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9(side大和)
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目を覚ますと、目の前に伊織がいた。
ぶかぶかのスウェットを着て、小さな寝息を紡ぐ。カーテンから零れた光が枕元に落ち、伊織の柔らかな髪が色を薄くする。同じ布団の中で溶け合った体温が二人を包み込んでいる。
あまりにも幸福で、夢のような光景に動けなくなった。抱きしめてもっと確かめたいけれど、触れたらすべてが消えてしまいそうで何もできない。ただじっと見つめることしかできない。
閉じられていた瞼に並ぶ睫毛がふわりと揺れ、その視界が世界を取り戻す。
「……おはよ」
少し掠れた寝起きの声がすぐそばで発せられる。確かな音として響き、ようやく腕を伸ばす。そっと抱きしめながら
「おはよう」
と返せば、伊織の腕も背中へと回される。ぎゅっと空気を押し出すように抱きしめ合い、そっと緩める。同じタイミングで顔を近づけ、唇を合わせる。昨夜の熱とは違う、優しい触れ合いにどちらからともなく笑いが零れる。
もう一度、と互いに首を伸ばしたところで階下からドアを開ける音が聞こえ、意識を戻された。互いに顔を見合わせたのは一秒にも満たない。こんなに素早く起きたのは初めてじゃないかと思うくらい一瞬で体が動き出す。朝の冷たい空気を感じる余裕もない。
「帰って来たみたいだね」
「だな」
部屋を見渡すが、昨夜の名残はどこにも見当たらない。ホッと安堵すると同時に寂しさが生まれる。互いの記憶にしかないのは強いのか、弱いのか。どちらなのだろう。
「とりあえず、下りようか」
そうだな、と答えかけて目に入ったものに腕を掴んだ。
「わ、なに?」
引き戻されて振り返った伊織に、
「ごめん」
と頭を下げる。部屋にはなかったけれど、伊織の肌には残っていた。
「……首、微妙に見えるかも」
「首?」
と手を持っていったところで、思い至ったらしい。顔が一気に色付く。
「なんで、こんなとこに付けるんだよ」
「付けていいって言ったじゃん」
「言ったけど、場所考えろよ」
「そんな余裕あるわけないだろ」
言い合っているところに
「二人とも起きてるのー?」
と階下から声が届き、同時に口を噤む。
一瞬早く言葉を取り戻した伊織が
「おはようございます」
と答えて部屋を出ていく。わずかに遅れて追いかければ、下から会話が聞こえてくる。
「首、どうかしたのかい?」
「あ、ちょっと寝違えちゃって」
「あらあら」
心の中で「ごめん」ともう一度謝ってから、残りの階段を下りる。玄関に近いのもあって、触れた空気は震えるほど冷たい。
「おはよ」
「おはよう。部活もないのにこの時間に起きるなんて、伊織くんのおかげね」
「そ、うかな」
言葉にされた意味以上に記憶が膨らみ、わずかに声が強張る。両親には見えないところで伊織が軽く肘を入れてくる。
「じゃあ、すぐに朝ごはんにしましょうか」
二人が先に歩き出し、隣へと顔を向ける。
「痛いんだけど」
軽く睨むように視線を落とせば、反対からも睨み上げられる。
「今のは大和が悪い」
「なんでだよ」
「……冷たい水で顔洗えよ」
「なんで?」
「鏡見ればわかる」
きゅっと眉を寄せられ、直前に浮かべた光景を思い出す。……緩んでたかも。母さんも父さんも何も言わなかったけど、言われなかったからこそ不安になる。全く気づいていないのか、気づいてしまったからこそ言わないのか。どっちだろう。
「俺、とりあえず着替えてくるから」
呆れたように息を吐き出し、伊織が手前の客間へと足を向ける。
廊下の奥で閉じられたドアを確かめてから、腕を掴む。なに、と振り向いたところで唇を重ねてすぐに離す。
文句を重ねられる前に
「顔洗ってくる」
と手を離し、伊織の横を通り抜ける。
声にならない小ささで名前を呼ばれた気がしたけれど、振り返ることはしなかった。これは本当に冷水で洗わなくてはならないかも。
「……大和」
手を握られ、引き止められる。追いかけてくるとは思っていなかったので咄嗟に顔を背ける。
ぐっと引っ張られ、傾いたところに顔が近づく。振り向く前に、触れられた首を強く吸われる。抵抗する間もなく小さな痛みと熱を植え付けられた。
「ちょっ」
首を押さえれば、濡れた肌が手のひらに触れる。
「大和も寝違えたってことで」
「今さらおかしいだろ」
「じゃあ、適当に頑張って」
くるりと背を向けられ、その場に立ち尽くす。隠したいのかバラしたいのかどっちだよ。問いかけられない言葉を心の中で吐き出し、冷たい空気を吸い込む。
想いが通じてちょうど一年。
またすぐに離れてしまうのは変わらない。どうしようもない寂しさもある。けれど、鮮やかさを継ぎ足された記憶は胸の中を温め続けてくれる。
