ラ・リュヌ・フロワード - 凍れる月の唄 -

浅海

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第四章 ミュスカデル防衛戦

第四節 勝利のあと

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 圧倒的な勝利に沸いた皇国軍の凱旋は、熱気に満ちていた。門の脇に立って帰還する兵の列を眺めていると、城壁へ続く階段をベルナールが駆け下りて来る。気付いたのは、コレットの方が早かった。
「ベル、大丈夫だった? さっきの矢……」
「うん。弓兵隊は一応、全員無事。それより……」
 おーいと、遠くから呼び掛ける声が聞こえた。見ればフォルテュナとジルが、並んで門内へ引き返してくる。ベルナールの頬がほっと緩み、リュヌも釣られて脱力した。どんな状況であれ、友人の無事というのは喜ばしいものだ。
 二人が城壁の中へ戻ると、ベルナールは小走りに駆け寄った。
「大丈夫? 怪我、しなかった……?」
「ああ、なんともねーよ。お前こそさっきの火矢、大丈夫だったか?」
 案ずる言葉に頷いて、少年は嬉しそうに微笑む。そんなやり取りを横目に見て、ジルがぼやいた。
「ずりーなぁフォルテュナばっか。俺もベルに心配されてーよ……お?」
 はたと目が合って逸らしたが、無駄だった。ジルは満面の笑みで走り寄ると、そのままリュヌとコレットの肩を抱く。
「よぉリュヌ、コレット! お前らは俺のこと心配してくれてたんだよな? な?」
「え」
「してません」
 言葉に詰まったコレットに代わって、リュヌはばっさりと言い切った。またまた照れちゃって、などと絡まれると、無事を喜ぶ気持ちが雲散霧消する。黙っていれば有能だろうにこの人はと、思えるのもまた皇国軍の勝利があってこそなのだろうけれど。
「おい、邪魔だ。往来でじゃれるな」
 絡んだ腕を外そうともがいていると、鋭い一声が突き刺さった。へーい、と不服げに応えて、ジルが――リュヌとコレットごと――建物の際へと下がると、文官らしい赤毛の男が冷然と通り抜けて行く。
「エルネスト殿、お待ち下さい!」
 続いて柔らかい声色が、後を追った。金髪に眼鏡を掛けたこれも文官風の青年が、赤毛の男を追って行く。どこかで聞いた名だと思い巡らせて、あ、とリュヌは声を上げた。
「『グンシ』の人?」
「ん? ああ、お前らは知らねーのか」
 入ったばっかりだもんなと、ジルはそう言ってようやく二人を解放した。
「赤毛の方が正軍師のエルネスト=シャセリオー。んで金髪の方が副官のフレデリック。平たく言うと、皇国軍の知恵袋だな」
「凄い人達なんですか?」
「さあ、あんま話したことねーから分かんねえけど」
 コレットの問いに、ジルは気のない返事を返した。確かに彼らと――あの赤毛の軍師の方は、特にだが――ジルとでは、話が合いそうにない。
 通り過ぎた二人の文官の後を視線で追うと、丁度、セレスタンが城門へ戻って来るのが見えた。
「すまない、エルネスト。温存するように言われていたのに」
「いえ……あの状況では、已むを得ません」
 お疲れ様でしたと、エルネストは騎士に一礼した。それに倣って頭を下げ、フレデリックが続ける。
「敵軍の印象は、いかがでしたか?」
「将が二人、後方に控えていたよ。片方は前に見たことがある。恐らく、総司令官のステュアート卿だろう。もう一人は多分女性だ。よく解らなかったけど、スプリング人じゃなかったと思う」
 厳しい表情でセレスタンは言い、青い瞳を巡らせた。戦場の光景を手繰り寄せているかのようだった。
「それと、前線の兵はちょっと妙だったね。訓練された兵士なら、あんな動きは取らない」
「やはりそう思われましたか……」
 険しい表情で応じて、エルネストは口元に手を添えた。大規模な会戦において前線が隊列を乱すことは、敵に付け入る隙を与えるに等しい行為だ。しかし士気ばかりが異様に高い敵兵達の頭には、統率という概念すらなかったように見えた。
「前線の兵が全滅した後は、後方の部隊も敵将とともに撤退していったよ。火矢も射尽くしたようだし、しばらくは攻めてこないと思うけど……」
 濁した語尾には、形容しがたい警戒感が滲んでいた。エルネストもそれを覚ったのか、険しい顔で頷く。
「敵将があっさりと退却したのも気掛かりです。取り急ぎ、戦場跡の調査を行います」
「ああ、頼むよ」
 手短に告げて、セレスタンは白馬の腹を打ち、兵舎の方へ戻って行く。その後姿は、常に悠然として振る舞う彼にしては幾らか疲れたような印象を受けた。
「さっきの光はやっぱり、セレス様が?」
「そうらしいな。俺もああやって使うところは初めて見た」
 近くにいたというジルの話によると、城壁の内部に向けて火矢が放たれた時、セレスタンは城下の人々に危害が及ぶことを懸念し、剣を掲げたらしい。するとその刀身からはたちまち青い光が立ち昇り、街を襲う火矢はおろか敵兵達そのものをも灼滅したのだという。
「そんなの、ほとんど魔法じゃないですか?」
「ほとんど、っつーか魔法だろ。だから軍団長は凄いんだ――誰にでも扱えるってモンでもないらしいしな」
 独り言のように発した声には、いつになく真摯な憧憬があった。一体いつからあの人は英雄で、そしてなぜ、あの剣を取ったのだろう。
 無性に興味を掻き立てられて、リュヌは道の先を見やる。けれど白馬に揺られる後姿はもう、建物の向こう側へ消えてしまった後だった。

