かわいいクリオネだって生きるために必死なの

ここもはと

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第3章

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 翌日だった。昨日ほどじゃないけれど、今日も空はくすんでる。
 ぱらぱら。トーンダウンしたリズムは、どこかしなやか。

 通学路には、紫陽花が咲いている。青い。土が酸性なんだろう。
 あのキキョウより色素は薄くて、水色に近い。
 葉にはカタツムリがひと休み。のんきだなぁ。
 雨の下、香葉来はビニール傘を掲げている。
 お気に入りが潰れたショックは薄れたのか、昨日とうって変わってにっこりしてる。
 大河は体が軽くなる。彼女の笑顔は、何よりも安堵だから。

 梅雨、そこまでイヤなものじゃないかもな。
 ふたり、雨の街を歩いた。

 学校につく。教室までふたり並んで歩く。
 すれ違う生徒たちの目は、いまさら気にならない。
 大河と香葉来は、カップルとして広く認知されている。
 ふたりを知らない生徒にも、「あのふたりはカップルだ」とひとめで気づかれているだろう。
 
 もとをたどれば、香葉来が胸のことでからかわれないようにするため、いじめられないようにするため。そんな護衛のために付き合うことにした関係だ。
 大河は、『付き合うのはかたちだけでいい』と香葉来にはっきりと言ってる。
 だからって、完全な偽カップルというのも違う。
 だっておれたちは、心を通わせているんだ。

 でも。
 大河は、香葉来に。

「異性としておれが好きか?」

 なんて、聞いたことはない。

「異性として香葉来が好きだ」

 とも、伝えたこともない。
 香葉来は、おれのこと……おれの存在、どう思ってるんだろう……。
 はあ。
 
 ただ。
 香葉来が、コンテストの結果を教えてくれた夜、大河は彼女に抱きつかれた。
 大河も香葉来を抱きしめた。ぎゅっと、ぎゅっと。
 好意がないと、できない行為。
 けれど、それから、抱きしめ合うこともないし、手をつなぐことすらない。
 もちろんキスはしたことがない。
 おれと香葉来は、恋人だけど恋人じゃない。偽の恋人でもない。かたちのない恋人だ。

 大河、もやもやする気持ちを、煮え切らないが結論づけた。
 香葉来が「イヤ」と言うまではこの関係でいたい。
 そして……そして、おれが。
「はっきりとした恋」に気づいたのなら、あらためて香葉来に想いを告げる。
「香葉来のことが好きだ」って。

 大河は、肩もとにいる彼女と同じ空気を吸いながら、少しだけ、思いふけていた。
 もう、教室の前だった。

 しかし。
 教室は、異様な空気。瘀血《おけつ》のようにどんより滞っている。
 いつもと違った。すぐわかった。わかりやすい変化といえば、ある法則がないこと。

 いつもなら、ドアをスライドさせると。

「かぁはー! おっはよぉー!」

 とさわがしい恭奈が香葉来に抱きつく。
 もしくは、バカ明るい声をかけてくる。
 それなのに、今日は何もなかった。
 香葉来は、きょときょと定まらない視線で、早くも顔の色を変えた。

 なんだよ、どうしたんだよ。
 でも香葉来、足をそろそろと前に進めた。
 大河から離れて、ミアたちが固まる席へと直進していく。
 窓側の3列目。ミアがだらんとうなだれている。
 彼女の机の前で、しゃがみこむ恭奈もいる。
 少し距離を開けて、雪乃も。

 雪乃は、近づく香葉来に気がつき、小さく右手を挙げた。
 香葉来も手を振り返している。よかった。
 けれど、ミアは、どこか無気力でやる気のない顔をしていて、さらに、目をツンツンさせて……その棘で、香葉来に突き刺していたのだ。
 恭奈にいたっては、完全無視。

 異常。おかしい。わけがわからない。
 香葉来はその集まりについた。
 香葉来はミアと恭奈にあいさつをしたみたいだけど、ふたりからの反応はなくて、固まっている。頭と心は、ぐしゃぐしゃになっているんだ。

