私たちの住んでいる国ネロ、イーハトーブはこの辺りね」
リリエは大陸の上の端っこを指さしました。二人は驚きました。自分たちの住んでいるネロの国は広大で、その外の世界のことは、見たことも聞いたこともなかったからです。
「昔は世界は地続きだったのよ。一つの大きな世界だったの。そこに、神様がそれぞれの色を置いていったのよ。この世界はパレットと呼ばれる世界で、神様が他の世界に色を付けるために、色を取り分けた場所なの」
「つまり、他の世界にはいろいろな色がついているってこと?」
「そうよトトリ! 世界は色に満ちているの。いつか冒険に行ってみたらいいわ。あらいけない、今はパレットの話よね」
リリエはネロの右下にある場所を指さしました。黒に近い淡い灰色をした国です。
「ここは赤の国ソッロ」
「あか? あかって、どんな色なのかしら……」
「それは見てのお楽しみね。国と国の間には、空間が隔てられていて、直接行き来することができないのだけれど、少し脇にずれると、世界と世界が混ざることができる場所があるの。そこを通れば、どの色の世界にだって行き来ができるわ」
「本当! 良かったアリス! これで冒険が可能なことがわかったぞ! ありがとうリリエ! 明日から学校も長いお休みに入ることだし、さっそく旅に出よう!」
トトリは興奮気味にリリエにお礼を言いました。そんなトトリにリリエは注意を促します。
「気をつけてトトリ、世界で迷子にならないように。この地図と、念のために町の位置を指し示す方位磁針も渡しておくわ。それから――」
そういってリリエは手のひらにぽうっと白い光を浮かべました。光の中から、小さな猫が現れました。真っ黒な子猫です。
「可愛い……!」
アリスは猫をふんわりと抱きしめました。猫は気持ちよさそうに目を細めます。
「その子はココ、私の可愛い使い魔よ。その子をお供に貸してあげるわ、何か困ったことがあったら役に立ってくれるはずよ」
「ありがとうリリエ」
「それからね」と言ってリリエは棚の中から空っぽの小瓶をいくつか取り出しました。一つ、二つ、三つ……全部で七つあります。
「色が見つかったら、この小瓶に集めていらっしゃい」
「どうやって集めたらいいの?」
「そうね……何から色を集めることができるのか、私にもはっきりとしたことは言えないのだけれど、この国の色を集めるとしたら、ほら、新月の夜の雫になるの。だから、その国で最も美しい『色』をしたものから採れるんじゃないかしら」
どうやらリリエにも詳しいことは分からないようです。トトリは少しだけ残念な気持ちになりましたが、実際に行ってみたら自分たちで見つけられるはずだと気を取り直しました。アリスは不安そうに大きな瞳を揺らしています。そんなアリスを見て、トトリは優しい声で言いました。
「アリス、君はこの町で待っていておくれ。僕が色を集めてくるから」
トトリの言葉に、アリスは驚いで目を見開き、頭をぶんぶんと横に振ります。
「私も行くわ! だって、だって病気になったのは私のお母さんだもの。私が、私がお母さんを助けるために行かなくちゃ!」
いつもびくびくと怯えているアリスとは思えないほど、大きな声ではっきりとそう言ったのです。トトリは一瞬だけ困ったような顔をしましたが、すぐに力強く頷きました。
「行こう! 僕たち二人なら、なんだってできるさ! リリエ、アリスのおばあちゃんには大丈夫ですって言っておいてくれないかな」
「わかったわ、任せでちょうだい」
トトリは安心しました。孫娘を可愛がっているおばあさんに、心配をかけるわけにいきませんから。リリエが「大丈夫」と言ってくれたら、おばあさんも安心することでしょう。
