ラ・リュヌ・フロワード - 凍れる月の唄 -

浅海

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第四章 ミュスカデル防衛戦

第三節 白き聖剣

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 壁の内側から見上げる空は、皮肉なほどに青かった。
「始まったみたいね……」
 設営した天幕の傍らで、コレットが不安げに呟く。城壁の向こうではもう、イヴェールとスプリングの両軍が交戦しているのだろう。風に運ばれた怒号と剣戟が、嫌でも耳に入ってくる。
「ベルは城壁の上?」
「うん。フォルテュナはやっぱり、外みたい」
 そっかと応じて、コレットは淡い睫毛を伏せた。
 上官や友人が戦いに身を投じているというのに、新兵にも満たない自分達は塀の内側で待つことしかできない。仕方のないことと理解はしていても、胸を締め付ける心苦しさは如何ともし難く、リュヌはやきもきとその場を行ったり来たりする。
 しかし、塀の向こうの喧騒は遥かだった。
「少しお座りになってはいかがですか?」
 所在なくうろうろとし続ける姿を見兼ねてか、ミレーヌが声を掛けてきた。他の医療班員が皆、一様に緊張の面持ちで治療の準備に当たっているのに比べると、その表情はいくらか穏やかに見える。
 すみませんと一言詫びて、リュヌは続けた。
「でも、そう言われても落ち着かなくて。じたばたしても仕方ないのは、分かってるんですけど……」
「お気持ちはよく分かりますよ。私達も、皆さんのお帰りを待つことしかできない人間ですから」
 そう言って、ミレーヌは忙しなく動き回る同僚達に目を配った。
 ひとたび戦いが始まれば、何もかも無傷で終われるはずはない。傷を負って帰って来る兵士達を待つ医療班の人々は、この心苦しさにも慣れてしまっているのかもしれない。
 しかしその点を考慮しても、女医は落ち着き払っていた。それが妙に気になって、リュヌは尋ねる。
「ミレーヌさんは、怖くないんですか?」
「もちろん、怖いですよ。戦いも、皆さんが傷ついて戻られることも……怖くて、逃げ出したくなることだって、なかったと言えば嘘になります」
 そう言って、女医は苦笑した。
「でも私達には、信じてお待ちすることしかできませんから」
 菫色の瞳は白亜の城壁を透かして、その向こう側を見詰めている。セレス様が、と名を呼ぶ声は、仄かな熱を帯びていた。
「セレス様が私達のために戦って下さるなら、私は――」
 ヒュン、と、風を切る音が聞こえた。
 見上げればそれは光を伴って、城壁を越え飛び込んでくる。
「危ない!」
 コレットが叫ぶのと、リュヌがミレーヌを突き飛ばしたのは同時だった。そのまま二人、石畳の上に転がって、壁際に身を寄せる。
「大丈夫ですか、ミレーヌさん……!!」
 城壁を背に空を仰ぎ、少年は瞠目した。それは真昼の蛍が如く、無数の火矢がミュスカデルに降り注いでいるのだ。
「また火攻めにする気だ……!」
「ダメよ! 壁から離れちゃダメ!」
 飛び出そうとする少年を、コレットの声が制した。矢は依然として降り続けており、城壁の陰を飛び出せば、背中を射抜かれてもおかしくない。
「でも……!」
 戒厳令が敷かれたミュスカデル市内では、市民達が民家に篭っている。石造の家は矢こそ防ぐが、炎が回れば巨大なかまどと化すだろう。
 とにかく火の回りを防がなければと、リュヌは辺りを見渡した。しかし盾にできそうなものは見当たらなかった。せめて剣だけでも正式に支給されていれば、多少の気休めにはなったのに。
「くそっ」
 それでも、黙って見ているわけには行かない。無防備にも飛び出そうとすると、腕をはしと掴まれた。
「!?」
「駄目です。そのまま飛び出したら、死にに行くようなものです」
 少年の腕をしっかりと捕まえて、ミレーヌが言った。だけどと悲痛な声を上げ、リュヌは抗う。
「黙って見てろって言うんですか!?」
「そうは言っていません。貴方が死にに行く必要はないと言っています」
 きっぱりと言い切った女医の瞳には、揺るぎない信念のようなものが透けて見えた。それ以上言い返せずに黙り込むと、ミレーヌは少年を壁際に引き寄せる。
「信じて下さい。セレス様が、きっと街を守って下さる」
「セレス様が? それって……」
 どういう意味なのか。
 聞き返そうとしたその時、青白い光が弾けた。
「きゃああっ!!」
 コレットが悲鳴を上げ、頭を抱えてしゃがみ込む。視界を満たした光に目が眩んで、リュヌもまたその場にたたらを踏んだ。
 これは魔法か? それとも――?
 やっとのことで薄目を開けると、清廉な光の柱が天を衝くのが見えた。見上げるミレーヌの眼差しは、不安の中にも揺るがぬ信頼を湛えている。
「な、なんですかこれ!? まさかこれが、セレス様の」
 『聖剣』ルクシスの力なのか。
 愕然としながら、リュヌは光の柱を仰いだ。
 ミュスカデルを覆った青い光は街中の火を文字通り消し止めるだけでなく、降り注ぐ幾万の矢を光の粒に変えていく。ようよう光が収束した時、落ちてくる矢はもはやなかった。
 城壁の向こう側から、うねりのような勝鬨が聞こえていた。それが皇国軍のものであることに、疑いの余地はなかった。
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