 かろうじて雪乃が、香葉来を助けるように彼女をその場から連れ出した。
 そのまま教室へ出ていく。通学リュックも置かずに……。
 大河はただあごを震わせていただけで、何もできなかった。
 がつんと強い衝撃が脳天に突き刺さった。

 なんだよあれ……。
 なんで、香葉来が無視されんだよ……。
 
 ぐぐっ。
 大河は理不尽と戦いながら、ぐっと気持ちを落ち着かせようとした。
 席につくなり、央がひょうひょうとした顔をしてやってきた。
 
「おはよう」

 今の心情とは180度違うに明るい声にむかつき、大河は無視。
 すると央。

「徳井さん機嫌が悪そうだね」

 と、ミアについて言及する。
 お前、何か知ってんのか。

「なんでなんだよ」
「うん。やっぱり別れた大学生の彼氏のこと好きだったんじゃない?」
 
 央、すました顔でしゃーしゃーと言う。
 それは香葉来も言ってたことだ。

「知ってる」
「汐見さんのことが心配?」
「お前には関係ねえよ」
「こっわ」

 下賎なスキャンダルをネタにするマスコミのように感じて、大河は央に対していらだちが募った。それ以降、央を遮断した。
 がちゃがちゃ騒がしい教室も、大河にとってはしんと静まり返っている。
 それは、全神経を耳に集中させてミアたちに向けていたからだ。
 露骨にジロジロ見ているわけもないが、ミアのまわりには、さくらと桃佳が近寄ってる。
 何か慰めの言葉をかけているのだろうか。
 同じグループでもさくらと桃佳は、それほどミアとなかよくなかった印象だけど。

 グループが結束していってる。香葉来というマトができたことによって……。
 いや、考えすぎかもしれない。
 だって、香葉来は何も悪いこと、してないんだ。
 たまたまミアの機嫌が悪いだけで。
 雪乃はちゃんとフォローしてくれているし。
 大河は、そうやって、希望的観測にすがりたい気持ちだった。

 そして。
 背筋をしゃんと伸ばして、堂々とした足取りで、長い黒髮を揺らす真鈴が教室に入ってきた。

 ドクンドクン、ドクンドクン。
 大河は心拍を加速させながらも、チラチラと真鈴へと目を向ける。

 真鈴はスクールバッグを席に置き、そのままミアの一団へと突き進んだ。
 一団は、香葉来とはまったく異なる反応を示す。
 恭奈は真鈴にあいさつして、独占していたミアの机からしりぞき、真鈴とバトンタッチ。
 真鈴は、そこでしゃがみこみ、ミアと言葉をかわした。

 ミアは、泣きそうな顔をしながらも、真鈴とごにょごにょ話していた。
 会話が途切れると、唐突に真鈴はミアの頭をなではじめた。
 真鈴は周りの視線などおかまいなし。
 まるで見せつけているようにすら見える。パフォーマンスのように。

 しばらくしてチャイムが鳴った。
 姿を消していた香葉来は、雪乃に連れられて教室に戻ってきた。
 香葉来は、がっくりと肩を落としていた。

 そんな弱った香葉来の姿を、真鈴は捉えた。
 香葉来に向けられた目。

 それは、ライオンの牙だった。
 ゾクゾク寒気がするほどに、鋭いライオンの牙。
 真鈴は、なかよかった頃は、大河と同じように香葉来のことを気にかけ守ってきた。
 子ライオンを守る母ライオンだった。

 しかし、今は違う。
 母ライオンは子ライオンを子と認識していない。
 外敵とみなしている。
 だけど、この光景はあくまでも大河の主観。
 香葉来が心配のあまり防衛本能がうずき、過剰に反応しているだけかもしれない。
 気のせいだったらいい。最高だ。
 だけど、楽観できない。

 おれは、香葉来を守らなきゃダメだ。
 絶対守る。
 おれは香葉来の彼氏だ。
 大河はそう気概を保つことで必死だった。
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