君の場所になりたくて

琉斗六

文字の大きさ
1 / 2

1:バー・クォーター

しおりを挟む
 店を出た時に、雨が降っていた。
 マンションまで、さほどの距離でもない。
 カオルは、傘を差すのも億劫な気がして、走って帰ろうとしたが。

──いや、思いの外、飲んじまったからな……。

 行きつけのバーである〝クォーター〟には、いつもなら誰かしらの連れを伴って来るのだが。
 今夜は、ムードが盛り上がったところで、水を差す電話が掛かってきた。

「カオルさん、ごめんね」

 と言って、仕事モードで店を出て行ってしまった相手を追う気にもなれず──。
 だからといって、すごすご帰る気分でもなかった。
 故に、いつもより長く滞在することになってしまったのだ。

──あそこで帰ってりゃ、降られなかったんかね? 今日はとことんついてない……。

 中に戻ってマスターに傘を借り、カオルは一歩踏み出した。
 だが、店と店の間……路地とも言えない店の裏手に繋がる隙間に、ちらと人影がある。
 そこには、クォーターでアルバイトをしている桐生がいた。

 薄暗い路地に差し込むのは、通りの向こうの街灯の光だけ。
 背が高い独特のシルエットゆえに、それが桐生と判ったが。
 よく見ると、影は一つではない。

 最初はゴミ出しでもしているのだろうと通り過ぎたカオルだが、二つ目のシルエットが〝誰だろう?〟と思ったら、思わず引き返していた。
 自分が傘を借りた程度に、マスターは店内にいる。
 クォーターにはマスターの他、従業員は桐生しかいない。

「初めてなんでしょ? 三万……いや五万出すよ。俺も誠意を見せたいからさ」

 聞こえた声は、クォーターで何度か見かけた佐伯のものだ。

──あいつ、界隈でもあんまり性質たちの良くない噂しかないんだよなぁ。

 カオルは傘を畳むと、サッと路地の奥に入っていった。

桐生きりゅうくん、待たせてわるかったね」

 カオルの声掛けに、佐伯がギョッとした顔で振り返る。

「あ……、えっと、じゃあ……ね!」

 取り出しかけていた財布をしまうと、佐伯はそそくさと立ち去った。

「あ、ごめんね。話に割り込んじゃって……」

 ヘラッと謝るカオルに、桐生がぼそっと呟いた。

「……で……ですか……」
「え……? なに?」
「なんで、遮ったんですかっ!」

 握りしめられ、震えている拳。
 少し怒った口調と、歪んだ口元。
 雨に濡れそぼったまま、桐生は仄暗い目をしてカオルを見ている。

「だって、きみみたいな将来有望な若者が、あんな与太者に喰い物にされるの、見過ごせなかったんだもの」
「どこが……、僕のどこが将来有望なんです? もう、アパートも追い出されて、寝る場所もなくて……」

 桐生の頬を伝う水滴は、明らかに雨ではない。
 少々面食らったカオルは、それでもすぐに我に返って、パンッと傘を開いた。

「よくわかんないけど……。とにかく冷えちゃうから。もっと落ち着いたところで話聞こっか?」


§


 カオルの部屋は、クォーターからほど近い高層マンションの一室だ。
 独り者で家族は居ない。
 桐生を説得して連れ帰る前に、スマホから遠隔操作アプリで風呂を炊いておいた。

 桐生が風呂に入っている間に、自分にコーヒーを、桐生にはインスタントのスープを用意しておく。
 カオルのバスローブを着て出てきた桐生は、手足がつんつるてんだったが、雨で強張った表情はやや落ち着いていた。

──俺より二十センチはデカいからなぁ……。

 濡れた服を着せるわけにいかないと思ったが、これは失敗だったな……と、カオルは反省した。
 裾と袖からニュッと突き出している脛と前腕の線が、想像以上に綺麗な筋肉が付いた美しいラインを描いていて、少々目のやり場にも困る。

「これ、飲んで。えっと、腹は減ってる?」
「いえ……、ありがとうございます……」

 ソファを勧めると、大人しく座る。
 あの雨の中の激情が嘘のように、190センチ超えの体を縮こめるようにして、桐生は俯いていた。

 岩永いわなが桐生。
 クォーターに一年前からアルバイトとして入っている大学生だ。
 マスターの四谷よつやとは知り合い……よりは少し遠い、ツテがあるのだ……と言う。
 曰く、苦学生で、給付型奨学金を受けられるだけの好成績を修め続け、国立大の法学部にかよっている。
 生活費を稼ぐために、くだんのツテでクォーターのバイトに入ったのだ……との話は、四谷から聞かされた。

「セイタカの可愛い子だからって、コナかけたら出入り禁止にするから!」

 とは、マスターの口癖だ。

──佐伯は……出入り禁止だろうな……。

 カップから立ち上る湯気を、ただ見つめているだけの桐生を、カオルはしばらく黙って見守っていた。

「あの……」

 声を掛けられないことに痺れを切らしたのか、桐生が口を開く。

「なんだ?」
「なにも……聞かないんですか?」
「聞くよ。でも先に、それ飲んじゃいなよ」
「……ありがとうございます」

 ようやくカップに口をつけた桐生の眉が、スープの温かさに緩んだかのように下がる。

「それで? 佐伯が口説いてたのは、想像の範疇だけど。マスターから、ああいう手合を相手にしちゃ駄目だって、言われてないの?」
「言われました……。でも、逆にそれならお金になるのかなって……」
「アパート追い出されたって言ってたけど、どうして?」
「家賃を三ヶ月……滞納しました」
「マスターに相談しなかったの?」
「……二度目なので……」