そう信じられるだけで、未来に進める気がした。
――それはきっと伊織も同じだろう。
ぶかぶかのスウェットを着て、小さな寝息を紡ぐ。カーテンから零れた光が枕元に落ち、伊織の柔らかな髪が色を薄くする。同じ布団の中で溶け合った体温が二人を包み込んでいる。
あまりにも幸福で、夢のような光景に動けなくなった。抱きしめてもっと確かめたいけれど、触れたらすべてが消えてしまいそうで何もできない。ただじっと見つめることしかできない。
閉じられていた瞼に並ぶ睫毛がふわりと揺れ、その視界が世界を取り戻す。
「……おはよ」
少し掠れた寝起きの声がすぐそばで発せられる。確かな音として響き、ようやく腕を伸ばす。そっと抱きしめながら
「おはよう」
と返せば、伊織の腕も背中へと回される。ぎゅっと空気を押し出すように抱きしめ合い、そっと緩める。同じタイミングで顔を近づけ、唇を合わせる。昨夜の熱とは違う、優しい触れ合いにどちらからともなく笑いが零れる。
もう一度、と互いに首を伸ばしたところで階下からドアを開ける音が聞こえ、意識を戻された。互いに顔を見合わせたのは一秒にも満たない。こんなに素早く起きたのは初めてじゃないかと思うくらい一瞬で体が動き出す。朝の冷たい空気を感じる余裕もない。
「帰って来たみたいだね」
「だな」
部屋を見渡すが、昨夜の名残はどこにも見当たらない。ホッと安堵すると同時に寂しさが生まれる。互いの記憶にしかないのは強いのか、弱いのか。どちらなのだろう。
「とりあえず、下りようか」
そうだな、と答えかけて目に入ったものに腕を掴んだ。
「わ、なに?」
引き戻されて振り返った伊織に、
「ごめん」
と頭を下げる。部屋にはなかったけれど、伊織の肌には残っていた。
「……首、微妙に見えるかも」
「首?」
と手を持っていったところで、思い至ったらしい。顔が一気に色付く。
「なんで、こんなとこに付けるんだよ」
「付けていいって言ったじゃん」
「言ったけど、場所考えろよ」
「そんな余裕あるわけないだろ」
言い合っているところに
「二人とも起きてるのー?」
と階下から声が届き、同時に口を噤む。
一瞬早く言葉を取り戻した伊織が
「おはようございます」
と答えて部屋を出ていく。わずかに遅れて追いかければ、下から会話が聞こえてくる。
「首、どうかしたのかい?」
「あ、ちょっと寝違えちゃって」
「あらあら」
心の中で「ごめん」ともう一度謝ってから、残りの階段を下りる。玄関に近いのもあって、触れた空気は震えるほど冷たい。
「おはよ」
「おはよう。部活もないのにこの時間に起きるなんて、伊織くんのおかげね」
「そ、うかな」
言葉にされた意味以上に記憶が膨らみ、わずかに声が強張る。両親には見えないところで伊織が軽く肘を入れてくる。
「じゃあ、すぐに朝ごはんにしましょうか」
二人が先に歩き出し、隣へと顔を向ける。
「痛いんだけど」
軽く睨むように視線を落とせば、反対からも睨み上げられる。
「今のは大和が悪い」
「なんでだよ」
「……冷たい水で顔洗えよ」
「なんで?」
「鏡見ればわかる」
きゅっと眉を寄せられ、直前に浮かべた光景を思い出す。……緩んでたかも。母さんも父さんも何も言わなかったけど、言われなかったからこそ不安になる。全く気づいていないのか、気づいてしまったからこそ言わないのか。どっちだろう。
「俺、とりあえず着替えてくるから」
呆れたように息を吐き出し、伊織が手前の客間へと足を向ける。
廊下の奥で閉じられたドアを確かめてから、腕を掴む。なに、と振り向いたところで唇を重ねてすぐに離す。
文句を重ねられる前に
「顔洗ってくる」
と手を離し、伊織の横を通り抜ける。
声にならない小ささで名前を呼ばれた気がしたけれど、振り返ることはしなかった。これは本当に冷水で洗わなくてはならないかも。
「……大和」
手を握られ、引き止められる。追いかけてくるとは思っていなかったので咄嗟に顔を背ける。
ぐっと引っ張られ、傾いたところに顔が近づく。振り向く前に、触れられた首を強く吸われる。抵抗する間もなく小さな痛みと熱を植え付けられた。
「ちょっ」
首を押さえれば、濡れた肌が手のひらに触れる。
「大和も寝違えたってことで」
「今さらおかしいだろ」
「じゃあ、適当に頑張って」
くるりと背を向けられ、その場に立ち尽くす。隠したいのかバラしたいのかどっちだよ。問いかけられない言葉を心の中で吐き出し、冷たい空気を吸い込む。
想いが通じてちょうど一年。
またすぐに離れてしまうのは変わらない。どうしようもない寂しさもある。けれど、鮮やかさを継ぎ足された記憶は胸の中を温め続けてくれる。
そう信じられるだけで、未来に進める気がした。
――それはきっと伊織も同じだろう。
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