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第1章
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真鈴との会話中……。
うしろで一也に話しかけられていた香葉来の様子が気になった。
「汐見はさんすー好きか?」
「……にがて」
「そおかぁ? 簡単じゃん。足し算、引き算」
一也の問いかけに、香葉来は言葉が返せていない。
一也だって香葉来をバカにしたりいじめたりしているわけじゃなくて、ただまっすぐに質問をしているだけ。だけど。
「宿題したぁ?」
「ちょー簡単だよぉ」
まわりのクラスメートも算数の話題で盛り上がっていた。
一也が言うとおり、算数が簡単って思うことはおかしなことじゃない。だけど大河は、香葉来の浮かない声がやけに心配になった。うしろを振り向いた。
香葉来はじっと、教科書の表紙を見ながら、どんより顔をくもらせていた。
「香葉来。どおしたの?」
「え……ううん。あたし、算数、みんなみたいにできない……」
「え?」
思いがけない返事。香葉来は、下唇をかみ、泣いてしまうんじゃないかと思うほどに、か弱い声で、
「……あたし、バカなの……」
と自分をさげすんだ。大河は、反射的に、急いで口を動かす。
「べ、別に。香葉来はバカじゃないよ。コツがわかったらできるって。わからないところがあったら、学童のとき、ぼくが教えてあげるから。一緒にやろうよ。ね?」
「……ううん、イヤ。したくない。だって、ママに教えてもらってるのにできないもん……」
全然フォローができなかった。大河までくもりになりそうだ。
末岡(まつおか)と塩見(しおみ)。出席番号は大きく離れていたから、大河は席替えまでは、香葉来の席からは遠い席に座っていた。だから、香葉来が算数についていけてないことは知らなかった。
たしかに、香葉来は学童の時間に算数ドリルを開いている姿を見たことがなかった。
それって、できなくて、はずかしかったから?
ううん。今はそんなことより、香葉来を助けてあげなくちゃ!
大河は焦った。焦ったけど、解決策なんてでてこない。おろおろと困り果てるだけだ。
けれど。
話を耳にしていた真鈴が、クルッとななめうしろに体を向けた。
パァーっと明るいにっこにっこな笑顔を作り。やさしくてやわらかい風を、香葉来に吹きかけた。
「香葉来。暗い顔しないで。得意なこと、不得意なこと、人間は誰にでもあるんだよ? 私と大河と植本くんは、たまたま算数が得意なの。不得意なことが、はずかしいってことじゃないんだよ? 私も今度、教えてあげる。大丈夫だからね」
「……うん」
「うん。それにね、香葉来はすごく得意なことあるじゃん。プリ魔女ハッピーの絵、本物のアニメみたいに描くじゃない。あそこまで上手な絵、大人でも描けないよ。私は香葉来のこと〝天才〟だと思ってる」
すると香葉来からじわじわ笑みがあふれてくる。
「……えへへっ。絵もハッピーも好きなだけだからぁ。でもね、普通のプリ魔女の方が好きかなあ」
「私も初代の方が好きだよ。サファイアが一番好き。今度描いてほしいな」
「あっ! うん! 描くね! あたしはね、エメラルドが一番好きなの。サファイアは二番目に好きかなあ。ルビーはナオちゃんが好きでね、ダイヤモンドはエレナちゃんが好きなのお! あ、大河くんもエメラルドが好きだよね!」
「え? あぁ、うん」
大河、ちょっとあぜんとした。声がどもってうまく返せなかった。
ビックリするじゃん。だって、香葉来が別人になったから。
真鈴の励ましから、プリ魔女の話題への急転換。
香葉来は水を得た魚のように元気になり、笑顔いっぱいで、ぺらぺら饒舌だ。
真鈴がほめることは本当のことで、香葉来は自由帳をいつも持ち歩き、『プリ魔女』のキャラクターの絵をよく描いている。絵を描くことが好きで、得意で、とっても上手。