 桐生が、キュッと唇を噛む。
 クォーターの常連であるカオルは、この一年の桐生の働きを見ている。
 口数は少ないが、熱心で生真面目。
 マスターも随分可愛がっているが、それに甘える気配もなく、静かな佇まいと整った容姿も相まって、常連からの評判も良い。

「きみ、生活費を稼ぐためにクォーターでバイトしてるって聞いたけど……。仕送りはどうしたの?」
「ありません」

──まぁ、返済不要の奨学金狙うぐらいだから、なんか事情があるんかね?

 カオルはコーヒーを飲みながら、少し考えた。

「マスターが、きみはとっても成績が良くて、気持ちの優しいコだから、すごく良い弁護士になるって言ってたけど……」
「………………」

 カップを持つ手がかすかに震えて、俯いた顔からぽたぽたと雫が落ちた。

「あ、ごめん。泣かすつもりはなかったんだけど……」
「僕には……誰かの期待に応えられるような資質はありません……」

 嗚咽をもらし、桐生は肩にかけていたバスタオルで顔を覆った。
 しかし抑え込んだバスタオルの下から、更に嗚咽が漏れ出ている。
 カオルは立ち上がると、桐生の隣に座り直して、頭をぽんぽんと慰めるように撫でた。

「資質なんてのは、やってみなきゃワカランもんだ。そう簡単に、否定から入るもんじゃない」

 ブルブルと、桐生の頭が左右に揺れる。

「ん~、じゃあ、この部屋で住み込みのハウスキーパーさん出来る?」

 カオルの言葉に、桐生は顔を上げた。
 目元は真っ赤だが、驚きのあまり涙が引っ込んだらしい。

「え……?」
「だから、ハウスキーパー。三食の賄い付きで、給料は……相場はいくらだ?」

 スマホを手に取り、カオルは検索をする。

「待ってください! いくらなんでも、そんなの危ないですよ!」
「あ、俺がきみに手を出すかもって? クォーターのお出入り禁止は手痛いから、それは無いよ。大丈夫」
「違います! 僕が……この家のものを持ち出して、売ったりとか……」
「するの?」
「いえ、しませんけど……」
「なら、いいじゃない」
「そうじゃなくて! そんな簡単に僕みたいなの、信用しちゃ駄目ですってことで……」

 真剣に訴えてくる桐生の様子に、カオルは吹き出した。

「そこ、笑うところじゃありません!」
「いや~、きみみたいな真面目なコに、そんなこと言われてもねぇ」
「僕が真面目かどうかなんて、わからないじゃないですかっ!」
「クォーターでの働きぶりを見てりゃ、わかるよ。これでもちっちゃい会社経営してるし、それなりに面接とかして、人を見る目はあるつもりだよ」

 視線をスマホに戻し、ざっくりと検索結果を確かめる。

「相場は月に二十万みたいだから、それでいい?」
「駄目です! 僕がちゃんと仕事ができるかどうかもわからないのに!」
「そう? じゃあ、お試しってことで十五万で様子見る?」
「駄目っ! 駄目ですっ! そんな泊めてもらって、食事まで付いて、お金をもらうなんてありえません!」
「ハウスキーパーなんだから、ちゃんと給料は貰わないと駄目だよ。後で口座教えて。給料は振り込みのほうが安全だからね」
「待って! 待ってください! なんで……なんで僕なんかを、そこまでして助けようとするんですか……。意味が、わかりません……」

 押し留めるようにカオルの肩を掴み、桐生は必死の形相だ。

「うーん。クォーターにバイトに入った時から、可愛いなって思ってたし。そんなコが毎日、家で出迎えてくれたらって思うだけで、楽しいでしょ? 俺にとっては、それだけで充分かな?」
「それ、理由になってません」
「俺が良いと思えばいいじゃない。あ、部屋はそこを使って。とにかく湯冷めしても困るし、俺は酔ってるし、面倒な話は明日以降にしよう」

 カオルは話を聞かず、戸惑う桐生を客室に押し込んだ。
 戸口で一度だけ、桐生が振り返る。
 カオルの背中を見て、何かを言いかけたが、結局そのまま扉を閉めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

先輩、可愛がってください

ゆもたに
BL
棒アイスを頬張ってる先輩を見て、「あー……ち◯ぽぶち込みてぇ」とつい言ってしまった天然な後輩の話

完成した犬は新たな地獄が待つ飼育部屋へと連れ戻される

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

スライムパンツとスライムスーツで、イチャイチャしよう!

ミクリ21
BL
とある変態の話。

壁乳

リリーブルー
BL
ご来店ありがとうございます。ここは、壁越しに、触れ合える店。 最初は乳首から。指名を繰り返すと、徐々に、エリアが拡大していきます。 俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 じれじれラブコメディー。 4年ぶりに続きを書きました!更新していくのでよろしくお願いします。 (挿絵byリリーブルー)

処理中です...