「それから最後に、これはお守りね」
リリエはそう言って白いユリの形をしたネックレスを二人の首にかけてくれました。
「この印があったら、その土地住んでいる良い魔女が助けてくれるはずよ。困ったら頼ってみてね。私のことを知っている魔女もいるはずよ。だけど気を付けて、世界には、良い魔女だけではなくて、悪い魔女もいるのだから」
「わかったよリリエ! 色々とありがとう!」
イーハトーブの町を旅立っていく二人は、リリエに大きく手を振りました。
トトリとアリスとココはリリエの住む森を抜けて、南へ南へと下って行きました。リリエの方位磁針が、南を指していたからです。目指すのは赤の国ロッソ。トトリは見たこともない世界に、少しワクワクしていました。一歩一歩踏み出す足取りは軽やかです。一方のアリスは不安そうにキョロキョロそ辺りを見回しながら進んでいました。アリスは臆病な性格の女のの子なのです。いつもビクビクと怯えたようにしているので、学校でも男の子たちにいじめられていました。そのたびにトトリが間に入って、助けていたのです。二人は自然と仲良くなりました。今ではトトリとアリスは町一番の友達です。
「一緒に来てくれてありがとうトトリ」
アリスは心からのお礼を言いました。するとトトリはなんでもないことのように首を横に振ります
「何を言ってるんだよ、じいちゃんが死んでから一人ぼっちになった僕に、アリスの母さんは家族みたいに接してくれた。アリスの母さんが病気になったなら僕だって力になりたいし、アリスが困っていたら僕は必ず力を貸すよ」
トトリの言葉に、アリスは嬉しそうに顔を赤くしました。トトリは孤児です。トトリのお父さんとお母さんは、トトリを森の樫の木の根元に置いてどこかに行ってしまったのです。トトリを拾って育ててくれたのが、町に住んでいたおじいさんでした。おじいさんはトトリを本当の子供のようにとても可愛がってくれていましたが、一昨年の冬に寒さに負けてついに亡くなってしまっていたのです。それからというもの、トトリは一人で生活していました。
「僕の帰りを待つ人はいないけれど、アリスには帰る家があるだろう? 僕は必ず君と一緒に色を集めて、イーハトーブの町に帰ってくるよ」
「トトリ、悲しいことを言わないで。町のみんなはトトリの帰りを待っているわ。私だって、トトリに何かがあったら悲しい……」
アリスがポロポロと涙をこぼし始めるので、トトリはアリスを勇気づけるように優しい声で言いました。
「ありがとうアリス。さぁ行こう!」
南へ南へ、針の指し示すまま、二人と一匹は草原を駆けていきました。
森からは小鳥のさえずりが響き、美しい川が流れています。ただ、この美しいイーハトーブには、白と黒の色しかありませんでした。町を作った神様が、この町には黒しか塗らなかったのです。だけど、町に住む人たちはそんなことは気が付きません。だって、白と黒以外の色を見たことがないのですから。
そんな穏やかな町には、小さな町には似つかわしくない古くて大きな図書館がありました。一階には子供たちが読む楽しい物語が、そして、二階には難しい魔導書なんかが置いてあります。町の子供たちはこの図書館が大好きでしたが、一階の本を読んでばかりで、二階にはあまり上がりませんでした。ですが、一人だけ、ちょっと冒険心が満ち溢れた子供がいたのです。今日もとんとんと軽快に階段を上る音が聞こえてきました。ほうら、トトリが図書館の二階に上がって行きましたよ。今日はどんな本を読むのでしょうね?
