夜の帳が降りるとき

泉 沙羅

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Prologue Side Samantha

Side Samantha IV この人たちは変だと思った

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 夜中。喉が渇いて目が覚めた。天井の隅をぼんやりと見つめながら、サマンサは手探りでスマホを取る。時刻は午前2時23分。静かな部屋。客用の布団はふかふかだった。そしてネルとルシアンの部屋からは扉一枚隔てた距離だった。

 水を飲みに行こうとドアを開け、足音を殺して廊下に出る。

 ……と、そのとき。

 …何かの音。艶めいた、息を殺すような声。
 サマンサは喉の渇きで目を覚まし、キッチンへ向かう途中だった。だが、ルシアンとネルの寝室の方から、微かにその声が漏れ聞こえた。

 「……だめ……サマンサがいるのに……」
 「いいじゃん。見せつけてやりなよ」

 足が止まる。いや、止まってしまった。
 いけないと思った。すぐに目を逸らせばよかった。なのに、ほんの少し開いたドアの隙間から、つい覗いてしまった。

 最初は何が起こっているのかよくわからなかった。部屋は暗く、ルシアンがネルを組み敷いていることだけがわかった。

 (うわー、ルシアン、大胆だなあ……まあ、ネルって押しに弱そうだもんな)

 冗談めかした思考が浮かぶ。

 (……すみません。どうぞ、お楽しみください)

 踵を返そうとした、その瞬間。目が闇に慣れていく――そして、見えてしまった。

 ルシアンの背。滑らかな肩。腰のあたりが浮かびあがる。けれど、その身体には――乳房がなかった。
 それは単なる「小さい」とか「形が目立たない」とか、そういう話ではなかった。完全に“ない”のだ。

 「え……」

 次の瞬間、ルシアンがネルの脚をぐいと開かせ、その体をぴたりと重ねた。ふたりの肌が擦れ、骨が軋むほどに、境界を失っていく。そして――
 ネルの秘部には「器」があり――ルシアンの脚の間には、「剣」があった。そのままネルの内に沈んでいくさまは、まるで切り離されていたものが、もう一度繋がろうとするみたいに――ひとつの形へと還っていくように見えた。

 「え……え……待って」

 頭が真っ白になる。ルシアンに、そんなものがあるなんて――あんなに艶めかしかったのに。綺麗で、色っぽくて、髪も肌も、声だって、言葉だって、立ち振る舞いだって……

 でも、それ以上にショックだったのは――ネルだった。


 清楚で、優しくて、いつも困ったように笑って、手を差し伸べてくれて。髪をかき上げる仕草、ジャケットの袖口から覗く手首、あの深い声――全部、全部、「完成された紳士」だった。

「ルシアンっ……僕をめちゃくちゃにしてくれ……っ!」

 だけど今、目の前で、喘ぎ、しがみついているのは……間違いなく――。
 掠れた声が夜に溶ける。ふたりはただ、互いの痛みや渇きを埋め合うように、奥へ、奥へと沈んでいった。まるで壊れた心と心を、乱暴にでも縫い合わせようとするみたいに。

 心が、ずるずると音を立てて崩れていく。――ルシアンがサマンサの視線に気づいたように、ふとこちらに顔を向け……そのまま、ネルの顎をすくい上げ、唇を重ねる。まるで「自分のものだ」とでも言うように。

 その光景が、まざまざと脳裏に焼きついた。思い出す――舞台の上の、あの妖艶なサロメ。挑発的で、残酷で、粘膜のように熱っぽい眼差しをした女。


――あれは、ルシアンだったんだ。ネルは、『あの人』を真似ていたんだ。

 崩れそうな気持ちを、必死で押さえる。

――この人たちを……変だ、って思ってしまった。

 だけどすぐに、自分の中から、ひやりとした記憶が湧き上がってくる。

 ――「ぷっ。サマンサって何?」
 ――「その名前って、金髪で青い目の美少女につけるやつでしょ。アンタみたいなThe日本人顔地味ブスに似合ってねーから」
 ――「アンタにお似合いなのは“サダコ”!」

 サマンサは思った。今の自分はあの子と変わりない。ずっと「自分は言われる側」だと思っていたのに、「言う側」になってしまった、と。「勝手に線を引いた」のは誰だ? 勝手に線を引き、はみ出た者を勝手に異常者認定しているのは誰だ?この人たちを変だと思ってしまった。じゃあ、自分は、変じゃないのか。



    夢の中で、サマンサは静かな部屋にいた。
 大きな鏡が壁いっぱいに設えられた、古い館の化粧部屋。灯りは蝋燭。ドレッサーの前には、金髪碧眼の美少女がひとり座っていた。

 白い肌。長い睫毛。まるで絵画から抜け出したような、少女――。
 サマンサは気づいていた。この夢は「ただの夢」じゃない。いつも見る、「あの記憶」だ。

 少女は黙って鏡を見つめていた。だが、その表情はどこか歪んでいる。まるで誰かと沈黙の会話をしているようだった。そして突然、鏡の中の少女が、別人のような表情で笑った。

「……またお利口さんのふり? 退屈じゃない?」

 サマンサは息を呑んだ。今しゃべったのは、少女の中にいる誰かだった。
 声は彼女と同じ。でも、まるで別人のように甘く、傲慢で、ぞっとするほど魅力的な響きがあった。どことなく、ルシアンに似ているような気がした。
 椅子に座ったまま、少女が――いや、「少女の中のもう一人」が、鏡の中に問いかける。
「だって、あなたが黙ってたら、あの子は絶対に気づかない。気づいてもらいたいなら、多少強引な手を使ってでも――」
 少女は口を開く。今度は、怯えたような、でも優しい声音だった。
「……やめて。わたしはそんな風に、愛したくない」
「ふうん? そんなこと言って本当はあなただって……」
「やめてよ!」
「ねえ、どっちが本当の『わたし』? ねえ、どっち?」
 ふたつの声が、ひとつの口から交互に出る。
 やがて少女は、笑うような、泣くような顔で立ち上がった。鏡の前に立つ。鏡の中の自分を見つめる。

「もしこの魂が裂けて、二人に分かれたら――少しは救われるのかしら」

 そう呟いた少女の目に、光が反射する。その瞳は――片方が青く、もう片方が黒かった。
 サマンサの背筋に、冷たいものが走った。
 それはまるで、『彼ら』の眼差しを、ひとつの顔の中に同時に見たような――そんな、不安定で、美しいものだった。

 目が覚めたとき、サマンサは深く息を吸った。
 心臓の鼓動が早く、身体にまだ夢の気配がまとわりついていた。

 (……また、見た。あの子……あれは、誰……?)



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