22 / 26
Chapter II Side Nell & Lucien Family Tide
Side Nell & Lucien Family Tide III 私たちの血と呪い
しおりを挟む夜のロサンゼルス。
窓の外は深い群青色で、遠くのフリーウェイを走る車の光がゆらめいていた。ネルはスマホを耳に当てたまま、ソファに身を沈める。
スピーカー越しに聞こえる姉、ジュリアナの声は、いつものように毒舌混じりだ。姉のいるマルセイユはまだ昼らしい。
「……もうね、あの姑ったら!『うちはブルボン家の血を引いてるのだから』が口癖なのよ。その割に、テーブルマナーは鳩並みなんだから笑っちゃうわ」
ネルは小さく吹き出した。
「ジュリアナ、その話、もう5回は聞いたよ」
「ええ、何度でも言いたいわよ。それにギョームったら今朝もパンツ一丁で屋敷の中を歩き回って『ママー、僕のスボンアイロンかけてくれた?あれお気に入りだからメイドには触らせたくないし、ジュリアナは下手なんだもん』なんてほざきだしちゃってさ!あれで何が『うちはルイ14世の末裔』よ! ロベスピエールに今だけ蘇ってもらってあいつらの首をはねて欲しいくらいだわ」
ジュリアナの婚家ド・ルシヨン家はかつてプロヴァンス地方に領地を持ち、ルイ14世の庶子(ルイ14世とモンテスパン侯爵夫人の間に生まれた子)の分家筋を称していた家だ。
19世紀に入ってからは実際の血統証明は曖昧になったが、姑は今も「我が家は太陽王の血を引く」と信じており、何かにつけては誇示してくるというのだ。
ジュリアナはフランスに嫁いでからの約8年間、弟のネルとは頻繁にやりとりしていた。おそらくこの姉が愚痴をこぼせる相手はネルしかいないのだろう。ヘンリエッタに言ったところで「フィッツロイの女ならその程度我慢しなさい。家の名誉のためよ」と突き放されるだけだから。
「ははは……」
ネルが苦笑したそのとき。姉の声の背後で、幼い子どもの笑い声がした。
「マルセル、もう寝なさい。……まったく、あんたの甥っ子は私に似て夜更かしなの」
「たぶん、姉さんに似たんじゃなくて、環境のせいじゃないかな」
「どういう意味よ?」
「姉さんが毎晩騒がしいから、寝られないんだと思う」
「黙りなさい。あんた、お母様に似て嫌味のセンスだけは一流ね」
ネルは笑いながら、ふっと息をついた。少し間を置いてから、静かに切り出す。
「……ジュリアナ、実はさ」
「なに?」
「僕、妊娠してるんだ」
数秒、沈黙が落ちた。受話器の向こうで、何かが倒れる音がする。
「……はあ? ちょっと待って、誰の子よ。相手エドウィン…じゃないわよね? あんたまだ大学生でしょ?」
「エドウィンじゃない。ルシアンの子だ」
今度は深い静寂が落ちる。ジュリアナが深く息を吸い、絹のような声で言った。
「――あんた、頭おかしいんじゃない?」
ジュリアナはモデルとしてのルシアンには好感を持っていた。しかし、まさか自分の弟とそういう仲になっているとは思わなかったのだろう。
ネルは苦笑した。
「うん、そうだよ。でも、ちゃんと覚悟してる」
「覚悟って……!」
ジュリアナの声が少しだけ震えた。
「まさか結婚とか言わないでしょうね」
「もうした。こないだ結婚式の写真送ったでしょ」
「……」
受話器の向こうで椅子が軋んだ。
「……ちょっと待って、あの写真、本当に式だったの? 何かの企画のコスプレ撮影か何かだと思ってたんだけど」
「いや、本物」
「……ネル。あんた、ほんとに人生の舵取りを間違える天才ね」
ネルは静かに笑う。
「でも、後悔はしてない」
その言葉を聞いたジュリアナはしばし黙り込み――やがて、疲れたようにため息をついた。
「わかったわ。折を見てそっちに行くわ」
「は?」
「マルセル連れて、そっち行く。あんたに会わないと気が済まない」
「でも姑さんが――」
「黙って出るに決まってるでしょ。あの人、またブルボン云々言い出すんだもの。マルセルに変な血統教育されるくらいなら、私が連れ出すわ」
ネルはふっと笑った。
