5 / 8
先輩視点②
しおりを挟む
風が止まる。膨らんでいた空気が静けさを纏いだす。聞き慣れてしまったナースコールの音が遠くで響き、カラカラと台車が廊下を過ぎていった。
一日中ベッドの上にいるというのは簡単なようで簡単ではない。退屈すぎて心地悪い。ベッドの角度を意味もなく調節し、体勢を変えてみる。変えてみたところで同じ部屋なのは変わらないし、思い出すのは数分前までいたふたりのことばかりだ。
「あーあ、やっぱ弄《いじ》るんじゃなかったか」
後輩に譲る気も遠慮する気もこれっぽっちもなかったのに。少しでも隙があるなら横からでも入り込んでやるくらいの気持ちだったのに。
柔らかく流れる髪。ふわりと浮かんだ甘い香り。俯き赤く染まった頬。そんな彼女を見てしまったら、後輩の背中を押さずにはいられなかった。
「……なにやってんだろ」
潜り込んだ布団の中で落とした声に
「ほんとだよ。なにやってんのよ、おにいちゃん」
間近で響いた高い声が被せられる。
ガバッと布団から顔を出せば、呆れ顔で見下ろされた。
「あれじゃあ、ふたりがくっつくのをアシストしただけじゃない」
「え、お前いつから……」
「『ところでふたりはこのあとどうするの?』あたり?」
「な……」
なんで、とは言えないか。お見舞いに来ているふたりに遠慮したのだろう。
「あのひとでしょ、ハーフアップの。おにいちゃんが好きなひと」
「な、んで」
飲み込んだ言葉が戸惑いとともにこぼれる。
「なんでって」
カタン、と置かれたままのパイプ椅子に腰かけると同時にため息が落とされた。
「わかるよ」
まっすぐ向けられた視線に押さえていた痛みが存在を主張する。見ないフリをしようとした傷口がここにあるのだと訴えてくる。
「そんな顔してたら、わかるよ」
「そんなって、どんな……だよ……」
なんとか作った笑顔も震え声に台無しになる。唇を噛み締めることしかできなくなる。
母親の再婚によってできた義理の妹。出会った頃はまだ小学生でちっとも懐いてはくれなかったのに。中学生になった今ではこうして四つ上の兄にズケズケと物を言うまでになった。
「おにいちゃんはさ、優しすぎるんだよ」
「……」
「誰にでも優しすぎるから、ダメなんだよ」
「……そうかもな」
優しい、というのは褒め言葉ではあるけれど、自分にとっては甘えでしかなかったのかもしれない。もっと彼女だけに優しくできたなら、もっと彼女だけを特別に扱えていたならよかったのかもしれない。
「ま、そこがおにいちゃんのいいところなんだけどさ」
ふっと息を吐き出したあと、妹は膝に置いていたカバンへと手を入れた。
「優しいおにいちゃんなら付き合ってくれるよね?」
取り出されたのは妹の手には大きすぎるスマートフォン。画面を顔の前に差し出される。表示されているのはメールの文面。並んだ文字を読み取り、思わず声がこぼれた。
「これって」
「へっへー。おにいちゃんが大好きなバンドのツアー、当たりました。半年後だけど!」
妹は得意げに笑うと「おにいちゃんがいないと行けないからさ。だから早く治してよ」ツンと声を響かせた。
「よく取れたな」
「日頃のおこないがいいからじゃない?」
入院してから毎日のようにやって来る妹だけど、きっと共働きの両親のために家のこともやってくれているはずだ。いつの間にこんなに大きくなったのだろう。
「まあ、そうだな。お前も俺に似て優しいもんな」
思わず頬を緩めれば、ふいっと顔を背けられる。
「……そんなことないよ」
立ち上がり並んでいた二脚の椅子を片付けると、妹が窓へと視線を向けた。ふわりと流れてきた風にカーテンが揺れ、低くなった温度が肌に触れる。
「私はおにいちゃんとは違うもん」
「え?」
振り返った妹が「夕飯の買い出しあるから帰るね」と小さく笑って背中を向ける。肩の下で揺れる髪は半分が纏められていて、結ばれたリボンの先は弾むように揺れていた。
一日中ベッドの上にいるというのは簡単なようで簡単ではない。退屈すぎて心地悪い。ベッドの角度を意味もなく調節し、体勢を変えてみる。変えてみたところで同じ部屋なのは変わらないし、思い出すのは数分前までいたふたりのことばかりだ。
「あーあ、やっぱ弄《いじ》るんじゃなかったか」
後輩に譲る気も遠慮する気もこれっぽっちもなかったのに。少しでも隙があるなら横からでも入り込んでやるくらいの気持ちだったのに。
柔らかく流れる髪。ふわりと浮かんだ甘い香り。俯き赤く染まった頬。そんな彼女を見てしまったら、後輩の背中を押さずにはいられなかった。
「……なにやってんだろ」
潜り込んだ布団の中で落とした声に
「ほんとだよ。なにやってんのよ、おにいちゃん」
間近で響いた高い声が被せられる。
ガバッと布団から顔を出せば、呆れ顔で見下ろされた。
「あれじゃあ、ふたりがくっつくのをアシストしただけじゃない」
「え、お前いつから……」
「『ところでふたりはこのあとどうするの?』あたり?」
「な……」
なんで、とは言えないか。お見舞いに来ているふたりに遠慮したのだろう。
「あのひとでしょ、ハーフアップの。おにいちゃんが好きなひと」
「な、んで」
飲み込んだ言葉が戸惑いとともにこぼれる。
「なんでって」
カタン、と置かれたままのパイプ椅子に腰かけると同時にため息が落とされた。
「わかるよ」
まっすぐ向けられた視線に押さえていた痛みが存在を主張する。見ないフリをしようとした傷口がここにあるのだと訴えてくる。
「そんな顔してたら、わかるよ」
「そんなって、どんな……だよ……」
なんとか作った笑顔も震え声に台無しになる。唇を噛み締めることしかできなくなる。
母親の再婚によってできた義理の妹。出会った頃はまだ小学生でちっとも懐いてはくれなかったのに。中学生になった今ではこうして四つ上の兄にズケズケと物を言うまでになった。
「おにいちゃんはさ、優しすぎるんだよ」
「……」
「誰にでも優しすぎるから、ダメなんだよ」
「……そうかもな」
優しい、というのは褒め言葉ではあるけれど、自分にとっては甘えでしかなかったのかもしれない。もっと彼女だけに優しくできたなら、もっと彼女だけを特別に扱えていたならよかったのかもしれない。
「ま、そこがおにいちゃんのいいところなんだけどさ」
ふっと息を吐き出したあと、妹は膝に置いていたカバンへと手を入れた。
「優しいおにいちゃんなら付き合ってくれるよね?」
取り出されたのは妹の手には大きすぎるスマートフォン。画面を顔の前に差し出される。表示されているのはメールの文面。並んだ文字を読み取り、思わず声がこぼれた。
「これって」
「へっへー。おにいちゃんが大好きなバンドのツアー、当たりました。半年後だけど!」
妹は得意げに笑うと「おにいちゃんがいないと行けないからさ。だから早く治してよ」ツンと声を響かせた。
「よく取れたな」
「日頃のおこないがいいからじゃない?」
入院してから毎日のようにやって来る妹だけど、きっと共働きの両親のために家のこともやってくれているはずだ。いつの間にこんなに大きくなったのだろう。
「まあ、そうだな。お前も俺に似て優しいもんな」
思わず頬を緩めれば、ふいっと顔を背けられる。
「……そんなことないよ」
立ち上がり並んでいた二脚の椅子を片付けると、妹が窓へと視線を向けた。ふわりと流れてきた風にカーテンが揺れ、低くなった温度が肌に触れる。
「私はおにいちゃんとは違うもん」
「え?」
振り返った妹が「夕飯の買い出しあるから帰るね」と小さく笑って背中を向ける。肩の下で揺れる髪は半分が纏められていて、結ばれたリボンの先は弾むように揺れていた。
0
あなたにおすすめの小説
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる