君の場所になりたくて

琉斗六

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2:カオル

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 立花馨たちばなかおるは、ベンチャー企業を経営している。
 朝は六時に起床し、近くの森林公園のランニングコースでジョギングをしてから、朝食を取り、近くのビルに借りているオフィスに出勤するのが日常だ。
 故に今朝も、目覚ましに鳴るスマホのアラームを止め、なんとなく酒が残っている頭をしゃっきりさせようと、洗面所に向かったのだが──。

「おはようございます」

 声を掛けられ、びっくりして立ち止まった。
 キッチンに立つ、背の高いシルエット。
 その静かな佇まいは、クォーターのカウンターで見慣れたシルエットだ。

「あー、えーと……、おはよう」

 薄れかけていた昨晩の記憶が蘇り、そういえば勢いで桐生を連れ帰り、ハウスキーパーとして雇ったんだっけ……と思い出す。

「朝食、なにがいいかわからなかったので、冷蔵庫にあったもので適当に用意しました」
「あー、うん。なんにも言ってなかったのに、すごいね」

 何気なく、そう言ったのだが。
 桐生は、ぱあっと頬を赤らめて、それを隠すように慌てて体ごと向こうを向いた。

「別に……すごくなんかありません。冷蔵庫にあった食パンと卵です……」

 語尾は、やや小さくなっている。
 カオルは椅子に座った。

「どうしたの? 一緒に食べないの?」
「でも、僕はハウスキーパーですし……」

 カオルはチラと時計を見やり、即座にジョギングをやめて桐生との話し合いの時間にしようと決めた。

「でも、三食付きって約束だし。きみも学校に行くんだから、いちいち時間ずらして別々にするほうが、合理性を欠くよね?」
「そう……ですね」
「じゃあ、決まり。すぐにきみの分も持ってきて、一緒に食おう。きみもコーヒーでいいかな?」
「あの、それは僕が……」
「いいから、いいから。それに早く座って、昨日説明しなかった話もしたいから」
「はい……」

 すごすごとでも表現すべきか?
 桐生はフライパンの中に残してあったスクランブルエッグを皿に移し、食パンを持ってきた。


§


「俺の名前は、知ってるよね?」
「立花さん……ですよね?」
「うん。俺は毎朝、起きてから近くの公園にジョギングに行く。だから、朝飯を食べるのは七時だ」
「えっ? あ、それじゃ、僕……。……すみません……」

 狼狽え顔で謝る桐生に、カオルは笑みを向ける。

「謝る必要は無い。これは俺の伝達不足。それを埋めるために、今は話し合いをしてる。きみの学校の始業時間や、そちらのスケジュールも俺は全然知らないし、これからすり合わせは必要だしね」
「……はい」
「朝食は七時で、きみは大丈夫かな?」
「大丈夫です。……アパートより、こちらのほうが近いので」
「うん。きみは、学校が終わったら、真っ直ぐクォーターに行くのかな?」
「いえ。学習サークルに入っているので……。営業時間の十分前までに、お店に行く約束をしています」
「じゃあ、その辺りは今まで通りにしよう。ハウスキーパーで、きみの成績が落ちても困る」
「でも、それじゃあ、ますますお給料をもらうことは出来ません」

 フォークを握っている手に、ギュウっと力がこもる。

「きみ、ケータイは?」
「え……?」
「俺、結構、スケジュールがころころ変わるからさ。食事の支度とかいらなくなった時に連絡したいから」
「……すみません、ありません」

 その返事は、予想していた。
 家賃を滞納して部屋を追い出された桐生の経済で、携帯電話が維持できるとは思っていなかったからだ。

「じゃあ、俺のスケジュール把握のために、会社のケータイをきみに渡そう」
「そんなっ!」
「俺の都合って、言ってるでしょ」

 桐生は、黙り込んで唇を噛む。

「この部屋は、週に一度ハウスクリーニングが入ってるから、掃除はしなくていいよ。きみがするのは、俺の食事の世話と、一日に一回、洗濯機を回すこと。全自動で乾燥までするから、終わったら洗濯機の後始末をして」
「あ……後始末?」
「乾燥機使ったら、フィルター掃除とかしなきゃいけないんだよね。あと、ごみ捨てとか、風呂掃除とか……。いわゆる名も無き家事ってやつ全般をやってよ。会社のケータイを渡したいから、俺の秘書ってことにしとこうか。肩書きだけね」
「あの……、やっぱりなんかそれって……」
「いいじゃない。俺がきみみたいな若くてイケメン侍らせて、面白がってるだけって思えば」
「……僕、イケメンじゃないですし……。そんなこと言われたの、初めてです」
「そう? 俺の好みの顔だよ?」