トトリは学校のカバンを机の上に投げるように置くと、小さな梯子を上って上の段にしまってある本を物色し始めました。そして、少し埃をかぶった一冊の本を取り出すと席に戻り、キラキラと輝く目で本を開き始めました。
本のタイトルは『七色の虹の橋』というものです。トトリだって『虹』は知っています。雨が降った後にお日様が顔を出すと、空に大きな橋かかかるのです。ですが、『七色』については知りません、学校の先生だって教えてはくれません。だって、先生だって知らないのですから。
トトリは本の中にかかれていることを一字一句漏らさないように目で追いました。そして、世界には『白』と『黒』以外の色があることを知ったのです。もう居ても立ってもいられません。トトリは本を抱えると、一階に駆け下りてきて貸し出しのカードを書きました。そして、鉄砲玉のように駆け出して行ったのです。
トトリはいつもみんなで遊ぶ広場まで来ました。キョロキョロと誰かを探しています。
「おういトトリ! 一緒に遊ぼうよ!」
クラスメイトのエータが声をかけてくれましたが、トトリは首を横に振ります。
「エータ、アリスを知らないか!?」
「アリス? アリスは帰ったよ。今日も元気がないみたいだったから。まぁ、アリスに元気がないのはいつものことだけどな」
「ありがとうエータ!」
「泣き虫のアリスなんか放っておいて一緒に遊ぼうよトトリ!」
「ごめんねエータ、また今度一緒に遊ぼう!」
エータに大きく手を振っていると、他のクラスメイトが顔を見せました。
「おいエータ、孤児トトリなんかとしゃべるなよ」
「でも、トトリは友達だから……」
「トトリなんか、親に捨てられた可哀そうなやつじゃないか。あんなやつと一緒にいたら、不幸が移っちまうぞ。耳だって変な形だしな! それに、あいつは泣き虫アリスと仲良しじゃないか、おまえまで泣き虫になるぞエータ」
クラスメイトの言葉に、エータは何も言い返せず黙り込んでしまいました。代わりにトトリが負けじと言い返します。
「僕は孤児だけど、だからって他の誰のこともバカになんてしないよ! アリスだって泣き虫なんかじゃない! 心が優しいだけだ!」
トトリはそう言い放つと駆けだしました。トトリは少しだけ、そうほんの少しだけ嫌な気持ちになりました。耳のことをからかわれたからです。トトリの耳は他の子供たちと少しだけ形が違っていました。他の子供よりも少しだけ大きく、そしてとがっていたのです。自分でもおかしな形だと思っていたので、からかわれて余計に嫌な気持ちになりました。だけど仕方がありません、耳の形はどうしようもないのですから。
町には花の咲き乱れる季節が訪れて、良い香りが漂っています。トトリは桜の小道を抜けて、町のはずれにあるアリスの家を目指しました。
「こんにちは、トトリです!」
アリスの家に着くなり、トトリは大きな声をあげました。アリスのおばあさんが出ていてきてトトリを優しく迎え入れてくれました。アリスは自分の部屋でずっと泣いているようです。
「アリス! すごいものを見つけたよ!」
トトリが声をかけると、アリスは顔を上げました。泣きはらした目がトトリを見つめます。
「なぁに?」
「これだよ! 七色の虹をかけるんだ!」
「なないろ?」
アリスは首をかしげます。トトリはアリスに『七色』について説明を始めました。そして最後にこう言ったのです。
「アリス! 七色の色を集めて虹をかけたら、きっとお母さんの病気を治す薬が手に入るよ!」
アリスのお母さんは春が来る前に病気になってしまいました。病気は一向に良くならず、アリスはそれ以来ずっと沈み込んでいて、学校にだってろくに来られません。
「お母さんの病気が治るの?」
ポロポロと涙を落とすアリスに、トトリは頷きました。
「そうだよ! さぁ、一緒に色を探そう! そして光を集めよう!」
トトリの言葉に、アリスは涙を拭い、頷きました。
「だけど、どうしたらいいかしら?」
「森に住む良い魔女にお願いしてみよう。あの人なら、何か知っているかもしれない」
トトリとアリスは手を取り合って町の東にある森へ向かいました。森の中では小鳥が歌い、花の匂いが漂っています。良い魔女の住む家は森の奥にありました。二人は細い小径をかけていきます。
