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第七章 遥かなるブリュンヌ
第一節 二つの朝
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ざくざくと枯葉を踏む音が耳に障るのは、気が立っているせいだろうか。吐く息の白く煙る黎明、イヴェール兵らしき三人の男達が皇都ミュスカデルにほど近い林間を進んでいた。
冗談ではない――兵士になれば食うに困らず、暴れたいように暴れられると思っていたのに、実態はどうだ? 規律に塗れた軍の中は堅苦しくて自由が利かず、その上にあの負け戦だ。皇国軍にいたところで、明るい展望などありはしない。となれば、やるべきことは一つだ。
「見えたぞ」
そう言って、一人が前方を指差した。疎らに連なる枝葉の向こう側に、ミュスカデルの城門が覗いていた。あちらが駄目なら次はこちら、現在のイヴェール軍の動向を手土産にすれば、スプリング軍も自分達を悪いようにはしないだろうと彼らは考えた。浅慮もここに極まれりと言うべきか、しかしそれを自覚できていたのなら、そもそも彼らはここにいないだろうが。
「どうする? まずは門番に話してみるか?」
「そうだな、まずは……お?」
灌木の陰に身を潜め、背信の兵達は城門を注視する。門番の兵士は二人。そこに、街道側から馬に乗った一団が近付いてくる。仔細までは分からないが、兵士ではないらしい――となると、スプリングの関係者だろうか。
「王国兵じゃなさそうだな」
「だったら都合がいい」
問答無用で斬り殺される心配はないだろうと踏んで、男達は走り出した。茂みから抜け出たその姿は当然、相手方の目に触れる所となり、番兵達が殺気立つ。
「何者!?」
咄嗟に門の外側へ進み出た二人一組の番兵は、馬上の士官達を庇うように互いの槍を交差させた。待ってくれ、と諸手を挙げて、イヴェール兵――元・イヴェール兵と言うべきだろうか――はその場に膝をつく。
「イヴェール皇国軍のモンだが、あんたらとやり合うつもりはない」
「皇国軍の情報と引き換えに、俺達を雇ってくれないか?」
「はぁ!?」
突然の乱入者に戸惑いながらも、番兵はちらりと士官達の顔色を窺った。しかし当然ながら彼等にも決定権はなく、互いに顔を見合わせるだけだ。
「我々だけで判断できることではありません」
「ステュアート卿のご判断を仰ぐべきでは?」
いかにも面倒だというように招かれざる者達を一瞥し、士官達は視線を外した。関わり合いになりたくない、という意図が、そこかしこから透けて見える。仕方なく番兵の一人が城門の中へ取って返そうとしたその時、涼やかな声がその耳を撫でた。
「ステュアート卿はお忙しい方です。この程度のことで卿をお呼び立てするのは忍びありません」
ひゅ、と、風が鳴くのに続き、杭を打ち込むような音がした。仰向けに倒れ込んだ三人のイヴェール兵達は、恐らく何が起きたのか理解することもできなかっただろう。それぞれの額の中心には、小振りなナイフが深々と突き刺さっていた。
「な……」
「ウィリアム殿、何を!?」
「? 先ほど申し上げた通りですが」
にこりとして首を傾げると、長く淡いブロンドがさらりと揺れる。ウィリアムと呼ばれた青年士官は、悪びれた風もなく続けた。
「末端の兵士が握っている情報など、高が知れています。それに敗戦を受けて即座に敵にすり寄るような輩を引き合わせた所で、ステュアート卿がこれを重用するとは考えられません。であれば、わざわざお目に掛けるだけご迷惑になりましょう」
それはそうだがと口ごもりながら、他の士官達は顔をしかめる。しかし彼らには目もくれず、ウィリアムは呆然とする番兵達に向き直った。
「総司令官ユーイン=ステュアート卿の秘書官に任ぜられました、ウィリアムと申します。ステュアート卿にお目通り願いたいのですが、ご案内頂けますか?」
◇
同日同時刻、ロズ地方西部の平野――。
グルナードから街道沿いに西を目指すこと、五日目の朝だった。 冷たさを増した風に吹かれながら、リュヌは連なる山の稜線を眺めていた。東の空がようやく微かに白み始めているのに対し、山並みの向こう側は依然、暗澹としている。
ブリュンヌ地方はアマンド城塞へと本拠地機能を移転することが決まった後、皇国軍は全軍を中隊規模の複数の部隊に分け、間隔を空けてグルナードを出立した。全軍を挙げての大移動は不測の事態に遭遇した際のリスクが大きく、また敵方にこちらの動向を察知される可能性も高まるためである。
リュヌとベルナール、フォルテュナ、コレットの四人は、幸いにも離れ離れになることなく、セレスタン率いる第一中隊の一員として西を目指していた。道中はこれといったトラブルもなく穏やかなものであり、順調に行けば今日の昼前には山麓の村に到達できるだろう。午後にはいよいよ、山越えだ。
