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第五章 戦禍
第三節 蒼月流転
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「伏せろ!」
「!?」
聞き覚えのある声に、反射的に身を屈めた。蒼い軌跡が閃いたかと思うと、敵兵がばたばたと倒れていく。道を切り拓いたのは、セレスタンだった。
「怪我はないかい?」
「セレス様!?」
なぜこんな所にと、思わず惚けた声が出た。しかし問いには答えずに、セレスタンは続ける。
「リュヌ、だったかな。久し振りだね」
面と向かって彼と会話するのは、エーレルを焼き出されてミュスカデルに到着した日以来だ。名前を憶えてもらっていたことは意外だが、それ以前にあの夜の無礼を思い出して、リュヌは決まり悪げに俯いた。
「すみません、あの時は僕……」
「いいんだ。それより、私達に力を貸してくれたこと、礼を言わせてもらうよ」
さてと辺りを見渡して、セレスタンは逡巡した。
市内を徘徊するスプリング兵は時間の経過と共に着々とその数を増やしており、それは即ち、イヴェールの勢力が――無事であるにせよ、ないにせよ――この市街地から離脱しつつあることを意味している。実は、と整った顔をしかめて、セレスタンは言った。
「陛下と姫様を助けに来たんだけど、火の回りが早くてね。通路の一部が通れなくなっていた。だから裏口を使おうと思って来たんだが……君も私も、取り残されてしまったようだ」
道の四方からぞろぞろと集まりくる敵兵を見るに、イヴェール側の脱出口となっていたポイントも敵に抑えられたのだろう。そうなると、脱出の方法は極めて限られてくる。
「……仕方ない。守り切れるか分らないけど、ついてきなさい」
「え? は、はいっ」
踵を返すセレスタンに続いて、リュヌは駆け出した。追撃の指示を受けた敵兵達もまた動き出すが、こと建物の中となれば地の利はこちらにある。
「一体どうするんですか?」
「玉座の間まで行けば、王族専用の脱出口がある。そこから脱出するつもりで動こう」
ご無事でおられるといいがと、セレスタンは表情を曇らせた。エルネストは救助隊を先行させたと言っていたが、その姿はまだ見えない。
螺旋階段を駆け上がり、割れた窓硝子の破片を蹴散らして、長い廊下を駆け抜ける。そして玉座の間へと続くホールに辿り着き、息を呑んだ。
「これは……」
広いホールのあちこちに折り重なるように、兵士達が倒れていた。それは皇国軍の兵でもあり、またスプリングの兵でもある。王族の救助に向かった部隊と、スプリングの部隊とがここで交戦したのだ。ならば上階は今、どうなっているというのか?
「急ごう、リュヌ」
掛かる声に頷いて、リュヌは再び走り出す。一歩踏み出すごとに得体の知れない不安が膨らんだが、後戻りはできないのだ。
転がる躯を乗り越えながら、最後の階段を駆け上がる。すると半分も登り切らぬ内に、絹を裂くような悲鳴が渡った。
「姫様……!?」
「あっ、セレス様!」
置いて行かれたくない一心で、リュヌは騎士の背を追い掛ける。しかし階段を登り切ったその先には、惨憺たる光景が広がっていた。
◇
「ふん……手応えのない連中だな」
力なく崩れた兵士の胸倉を掴んで部屋の端へ放り捨て、男はぎらつく双眸を玉座へと向けた。玉座の間には皇王の警護を専門とする親衛隊も控えていたが、多対一の不利を以てしても、男の強さは他を圧倒していた。皇女ベアトリスは一人、壁際に追い詰められ、それを庇うように膝をついた皇王ファブリスの身体の横には、切り離された首が転がっている。
「お……お父様……」
許容量をゆうに上回る恐怖と衝撃で、ベアトリスは壁を背にへなへなとへたり込んだ。ほんの数十時間の前までそこにあった平穏が、今は彼方だ。
茫然として涙を流すだけの娘に、グレンは歪な笑みを向ける。
「何を泣くことがある? すぐに貴様も同じ場所へ送って……!」
鋭い殺気が、甲冑の背に突き刺さった。瞬時に身体を反転して、首を狙った一閃を大剣の腹で受け止める。そして男は、にやりと口元を歪めた。
「セレスタン=ブリュイエールか」
感情の限界を超えた憤怒が、セレスタンから全ての言葉を奪っていた。普段は柔和な印象が強いだけに、底冷えのするような眼差しが恐ろしく、リュヌは背中を震わせる。
「名を名乗れ。それとも、スプリングには果し合いの礼もないか?」
「――グレン=バーンハード」
ギン、と重い金属音を伴って、両者が間合いを取り直し、そして再び肉薄する。
火花の飛び散る攻防は、目で追うだけで精一杯だった。相対する二人の剣技は常人の域を超えており、素人に毛が生えたようなリュヌの剣では、助太刀をするにも能わない。
(でも……)
戦う力こそ及ばないが、戦況の優劣を見る目は多少、この二週間で養ったつもりだ。その感触に基づいて言うのであれば、一対一の攻防で押されているのはセレスタンの方だった。
ルクシス解放の反動と二度に及ぶ出撃の疲労が彼から本来の力を奪っているのか、それとも敵将の強さが桁違いであるのかは判断がつかないが、セレスタンの劣勢は明白であり、当事者達もまたそれを自覚しているようだった。
「大したことはないな――貴様も、その鈍らも!」
「っ!?」
一際重く低い剣戟が鳴り渡り、ルクシスが宙を舞った。セレスタンは咄嗟に予備の長剣を抜いたが、分厚い大剣を相手に長くは持たないだろう。
(ルクシスは?)