しばらく行くと、温かな煙が立ち上る煙突が見えてきました。魔女の家です。レンガ造りの家の中からは甘い香りが漂ってきていました。
扉には可愛らしい花のリースがかかっています。トトリはトントンと樫の木でできた扉をたたきました。ほどなくして扉が開いて、中から綺麗な女の人が顔を出しました。森の中で二百年生きている若い魔女です。名前をリリエといいました。
「リリエ、こんにちは!」
「あら、トトリにアリス。ちょうどよかったわ、今クッキーが焼きあがったところなの。何か話があるのでしょう? お茶を淹れるからゆっくり聞かせてちょうだい」
招き入れられるまま、トトリとアリスはリリエの家に入りました。リリエの家には可愛らしいものがたくさんあります。壁に飾ってある絵画は生き生きと動き、まるで生きているかのようです。柱時計では可愛らしい人形たちが忙しく動き回っています。
中でもアリスとトトリのお気に入りはリリエが作ったテラリウムでした。壁には森の草木で作った戸棚があって、中にはいろいろな小瓶が並んでいました。中には森のいたるところを閉じ込めたような小さな世界が詰まっています。
「さぁ、クッキーを持ってきましたよ。紅茶も入ったから、椅子にお掛けなさい」
「ありがとうリリエ!」
トトリとアリスがテーブルに着くと、リリエは大きなお皿に山盛りのクッキーを置いてくれました。温かな湯気の立つカップも二つ、いいえ、三つ。なみなみと注がれたミルクティーからはアカシアの花のような香りがしました。
「さぁ、クッキーをおあがりなさい。紅茶も冷めないうちにね。アカシアのはちみつがたっぷり入っているから甘くておいしいわよ」
「いただきます!」
二人は目を輝かせながらリリエのお菓子をつまみました。クッキーにはキラキラと輝くお砂糖がちりばめられています。二人がいくつかクッキーを食べ、紅茶を飲んで落ち着いたころ、リリエはにっこりと微笑んで話を切り出しました。
「さぁ話を聞きましょうか?」
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「虹の橋」そう小さくつぶやいてから、リリエは会得したようにうなずきました。なんといってもリリエは魔女なのです。魔女の寿命はとてもとても長いのです。姿形は美しく、お姉さんのようですが、もうニ百年は生きている魔女です。人間で言うと、二十歳くらいでしょうか? とにかく、魔女はとても長生きで、物知りなのです。
「なるほどね、虹の橋を架けて、アリスのお母様の病気を治したいのかしら。名案だわ!」
リリエにそう言われて、二人はとても嬉しい気持ちになりました。リリエが「良い」と言ってくれたら、なんでも叶う気がしたのです。
「色々と教えてあげましょう。まずはこの世界の成り立ちね」
リリエは大きな地図を取り出してきて、テーブルの上に広げました。そこには、中央にぽっかりと穴の開いた大きな円盤状の陸地と、大きな大きな海が描かれていました。海の果てには、不思議な生き物が描かれています。二人は、大きな好奇心と少しの不安を抱きながら地図を覗き込みました。
「ここが私たちの住んでいる国ネロ、イーハトーブはこの辺りね」
リリエは大陸の上の端っこを指さしました。二人は驚きました。自分たちの住んでいるネロの国は広大で、その外の世界のことは、見たことも聞いたこともなかったからです。
「昔は世界は地続きだったのよ。一つの大きな世界だったの。そこに、神様がそれぞれの色を置いていったのよ。この世界はパレットと呼ばれる世界で、神様が他の世界に色を付けるために、色を取り分けた場所なの」
「つまり、他の世界にはいろいろな色がついているってこと?」
「そうよトトリ! 世界は色に満ちているの。いつか冒険に行ってみたらいいわ。あらいけない、今はパレットの話よね」
リリエはネロの右下にある場所を指さしました。黒に近い淡い灰色をした国です。
「ここは赤の国ソッロ」
「あか? あかって、どんな色なのかしら……」
