そして家族になる

小貝川リン子

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第二章 かけがえない家族

ふるさと②

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 灼けたアスファルトと草いきれに蒸されながら、土手の上を歩いた。千紘はネコジャラシを数本手折って、ぶんぶん振り回して歩いた。「フンフフフーン」と最近見た映画の主題歌を口ずさみ、歌に合わせて足を運ぶ。
 
 夕立に降られ、駄菓子屋へ駆け込んだ。濡れたアスファルトから立ち上る雨の匂いを嗅ぎながら、ソーダ味のアイスキャンディを食べた。
 
 バーが二本ついていて、半分に分けて食べられるようになっていたが、失敗して均等に割れなかった。千紘は、当然大きい方にかぶり付いたが、ちょうどいいところで齧るのをやめ、残りを俺に渡した。
 
「はい! これでちょうど半分こだろ!」
「別に全部食ってもよかったんだぞ」
「いーの! 分けて食うんがうめーんだもん!」
 
 そう言って千紘は笑い、割り損なって小さくなった方のバーをしゃぶった。
 
 小雨になり、水溜まりを跳ねさせてバス停まで走った。オレンジ色のバスがやってきて、飛び乗った。知らない町の知らないバスの車窓から見える雨上がりの涼しい空に、大きな虹が架かっていた。千紘が先に見つけて、教えてくれた。
 
「どうして虹は七色なんだァ?」
「一言で説明するのは難しいな」
「誤魔化しやがってェ。アンタも知んねーんだろ!」
「光は分解すると七色になるんだ。普段見えてる光の色は、虹を全部混ぜた色ってこと」
「はいウソー! いろんな絵具混ぜたら黒くなったもん。光は白っぽいだろ」
「色の三原色と光の三原色は違うんだよ」
「はァ……? サンゲ……」
「今度詳しく説明してやる」
 
 河口付近の砂浜で、海水浴気分を味わった。お盆過ぎの浜辺は人気がなく、犬の散歩をする地元の人が通りかかる程度で、ほとんど独占状態だった。寄せては返す波は穏やかで、清く澄んでいた。
 
「ズボン濡らすなよ」
「わーってるよォ」
 
 千紘はサンダルを脱ぎ、波打ち際を駆けずり回った。寄せる波に追われ、逃げる波を追いかけて。砂に足を取られて蹴躓き、すんでのところで尻餅をつく。
 
「……ッぶね~~。ケツびしゃびしゃンなるとこだったぜ」
 
 尻餅の拍子に何か掴んだのか、千紘は砂から何かを拾い上げた。余程おもしろいものを拾ったと見え、波との鬼ごっこは打ち切って、他にも何か落ちていないかと砂浜を探し回った。日が翳ってくると、潮風は一層優しく吹いた。
 
 *
 
 海に程近い、鄙びた宿を借りた。夕食は海の幸が多く、千紘は拙いながらも箸を使い、刺身を醤油につけて食べた。わさびは使わなかった。
 
 風呂は共用の大浴場だった。脱衣所で千紘がズボンを脱ぐと、パラパラと砂が落ちた。それから、砂よりももっと質量のあるものが落ちる音がした。
 
「やべっ」
 
 二本のハサミを振りかざしてひょこひょこと横歩きをする小さい生き物。カニだ。
 
「おまっ、なんつーもんを捕まえて……!?」
 
 どうやら穴が空いたらしい千紘のポケットからは、他にもぽろぽろと零れ落ちる。貝殻やビーチグラスや木の実やらビールの王冠やら、どう見てもゴミだろって感じのプラスチック片や釣り道具まで。
 
 突然ボランティア精神に目覚めたのか。ゴミ拾いは感心だが、何でもかんでもポケットに突っ込むやつがあるか。
 
「やべェ! カニが逃げる!」
「逃がしてやりゃあいいだろ!」
「ヤダ! 食うんだもん!」
 
 千紘は、部屋の隅に隠れたカニを素早く掬い取り、両手に包んだ。半裸でカニを捕まえて大喜びしている姿に、頭が痛くなる。
 
「へっへっへ、もー逃げらんねェかんな! カニ鍋にしてやんぜ!」
「お前……普段から拾い食いとかしてるんじゃないだろうな」
「してねーし! カニって高級なんだろ!? だからァ、自分で捕って食ったらすげーオトクだと思ってよ~。あ、鍋にしたらアンタにも食わせてやっから」
「いらねぇよ! 大体それはナニガニなんだよ。そんなに小っちゃくちゃ、食いでがねぇだろうが」
「ン~? じゃあ、持って帰って育てっか! 大人ンなってから食ってやんぜ!」
「バカ……」
 
