『俺は平穏に暮らしたいだけなのに、借金一億五千万ゴールドで異世界に転移させられました』〜ポンコツ大聖女の尻拭いはお断りだ〜

トンカツうどん

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第1話「焼き串は正義」

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 目が覚めたら、空が青かった。
 青すぎてムカつくレベルで青い。都会の空みたいに薄汚れてない。雲が白くて、風が妙にいい匂いする。なんだこれ、俺はファンタジーの絵葉書の中にでも落ちたのか。
 そして、落ちたら落ちたで現実が追いかけてくる。
「……腹、減った」
 生理現象は世界を越える。死んだ直後に空腹とか、人としてどうなんだ。いや、死んだはずなのに腹が減る時点で、この世界の仕様がバグってる。
 地面に座り込み、周囲を見回す。石畳。木造の家。遠くに見える尖塔。荷車を引く馬。……いや馬車というより“馬が仕事してる”感じのやつ。
 通りすがりの男が、俺の格好を一瞬だけ見て眉をひそめた。ジロ見じゃない。視線を滑らせる“警戒”。この世界の一般人は、知らない奴に優しくないらしい。
 俺は自分の服装を確認する。
 黒のパーカー、白シャツ、黒パンツ。現代人のテンプレ。異世界的には確実に浮く。
 目立つのは嫌いだ。平穏に暮らしたいだけだ。なのに開始一分で浮いてる。人生ってやつは、やっぱり俺を嫌ってる。
 ――そこで、脳裏にあの女神が浮かんだ。
『完璧女神ルミ様よ!』
『借金は一億五千万ゴールド♡』
「……くそ。忘れようとしても忘れられねぇ」
 つまり俺はこの世界で稼がなきゃいけない。屋根と飯と安全を確保した上で、返せる範囲で返す。
 英雄? 魔王? 知らん。関わったら死ぬ。俺はただ、今日を生きる。
 まずは情報だ。言葉。通貨。治安。食い物。
 俺は腹を押さえつつ、街の中心らしい方向へ歩いた。人が多い方へ行けば、食い物と仕事とトラブルが落ちてる。トラブルは要らないが、仕事は欲しい。
 ――市場は、うるさかった。
「新鮮だよ新鮮! 朝獲れの川魚だ!」
「薬草! 擦り傷に効くよ!」
「安い布あるよ、旅人さん!」
 露店がずらっと並び、人が押し合いへし合いしてる。匂いは悪くない。焼き串の匂い、香辛料、汗、動物、土。
 俺の目はまず焼き串に吸われた。串に刺さった肉がじゅうじゅうしている。脂が光っている。俺の胃が悲鳴を上げる。
 しかし、金がない。
「……まず金だ」
 当たり前のことを口にして、当たり前の壁にぶつかる。
 俺はポケットを探った。財布はない。スマホもない。身分証もない。人生の全部が置いてけぼりだ。
 代わりに、妙に硬いものが指に触れた。
「……ん?」
 取り出したのは、小さな金属片――いや、コインだ。薄い。銀色。片面に紋章、片面に数字っぽい刻印。
 まさか。あの女神、借金は押し付けたくせに初期資金だけはくれたのか?
「えーっと……」
 周囲の露店を観察する。客がコインを渡し、商品を受け取る。コインの色が何種類かある。銅、銀、金。
 俺の手元のは銀色だ。価値は中くらいか。中くらいなら……肉串一本くらい、いけるか?
 俺は焼き串屋に近づいた。
 店主は腕が太く、顔が怖い。髭が濃い。こういうのはだいたい善人か悪人か極端だ。
 俺は笑顔を作る。作り慣れてない笑顔は、たぶん怪しい。
「それ、一本いくら?」
「銀貨一枚だ」
 即答。銀貨一枚。
 ――俺の手元の銀貨も一枚。運命か? 罠か?
「……じゃあ一本」
 銀貨を出す。店主は受け取って、じっと見た。指で弾いて音を聞く。偽物チェックだ。
 短い沈黙の後、肉串が差し出される。
「ほらよ」
 勝った。俺は勝った。異世界初勝利が肉串。規模が小さい? いいんだ。小さな勝利が人生を救う。
 肉を噛む。
 ……うまい。
 思わず目を閉じた。香辛料が効いてる。脂が甘い。焼きの香ばしさ。
 泣ける。現実の俺は、コンビニのチキンで満足してた。異世界の肉串は、その上を行く。悔しいくらい。
「旅人さん、見ない顔だね」
 声をかけてきたのは、隣の露店の婆さんだった。布を売ってる。目がやたら鋭い。
 俺は肉串を口にしたまま頷いた。
「まぁ……さっき着いた」
「どこから?」
「遠くから」
 雑。情報は出さない。
 婆さんは俺の服を見て鼻を鳴らした。
「変な格好だ。すぐ狩られるよ」
「狩られるって何」
「奴隷狩りだよ」
 ……は?
「この街は表は綺麗だが、裏は汚い。身分証もなく、金もなく、守りもない旅人は、いい商品だ」
「商品……?」
 俺は咀嚼を止めた。
 背筋が冷える。借金返済どころじゃない。今日中に首輪が付く可能性が出てきた。
「……忠告ありがとう」
「礼はいらん。生き延びたいなら“格好”を変えな。あと、武器だ」
 婆さんは顎で市場の奥を示した。そこには武器屋が並んでいる。
 剣、槍、弓、斧。金属が光り、値札が高そうに見える。
 俺は自分の手を見た。
 手は普通だ。筋肉はあるが、ファンタジー主人公みたいに鍛え抜かれてはいない。
 でも“武器がないと狩られる”。それは現実だ。
「武器……か」
 俺は考えた。
 剣は扱いやすいが、練度が要る。槍はリーチがあるが、街中だと邪魔。弓は当たらない。短剣は近すぎて怖い。
 最も重要なのは、俺は戦いたくないということだ。戦いたくない奴が選ぶ武器は、戦わずに済む武器。つまり――威圧だ。
 武器屋の一つに入る。
 店主は痩せていて目が細い。こういうのはだいたい値段を盛る。
「いらっしゃい。旅装備かい?」
「……できれば、安くて、目立たなくて、強そうに見えるやつ」
「欲張りだね」
 俺もそう思う。だが生き残りは欲張りな奴が勝つ。
 店内を見回す。
 そこで、壁際に立てかけられている“それ”が目に入った。
 ――異様に長い。
 柄も長い。刃も長い。全長が人間より長い気がする。大剣というより“鉄の扉”だ。
「……あれ、何」
「ツヴァイヘンダー。両手剣だよ。大きいだろ」
 大きいなんてもんじゃない。
 俺が持ったら引きずる未来しか見えない。
 だが――“強そうに見える”という一点においては満点だった。
「これ、いくら」
 店主は一瞬だけ言い淀んだ。
 値段が高いとき、人は一瞬黙る。逆に、安すぎても黙る。さてどっちだ。
「……正直に言うと、売れ残りでね。扱える人間が少ない。荷物になる。……銅貨三十枚でいい」
 安い。
 いや俺の手元に銅貨がない。だが“安い”という事実は重要だ。
 銀貨一枚=銅貨何枚? この換算が分からない。でも買える可能性はある。
「銅貨三十枚……銀貨だと?」
「銀貨一枚と銅貨十枚」
 換算が出た。
 つまり俺の銀貨一枚だけじゃ足りない。
 くそ。肉串を食う前に武器を買うべきだったか? いや食わなきゃ死んでた。精神的に。
「……足りねぇな」
「まあ、そうだろう」
 店主は肩をすくめた。
 その瞬間、外から騒ぎが聞こえた。
「どけ! 通せ!」
「おい、あの辺だ、見失うな!」
 荒い声。複数。鎧の擦れる音。
 市場がざわつく。人が避ける。
 ――治安の匂いがする。しかも良くない方の。
 俺は反射的に店の外を覗いた。
 通りを走る影。灰色の布。首輪の鎖。追う男たち。
 ……奴隷狩り?
 婆さんの言葉が脳内でリピートする。
 “いい商品だ”。
 走っているのは、小柄な女だった。髪は銀色。顔が青い。
 追う男たちは笑っている。捕まえる気満々だ。
 俺の口が勝手に動いた。
「……最悪」
 俺は平穏に暮らしたいだけだ。
 なのに初日から、俺の目の前で“最悪”が始まろうとしている。
 俺は考える。
 関わるな。関わったら死ぬ。借金も返せない。
 でも――見捨てたら寝覚めが悪い。
 寝覚めが悪いと、翌日からの判断が鈍る。鈍ったら死ぬ。
 つまり、ここで無視するのは“安全”に見えて、長期的には危険だ。
 俺は舌打ちした。
「店主。あのツヴァイヘンダー、担保で貸せる?」
「は?」
「今すぐ必要なんだ。銀貨一枚払う。残りは今日中に稼ぐ。無理なら……返す」
 店主は俺を見た。
 目が細いまま、値踏みしている目だ。
 だが外の騒ぎは近づいている。判断の時間はない。
「……いいだろ。だが折ったら殺す」
「折らない。俺が折れる」
 店主は鼻で笑って、ツヴァイヘンダーを突き出した。
 重い。想像以上に重い。腕が沈む。
 ――でも、これを背負っただけで“狩られにくくなる”気がした。
 俺は店を飛び出した。
 平穏は、いつだって遠い。
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