「今日は早起きなんだね」
「!」
柔らかな声音が、ベルナールのものであることはすぐに分かった。振り返れば微かに微笑んで、少年はリュヌの隣に歩み寄る。
理由はなんということもない――昨夜は床に就くのが少しばかり早かったので、飛び立つ鳥の羽音にも目が覚めてしまっただけだ。けれど敢えて説明するほどのことでもなく、うん、とだけ頷いた。
「ベルはいつも早起きだよね」
「…………」
皇国軍に入隊して、もう少しで一か月になる。その間ほぼ毎日のように寝食を共にしてきたが、ベルナールが寝坊をしたことは一度もない。それは兵士としてごく当たり前のことなのかもしれないが、リュヌが稀に早起きをした時でさえ、ベルナールは既に起きていて、いつも窓の外を眺めていた。グルナードに移ってからも、その習慣は変わらなかった。
「僕、昔からみんなに寝起きが悪い悪いって言われてさ。それでよく、妹にも怒られてたから……ちょっと尊敬する」
「そんな、大げさな。……僕はただ、眠れないだけ」
微かに口元を和らげて、ベルナールはリュヌの隣に腰を下ろした。間近で見る瞳の青は、吸い込まれてしまいそうな程に深く美しく、そしてどこか昏い。
「マルセルさんが帰って来なかったって、聞いて……凄く、怖くなったんだ」
ベルナール自身は、特別に彼と親しくしていたわけではない。しかし遺されるのが自分でなかったとは、一体どうして言えようか?
「もし、それが……」
言いかけて、ベルナールは首を横に振った。口にしたくもない、という風だった。しかし言葉にしなくとも、言いたいことは理解できる。
明日は何を失うのかという不安と、恐怖。それは自分の命かもしれないし、親しい人々の命かもしれない――ミュスカデルの敗戦を経て、抱く想いは皆同じだ。
「だけど、僕達は戦わなきゃならない」
呟くように口にすると、ベルナールは少し驚いたようにリュヌを見た。ほんの数週間前まで剣を握ったこともなかった新米の台詞でないことは、重々承知している。しかし言葉は、自然と口を衝いて出た。
「守るためには、戦わなきゃ」
自分自身に言い聞かせるように、確かめるように繰り返すと、視界の端でベルナールが複雑そうに眉を寄せた。
「どうしたの?」
「ううん。……別に、どうも」
フォルテュナ達を起こしてくる、と言い置いて、ベルナールは去って行った。
二人話をする間に、空は随分と明度を増していた。簡単な食事を済ませたら、またすぐに行軍が再開されるだろう。
冗談ではない――兵士になれば食うに困らず、暴れたいように暴れられると思っていたのに、実態はどうだ? 規律に塗れた軍の中は堅苦しくて自由が利かず、その上にあの負け戦だ。皇国軍にいたところで、明るい展望などありはしない。となれば、やるべきことは一つだ。
「見えたぞ」
そう言って、一人が前方を指差した。疎らに連なる枝葉の向こう側に、ミュスカデルの城門が覗いていた。あちらが駄目なら次はこちら、現在のイヴェール軍の動向を手土産にすれば、スプリング軍も自分達を悪いようにはしないだろうと彼らは考えた。浅慮もここに極まれりと言うべきか、しかしそれを自覚できていたのなら、そもそも彼らはここにいないだろうが。
「どうする? まずは門番に話してみるか?」
「そうだな、まずは……お?」
灌木の陰に身を潜め、背信の兵達は城門を注視する。門番の兵士は二人。そこに、街道側から馬に乗った一団が近付いてくる。仔細までは分からないが、兵士ではないらしい――となると、スプリングの関係者だろうか。
「王国兵じゃなさそうだな」
「だったら都合がいい」
問答無用で斬り殺される心配はないだろうと踏んで、男達は走り出した。茂みから抜け出たその姿は当然、相手方の目に触れる所となり、番兵達が殺気立つ。
「何者!?」
咄嗟に門の外側へ進み出た二人一組の番兵は、馬上の士官達を庇うように互いの槍を交差させた。待ってくれ、と諸手を挙げて、イヴェール兵――元・イヴェール兵と言うべきだろうか――はその場に膝をつく。
「イヴェール皇国軍のモンだが、あんたらとやり合うつもりはない」
「皇国軍の情報と引き換えに、俺達を雇ってくれないか?」
「はぁ!?」
突然の乱入者に戸惑いながらも、番兵はちらりと士官達の顔色を窺った。しかし当然ながら彼等にも決定権はなく、互いに顔を見合わせるだけだ。
「我々だけで判断できることではありません」
「ステュアート卿のご判断を仰ぐべきでは?」
いかにも面倒だというように招かれざる者達を一瞥し、士官達は視線を外した。関わり合いになりたくない、という意図が、そこかしこから透けて見える。仕方なく番兵の一人が城門の中へ取って返そうとしたその時、涼やかな声がその耳を撫でた。