さっと辺りを見渡すと、弧を描いて落ちたルクシスが床に突き刺さっていた。誰にでも使えるものでないと前に誰かが言っていたが、万が一にもこの剣が敵の手に渡れば、事態はさらに悪化する。
回収しなければ――そう判断して、リュヌは力いっぱい床を蹴った。
「!」
「リュヌ!?」
行動を起こしたことで、敵の殺気がこちらへ向くのが分かった。しかしもう、後には引けない。全速力で走り込んで、剣の柄を握り締めた――瞬間。
「!?」
その現象をなんと表現したものか、リュヌには分からない。
身体に光の羽根が生えたような、奇妙な浮遊感。何千、何万、何億という歳月が恐ろしい速さで巻き戻されて行き、次いで自分の物ではない記憶が滔々と流れ込んでくる。
(始めに虚無があり、神が在った)
いつか誰かに読んでもらった、本の既述が胸に過る。
かつて、世界は広大な虚無であった。
その果ての無い漆黒の中にたった一人、神と呼ばれた存在【もの】が在った。
神は二振りの剣を持って、虚無を四つに切り裂いた。
虚無の欠片は海となり、空となり、大地となり、そして星となった。
神は新たな世界へ生まれ落ちた人間達に、剣を授けた――。
(それがルクシス? それにもう一振りの……!)
引き抜いた瞬間、『聖剣』は少年の手の中で輝きを放った。それは局所的な閃光に過ぎなかったが、敵の目を眩ませるには十分な輝度だった。
「ぐっ!?」
グレンが呻き、左手で両目を覆った。生まれた隙にセレスタンは戦線を離脱し、リュヌの元へ駆け寄るとその手からルクシスを引き取った。
「ありがとうリュヌ、助かった」
「え? あ、ええ」
行くよと腕を引かれて、玉座へ続く段差を一段飛ばしに駆け上がる。セレスタンは剣を収め、恐怖の余り気を失ったベアトリスを抱きかかえると、玉座の裏側へ回り込む。しかし玉座の背面に開いた隠し通路の先は、既に炎に包まれていた。
「ここも駄目か……それなら、こっちだ」
おいでと促して、セレスタンは玉座の間から更に上へと登る階段を示した。そしてリュヌを先に行かせると、眩惑された男に向けて力強く言い放つ。
「グレン=バーンハード。貴様の行いは、いつか我らイヴェールの民が裁く………覚えておくがいい」
待て、と唸るような声が聞こえた気がした。絶対に待つものかと拳を握り締めて、リュヌはひたすらに階上をめざす。そして行き着いた扉の先には、空が広がっていた。
「セレス様」
ここからどうやってと、尋ねようとして理解した。月を掲げた星天の下、燃えるミュスカデル王城の背面には、滔々たる大河が流れている。
「他のみんなはこの川の下流、グルナードに向かっている。私達も、そこに合流しよう」
「でも……」
遥かな川面を見下ろして、躊躇うように紡いだ。すると皇女の身体を右腕に支えながら、セレスタンはもう片方の手で少年の掌を握り締める。
「大丈夫。姫様も君も、決して死なせはしない――信じてくれるね?」
見詰める瞳はまっすぐで曇りなく、リュヌはただ、頷くしかなかった。行くよ、と告げる声とその手に連れられて飛び出せば、星空と川面が反転する。
激しい水音と、気泡の昇る音が続いた。そして、何も聞こえなくなった。
「!?」
聞き覚えのある声に、反射的に身を屈めた。蒼い軌跡が閃いたかと思うと、敵兵がばたばたと倒れていく。道を切り拓いたのは、セレスタンだった。
「怪我はないかい?」
「セレス様!?」
なぜこんな所にと、思わず惚けた声が出た。しかし問いには答えずに、セレスタンは続ける。
「リュヌ、だったかな。久し振りだね」
面と向かって彼と会話するのは、エーレルを焼き出されてミュスカデルに到着した日以来だ。名前を憶えてもらっていたことは意外だが、それ以前にあの夜の無礼を思い出して、リュヌは決まり悪げに俯いた。
「すみません、あの時は僕……」
「いいんだ。それより、私達に力を貸してくれたこと、礼を言わせてもらうよ」
さてと辺りを見渡して、セレスタンは逡巡した。
市内を徘徊するスプリング兵は時間の経過と共に着々とその数を増やしており、それは即ち、イヴェールの勢力が――無事であるにせよ、ないにせよ――この市街地から離脱しつつあることを意味している。実は、と整った顔をしかめて、セレスタンは言った。
