山の子ども

小貝川リン子

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3 大学編

5 晩夏‐③ ※

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 浴場は最上階にある。さほど遅い時間ではないけど、あまり混んでいなかった。プールみたいに広い大浴場で、洗い場がずらーっと並んでいる。ホテルでしか見たことのない馬油シャンプーで髪を洗い、同じく馬油のボディソープで体を洗って、さっさと浴槽へ飛び込んだ。瑞季は俺より先に浴槽に浸かっている。
 
「どう。気持ちい?」
「うん……ちょっと熱い」
 
 三角座りで肩まで浸かっているからだ。全身真っ赤だ。
 
「すぐのぼせちゃうぞ。ここ段々になってるからさ、座りなよ」
 
 普通の風呂以外に、寝そべって温泉に浸かれる寝湯やジャグジーもある。特にジャグジーは初めてだったみたいで、瑞季は大いにはしゃいでいた。空気が出てくる穴を手で塞ぐ感覚がくすぐったくておもしろいらしく、飽きずにしばらく触っていた。
 
 途中、二人きりになる度に浴槽内を泳いだ。バシャバシャと水飛沫を上げたり潜ったりしても誰にも怒られない。サウナと水風呂の往復もした。のぼせてきたら一旦風呂から上がり、脱衣所で水を飲んで休憩した。
 
 露天風呂は檜風呂だった。高原の風は涼しく、火照った体にちょうどいい。屋上なので眺めもよく、屋根がないから開放的だ。満天の星を眺めてゆったり温泉に浸かることができる。その上今夜は月も綺麗だ。
 
「でも、満月じゃないよな。右側がちょっと欠けてる」
「寝待月……更待月かな」
「何それ」
「月の名前だよ」
 
 瑞季はおもむろに浴槽の縁に腰掛ける。濡れた体が月明かりに照らされて青く光る。青よりもっと深い瑠璃色。本当に光っているのか、光って見えるだけなのかわからない。目を奪われるほど美しい。こんなにも美しいものがこの世に存在するなんて、俺は今まで知らなかった。
 
「十六夜のことをいざよいって言ったりするだろう。それと同じだ」
「今日のは何日目の月?」
「十九か二十日」
「ふぅん。詳しいね」
「普通だよ。お前にだってわかるはずだ」
 
 空を仰ぎ見ても、何もわからない。高原の澄んだ空気の中、都会みたいにネオンサインの邪魔も入らず、星々の瞬きがさやかに見えるだけ。
 
「……なぁ、お前と温泉来たのって、今日が初めてだよな?」
 
 不意にそんな疑問が浮かんだ。わざわざ訊くまでもない。今日が初めてだ。一緒に風呂に入るのだって初めてだというのに。
 
「なんか、前にもこういうことがあったような気がする」
「まさかぁ」
 
 瑞季は不思議そうに首を傾げて笑う。寒くなったのか、ざぶりと肩まで湯に浸かる。
 
「お前とは今日が初めてだぞ」
「そう……だよな。おかしいな、俺。さっきまで何ともなかったのに、外に出たら急にそんな気分になったんだ」
 
 右側が欠けているけれど十分大きく輝くこの月を、いつかどこかの水辺で瑞季と共に見たのだ。月光に濡れた白い肌も星屑が散らばる銀髪も、以前確かに目にしたことがある。だけど記憶はおぼろげで、いくら思い返そうとしても一向に何も思い出されないくらい、遥か昔のことという気がする。
 
「子供の頃の記憶とごっちゃになってるんだろう」
「でも、こんなことあったっけ? ごめん、あんま覚えてないんだ」
「最後の夜に森の泉で泳いだろう。あの晩もこんな月だった。景色もここと少し似てる」
「そうだっけ? 確かに月は綺麗だったと思うけど……そういや、お前の目の色と同じだなって思ったんだよな」
 
