帰りたい場所

小貝川リン子

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第一章 プロローグ

第一章② ♡

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 大きな案件が舞い込んだ。とある政党の幹部暗殺。風間一人ならば他の殺し屋と手を組みたいところだが、鶫がいるなら話は別だ。二人で任務を遂行して、報酬を丸ごと全部頂いてしまおうというわけである。
 数か月間準備を重ねた。そして今夜が決行の時。ホテルの一室で行われる秘密の会合に鶫が潜り込み、隙を見て暗殺するという手筈だった。
 
「……で、何だこの惨状は」
「……」
 
 スタッフとしてホテルに潜入していた風間が目にしたのは、血塗れのスイートルーム。十余の遺体。死体の山の中、幽霊のように佇む男。研ぎ澄まされた刃の切っ先から滴る鮮血。
 
「……ちゃんと殺したぜ?」
「バカか、こんなぐっちゃぐちゃにしやがって! しかも……あーあー、殺さなくていいやつまで殺っちまってるよ」
「しょーがねーだろ。あいつ、なかなか一人にならねーんだよ」
「焦らず機を待てとあれほど……まぁいい。これくらいなら何とかなる」
 
 風間は掃除屋に電話をかける。こんな時のために、一応話は通しておいたのだ。
 
「お前、それは返り血か?」
「……どれ」
「ほら、顔の」
「ああ、これ……」
 
 鶫は頬を拭う。綺麗な顔が血で染まっていた。
 
「こーいうのはなかなか避けらんねぇ。刺すと噴き出てくるからな」
「当たり前だろ。避けようなんて考えるな」
「だってジジイの血だぜ? 嫌だよ」
 
 ふと何を思ったか、鶫は風間の胸倉を掴んだ。
 
「おい、オレまで汚れ――」
 
 唇に血の味を覚えた。鶫は挑発的な笑みを湛える。
 
「どう?」
「ジジイの血だろ。クソまじぃ」
「ふは、それもそーだ」
 
 *
 
 何もかも予定通りとはいかなかったが、ともあれ任務は成功だ。ウン千万の金が動く。
 今夜は祝宴だ。鶫へのご褒美に風間は寿司やピザを取り、自身はとっておきのワインを二本空けた。
 日付を跨ぎ、夜も更け渡った頃。すっかり酔いの回った風間は、ワイシャツ姿のままベッドでいびきを掻いていた。
 
「……なぁ、おっさん」
 
 ギシ、とマットレスが軋む。風間は薄く目を開けた。
 
「まだ起きてたのか」
 
 鶫が風間の上へ跨っていた。少し甘えるように尻をくっつけてくる。
 
「おっさん。血のにおいがすげぇよ」
「オレは今日やってねぇよ」
「違う。俺の体」
「シャワー浴びたろ。二回も」
「でもくせぇ。取れてねぇ」
「オレは何も感じねぇけど……」
 
 ふと見ると、鶫は前を張り詰めさせている。風間はピンと来た。初めての殺しにハイになっているか、血のにおいに興奮しているか、あるいはその両方か。たまにいるのだ、そういう野生児が。
 
「分かった分かった。女呼んでやるから」
「女ぁ?」
「したいんだろ」
「したい?」
「それ、どうにかしたいんだろうが」
「?」
 
 風間が顎でしゃくって示すと、鶫は首を傾げて己の下腹部をじっと見つめた。
 
「……そうだったのか……」
 
 呟くや否や、鶫は風間のスラックスを脱がしにかかった。初めての夜よりもずっと手早くベルトを外す。
 
「おい、しねぇぞ」
「なんでだよ。女よりあんたがいい」
「男に抱かれるなんざごめんだね」
「ちげーって。あんたが俺を抱け」
「男のガキ抱く趣味もねぇよ」
「どうだか。きっとすぐ欲しくなるぜ」
 
 何の反応も示していないだらりとしたペニスを、鶫は一切の躊躇なく口に銜えた。
 
「ふにゃちん」
「そりゃそうだろ。酔ってちゃ勃つもんも勃たねぇ」
「そーなの?」
「だから諦めろ」
「やだ」
 
 口でするなら男も女も変わらない。初めての夜に鶫が言っていたことだ。こんな形で理解したくはなかった、と風間は思った。
 鶫の口は、女の口よりも具合がよかった。顎が小さいせいか、締まりがいい。どこで覚えたのか、舌遣いが卓越している。
 