「陛下と姫様を助けに来たんだけど、火の回りが早くてね。通路の一部が通れなくなっていた。だから裏口を使おうと思って来たんだが……君も私も、取り残されてしまったようだ」
道の四方からぞろぞろと集まりくる敵兵を見るに、イヴェール側の脱出口となっていたポイントも敵に抑えられたのだろう。そうなると、脱出の方法は極めて限られてくる。
「……仕方ない。守り切れるか分らないけど、ついてきなさい」
「え? は、はいっ」
踵を返すセレスタンに続いて、リュヌは駆け出した。追撃の指示を受けた敵兵達もまた動き出すが、こと建物の中となれば地の利はこちらにある。
「一体どうするんですか?」
「玉座の間まで行けば、王族専用の脱出口がある。そこから脱出するつもりで動こう」
ご無事でおられるといいがと、セレスタンは表情を曇らせた。エルネストは救助隊を先行させたと言っていたが、その姿はまだ見えない。
螺旋階段を駆け上がり、割れた窓硝子の破片を蹴散らして、長い廊下を駆け抜ける。そして玉座の間へと続くホールに辿り着き、息を呑んだ。
「これは……」
広いホールのあちこちに折り重なるように、兵士達が倒れていた。それは皇国軍の兵でもあり、またスプリングの兵でもある。王族の救助に向かった部隊と、スプリングの部隊とがここで交戦したのだ。ならば上階は今、どうなっているというのか?
「急ごう、リュヌ」
掛かる声に頷いて、リュヌは再び走り出す。一歩踏み出すごとに得体の知れない不安が膨らんだが、後戻りはできないのだ。
転がる躯を乗り越えながら、最後の階段を駆け上がる。すると半分も登り切らぬ内に、絹を裂くような悲鳴が渡った。
「姫様……!?」
「あっ、セレス様!」
置いて行かれたくない一心で、リュヌは騎士の背を追い掛ける。しかし階段を登り切ったその先には、惨憺たる光景が広がっていた。
◇
「ふん……手応えのない連中だな」
力なく崩れた兵士の胸倉を掴んで部屋の端へ放り捨て、男はぎらつく双眸を玉座へと向けた。玉座の間には皇王の警護を専門とする親衛隊も控えていたが、多対一の不利を以てしても、男の強さは他を圧倒していた。皇女ベアトリスは一人、壁際に追い詰められ、それを庇うように膝をついた皇王ファブリスの身体の横には、切り離された首が転がっている。
「お……お父様……」
許容量をゆうに上回る恐怖と衝撃で、ベアトリスは壁を背にへなへなとへたり込んだ。ほんの数十時間の前までそこにあった平穏が、今は彼方だ。
茫然として涙を流すだけの娘に、グレンは歪な笑みを向ける。
「何を泣くことがある? すぐに貴様も同じ場所へ送って……!」
鋭い殺気が、甲冑の背に突き刺さった。瞬時に身体を反転して、首を狙った一閃を大剣の腹で受け止める。そして男は、にやりと口元を歪めた。
「セレスタン=ブリュイエールか」
感情の限界を超えた憤怒が、セレスタンから全ての言葉を奪っていた。普段は柔和な印象が強いだけに、底冷えのするような眼差しが恐ろしく、リュヌは背中を震わせる。
「名を名乗れ。それとも、スプリングには果し合いの礼もないか?」
「――グレン=バーンハード」
ギン、と重い金属音を伴って、両者が間合いを取り直し、そして再び肉薄する。
火花の飛び散る攻防は、目で追うだけで精一杯だった。相対する二人の剣技は常人の域を超えており、素人に毛が生えたようなリュヌの剣では、助太刀をするにも能わない。
(でも……)
戦う力こそ及ばないが、戦況の優劣を見る目は多少、この二週間で養ったつもりだ。その感触に基づいて言うのであれば、一対一の攻防で押されているのはセレスタンの方だった。
ルクシス解放の反動と二度に及ぶ出撃の疲労が彼から本来の力を奪っているのか、それとも敵将の強さが桁違いであるのかは判断がつかないが、セレスタンの劣勢は明白であり、当事者達もまたそれを自覚しているようだった。
「大したことはないな――貴様も、その鈍らも!」
「っ!?」
一際重く低い剣戟が鳴り渡り、ルクシスが宙を舞った。セレスタンは咄嗟に予備の長剣を抜いたが、分厚い大剣を相手に長くは持たないだろう。
(ルクシスは?)
