君と泳ぐ空

hamapito

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 次第に大きくなる心臓の音に周りの音は消えていき、握りしめた右手はわずかに震えていた。こんなにも、緊張するとは自分でも意外だった。
 小さく息を吐き出すと、ほんの数ヶ月前の出来事が、その時の声が、蘇る。

   *

「どうしても辞めたいなら、辞めてもいい」
 父さんは、決して理由を言おうとしない俺に、いつもと変わらない穏やかな声で言った。
 そんなふうに言ってもらえるとは思っていなかった俺は、思わず顔を上げた。
「ただし、条件が一つだけある」
 優しく温かな、けれどとても強い、まっすぐな視線だった。俺は、小さく息を飲み込んだ。
「バスケじゃなくてもいい、スポーツじゃなくてもいい、なんでも構わないから新しい学校でも部活には入ること。それが今の学校を辞める条件だ」
「……うん、」
 その静かな声に小さく俺が頷くと、父さんは少し寂しそうに笑って言った。
「それだけ、守ってくれればいいから」
 胸の奥が痛かった。鼻の奥が痺れて、両目が熱い。吐き出してしまいたい気持ちと、ぐっと唇の先を噛みしめる自分がいる。俺には、どうしても言えなかった。
「受験、頑張りなさいね」
 父さんの隣に座る母さんが言ったのはそれだけだった。
 俺は喉まで出かかった言葉を全て飲み込んで、声を出さずに、ただ静かに頷いた。両親と自分の間にあるダイニングテーブルに自分の影が落ち、ここがいつもと変わらない自分の家であることに気づき、さらに胸が締め付けられた。何がどうしてこうなってしまったのか、俺自身にもよくわからなかった。俺は楽しかった学校からも、大好きだったバスケットからも、そして誰よりも大切だと思っていたひかりからも、離れることを選んだ。

   *

 息を大きく吸い込み、その小さな震えさえも握り潰すように、右手にさらに力を加えると、その勢いのまま、俺は古びた扉をノックする。
 扉の隣には、大きな文字で「硬式野球部」と書かれたプレートがかけられていた。


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