かわいいクリオネだって生きるために必死なの

ここもはと

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第3章

14

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 翌日、大河は日直だった。
 クラスの日直はランダムで決まるみたい。担任には妙なこだわりがある。

 まあ、なんだっていいけど。

 日直の仕事といえば、号令、黒板消し、学級日誌。
 あと、学級花壇の水やり、草むしりもある。後者が一番面倒だ。
 といっても、小学校で植物係をしていた大河にとっては、それほどまで面倒でもない。
 でも……日直のペアを組む相手は、真鈴だった。
 大河は、真鈴から謝罪をされた日。あれから、ろくに真鈴と会話していない。

 香葉来と真鈴は……。
 香葉来は新しいグループでも順調だった。
 ミアに頼まれて、SNSのアイコンを描き、それからはずいぶんミアとは親密になった。
 だいたいグループじゃ、香葉来はミア、恭奈、雪乃とよくしゃべってる。
 でも、真鈴とは、前みたいになかがいいわけじゃない。
あんあん甘えられるわけもない。
 姉妹みたいな関係じゃない。

 だから、大河も、真鈴には距離を感じて、ペアで日直の仕事をこなすのが杞憂だった。
 コミュニケーションが上手く取れなかったから、ペアだというのにシングルプレーだ。
 真鈴は、号令を率先しておこなうものだから。
 
 おれも仕事をしなきゃ。
 と大河は焦る気持ちもあって、授業が終わるとすぐさま黒板を消すことに務めた。 
 真鈴のちらりとした視線が気になった。手伝おうとはしてこなかった。
 
 昼休みになり、大河はせかせかと弁当を食べ終え、すぐに花壇に向かった。
 水やりもどちらがやるか担当を決めているわけじゃなかったけど、真鈴ひとりに面倒な仕事を押し付けることに抵抗感があった。
 だからって、真鈴と一緒に作業をするのも気まずい。
 じゃあおれがひとりで終わらせよう。そんな心模様だった。

 校庭の花壇には、紫混じりの青いキキョウが気持ちよさげに開いていた。
 今が開花時期で花が開いたばかりらしい。雨のない六月には、オアシスみたいに涼しげに見える。

 大河はふいに。
 真鈴の青い部屋……それに。
 りとうマリンパークの青の世界……クリオネを思い出した。
 ゆらりゆらり。心が揺れる、色。

 キキョウの周りには、雑草がうじゃうじゃと生い茂っていた。
 ずさんな管理。水やりはされているのだろうけど、草むしりは面倒くさがってみんな適当にしていたのか。
 大河だって特別、花や植物に関心があるわけではない。
 だけど、植物係をしていたときは、こまめに草むしりをして、花を枯らさず、害虫から守るように務めていた。

 興味なくたって、仕事は仕事だろ。
 こんなんじゃ、花がかわいそうじゃないか。
 はぁ……。大河はやりきれない気持ちになった。
 雑念を振り切るように、むなしく草を抜く作業に徹した。
 
 そのとき。
 ビュンと風が吹いた。
 誰か、やってきた。

「……はい。軍手使って。ひとりじゃ大変だから手伝うよ。私も日直だし」

 スッと耳にとおる声。真鈴だった。
 普段話をしない間柄なのに、いきなり声をかけられた。
 軍手も差し出されている。

「……ありがと」

 大河は真鈴に見つめられていたけれど、堂々と彼女の顔が見れなかった。顔を伏せた。伏せても、隠せるはずはないのに。
 真鈴は片手で持ったビニール袋を、大河との間に置いた。ビニール袋はどこか境界線のよう。
 真鈴はしゃがむ。大河は彼女と並ぶ。
 意識しないようにと大河、作業を続けた。
 真鈴はテキパキと器用な手つきで、雑草を抜いていた。

(おーい、こっちだよ)
(ちょっと、待てよ)

 外で遊ぶ他の活発な生徒たちの声。
 ふたりはしーんとしてるから、よく聞こえる。
 暑いのに元気だな。
 この作業は地味なもので、雑草を根っこまで抜き、土を振るってビニール袋にいれる。その繰り返し。
 もくもくと手を動かしていると、キキョウの周りは、それなりにさっぱりしてきてる。
 けれど、大河はさっぱりした気持ちにはならない。

 別に、おれ、しゃべったらいいじゃん。
 逆に変だよ。
 大河は、真鈴に目をよせた。
 無表情。
 でも、ちょっとだけ、ふわっとしてる。
 
 大河はよそ見をしたり、意識を遠くにしながら作業をしていたものだから。
 突如、名前もわからない米粒ほどの黒い虫が軍手にひっついていた。
 うようよ動いてる!
 別に虫が苦手というわけじゃないけど、いきなりこんなのが現れてるとぎょぎょっとする。
 体が上下にぐらんぐらん。

 大河はハッと意識を戻し、冷静に帰った。
 真鈴も同じ作業をしているのでこの虫を目にしているだろう。
 それなのに微動だにしない。
 事務作業をしているみたい。
 香葉来だったら悲鳴を上げて逃げ出すだろうに。

 花壇の雑草はすべて抜き終え、すっきりした。
 大河はビニール袋の両端を結び、雑草の集合体を密封した。
 真鈴はキビキビと動かしていた手と体を静止させる。
 それから、キキョウをじっと見つめていた。
 彼女は青が好きだった。

『私も初代の方が好きだよ。サファイアが一番好き。今度描いてほしいな』

 プリ魔女の青い宝石の魔女、サファイア。
 小学1年のとき、『プリ魔女』に夢中だった香葉来のことを気遣って、真鈴はそんなことを口にしていた。
 真鈴の好きな青は、大河にとって、あたたかい色だ。
 寒色系の色なのに?
 でも、雲ひとつない晴ればれとした青い空や、どこまでも広がる青い海にはあたたかさがある。青は命の源だ。
 そして、真鈴。
 香葉来のことを想い、気遣い、やさしくしていた昔の彼女も青だ。

 だから、大河にとって青は、あたたかい色だ。
 香葉来がエメラルドのかがやきを放つようにいきいきしてるのは、真鈴がいたから。
 真鈴と過ごした過去があるから。
 
 それは。
 大河にとっても大切な、大切な過去だ。

 大河はキキョウを見つめる真鈴の姿を見て、過去が、じゃぼじゃぼの無数の泡になって盛り上がってきた。
 しかし、泡だ。またたく間に弾けた。
 過去は過去であって、現実じゃない。
 大河の思考は現実へと戻った。現実は、ちくちく胸を刺す痛みだった。

 真鈴はいつのまにか立ち上がって、じょうろをキキョウに傾けていた。
 じょうろの先からは、しとしとと小雨が降る。
 水浴びするキキョウは涼しそう。
 真鈴は、手を動かしながら、すぅっと口を開く。

「雑草がないからこの子たちも十分に水が飲めるね」

 この子たち。
 真鈴は花を慈しんでいる。

「うん」

 大河の重い声。でもやっと出た声。

「先生に言うよ。ちゃんと草むしりをしなきゃ花が枯れるって」
「うん」
「みんな誰かがやるからいいやって思ってるのよ」
「……植物係とか、ないから」

 大河の言葉に、真鈴は。

「……なつかしい」

 と、目を細めていた。
 彼女はまたしゃがみこみ、キキョウを見つめる。

 真鈴の「なつかしい」が、ぐさり、大河の心臓に刺さった。
 だって。
 離れていた真鈴も、あの過去は大切にしてくれているんだって、知ったから。
 
 大河の胸は、じんじんと熱くなった。
 言葉ひとつで、変わるんだ。
 また、真鈴と心を通わせることができるかもしれない。
 だから。

「……おれ、植物係……たのしかったよ」

 大河は、口元をほころばして、そっと……。
 ちらり、真鈴の顔を見た。
 彼女は何か言いたげで、でも言えずに。ぐっと言葉を噛み締めている、気がした。
 それでも。
 大河は真鈴と心を通わすのは今だと思った。
 続けよう。
 
「……あのさ真鈴。香葉来の絵って見てくれた?」

 大河の想いは先走っていた。ブレーキをかけることができなかった。
 植物係の話を無視して、いきなり香葉来の絵の話をしてしまったから。
 伏線もなく、急展開を迎えた物語のように。
 真鈴と香葉来とおれ。なかよし3人組。
 できることなら、あの頃の友達関係に戻りたい。

「……絵は見たよ」

 え……?
 真鈴の声は変わった。冷たくなったのだ。
 大河は真鈴の温度に機敏だった。
 心が熱くなっていたせいで、冷たさはより強く感じた。
 真鈴の目は、ナイフのように鋭く尖りだした。180度変わった目で、キキョウをえぐり刺していた。

 どうしたんだよ……。
 ああ。やっぱり……。
 真鈴は……真鈴は香葉来のことが、好きじゃないんだ。
 そう感じた。

 大河は、浅はかだった自分の発言に後悔した。
 けれど今さらあとには引けなかった。

「……また、3人でクリオネを見に行きたいな」
 
 大河の本心。声は、かすれてた。
 真鈴は何も言わない。うなずきもしない。
 でも大河は。
 勝手に、また、本心という名の魔物が、思考を支配して……。

「香葉来が描いた3匹のクリオネのようにおれたちはおだやかに海を飛んでいた。心から笑っていた。過去は変えることはできない。なかったことにすることはできない。でも、未来は変えることができる。新しいかたちを作ることができる。だからさ、もう一度。3人でなかよくしよう」
 
 本心を出し切った。
 しんと、真夜中のように静かになる。

 ドクンドクン、ドクンドクン。
 自分の心拍ばかりうるさくて、気持ち悪い。
 しかし。静寂が消えた。

「……大河は」

 頼りなく抑揚のない声。それは、真鈴の声だ。真鈴らしくない声。
 大河は真鈴の方に顔を向けた。
 真鈴の瞳、憂愁の青が浮かんでいた。
 一呼吸置き、真鈴は……

「……本当にあの子が大事なんだ」

 大河に問うというよりも、独り言を吐いているみたいに。
 あの子……香葉来のことを、口にした。
 そりゃ……大事だよ。真鈴も、そうだったじゃん……なんで、そんな顔して、聞くんだよ。

「うん」

 香葉来は大事だ。
 否定したくなかった。
 大河ははっきりとイエスと答えた。
 真鈴、下唇を小さく噛んだ。
 と思えば、すぐに立って、去ろうとする。

「あとお願いしていい? かわりに学級日誌は私が書いとくから」
「……うん」
「じゃあ」

 真鈴は素っ気なく別れを告げてきた。
 何事もなかったかのように、じょうろを片手に持ち、離れていく。
 大河は、彼女のうしろ姿を見つめることしかできなかった。
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