 途端に桐生が、ぱあっと頬を染める。
 コーヒーを飲み、食事を完食して、カオルは両手を合わせた。

「ごちそうさま。美味かったよ」
「いえ、お粗末様です。……って言うか、なんにもしてませんし」
「そう? スクランブルエッグ、ふわふわで美味かったよ?」
「あ……ありがとうございます……」

 桐生は耳まで赤くして、俯いている。

──こりゃ、褒められ慣れてない……どころじゃないな……。

 カオルは、桐生の様子に、少しだけ疑問を持った。


§


郷田ごうだくん。俺、昼メシを関東マカロの常務と食って、そのあと直帰するから」

 午前の業務にメドがついたところで、カオルが言った。
 カオルの経営するベンチャー企業〝ネクスラボ〟で専務を務める郷田は、思い切り嫌な顔をする。

「またか!」
「また……って、仕事だよ?」
「関マの上田さんと飯食うのは仕事かもしれんが、直帰は仕事じゃねぇだろ?」

 郷田は、立ち位置としては〝部下〟だが、元を正せば創業時の相棒でもある。
 同期にして親友であるがゆえ、物言いに歯に衣着せぬところがあった。

「今日は、ちょっと用事が……」
「そのちょっとの用事って、この履歴書真っ白で顔写真もない〝新しい従業員〟の件か?」
「いや、会社のケータイを一台使いたいから、バイトの秘書ってことにしたけど。マジで俺の三食の面倒見てくれるハウスキーパーさんだから……」
「もっときちんと、説明してくれませんかね? 社長さん?」

 ずいっと顔を寄せてくる郷田に、カオルは両手を上げて〝降参〟のポーズを取った。

「きみに言わなかったのは、申し訳ない。……が、ちょっと俺以外のプライバシーも絡むんでな」
「良いですよ。どうせいつだって、あんたの個人的事情で、意味不明のしわ寄せ食ってんですから」

 郷田は腕組みをし、こめかみに血管を浮かせつつも、笑顔を浮かべている。

「実は──」

 昨夜の件を、かいつまんで話したところで、郷田は大きくため息をいた。

「あんたってヒトは、ほんっとに度し難いお人好しだね!」
「えーと……、一応下心もあるよ?」
「フツーに下心があったら、ハウスキーパーなんて回りくどいことしないで、愛人にでもするでしょう」

 長い付き合いの郷田は、カオルの性癖を知っている。

「いや~、そんな無謀なことは〝お願い〟出来ないよ。いくら元気な大学生つったって……」

 引き攣った顔で笑うカオルに、郷田は諦めと言うよりは同情の混ざった困り顔を返してくる。
 性癖を知っているほどの付き合いがある郷田は、カオルの〝困った夜の事情〟を、なんとなく察していた。

「まぁ……、一晩ホンキでおまえに付き合ったら、フツーに殺されるしな」
「やめろ。言うな……」

 カオルは手を上げて、郷田の言葉を遮る。

「だが、直帰は貸しだからな」
「はーい、専務様」

 出かける支度をして、カオルは部屋を出ていった。


§


 取引先の常務とのランチミーティングを済ませたあと、カオルはクォーターに向かった。

「まだ、営業前よ~」

 カランカランとドアベルを鳴らして中に入ると、床を磨いていた四谷の声がした。

「いや、マスターに相談があって」
「あらカオルちゃんが相談? なんだろ?」

 四谷は、一見すると普通の中年男性にしか見えない。
 服装も白シャツにカマーベスト、蝶ネクタイにスラックスと、オーソドックスなバーテンダーのそれだ。
 店名の〝四分の一クォーター〟も、マスターの苗字である四谷をもじっているのと、ハーフの更に半分の意味も含まれている。
 四谷自身はゲイだが、店の客は他人に迷惑を掛けない限り、性指向がなんでも受け入れるというスタンスだ。