 俺は窓を開け、カニを逃がすよう千紘に促した。
 
「ほら」
「……ヤダ!」
「んなもん食うなよ。腹壊すぞ」
「だってェ、カニ食ってみてェ……」
「今度ちゃんとしたの食わせてやるから。それは諦めろ」
 
 千紘は頬を膨らませて、狭い部屋をうろうろと歩き回ったが、結局カニを外へ放った。本来なら捕まえた砂浜で逃がすべきなのだろうが、ずっとポケットに入れておくわけにもいかない。
 
「じゃあな、オレのカニ鍋……」
「今度食わせてやるって言っただろ」
「ホントのホントか? 約束だかんな!」
 
 ポケットいっぱいに集めたゴミは捨てさせた。
 
 *
 
 浴衣に着替え、布団を敷く。普段、千紘は布団だが俺はベッドで寝ているので、枕を並べるのは初めてだった。
 
「もっとくっつけよーぜ」
 
 千紘は、二組の布団を隙間なく並べて寝転んだ。
 
「わはは、知らねーとこ来たみてェ」
「実際知らねぇとこだろ」
「颯希も寝よーぜ」
 
 電気を消し、横になった。波の音がすぐ近くに聞こえる。この辺りの子供は海を子守唄にして眠りにつくのだろう。
 
「な~」
 
 千紘が、頭をこちらに押し付けて甘える。撫でると、さらにぐいぐい押し付けてくる。
 
「なーなーなー」
「なんだよ」
「……今日さ、来てよかったと思って」
「奇遇だな。俺もだ」
「だからよ~……来年も、また来ような」
 
 肩に、千紘の頬の感触がある。温かくて柔らかい。
 
「……あちィ」
 
 自分から引っ付いてきたくせに、千紘は暑がって離れていった。
 
 
 星の瞬く夜空は、この田舎から俺達の住む都会まで、一続きに繋がっている。見える星の数に違いはあれど、見えないだけで確かにそこに存在する。そのことを俺は知っている。
 
 姉さん。あなたのいない春を迎え、あなたのいない夏が終わりますが、俺は元気にやっています。新しい家族が毎日騒がしくて、感傷に浸る暇もありません。俺がそっちへ行くのは、まだしばらく先になりそうだけど、それまでどうか待っていてください。
 
 ……なんて。久しぶりに感傷に浸ってしまった。千紘は、手足を布団からはみ出させていびきを掻いている。そっと布団を掛けてやって、俺も目を瞑った。
 
 久しぶりに夢を見た。昔の夢だ。家族全員が元気だった頃の、遠い昔の幸せな夢。母がスイカを切り分けてくれ、姉さんが俺に大きいのを譲ってくれたっけ。庭で花火をして、蚊取り線香を焚いて眠ったっけ。
 
 今年もスイカは食べたけれど、花火はここ何年もしていない。今度買ってきて、千紘と一緒に遊ぼうか。来年は、町の花火大会にでも連れていってやろうかな……
 
 
「ぎぃゃあァァアアアッ!!」
 
 千紘の絶叫で強制的に目が覚めた。窓の外は明るいが、まだ早朝と呼ぶべき時間だ。
 
「やべェッ! やべェよコレ、オレェ……サイっアクだっ、クソっ!!」
「なんっ……とりあえず落ち着け! どうした」
「ア、これ、これェ……」
 
 千紘は、浴衣を開けてパンツを下ろす。謎の液体がべったりとへばり付いていた。
 
「変なん出ちまったァ!!」
 
 夢精をしたのだろう。この慌てようだと、初めての射精だったに違いない。
 
「落ち着け。それは精液っつって、男なら誰でも――」
「わァってらい、んなことォ……! わーってっけど、なんかくせーしきたねーのがヤなの! 今まで全然出なかったからよ~、オレん体はそーいうもんなんかと思ってたのに、とうとう出ちまった! サイアクだぁ~~……」
「最悪ってお前……酷い言い草だな」
「だってよ~、こんなくっせーきったねーモンが体ん中溜まってるなんてよ~……」
「しょうがないだろ。そのうち慣れる。誰もが通る道だ」
 
 俺も思春期真っ只中の頃は、姉に知られるのが嫌で一生懸命パンツを手洗いしていたっけ。それでも、姉にはバレていたと思うけど。
 
「オイコラどこ行くんだよッ! オレを置いてどっか行くな!」
 
 部屋を出ていこうとすると、千紘がまたぎゃいぎゃい騒いだ。
 
「替えのパンツ、いるだろ。売ってるところがないか宿の人に聞いてくる。お前は布団汚してないか見とけ。パンツの汚れは拭いとけよ」
「あ……はぁ~い」
「よし、いい返事」
「早くな!」
 
 生意気でわがままで手のかかる子供だ。姉と二人きりの穏やかな暮らしや、自分一人だけの静かな暮らしを、懐かしく思わないことはない。
 
 けれど、俺はもはや、千紘のいない未来を想像することができなくなっていた。当たり前のように、千紘が隣にいてくれる未来を夢見ている。
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