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8話
恋をして、笑えるように
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放課後の校舎には、人の気配がほとんどなかった。
受験を控えた三年生の姿もまばらで、冬の陽が廊下の床を静かに照らしている。
カーテン越しの光は白く、吐く息がかすかに揺れた。
生徒会室の中で、桃瀬柚香は一人、書類を片づけていた。
文化祭や体育祭の記録、生徒会の報告書。
それらを整理するたび、思い出の断片が胸の奥に浮かんでは消えていく。
ドアが開いた。
振り向いた柚香の目に映ったのは、グレーのコートを羽織った一ノ瀬茜だった。
「まだ、残ってたの」
柔らかい声。けれど、その笑みにはどこか疲れが滲んでいる。
「茜先輩こそ、まだ、帰らないんですか」
「あと少しだけ。……最後の見回り、ってやつ」
そう言って茜は、机の端に置かれた書類に目を落とした。
整然とまとめられた紙の束。
その几帳面さに、ほんの少し驚いたように眉を上げる。
「……相変わらず、丁寧ね」
「いえ、そんなこと……」
「いいえ。几帳面なところ、ちゃんと引き継いでくれてる」
軽口のようなやりとりに、ふっと笑みがこぼれた。
冷たい空気が、少しだけやわらぐ。
茜は机の上の書類を手に取り、何気なくめくる。
一枚の写真が滑り落ちた。
文化祭の集合写真。
「懐かしいわね。あの頃、いろいろあったわ」
茜がそう呟いた。
軽く笑う声の奥に、かすかな影が見えた。
ほんの少しの沈黙が訪れる。
「恋って、面倒ね」
「え?」
「好きだと思っても、うまく伝わらなかったり、誰かの優しさを間違えて受け取ったり……。そういうの、あなたにもあったでしょう?」
柚香は一瞬だけ迷って、そして静かに口を開いた。
「……ありました。わたし、結翔先輩のことが好きでした。ずっと“妹”って言われても、それでも諦められなくて」
茜の目が、ほんのわずかに揺れた。
「……そう。」
「この前、ちゃんと告白しました。ちゃんと振られて……。不思議とスッキリしてるんです。“好きでした”って言える今の方が、少しだけ大人になれた気がして」
その笑顔は、泣き顔ではなかった。
茜は小さく息をのんで、微笑む。
「……ほんと、あなたって子は。泣き虫のくせに、強いわね」
「茜先輩がいたから、ここまで頑張れた気がします。」
その言葉に、茜の表情がわずかに揺れた。
何かを言いかけたが、結局、小さく息をつくだけだった。
「……あなたって、本当に不思議な子ね。」
静かな沈黙が流れる。
窓の外では、雲間から光がこぼれはじめていた。
「恋をして、傷ついて、それでも笑ってる。そんなあなたを見てると、少しだけ、救われる気がするの」
茜の声は、いつもより少しだけ穏やかだった。
柚香はそっと笑う。
「きっと、結翔先輩も、茜先輩も。優しい人たちなんですよ。 誰かを傷つけたくないから、遠回りしてしまうだけで。」
茜の唇が、かすかに震えた。
けれど、すぐに微笑みに戻る。
「……あなたには敵わないわね。」
二人の間に、柔らかな沈黙が落ちた。
窓の外では、薄い雲の切れ間から光が差している。
茜が立ち上がる。
「そろそろ行くわね。……風邪、ひかないで」
「先輩も」
扉に手をかけた茜が、ふと振り返る。
「ねえ、桃瀬さん」
「はい?」
「また話しましょう。……いつか、ちゃんと」
柚香は笑顔でうなずいた。
扉が閉まると、静寂が戻る。
柚香は机の上の写真をもう一度手に取った。
過去の光景は、もう痛みではなかった。
胸の奥で静かに溶けていく。
外では、粉雪がちらついていた。
冬の空気は冷たい。
それでも――その光の向こうに、春風の気配が確かにあった。
受験を控えた三年生の姿もまばらで、冬の陽が廊下の床を静かに照らしている。
カーテン越しの光は白く、吐く息がかすかに揺れた。
生徒会室の中で、桃瀬柚香は一人、書類を片づけていた。
文化祭や体育祭の記録、生徒会の報告書。
それらを整理するたび、思い出の断片が胸の奥に浮かんでは消えていく。
ドアが開いた。
振り向いた柚香の目に映ったのは、グレーのコートを羽織った一ノ瀬茜だった。
「まだ、残ってたの」
柔らかい声。けれど、その笑みにはどこか疲れが滲んでいる。
「茜先輩こそ、まだ、帰らないんですか」
「あと少しだけ。……最後の見回り、ってやつ」
そう言って茜は、机の端に置かれた書類に目を落とした。
整然とまとめられた紙の束。
その几帳面さに、ほんの少し驚いたように眉を上げる。
「……相変わらず、丁寧ね」
「いえ、そんなこと……」
「いいえ。几帳面なところ、ちゃんと引き継いでくれてる」
軽口のようなやりとりに、ふっと笑みがこぼれた。
冷たい空気が、少しだけやわらぐ。
茜は机の上の書類を手に取り、何気なくめくる。
一枚の写真が滑り落ちた。
文化祭の集合写真。
「懐かしいわね。あの頃、いろいろあったわ」
茜がそう呟いた。
軽く笑う声の奥に、かすかな影が見えた。
ほんの少しの沈黙が訪れる。
「恋って、面倒ね」
「え?」
「好きだと思っても、うまく伝わらなかったり、誰かの優しさを間違えて受け取ったり……。そういうの、あなたにもあったでしょう?」
柚香は一瞬だけ迷って、そして静かに口を開いた。
「……ありました。わたし、結翔先輩のことが好きでした。ずっと“妹”って言われても、それでも諦められなくて」
茜の目が、ほんのわずかに揺れた。
「……そう。」
「この前、ちゃんと告白しました。ちゃんと振られて……。不思議とスッキリしてるんです。“好きでした”って言える今の方が、少しだけ大人になれた気がして」
その笑顔は、泣き顔ではなかった。
茜は小さく息をのんで、微笑む。
「……ほんと、あなたって子は。泣き虫のくせに、強いわね」
「茜先輩がいたから、ここまで頑張れた気がします。」
その言葉に、茜の表情がわずかに揺れた。
何かを言いかけたが、結局、小さく息をつくだけだった。
「……あなたって、本当に不思議な子ね。」
静かな沈黙が流れる。
窓の外では、雲間から光がこぼれはじめていた。
「恋をして、傷ついて、それでも笑ってる。そんなあなたを見てると、少しだけ、救われる気がするの」
茜の声は、いつもより少しだけ穏やかだった。
柚香はそっと笑う。
「きっと、結翔先輩も、茜先輩も。優しい人たちなんですよ。 誰かを傷つけたくないから、遠回りしてしまうだけで。」
茜の唇が、かすかに震えた。
けれど、すぐに微笑みに戻る。
「……あなたには敵わないわね。」
二人の間に、柔らかな沈黙が落ちた。
窓の外では、薄い雲の切れ間から光が差している。
茜が立ち上がる。
「そろそろ行くわね。……風邪、ひかないで」
「先輩も」
扉に手をかけた茜が、ふと振り返る。
「ねえ、桃瀬さん」
「はい?」
「また話しましょう。……いつか、ちゃんと」
柚香は笑顔でうなずいた。
扉が閉まると、静寂が戻る。
柚香は机の上の写真をもう一度手に取った。
過去の光景は、もう痛みではなかった。
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冬の空気は冷たい。
それでも――その光の向こうに、春風の気配が確かにあった。
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