「ステュアート卿はお忙しい方です。この程度のことで卿をお呼び立てするのは忍びありません」
ひゅ、と、風が鳴くのに続き、杭を打ち込むような音がした。仰向けに倒れ込んだ三人のイヴェール兵達は、恐らく何が起きたのか理解することもできなかっただろう。それぞれの額の中心には、小振りなナイフが深々と突き刺さっていた。
「な……」
「ウィリアム殿、何を!?」
「? 先ほど申し上げた通りですが」
にこりとして首を傾げると、長く淡いブロンドがさらりと揺れる。ウィリアムと呼ばれた青年士官は、悪びれた風もなく続けた。
「末端の兵士が握っている情報など、高が知れています。それに敗戦を受けて即座に敵にすり寄るような輩を引き合わせた所で、ステュアート卿がこれを重用するとは考えられません。であれば、わざわざお目に掛けるだけご迷惑になりましょう」
それはそうだがと口ごもりながら、他の士官達は顔をしかめる。しかし彼らには目もくれず、ウィリアムは呆然とする番兵達に向き直った。
「総司令官ユーイン=ステュアート卿の秘書官に任ぜられました、ウィリアムと申します。ステュアート卿にお目通り願いたいのですが、ご案内頂けますか?」
◇
同日同時刻、ロズ地方西部の平野――。
グルナードから街道沿いに西を目指すこと、五日目の朝だった。 冷たさを増した風に吹かれながら、リュヌは連なる山の稜線を眺めていた。東の空がようやく微かに白み始めているのに対し、山並みの向こう側は依然、暗澹としている。
ブリュンヌ地方はアマンド城塞へと本拠地機能を移転することが決まった後、皇国軍は全軍を中隊規模の複数の部隊に分け、間隔を空けてグルナードを出立した。全軍を挙げての大移動は不測の事態に遭遇した際のリスクが大きく、また敵方にこちらの動向を察知される可能性も高まるためである。
リュヌとベルナール、フォルテュナ、コレットの四人は、幸いにも離れ離れになることなく、セレスタン率いる第一中隊の一員として西を目指していた。道中はこれといったトラブルもなく穏やかなものであり、順調に行けば今日の昼前には山麓の村に到達できるだろう。午後にはいよいよ、山越えだ。
「今日は早起きなんだね」
「!」
柔らかな声音が、ベルナールのものであることはすぐに分かった。振り返れば微かに微笑んで、少年はリュヌの隣に歩み寄る。
理由はなんということもない――昨夜は床に就くのが少しばかり早かったので、飛び立つ鳥の羽音にも目が覚めてしまっただけだ。けれど敢えて説明するほどのことでもなく、うん、とだけ頷いた。
「ベルはいつも早起きだよね」
「…………」
皇国軍に入隊して、もう少しで一か月になる。その間ほぼ毎日のように寝食を共にしてきたが、ベルナールが寝坊をしたことは一度もない。それは兵士としてごく当たり前のことなのかもしれないが、リュヌが稀に早起きをした時でさえ、ベルナールは既に起きていて、いつも窓の外を眺めていた。グルナードに移ってからも、その習慣は変わらなかった。
「僕、昔からみんなに寝起きが悪い悪いって言われてさ。それでよく、妹にも怒られてたから……ちょっと尊敬する」
「そんな、大げさな。……僕はただ、眠れないだけ」
微かに口元を和らげて、ベルナールはリュヌの隣に腰を下ろした。間近で見る瞳の青は、吸い込まれてしまいそうな程に深く美しく、そしてどこか昏い。
「マルセルさんが帰って来なかったって、聞いて……凄く、怖くなったんだ」
ベルナール自身は、特別に彼と親しくしていたわけではない。しかし遺されるのが自分でなかったとは、一体どうして言えようか?
「もし、それが……」
言いかけて、ベルナールは首を横に振った。口にしたくもない、という風だった。しかし言葉にしなくとも、言いたいことは理解できる。
明日は何を失うのかという不安と、恐怖。それは自分の命かもしれないし、親しい人々の命かもしれない――ミュスカデルの敗戦を経て、抱く想いは皆同じだ。
「だけど、僕達は戦わなきゃならない」
呟くように口にすると、ベルナールは少し驚いたようにリュヌを見た。ほんの数週間前まで剣を握ったこともなかった新米の台詞でないことは、重々承知している。しかし言葉は、自然と口を衝いて出た。
「守るためには、戦わなきゃ」
自分自身に言い聞かせるように、確かめるように繰り返すと、視界の端でベルナールが複雑そうに眉を寄せた。
「どうしたの?」
「ううん。……別に、どうも」
フォルテュナ達を起こしてくる、と言い置いて、ベルナールは去って行った。
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