それはきっと、夜明け前のブルー

遠藤さや

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12.いつか、きっと

いつか、きっと④

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「俺はずるいから、ああ言えば今日のレースが終わるまでは、詩は俺のことを考えてくれるってどこかで期待してた。許してもらえなくていいから、覚えていてほしかった。もう会えなくなるなら、少しでも……詩の記憶の中に残りたいって思ったんだ」

 蜂蜜色の木漏れ日が、色素の薄い彼の瞳を切なく揺らす。
 言葉が出なかった。

「自分勝手で、最低だろ。今も昔も変わらない。でも、どうしようもない。詩が好きなんだ。ずっと、忘れられなかった」
 
 絞り出すような声が胸を締めつける。
 口を真一文字に結んだ朝陽くんは、今にも泣き出してしまいそうに見えた。

「ひどいことして、傷つけてごめん」

 言葉の最後は、風に揺れる木々のざわめきにかき消された。

 朝陽くんの想いは、呪縛のようだと思った。
 あの頃の記憶や恐怖に囚われている私みたいに、朝陽くんも後悔や喪失感に縛られて、ずっと動けないでいる。
 朝陽くんの心の奥にも、立ち止まったまま動けないあの頃の彼がいるんだろう。

 ……きっと、同じなんだ。

 初めてそう思えた。
 朝陽くんに伝えなきゃいけないことが、やっとわかった気がした。

 帰路につく子どもたちの声や、木々にこだまするように響くヒグラシの鳴き声が遠くに聞こえる。
 拳をぎゅっと膝の上で握りしめた。

「わ、私は、ずっと……朝陽くんが、怖かった。離れてからも、なにをする時でも、いつも思い出してつらかった。今もずっと、……それは消えない」

 苦しさで胸が詰まって、声が上擦る。
 それでも、なけなしの勇気を振り絞った。

「でも、私は前に進みたい。うずくまったまま、泣いていたくないの」

 諦めずに前を向く黒崎くんのように。
 自分で一歩を踏み出したい。

 喉をせり上がる涙のかたまりを、ごくりと飲み込む。
 そして、私はまっすぐに朝陽くんを見つめ返して、もう一度口を開いた。

「私、強くなるから。怖かったことや、つらかったことはなくならないけど、強くなって、いつか、いつか朝陽くんのことを、忘れる。だから……」

 情けないことにやっぱり声が震えて、言葉の最後は涙まじりになった。
 けれど、これが今の私の精一杯の別れの言葉だった。

「……うん」

 朝陽くんが無理やり作ったような笑顔で、ゆっくりとうなずく。
 彼の声も震えていた。

 だから、の続きは言わなかった。
 今の私には、まだ言えない。

 それでも、朝陽くんには伝わっただろう。

 
 西の空がグラデーションを描いて蜜柑色に染まっていく。
 この空の色も、私はきっと忘れないと思った。
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