「それは見てのお楽しみね。国と国の間には、空間が隔てられていて、直接行き来することができないのだけれど、少し脇にずれると、世界と世界が混ざることができる場所があるの。そこを通れば、どの色の世界にだって行き来ができるわ」
「本当! 良かったアリス! これで冒険が可能なことがわかったぞ! ありがとうリリエ! 明日から学校も長いお休みに入ることだし、さっそく旅に出よう!」
トトリは興奮気味にリリエにお礼を言いました。そんなトトリにリリエは注意を促します。
「気をつけてトトリ、世界で迷子にならないように。この地図と、念のために町の位置を指し示す方位磁針も渡しておくわ。それから――」
そういってリリエは手のひらにぽうっと白い光を浮かべました。光の中から、小さな猫が現れました。真っ黒な子猫です。
「可愛い……!」
アリスは猫をふんわりと抱きしめました。猫は気持ちよさそうに目を細めます。
「その子はココ、私の可愛い使い魔よ。その子をお供に貸してあげるわ、何か困ったことがあったら役に立ってくれるはずよ」
「ありがとうリリエ」
「それからね」と言ってリリエは棚の中から空っぽの小瓶をいくつか取り出しました。一つ、二つ、三つ……全部で七つあります。
「色が見つかったら、この小瓶に集めていらっしゃい」
「どうやって集めたらいいの?」
「そうね……何から色を集めることができるのか、私にもはっきりとしたことは言えないのだけれど、この国の色を集めるとしたら、ほら、新月の夜の雫になるの。だから、その国で最も美しい『色』をしたものから採れるんじゃないかしら」
どうやらリリエにも詳しいことは分からないようです。トトリは少しだけ残念な気持ちになりましたが、実際に行ってみたら自分たちで見つけられるはずだと気を取り直しました。アリスは不安そうに大きな瞳を揺らしています。そんなアリスを見て、トトリは優しい声で言いました。
「アリス、君はこの町で待っていておくれ。僕が色を集めてくるから」
トトリの言葉に、アリスは驚いで目を見開き、頭をぶんぶんと横に振ります。
「私も行くわ! だって、だって病気になったのは私のお母さんだもの。私が、私がお母さんを助けるために行かなくちゃ!」
いつもびくびくと怯えているアリスとは思えないほど、大きな声ではっきりとそう言ったのです。トトリは一瞬だけ困ったような顔をしましたが、すぐに力強く頷きました。
「行こう! 僕たち二人なら、なんだってできるさ! リリエ、アリスのおばあちゃんには大丈夫ですって言っておいてくれないかな」
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トトリは安心しました。孫娘を可愛がっているおばあさんに、心配をかけるわけにいきませんから。リリエが「大丈夫」と言ってくれたら、おばあさんも安心することでしょう。
「それから最後に、これはお守りね」
リリエはそう言って白いユリの形をしたネックレスを二人の首にかけてくれました。
「この印があったら、その土地住んでいる良い魔女が助けてくれるはずよ。困ったら頼ってみてね。私のことを知っている魔女もいるはずよ。だけど気を付けて、世界には、良い魔女だけではなくて、悪い魔女もいるのだから」
「わかったよリリエ! 色々とありがとう!」
イーハトーブの町を旅立っていく二人は、リリエに大きく手を振りました。
トトリとアリスとココはリリエの住む森を抜けて、南へ南へと下って行きました。リリエの方位磁針が、南を指していたからです。目指すのは赤の国ロッソ。トトリは見たこともない世界に、少しワクワクしていました。一歩一歩踏み出す足取りは軽やかです。一方のアリスは不安そうにキョロキョロそ辺りを見回しながら進んでいました。アリスは臆病な性格の女のの子なのです。いつもビクビクと怯えたようにしているので、学校でも男の子たちにいじめられていました。そのたびにトトリが間に入って、助けていたのです。二人は自然と仲良くなりました。今ではトトリとアリスは町一番の友達です。
「一緒に来てくれてありがとうトトリ」
アリスは心からのお礼を言いました。するとトトリはなんでもないことのように首を横に振ります
「何を言ってるんだよ、じいちゃんが死んでから一人ぼっちになった僕に、アリスの母さんは家族みたいに接してくれた。アリスの母さんが病気になったなら僕だって力になりたいし、アリスが困っていたら僕は必ず力を貸すよ」
トトリの言葉に、アリスは嬉しそうに顔を赤くしました。トトリは孤児です。トトリのお父さんとお母さんは、トトリを森の樫の木の根元に置いてどこかに行ってしまったのです。トトリを拾って育ててくれたのが、町に住んでいたおじいさんでした。おじいさんはトトリを本当の子供のようにとても可愛がってくれていましたが、一昨年の冬に寒さに負けてついに亡くなってしまっていたのです。それからというもの、トトリは一人で生活していました。
「僕の帰りを待つ人はいないけれど、アリスには帰る家があるだろう? 僕は必ず君と一緒に色を集めて、イーハトーブの町に帰ってくるよ」
「トトリ、悲しいことを言わないで。町のみんなはトトリの帰りを待っているわ。私だって、トトリに何かがあったら悲しい……」
アリスがポロポロと涙をこぼし始めるので、トトリはアリスを勇気づけるように優しい声で言いました。
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ヨシキは中学一年生。毎年お盆は瀬戸内海の小さな島に帰省する。去年は帰れなかったから二年ぶりだ。石段を上った崖の上にお寺があって、書院の裏は狭い瀬戸を見下ろす絶壁だ。その崖にあった小さなセミ穴にいとこのユキちゃんと一緒に吸い込まれた。長い長い穴の底。そこにいたのがいっすん坊だ。ずっとこの島の歴史と、生きてきた全ての人の過去を記録しているという。ユキちゃんは神様だと信じているが、どうもうさんくさいやつだ。するといっすん坊が、「それなら、おまえの振り返りたい過去を三つだけ、再現してみせてやろう」という。
自分の過去の振り返りから、両親への愛を再認識するヨシキ・・・
ラズとリドの大冒険
大森かおり
児童書・童話
幼い頃から両親のいない、主人公ラズ。ラズは、ムンダという名の村で、ゆいいつの肉親である、羊飼い兼村長でもあるヨールおじいちゃんと、二人仲よく暮らしていた。
ラズはずっと前から、退屈でなにもない、ムンダ村から飛び出して、まだ見ぬ世界へと、冒険がしたいと思っていた。しかし、ラズに羊飼いとして後継者になってほしいヨールおじいちゃんから、猛反対をされることになる。
困り果てたラズは、どうしたらヨールおじいちゃんを説得できるのかと考えた。なかなか答えの見つからないラズだったが、そんな時、突然、ムンダ村の海岸に、一隻の、あやしくて、とても不思議な形をした船がやってきた。
その船を見たラズは、一気に好奇心がわき、船内に入ってみることにした。すると、なんとそこには、これまで会ったこともないような、奇想天外、変わった男の子がいて、ラズの人生は、ここから歯車がまわり始める——。
四尾がつむぐえにし、そこかしこ
月芝
児童書・童話
その日、小学校に激震が走った。
憧れのキラキラ王子さまが転校する。
女子たちの嘆きはひとしお。
彼に淡い想いを抱いていたユイもまた動揺を隠せない。
だからとてどうこうする勇気もない。
うつむき複雑な気持ちを抱えたままの帰り道。
家の近所に見覚えのない小路を見つけたユイは、少し寄り道してみることにする。
まさかそんな小さな冒険が、あんなに大ごとになるなんて……。
ひょんなことから石の祠に祀られた三尾の稲荷にコンコン見込まれて、
三つのお仕事を手伝うことになったユイ。
達成すれば、なんと一つだけ何でも願い事を叶えてくれるという。
もしかしたら、もしかしちゃうかも?
そこかしこにて泡沫のごとくあらわれては消えてゆく、えにしたち。
結んで、切って、ほどいて、繋いで、笑って、泣いて。
いろんな不思議を知り、数多のえにしを目にし、触れた先にて、
はたしてユイは何を求め願うのか。
少女のちょっと不思議な冒険譚。
ここに開幕。
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