かわいいクリオネだって生きるために必死なの

ここもはと

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終章

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 結末の日。また学校を休むことになった。
 大人たちの間でどのような話が行われているのか、大河は知らなかったし知らされなかった。
 この日も変わらない黒い空模様だった。

「10時に香葉来ちゃんの家に行くから」

 実歩は大河に告げた。行くからといっても、香葉来の家はとなりだ。
 玄関を開けると5秒で着くだろう。物理的な距離感はゼロに等しい。
 けれど、心の距離は相当開いてしまった。
 大河は実歩の「行くから」という言葉が相応しく感じたと同時に情け容赦ないとも思った。

 朝飯はまるで喉を通らなかった。
 実歩も「食べなさい」とは一言も言ってこなかった。
 学校に行くわけでもないが大河は制服に着替えた。

 寝癖を直し、身だしなみが不躾ではないか鏡で何度も確認した。
 香葉来にカッコよく見られたい、なんて俗的な気持ちはなかった。
 誠心誠意謝らないとダメだ。だらしない格好で行けるわけがない。
 実歩も、髪を束ねてたカジュアル色のない格好だった。

 ドクンドクン、ドクンドクン。心拍数が異常に高まる。
 まだ9時半。
 チクタクのリズムは、遅くも早くも感じてしまい、異世界に迷いこみ奇妙な時間枠で過ごしているようだった。

 9時50分頃。
 人の足音が聞こえてきて、香葉来の家の呼び鈴の音が。
 緊迫した場面であっても気の抜けるピンポンという音が響いた。

「里璃子さんと真鈴ちゃんが来たわ。行くよ」

 実歩の少しかすれた声。震えてもいた。彼女も緊張していた。
 実歩にとっても、香織と里璃子、母同士親交が深かった。
 子供たちがひとりを傷つけ、己も傷つけあっている。
 そんなことはあってほしくなかったはずだ。
 ゆえに、大河と同じように心労しているのだろう。
 大河は実歩のうしろにつき、玄関を出た。
 ちらちらと、霧雨よりも細かな雨とはいえない儚く細い水が襲ってきた。

 シャキッと背筋を伸ばすモデルのようなスタイリッシュな黒いスーツ姿の女性と、別人のように肩を落とすセーラー服の少女の姿が視界に入った。
 里璃子と真鈴だ。

 里璃子は首を横に向け、実歩を見て深々と頭を下げてきた。
 顔は、空の、暗雲の色をしていた。実歩は頭を下げ返した。

 真鈴も、ゆっくりとお辞儀をしてきたけど……。
 そこにあった彼女の顔は……。え……まりん……?

 大河は固まってしまった。
 真鈴はまぶたが赤々と腫れ上がり痛々しい……まるで殴られたようだった。
 目は真っ赤だった。

 その上、覇気もなく、指一本触れてしまえば壊れてしまうトランプでできたピラミッドのような不安定さを感じた。
 里璃子に習うように、彼女も深々と頭を下げてきた。
 大河は変わり果てた真鈴が痛々しくて直視できなかった。

 罪を犯した真鈴だけど……。大河は何があっても彼女を責めることはできない。
 そう確信した瞬間だった。

 すると。

 ガララ、と玄関扉がスライドされた。香織が現れた。
 グレーのTシャツにジーパン姿と彼女だけはいつもどおりの服装だった。
 実歩は近寄り、里璃子たちと並んだ。

「えっと……りり社長もさ、実歩ちゃんも。真鈴ちゃんも、大河くんも……大丈夫だよ? えっと…‥とりあえず、中に入ろう? さっ」

 香織はどんよりした空気に戸惑っていた。
 ひきつった作り笑顔で、被害者の保護者というのにヤケに気を遣っていた。
 
 大河は一団の最後列に位置し、香葉来の家へ上がりこんだ。行き慣れた場所だ。
 リビングに招かれた。ソファーの前の床には、ぺたんと女の子座りをする香葉来の姿があった。
 彼女は半袖の白色のパーカー姿。部屋着だろうか、ラフな装いだった。
 真鈴ほどではないけれど、泣いたみたいで少しまぶたは腫れている。
 彼女は「あ……」とだけ小さくつぶやき、目をきょときょと泳がせた。
 
 すると。
 途端に里璃子が真鈴の手を取り、香葉来の方へと向かった。
 香葉来はびくりと体をゆらし、怯えているようだった。
 堰《せき》を切ったよう里璃子は、

「香葉来ちゃん、本当にごめんなさい。怖かったでしょう。ごめんなさい」

 と膝をつけて謝り出した。

 そして。

 バシンッ!
 里璃子は、真鈴の頭を無言で叩いたのだ。

「ちょっと、ダメだって! りり社長やめてよっ!」

 思わず香織は叫ぶも、次いで真鈴。
 彼女らしさを微塵も感じないおぼつかない口調で。

「かはら……ごめっ……ご……ごめ、なさい……ひどいこと……いっぱいして……ごめ……ごめんなさ……い……ひっ……ひ……く」

 泣いて土下座したのだ。
 里璃子も続いて土下座をした。

「まりんちゃん……やめて……顔あげてよぉぅ……」

 香葉来は真鈴の肩に手を置き、彼女も泣きながらも真鈴の顔を上げさせようとした。
 でも真鈴は顔を上げなかった。

「うぅ……ごめん……ごめ……え……ひっく……」

 もう言葉じゃなくて嗚咽だ。
 香織は里璃子の顔を上げようと、子と同じような動作をする。まさしく修羅場だった。

 実歩はしばらく立ち尽くし、場を収拾させようと里璃子と真鈴を落ち着かせようと努めた。
 大河はひとり部外者のように、立ち尽くして見ていることしかできなかった。
 誰も望んでいない結末だった。

 先が見えない深い深い暗闇のトンネルを出た。
 天国じゃなかった。
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