さっと辺りを見渡すと、弧を描いて落ちたルクシスが床に突き刺さっていた。誰にでも使えるものでないと前に誰かが言っていたが、万が一にもこの剣が敵の手に渡れば、事態はさらに悪化する。
回収しなければ――そう判断して、リュヌは力いっぱい床を蹴った。
「!」
「リュヌ!?」
行動を起こしたことで、敵の殺気がこちらへ向くのが分かった。しかしもう、後には引けない。全速力で走り込んで、剣の柄を握り締めた――瞬間。
「!?」
その現象をなんと表現したものか、リュヌには分からない。
身体に光の羽根が生えたような、奇妙な浮遊感。何千、何万、何億という歳月が恐ろしい速さで巻き戻されて行き、次いで自分の物ではない記憶が滔々と流れ込んでくる。
(始めに虚無があり、神が在った)
いつか誰かに読んでもらった、本の既述が胸に過る。
かつて、世界は広大な虚無であった。
その果ての無い漆黒の中にたった一人、神と呼ばれた存在【もの】が在った。
神は二振りの剣を持って、虚無を四つに切り裂いた。
虚無の欠片は海となり、空となり、大地となり、そして星となった。
神は新たな世界へ生まれ落ちた人間達に、剣を授けた――。
(それがルクシス? それにもう一振りの……!)
引き抜いた瞬間、『聖剣』は少年の手の中で輝きを放った。それは局所的な閃光に過ぎなかったが、敵の目を眩ませるには十分な輝度だった。
「ぐっ!?」
グレンが呻き、左手で両目を覆った。生まれた隙にセレスタンは戦線を離脱し、リュヌの元へ駆け寄るとその手からルクシスを引き取った。
「ありがとうリュヌ、助かった」
「え? あ、ええ」
行くよと腕を引かれて、玉座へ続く段差を一段飛ばしに駆け上がる。セレスタンは剣を収め、恐怖の余り気を失ったベアトリスを抱きかかえると、玉座の裏側へ回り込む。しかし玉座の背面に開いた隠し通路の先は、既に炎に包まれていた。
「ここも駄目か……それなら、こっちだ」
おいでと促して、セレスタンは玉座の間から更に上へと登る階段を示した。そしてリュヌを先に行かせると、眩惑された男に向けて力強く言い放つ。
「グレン=バーンハード。貴様の行いは、いつか我らイヴェールの民が裁く………覚えておくがいい」
待て、と唸るような声が聞こえた気がした。絶対に待つものかと拳を握り締めて、リュヌはひたすらに階上をめざす。そして行き着いた扉の先には、空が広がっていた。
「セレス様」
ここからどうやってと、尋ねようとして理解した。月を掲げた星天の下、燃えるミュスカデル王城の背面には、滔々たる大河が流れている。
「他のみんなはこの川の下流、グルナードに向かっている。私達も、そこに合流しよう」
「でも……」
遥かな川面を見下ろして、躊躇うように紡いだ。すると皇女の身体を右腕に支えながら、セレスタンはもう片方の手で少年の掌を握り締める。
「大丈夫。姫様も君も、決して死なせはしない――信じてくれるね?」
見詰める瞳はまっすぐで曇りなく、リュヌはただ、頷くしかなかった。行くよ、と告げる声とその手に連れられて飛び出せば、星空と川面が反転する。
激しい水音と、気泡の昇る音が続いた。そして、何も聞こえなくなった。
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