「なぁ、ローション持ってねぇ?」
 
 風間はベッド脇の引き出しを探す。
 
「ほれ」
「さすが色男」
「大分古いぞ」
「まぁいけるだろ」
 
 口でしながら、鶫は自分で後ろを解す。スウェットの下を脱いで、ローション塗れの指を突っ込む。器用なことだ。くちゅくちゅと艶めかしい水音が響く。
 
「んっ……ふ、ンぅ……っ」
 
 鶫は、旨そうにペニスを頬張りながら腰をくねらせる。ついさっきまでデザートのアイスクリームを食べてにこにこしていたはずなのに、とても同一人物とは思えない。あの純粋無垢な少年はどこへ行ったのか。目の前にいるのは、まるで百戦錬磨の高級娼婦だ。
 
「そろそろ諦めろ。いくらやっても――」
「勃ったぜ」
 
 ぷは、と鶫が口を開く。得意げな口の端に覗く真っ赤な舌に、銀の糸が引く。赤黒いモノが、涎を垂らしてそそり立っていた。
 
「……マジか」
「俺の勝ちな」
「別に勝負してたわけじゃ」
「んじゃ早速」
 
 鶫は風間の下腹部に膝立ちで跨り、一息に腰を落とした。
 
「んンっ……!」
 
 自分から乗ってきたくせに、鶫はビクビクと体を震わせた。
 
「ぁは、あ、やばこれっ……すげぇ……っ!」
「無理すんな。大丈夫か?」
「だいっ、じょ……あぅっ」
 
 全く大丈夫そうではない。途中まで手慣れた様子だったのに、挿入した途端生娘のようだ。風間の上でじっとしたまま、鶫は動こうともしない。時折堪えるように腰を震わせるだけだ。
 
「ぅ、う……んん……」
「……おい、一旦どけ」
「あ、なんで……」
「泣きそうな面すんな。最後までしてやるから」
 
 風間は鶫をベッドに寝かせた。改めて見ると、顔付きも体付きもまだ若い。幼さが残る。体も心も未完成な男のガキを、風間はこれから抱くのだ。
 
「こっち向きでいいのか? バックがいいか?」
「……顔、見える方がいい」
「そうか」
 
 太腿に触れ、脚を開かせる。女のような柔らかい肌ではない。だがこの筋肉、筋張った感触が、今触れている肉体は間違いなく鶫のものである、と否応なく思い知らせてくる。
 男を抱くのは初めてだった。女はいくらでも、仕事でもプライベートでも抱いてきた。しかし男を、一回り以上も年下の男を抱くことは、長い人生でもおそらく二度とはないだろう。
 風間は年甲斐もなく、童貞さながらに緊張していた。セックスごときにどぎまぎするなんて何年ぶりだろうか。心臓が跳ねて口から飛び出しそうだった。
 
「……っあ」
「悪い。痛かったか」
「……い、痛くない。痛くない、から……」
「……」
「……全部、寄越せよ……っ」
 
 理性、自制心、己を律するもの全てが、散り散りになって消し飛んだ。
 
 *
 
「あっ!」
 
 鶫の高く掠れた声が響く。
 
「あ、あ、あっ」
「苦しいか?」
 
 苦しげに眉を寄せて唇を噛みしめながら、鶫は首を横に振る。所在なげに両手を彷徨わせて枕を掴み、顔を押し付けて抱きしめた。くぐもった声が僅かに漏れ聞こえる。
 
「おいこら、なんで隠すんだ。顔見てしたいんじゃなかったのか」
 
 鶫は首を縦に振る。
 
「じゃあなんでだよ。オレもお前の顔見てぇんだけど」
 
 鶫は首を横に振る。
 
「何がダメなんだ。恥ずかしいのか?」
「っ、だって、こんなの……」
「別に、えげつねぇアヘ顔晒されたところで今更驚きゃしねぇよ」
「ち、ちげぇ、し……」
「ほら、顔見せろ」
「ぁ、や、……っ」
 
 風間は、鶫の抱きしめていた枕を奪い取った。
 果たして鶫がどんな表情で善がっているのか。とろとろに蕩けたいやらしい顔か。恥じらいを残したあどけない顔だろうか。と密かに期待をしながら枕をどかした。
 それは涙だった。涙でべしょべしょに濡れていた。それでいていやらしく蕩けてもいるし、あどけなく火照ってもいる。風間は狼狽えた。
 
「おま、なん……な、なんで、泣いて……」
「知らねぇ、かってに……勝手に出てくる」
 
 鶫はごしごしと瞼を擦り、ぐすぐすと鼻を啜る。
 
「バカ、痛めるぞ」
 
 風間は鶫の涙を拭った。舐めると塩辛かった。
 
「ぅ……やだおれ、こんな……」
「嫌なのか」
「だって……こんなんなるの、初めてだ」
 
 鶫は掠れた声で呟く。
 
「……あんたのが中にあって……胎ン中、すんげぇ熱くて……なのに、全然いやじゃねぇんだ。こんなの変だ。なんで……?」
 
 鶫は黒い瞳を潤ませ、縋るように手を伸ばす。風間はその手をしかと握った。
 
「おっさん、あんた何者なんだ? 俺の特別な何かなのか?」
「……さぁな。でもお前、気持ちいいならそう言ってくれねぇと分からねぇよ」
「気持ちいい?」
「胎ン中、熱いんだろ?」
「う、ん……熱い」
「それで?」
「な、んか、じんじんして……」
「それから?」
「奥が……ぁ、おく、が……っ」
「気持ちいいか」
「っ!? やだっ! おっさんとまれ! とまれって!」
「気持ちいいんじゃないのか」
「やだっ、いやっ、おれ変だ! おかしい! こんな、こんなの……あぁっ、いやだ、変になる!」
 
 枕でなく、鶫は風間にしがみついた。脚を腰に絡め、腕を背中に回し、爪を立ててしがみついた。
 
「ひっ、あぁ、いやだ! 変だおれ、おかし、おかしくなる、っ!」
「いいんだよ。セックスってのはそういうもんだろ」
「せ、くす? これが?」
「違うか?」
「そ、なの……? わかんね、けど……」
 
 鶫は、甘えるように風間の頬に唇をすり寄せる。温かく柔らかい唇が、風間の頬を甘く食んだ。
 
「……きもちー、かも。風間さん」
 
 甘く掠れた吐息まじりの囁き声。その破壊力たるや。風間は心臓を撃ち抜かれたように感じた。一発の弾丸が正確な弾道で心臓を貫く。
 
「ァあっ!? あっ、ァ、やだ、やっ、はげし、ゃ、つよいっ!」
「そのままイッちまえ」
「あ、ぁあ゛、いや、ぁ、いやぁ゛、……――っっ!!」
 
 ぎゅうう、と鶫は小さく縮こまる。風間にしがみついて、ビクビクと痙攣する。
 
「ぅあ、ぁ、でて、でてる、なか……」
「悪い」
「すげ、あつ……きもちー……」
 
 鶫は譫言のように呟くなり、白目を剥いてぶっ倒れ、電池が切れたように深い眠りについた。
 
 *
 
 鶫の体は風間の想像以上だった。男も女も然程変わらないらしい。
 男を手玉に取る小悪魔のような側面と、穢れを知らない乙女のような側面を併せ持つ鶫だが、体の具合から察するに男を知っているのは明白だった。しかも一人や二人ではない。何年もかけて何人をも相手にしている。この歳で、一体どこで仕込まれたのだろう。
 鶫の泣き腫らした寝顔を見ながら、風間は詮ないことを考えた。過去の詮索を始めたら、鶫はこの家を出ていくだろう。風間は直感的に分かっていた。
 
「……煙い」
 
 目を覚まして開口一番に、鶫は文句を垂れた。
 
「よう寝坊助」
「もう朝?」
「昼近いぞ」
「おっさん、どこで寝たんだ?」
「ソファ。おかげで早く起きちまった」
「ふは、おっさんは早起きだ」
「るせぇ。飯にするか?」
「ピザ」
「ピザは昨日食ったろ。ピザトーストにするか」
「えー……そんならサンドイッチがいい」
「へいへい。注文の多いガキだな」
「たまご多めにして」
「分かったから、さっさと顔洗えよ」
 
 二人の物語はまだ始まったばかりだが、これ以上深い仲になることはないだろう。何しろ、風間は鶫のことを何一つ知らない。鶫もまた、風間のことを何一つ知らない。そして、お互いに知らないままでいいと思っている。
 
「おっさーん、このタオルそろそろ臭いぜ」
「適当に替えといてくれ」
「この青いのでいいの?」
「何でもいいよ」
 
 知らなくていいことを知る必要はない。風間はそう思っている。少なくとも、今の時点では。
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