 瑞季の目は今も昔も変わらない。月の光をそのまま宿した、白銀色のつぶらな瞳。
 
「昔のことってどうして忘れちまうんだろう。お前のことだって、俺はずっと忘れたまま生きてきたんだ」
「幼い頃の、それもほんの数日遊んだ相手のことなんか忘れて当然だ」
「でもお前はちゃんと覚えてるじゃん。俺、記憶力悪いのかなぁ。もう二度と忘れたくないよ。お前のことも、今日のこともさ」
 
 まただ。瑞季を失う想像をして胸が切なくなる。背後からそっと抱きしめた。こうしてみるとよくわかる、細くて薄い瑞季の体。
 
「どうした」
「ちょっとこうしてたいだけ」
「甘えてるのか」
「そうかも。ふふ、瑞季はあったかいな」
「温泉入ってるんだから当たり前だ」
「あとなんか……なんかいい匂いがする」
 
 普段は隠れているうなじに直接鼻を当てて匂いを嗅ぐ。同じシャンプーを使ったはずなのに、なぜか甘い匂いが香る。食べちゃいたくなるような匂いだ。
 
「……棒が当たってる」
「ご、ごめ……いやでも不可抗力でしょ」
「自分から抱きついてきたくせに」
「そうだけど! お前だってこうされて嬉しいくせに」
 
 からかい半分で言ったのに、瑞季は意外にも恥ずかしそうにうつむく。そんな反応をされたら当然食指が動く。
 
「あっ、ちょ」
 
 自然と、瑞季の胸の飾りを探っていた。寒くはないはずだけど、鳥肌みたいに粒立っている。指先で摘まみ、飴玉のようにくりくり転がす。
 
「っ……なんだよ、きゅうに」
「これも不可抗力」
「そんな……ぁん」
 
 こんなとこでこんなこと、だめだってわかってる。ここは温泉ホテルの露天風呂で、確かに今は二人きりだけどいつ誰がそこの扉を開けるかも知れないっていうのに、呑気に乳繰り合っている場合じゃない。
 
「しゅ、やめ……誰かに見られたら……」
 
 でもスリルがあると燃えるっていうか、普通にするより興奮してきてしまうっていうのもまた事実。それはきっと瑞季も同じはずだ。やめろと口では言うものの、俺の手から逃れようとはしない。それどころかむしろ積極的だ。兆し始めた俺のあれを自ら握る。
 
「あっ、何して」
「こういうつもりなんだろ」
「そう、だけど……そんなにされたら……」
 
 顎に手を添え、舌を絡めて口づけた。体勢を変え、向かい合わせでキスをする。挿れてはいないけど、対面座位のような姿勢だ。瑞季も夢中で舌を出す。吸って絡めて縺れ合わせて、もう後戻りできないくらい気分が高揚してくる。
 
 瑞季のと自分のをまとめて扱く。湯面がちゃぷちゃぷ揺れる。映り込んだ月影もゆらゆら揺れる。温泉の流れ出る音が響く。川のせせらぎのように爽やかな音なのに、その音を聞いているとなぜかますます興奮し、竿を抜く手はどんどん激しくなった。
 
「あっ、や、まって」
「なんで」
「だ、って……っちゃう……」
「出せばいいじゃん」
「だめだっ、こんなとこで……」
「我慢すんなよ」
「だ、だめ、だめ……っ、だめだって!」
 
 瑞季は勢いよく立ち上がる。湯に浸かっていた胴体の下半分だけがくっきり赤く染まっている。はあはあと激しく喘ぎ、額にはじっとりと汗を掻いている。
 
「も……だめって、いって……」
「なんでだよぉ。お前だって乗り気だったくせに」
 
 乳首だってびんびんに勃たせてるくせに、と指摘すると、瑞季はさっと胸を隠した。
 
「と、とにかくだめ……続きは部屋帰ってからにして……」
「だめぇ? せっかくこんなにかわいいのに」
 
 食い下がって再度手を延ばそうとしたちょうどその時、大きな音を立てて入口の扉が開いた。
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