「実は昨日、店の裏で佐伯さんが岩永くんを誘っててさ」
「佐伯さんも懲りないなぁ~。駄目だって口酸っぱく言ってあるのに……」
「それが、岩永くんがついて行きそうだったんだ」
「ええっ!」

 それまで、カウンターのスツールに座るカオルに背を向け、掃除を続けていた四谷が、手を止めて振り返った。

「まさか! きりおちゃんには、近づいちゃ危ないお客さん、ちゃんと教えてあるのに!」
「きりお……?」
「ああ、うん。お店では、きりゅうちゃんって呼んでるけど、あのコ、自分の名前嫌いなンだよね~」
「まぁ……、ちょっと変わった名前だよな」
「そんなヌルい理由じゃないの。あのコ、実はあたしの実家の近所の家のコでね、うちのママがすっごい肩入れしてんの」
「ママ……って、マスターの母?」
「あたしは自分がママって名乗るほど、オネエ道を極めちゃいないわよ」
「はい、すみません」

 四谷は、再びモップで床を磨き始める。

「きりおちゃん家は、近所でも有名な〝長男教〟なのよ」
「なにそれ?」
「長男至上主義っていうの? 岩永さん家は、お兄さんの桐一郎とういちろうさんときりおちゃんの兄弟なんだけどね。とにかく、トーイチロウさんには塾だ習い事だってお金を使うのに、次男のきりおちゃんは放ったらかしで有名なのよ」
「あー……」

──褒められ慣れてないどころの騒ぎじゃないわけだ……。

 カオルは昨晩からの桐生の反応を思い返し、納得する。

「あたしはママから聞いただけなんだけど。とにかくきりおちゃんが奨学金で大学進学を決めたって話を、家の人は誰も喜ばなかったらしくって。きりおちゃんの進学先の学校が、この店の近所だって聞いたから、ママがこっちでアパート探すのの保証人になってやってくれって言ってきてね」
「昨日聞いた話だと、彼、家賃滞納してアパート退去させられたんだそうだ」
「ええー! あたしなんにも聞いてないよ!」
「二度目だから、切り出しにくかったって言ってたよ」

 床を磨き終わったのか、四谷はモップを片付けて、カウンターの内側に入る。

「ちょっと待って。じゃあ、佐伯さんの魔手から逃れたきりおちゃんは、カオルちゃんの毒牙に掛かっちゃったの?」
「毒牙とか言うなよ。保護しただけで、なんもしてないし」

 ジッとカオルの顔を見てから、四谷は肩を竦める。

「ま、カオルちゃんは、ジェントルメェンだもんね~」
「なぁんか、トゲのある物言いだなぁ」
「それで今、きりおちゃんはカオルちゃん家にいるの?」
「今朝、飯を食わせて……と言うか、俺が飯を食わせてもらってから、登校してったよ。それで、しばらく俺のトコでハウスキーパーしてもらおうと思ってさ。一応……保護者? のマスターに、話通しておこうと思って」
「ありがとね」
「しかし、アパートの家賃込み込みで、暮らせる給料渡してなかったのか?」
「無茶言わないでよ。そもそもこの店、あたし一人で切り盛り出来るちっちゃい店だし。出せる最大は出してたのよ? どーしても足りない時とか、困った時は相談しなさい……とは言ってあったんだけど」

 グラスに軽い飲み物を注ぎ、カオルに差し出しながら、四谷は困ったように笑った。

「……まぁ、ママだってさほど懐かれてたワケじゃなくて、ただのおせっかいであたしに保証人頼んできただけだし。きりおちゃんには、頼って良い相手とは思われてなかったのかもね~」
「いや……、……そもそも、頼るって考えが、全くないんじゃないかな……」

 カオルのため息に、四谷のため息が重なった。
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