「……ほんと、助かるよ」
「当然でしょ。フィッツロイの女は、最悪のときほど図太くなるのよ」
**
昼下がりのロサンゼルスは、雲ひとつない。
大学から終えたネルがルシアンと半同居状態のマンションに帰ってくる。リビングに入ると、フランスから来たばかりのジュリアナが、既に白いワンピースの裾を整えて座っていた。プラチナブロンドの髪をきちんとアップにし、碧い瞳は涼しげに光る。長身だがネルより少し低く、その佇まいだけで「フィッツロイ家」の血筋を示していた。
その隣では、三歳のマルセルが玩具の車を床に走らせて遊んでいる。
ネルは驚きに眉を上げた。姉が本当に来るとは思っていなかったからだ。
「まさか、来るとは思わなかったよ」
「私だって、来るつもりはなかったの」
ジュリアナは肩をすくめる。
「でもね、あなたの結婚式の写真を改めて見て、やはり来る必要があると思ったのよ」
「母さんには断ってきたんでしょう?」
「ええ。姑には内緒だけどね」
彼女は目を細めて笑った。笑みの奥には、いつものように棘があった。
ルシアンがキッチンから現れる。黒い髪をまとめ、冷えたミントティーを三つとオレンジジュースを一つ運んできた。
ジュリアナはルシアンを一瞥し、ネルに視線を戻すと眉毛を上げてこう言った。
「……綺麗な人ね」
それが褒め言葉なのか、観察なのか、ネルには判別がつかない。
「気に入った?」とネルが軽く笑うと、ジュリアナは紅を引いた唇の端をわずかに歪めた。
「どうかしら。フィッツロイ家では、災いの前触れになりそうな美しさね」
「その真ん中で笑ってるのが俺らしいでしょ」
ルシアンが皮肉を返す。
ジュリアナは「なるほど」と小さく頷き、グラスを手にした。
沈黙が落ちた。窓の外で、太陽がガラスのテーブルを眩しく照らす。
マルセルの笑い声だけが、静かな部屋に響いていた。
やがて、ジュリアナの視線がネルの腹に落ちた。
6ヶ月を過ぎ、ようやく膨らみがはっきりしてきたその腹を、彼女はじっと見つめた。
「……その子、もうすぐなのね」
「あと3ヶ月。思ったより静かな子だよ」
「静かな子ほど、家の声をよく聴くのよ」
ネルはわずかに目を伏せた。
「ジュリアナ——」
「聞いて。あなたは『家』を離れたと思ってるかもしれない。でも血は離れない。
私たちの血は、愛よりも『形』を選ぶの。そうやって何百年もずっと、続いてきた。あなたも知ってるでしょう?」
ネルはゆっくり息を吸い、短く答えた。
「それでも、僕が守る」
「言葉で守れるほど、この家は優しくないわ」
「守るよ。僕のせいでこの子が誰かに侮られるなら、僕がその分、殴り返す」
ジュリアナは笑わなかった。
しばらくネルを見つめ、それからグラスをテーブルに戻した。
「——覚えておきなさい。私たち『フィッツロイの女』は、誰も幸せになれなかった」
「僕は女じゃない」
「知ってるわ。でも、『家』はそう見ない」
彼女の声はやわらかかったが、ひどく冷たかった。
「だからあなたは、『フィッツロイの男』として違う道を選びなさい。でなきゃ、また同じことを繰り返す」
ネルは返事をしなかった。
窓の向こうの陽光の中で、マルセルが積み木を倒し、笑った。
ジュリアナはその音に振り向き、わずかに表情をゆるめた。
「……でも、そうね」
「なにが?」
「あなたなら、この呪いを終わらせるかもしれないわ」
それだけ言って、彼女は立ち上がった。
ルシアンに軽く会釈をし、マルセルの手を取って玄関へ向かう。
去り際、ふと振り返って——
「お母様によろしく言っておくわ。お母様、電話口でまたヒステリー起こしてたもの」
扉が閉まると、部屋の空気が少しだけ軽くなった気がした。
ネルはしばらく動かず、腹に手を置いた。指先の下で、微かな胎動が確かに伝わる。
「……僕の子だ」
小さく呟く。
「どんな呪いでも、きっと跳ね返してみせる」
光はやさしく、けれど少しだけ眩しすぎた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる