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メガネ猿の惑星
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『猿の惑星』という映画をご存じだろうか。(以下ネタバレ注意)
実に興味深いお話である。惑星に行ってみたらそこは猿の惑星である。猿が主役を張っており、人間は悪役または脇役だったりする。しかし、猿のみんなが敵というわけでもなく、中には人間寄りの猿もいたりする。このように何かと何かが入れ替わっているという話は、想像を刺激する。もしも、地球も猿が主役だったらどうだろうかとか、人間も猿もあまり変わらないのだろうかとか。
あるいは、猿というボスをそのまま人間の世界に置き換えて考えてみることもできる。猿(支配者)の言うことは不条理に思えるが、実際には現実の世界のあらゆる場所でそれ以上におかしなことが起こっているのではないか。偏った正義が押しつけられ、多くの自由が奪われている。
もしも猿の惑星があるのなら、うさぎの惑星だってある。犬の惑星、馬の惑星、トカゲの惑星、イルカの惑星、蛇の惑星、未知の生物の惑星、あらゆる惑星の存在が考えられる。人間の惑星があったとしても驚くには値しない。宇宙は広い。機会があれば自身の目で確かめてみるのもわるくないだろう。
『猿の惑星』の魅力はタイトルに「の」が含まれていることである。私は以前、「の」のつく言葉に憧れを抱き、「の」のつく言葉をひたすら集めていた時があった。
例えば、山の神、海のイルカ、うさぎの耳、夢の話、パン屋のパン、風の便り、鶏の唐揚げ、昔の女、蛙の子、本の表紙、傘の柄、電車の切符、朝の朝食、男のおじさん、明日のお前、普通の石、紙の本……。というようにきりがない。
カリオストロの城、魔女の宅急便、宅急便の魔女、午後の紅茶、紅茶の鬼、トナカイの角、クリスマスのごちそう。
世の中には「…」の「…」という言葉が無数にあり、その組み合わせは当然無限である。となりのトトロ、トトロの隣、と順序を逆にすると意味が変わるところも趣がある。中でも『風の谷のナウシカ』などは、「の」が2つ入っているのでパワーアップする。コツコツと「の」のつく言葉を集めていたが、いつの間にか興味が醒めてしまった。あまり意味がないということに気づいたのかもしれない。
Amazonのプライムに入ると多くのムービーを見ることができる。星の数ほどあるムービーが見放題になるので入らなければ損である。しかし、いくら見放題とは言え星の数ほどあるムービーを見尽くそうとすると、人間の一生の時間の短さの確認につながるので、入るのは損である。とは言うものの、気が向いた時にいつでもムービーを見ることができるのは魅力的で、やはり入って損はない。
いったいどっちなのか? 答えは、ない。損得というのは気まぐれな感情のようなもので、結局のところ人のそれぞれの判断の話のようだ。
『猿の惑星』の中で印象に残るのは、主人公が禁じられた境界を越えて進もうとするシーンだ。生き物には好奇心がある。封じ込められ抑圧されるほどに、そこから飛び出そうとする力も強くなるものだ。自分がずっと探し続けているものは案外近くに存在するが、それを見つけるためには一度すべてを見失うほどに遠回りしなければならない。
メガネを自分の額につけながらメガネを探索することは、人間の宿命なのだろうか。
猿の落書きが一段落した頃、私はペンシルのキャップの行方が気になっていた。ついつい後回しにして、充電したあとペン先に戻すことを忘れていた。非常に小さいものなので、変なところに紛れ込んだら厄介だ。最悪ゴミと間違えて捨ててしまう恐れもある。嫌な予感がしたあと、左手が何かを握っていることに気がついた。結ばれた手を開くとそこにペンシルのキャップがあった。
「ここだったのか!」
これと同じようなシーンを、昔何かの映画で見たことがあるような気がした。私はキャップを持ったまま右手で絵を描き続けていたのだ。
実に興味深いお話である。惑星に行ってみたらそこは猿の惑星である。猿が主役を張っており、人間は悪役または脇役だったりする。しかし、猿のみんなが敵というわけでもなく、中には人間寄りの猿もいたりする。このように何かと何かが入れ替わっているという話は、想像を刺激する。もしも、地球も猿が主役だったらどうだろうかとか、人間も猿もあまり変わらないのだろうかとか。
あるいは、猿というボスをそのまま人間の世界に置き換えて考えてみることもできる。猿(支配者)の言うことは不条理に思えるが、実際には現実の世界のあらゆる場所でそれ以上におかしなことが起こっているのではないか。偏った正義が押しつけられ、多くの自由が奪われている。
もしも猿の惑星があるのなら、うさぎの惑星だってある。犬の惑星、馬の惑星、トカゲの惑星、イルカの惑星、蛇の惑星、未知の生物の惑星、あらゆる惑星の存在が考えられる。人間の惑星があったとしても驚くには値しない。宇宙は広い。機会があれば自身の目で確かめてみるのもわるくないだろう。
『猿の惑星』の魅力はタイトルに「の」が含まれていることである。私は以前、「の」のつく言葉に憧れを抱き、「の」のつく言葉をひたすら集めていた時があった。
例えば、山の神、海のイルカ、うさぎの耳、夢の話、パン屋のパン、風の便り、鶏の唐揚げ、昔の女、蛙の子、本の表紙、傘の柄、電車の切符、朝の朝食、男のおじさん、明日のお前、普通の石、紙の本……。というようにきりがない。
カリオストロの城、魔女の宅急便、宅急便の魔女、午後の紅茶、紅茶の鬼、トナカイの角、クリスマスのごちそう。
世の中には「…」の「…」という言葉が無数にあり、その組み合わせは当然無限である。となりのトトロ、トトロの隣、と順序を逆にすると意味が変わるところも趣がある。中でも『風の谷のナウシカ』などは、「の」が2つ入っているのでパワーアップする。コツコツと「の」のつく言葉を集めていたが、いつの間にか興味が醒めてしまった。あまり意味がないということに気づいたのかもしれない。
Amazonのプライムに入ると多くのムービーを見ることができる。星の数ほどあるムービーが見放題になるので入らなければ損である。しかし、いくら見放題とは言え星の数ほどあるムービーを見尽くそうとすると、人間の一生の時間の短さの確認につながるので、入るのは損である。とは言うものの、気が向いた時にいつでもムービーを見ることができるのは魅力的で、やはり入って損はない。
いったいどっちなのか? 答えは、ない。損得というのは気まぐれな感情のようなもので、結局のところ人のそれぞれの判断の話のようだ。
『猿の惑星』の中で印象に残るのは、主人公が禁じられた境界を越えて進もうとするシーンだ。生き物には好奇心がある。封じ込められ抑圧されるほどに、そこから飛び出そうとする力も強くなるものだ。自分がずっと探し続けているものは案外近くに存在するが、それを見つけるためには一度すべてを見失うほどに遠回りしなければならない。
メガネを自分の額につけながらメガネを探索することは、人間の宿命なのだろうか。
猿の落書きが一段落した頃、私はペンシルのキャップの行方が気になっていた。ついつい後回しにして、充電したあとペン先に戻すことを忘れていた。非常に小さいものなので、変なところに紛れ込んだら厄介だ。最悪ゴミと間違えて捨ててしまう恐れもある。嫌な予感がしたあと、左手が何かを握っていることに気がついた。結ばれた手を開くとそこにペンシルのキャップがあった。
「ここだったのか!」
これと同じようなシーンを、昔何かの映画で見たことがあるような気がした。私はキャップを持ったまま右手で絵を描き続けていたのだ。
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