「大河ってそんなの見てんのぉー? あはっ」
一也にプリ魔女を見ていることを小馬鹿にするようにツッコまれた。
大河は、はずかしさで顔を染めた。
けれどすぐに。
真鈴が目をつり上げて、一也を睨みつけた。
そして、トゲのある口調で放つ。
「そんなのってひどくない? すごく感動するんだから。男の子が見ても楽しいって思うの。おかしいことじゃないよ。私も、香葉来も、大好きだから悪口言っちゃ怒るよ? 植本くんの言うことはすごくすごくおかしいし。すごくすごく失礼。あのさ、人の気持ちって考えたことある?」
「えっ……」
一也は血相を変えた。でも真鈴は弱めない。
「どうなの?」
「ごめん……」
「うん。いいよ。わかってくれてありがとう。私もキツく言ってごめんね」
ちょっとだけ、一也がかわいそうに思えた。同情していた。
一也はしゅんとなり、背中を丸めている。
真鈴はまるで、子ライオンを守る母ライオンのように。がじがじ威勢よく鋭い牙を、一也に向けていた。
落ち込んでいた香葉来が元気になった。せっかく灯った元気の火を、鎮火させたくなかった。
真鈴は信念がものすごく強い。不自然なほどにまっすぐで屈折のない強靭な自主性という牙をもっている。
普段はその牙は、凶器としては使わない。今みたいなケースはまれだ。
有事が済めば、牙はすぐにおさめる。
そのあとは、素直に謝ってくれた一也は許して、もうにこにこ笑顔満開だ。
真鈴のおかげで、香葉来は元気を維持している。おなじくにこにこ笑顔を咲かせている。
ぼくは真鈴にはなれない。
大河は堂々と振るまう真鈴と、優柔不断にあたふたする自分を比較した。
自分の情けなさに、少し気落ちしていた。
いつのまにかチャイムはなっていて、先生が教室に入ってきていた。算数の授業が始まった。
少しのあいだ、大きく感情が、ぐらぐらゆさぶられた。
ちょうどいいエアコンの風が、やけに冷たかった。
どうしてだろう。
ああ、わかった。
ぼくが熱くなっているんだ。
うしろで一也に話しかけられていた香葉来の様子が気になった。
「汐見はさんすー好きか?」
「……にがて」
「そおかぁ? 簡単じゃん。足し算、引き算」
一也の問いかけに、香葉来は言葉が返せていない。
一也だって香葉来をバカにしたりいじめたりしているわけじゃなくて、ただまっすぐに質問をしているだけ。だけど。
「宿題したぁ?」
「ちょー簡単だよぉ」
まわりのクラスメートも算数の話題で盛り上がっていた。
一也が言うとおり、算数が簡単って思うことはおかしなことじゃない。だけど大河は、香葉来の浮かない声がやけに心配になった。うしろを振り向いた。
香葉来はじっと、教科書の表紙を見ながら、どんより顔をくもらせていた。
「香葉来。どおしたの?」
「え……ううん。あたし、算数、みんなみたいにできない……」
「え?」
思いがけない返事。香葉来は、下唇をかみ、泣いてしまうんじゃないかと思うほどに、か弱い声で、
「……あたし、バカなの……」
と自分をさげすんだ。大河は、反射的に、急いで口を動かす。
「べ、別に。香葉来はバカじゃないよ。コツがわかったらできるって。わからないところがあったら、学童のとき、ぼくが教えてあげるから。一緒にやろうよ。ね?」
「……ううん、イヤ。したくない。だって、ママに教えてもらってるのにできないもん……」
全然フォローができなかった。大河までくもりになりそうだ。
末岡(まつおか)と塩見(しおみ)。出席番号は大きく離れていたから、大河は席替えまでは、香葉来の席からは遠い席に座っていた。だから、香葉来が算数についていけてないことは知らなかった。
たしかに、香葉来は学童の時間に算数ドリルを開いている姿を見たことがなかった。
それって、できなくて、はずかしかったから?
ううん。今はそんなことより、香葉来を助けてあげなくちゃ!
大河は焦った。焦ったけど、解決策なんてでてこない。おろおろと困り果てるだけだ。
けれど。
話を耳にしていた真鈴が、クルッとななめうしろに体を向けた。
パァーっと明るいにっこにっこな笑顔を作り。やさしくてやわらかい風を、香葉来に吹きかけた。
「香葉来。暗い顔しないで。得意なこと、不得意なこと、人間は誰にでもあるんだよ? 私と大河と植本くんは、たまたま算数が得意なの。不得意なことが、はずかしいってことじゃないんだよ? 私も今度、教えてあげる。大丈夫だからね」
「……うん」
「うん。それにね、香葉来はすごく得意なことあるじゃん。プリ魔女ハッピーの絵、本物のアニメみたいに描くじゃない。あそこまで上手な絵、大人でも描けないよ。私は香葉来のこと〝天才〟だと思ってる」
すると香葉来からじわじわ笑みがあふれてくる。
「……えへへっ。絵もハッピーも好きなだけだからぁ。でもね、普通のプリ魔女の方が好きかなあ」
「私も初代の方が好きだよ。サファイアが一番好き。今度描いてほしいな」
「あっ! うん! 描くね! あたしはね、エメラルドが一番好きなの。サファイアは二番目に好きかなあ。ルビーはナオちゃんが好きでね、ダイヤモンドはエレナちゃんが好きなのお! あ、大河くんもエメラルドが好きだよね!」
「え? あぁ、うん」
大河、ちょっとあぜんとした。声がどもってうまく返せなかった。
ビックリするじゃん。だって、香葉来が別人になったから。
真鈴の励ましから、プリ魔女の話題への急転換。
香葉来は水を得た魚のように元気になり、笑顔いっぱいで、ぺらぺら饒舌だ。
真鈴がほめることは本当のことで、香葉来は自由帳をいつも持ち歩き、『プリ魔女』のキャラクターの絵をよく描いている。絵を描くことが好きで、得意で、とっても上手。
「大河ってそんなの見てんのぉー? あはっ」
一也にプリ魔女を見ていることを小馬鹿にするようにツッコまれた。
大河は、はずかしさで顔を染めた。
けれどすぐに。
真鈴が目をつり上げて、一也を睨みつけた。
そして、トゲのある口調で放つ。
「そんなのってひどくない? すごく感動するんだから。男の子が見ても楽しいって思うの。おかしいことじゃないよ。私も、香葉来も、大好きだから悪口言っちゃ怒るよ? 植本くんの言うことはすごくすごくおかしいし。すごくすごく失礼。あのさ、人の気持ちって考えたことある?」
「えっ……」
一也は血相を変えた。でも真鈴は弱めない。
「どうなの?」
「ごめん……」
「うん。いいよ。わかってくれてありがとう。私もキツく言ってごめんね」
ちょっとだけ、一也がかわいそうに思えた。同情していた。
一也はしゅんとなり、背中を丸めている。
真鈴はまるで、子ライオンを守る母ライオンのように。がじがじ威勢よく鋭い牙を、一也に向けていた。
落ち込んでいた香葉来が元気になった。せっかく灯った元気の火を、鎮火させたくなかった。
真鈴は信念がものすごく強い。不自然なほどにまっすぐで屈折のない強靭な自主性という牙をもっている。
普段はその牙は、凶器としては使わない。今みたいなケースはまれだ。
有事が済めば、牙はすぐにおさめる。
そのあとは、素直に謝ってくれた一也は許して、もうにこにこ笑顔満開だ。
真鈴のおかげで、香葉来は元気を維持している。おなじくにこにこ笑顔を咲かせている。
ぼくは真鈴にはなれない。
大河は堂々と振るまう真鈴と、優柔不断にあたふたする自分を比較した。
自分の情けなさに、少し気落ちしていた。
いつのまにかチャイムはなっていて、先生が教室に入ってきていた。算数の授業が始まった。
少しのあいだ、大きく感情が、ぐらぐらゆさぶられた。
ちょうどいいエアコンの風が、やけに冷たかった。
どうしてだろう。
ああ、わかった。
ぼくが熱くなっているんだ。
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