 ◇

 エルネストらが護衛の兵士を伴って会戦の跡地に到着したのは、既に日も傾き始めた頃であった。街道に沿って累々と折り重なる死体は、その大半がスプリングの前線部隊のものだ。ルクシスの放つ光を真っ向から浴びた時点で、敵の前線はほぼ壊滅状態となり、わずかに残った兵士達も、白兵戦の中で倒れて行った。
「見たところ、特に変わった所はないようですね」
 馬上から一帯を見渡して、フレデリックが言った。ああと同意を示しつつも、エルネストは現状を訝しむ。
「敵は智計でコワンを落とした相手だ。あの突撃に、意味がなかったとは思えんが……」
 スプリングの歩兵隊は、真っ向からイヴェール軍に襲い掛かってきた。一人突出することをも恐れずにだ。一騎当千の強者達を選りすぐったのか、はたまた何らかの切り札を隠しているのか――あれこれ考察を繰り返したものの、実際に刃を交えてみればそれは、威勢がいいだけの雑兵に過ぎなかった。その事実が、思考に不気味な靄を掛けている。
 足元に転がった死体を避けようと手綱を引いてふと、微かな違和感を覚え、エルネストは馬を止めた。
「おい」
「はっ、何か」
「そこの死体の上着を剥げるか」
 只今、と応じて、護衛の兵士は死体の上に屈み込む。すぐ隣に馬をつけて、フレデリックが覗き込んだ。
「エルネスト殿、何を?」
「…………俺の考えが正しければ――」
 軍師殿、と兵士が呼んだ。上着を剥いだ死体の首元が露わになり、エルネストは眉をひそめる。
「そっちはどうだ?」
 数体の躯を改めたが、結果は同じだった。平野に転がった亡骸はそのどれもが、首に環状の刺青を施されていた。
「……どう見る、フレデリック」
「………………これ、は」
 応じるその頬は、蒼褪めていた。白兎のような紅い瞳に、明らかな動揺が揺れる。あの無謀な突撃が、策だったのではない――彼らこそが、策だったのだ。
「まだ、終わっていません」
 戦慄に声を詰まらせながらも、フレデリックはきっぱりと言った。だろうな、と吐き捨てて、エルネストは続ける。
「戻るぞ。次は、もっとまずいことになる」
 太陽が刻々とその傾きを増していく中、注ぐ陽射しはいつの間にか、淡い茜を帯びていた。迫りくる本当の危機を知らず、皇都は未だ勝利の余韻の中にある。
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