Marionette -マルチメイド編-

琉斗六

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Scene.17

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「ハルカ、携帯鳴ってたぞ」

 一息入れにミキシングルームに踏み込んだ瞬間、マツヲさんがそう言った。

「え? 電話ですか?」
「かな? メールとは着信音が違ったから、電話だったかも」

 携帯をチェックすると、確かに着歴が残っているけど。
 なんか見覚えが有るような無いような番号だ。

「どうした?」
「いえ、別に」

 しかし今時ナンバーディスプレイに名前が表示されず、番号だけが残っているのなんて、ワンギリ以外には考えられない。
 ナンバーが気になるにはなるけど、知り合いだったら携帯に登録されている名前が表示されるだろうし、似てる番号を勘違いしていないとは言い切れない。
 ワンギリ以外の心当たりと言えば、件の慇懃無礼弁護士だけだ。
 コレはこのまま放置してしまおう。
 俺が携帯を片付けて、側のパイプ椅子に腰を降ろすと、またマツヲさんから声が掛かる。

「ハルカさぁ、今日は家に帰るの?」

 この問いかけはすっかり恒例化していて、同席しているカズヤなどもう気にもしていない。

「え? あぁ、別にどっちでもイイですけど」

 実を言うと、わざわざ松原氏に「貸し出し」を申し出た理由の半分以上はコレなのだ。
 というのも、俺はあれっきり一度も自宅に寄りついていなかった。
 柊一はずっと俺のマンションにいて、外出はまったくしてない。
 わざわざ見張ってたワケじゃないが、柊一が家から出ると、俺の携帯に出掛けていた時間と行動範囲がメールでレポートされるようになっているから分かるのだ。
 これは高額商品であるマリオネットの盗難防止保険の一つで、オーナー登録した人間は、マリオネットの行動を把握出来るようになっているのである。
 メールがこないってコトは、柊一は日がな一日、あのマンションに閉じこもったままってコトになる。

「なあハルカ、今日も俺んちに帰るなら、サムに俺は遅くなるっつっといて」
「あ、はい。それは構いませんけど。マツヲさん、今日も残業ですか?」
「ヴォーカルパートで遊んでみたいって話があったじゃん。だからこれからちょっと、いじってみようかと思ってさ。みんなで残るほどでもないし、カズヤなんかたまにはちゃんと帰らせてやらないと、カミサンが可哀想だろ?」
「それなら俺、一緒に残りますよ。マツヲさんがどうやってアレンジ加えるのか、スッゲェ興味あるし」
「んか? じゃあ残ってけよ」

 レコーディングも佳境に入ってきて、スタジオに泊まり込む事も頻繁だ。
 それこそ今のやりとりの様に、居残っていても誰も何も言わない。
 俺がどれくらい深刻になっているか全然知らないマツヲさんは、軽い感じで「今日どうするの?」なんて訊いてくる。
 マツヲさんは気楽な独り者だから、俺が自分の家に入り浸っている事にも、最初からなんの文句も言わない。
 元々マイペースなヒトだし、人恋しいとか寂しがりなんて単語とは無縁で、オマケに根っからのお祭り人間の酒飲みだから、逆に「ちょうどイイ飲み相手が出来た」程度にしか思ってないフシもある。
 俺が転がり込んだ翌日には、スタジオで「マリオネットに気兼ねして家に帰れなくなったバカ!」と吹聴して回ってくれたから、ここにいる連中はマツヲさんが帰りがけ俺に「今日はどうするんだ?」と訊ねてきても、誰も不思議にすら思わない。
 ただ中には『家をマリオネットに明け渡して全く帰らない俺』を心配し、お節介を焼いてくれようとする輩もいるので、俺は時々家に帰るフリをして、カプセルホテルに泊まったりしていた。

「あ~サムか? 俺だけど。今日は夕飯いらないから。夜は何時になるか判んねェケド、多分ハルカも一緒だから部屋の用意しといてな」

 いきなりマツヲさんが喋りだしたので、何かと思ったら、自宅へコールしてるようだ。

「マメっすねぇ」
「だって電話しとかねぇと、サムがウルセェんだもん!」

 隣で話を聞いていたカズヤが、揶揄するように言った。

「マツヲさん、聞き分けのないマリオネットは張り倒して言うコトきかせるんじゃなかったですか?」
「バッカッ! オマエだってサムの腕見たろ! こんっっなブットイんだぞ!」
「だってマリオネットなんだから、それで殴り掛かってくるワケでもないんでしょ?」
「冗談じゃねーよ! アイツは俺がどんなに抵抗したって、チョイチョイっと押さえ込んで卍固めだの関節技だの仕掛けてくるんだぞっ! 人間が壊れない程度のチカラ加減を心得てて、しかも人間が痛がるツボも判ってて、オマケに笑いながら関節技仕掛けてきて、説教するんだッ! ムチャクチャこええよ!」
「なんか最近のマツヲさんの発言って、全部サムネタですね」
「うおあああああ~~っ! そんなこと、ホントでも口に出していうなぁ~~~~っ!」

 しかしいくら絶叫した所で、現在のマツヲさんの生活はサムにコントロールされていると言っていい。
 職場で話を聞いているだけのカズヤにすら感づかれてしまうほどだし、イソウロウの俺などは、それを目の当たりに見てしまっているのでハッキリ断言出来る。

「ヤだな~、マツヲさん。そのうちサム目当てのヨメサン来ちゃうかもですよ?」
「いい加減に仕事しろオマエら!」

 俺とカズヤを追い立て、マツヲさんは強引にその話を打ち切ってしまった。



松原氏が柊一サンを借り受けに来る当日。
 俺は、駅前で松原氏を待っていた。
 別に深い意味はない。相変わらず家に帰れない俺は、ギリギリまで柊一と顔を合わせたくなかっただけだ。
 実のところ俺は、柊一を松原氏に貸すことは気が進まなかった。
 今回の法要の背後にある身勝手な目論見のことを思えば、柊一の身に危険が及ぶのではないかとすら思える。
 しかしその反面、柊一に元・オーナーの情報を与えてやりたいという気持ちもあって、全くバカげているのだが、俺は自分でもどうにもならないジレンマに陥っていた。
 柊一の存在意義から言えば、俺の手元に置くのは、無意味な強要なのだろう。
 だけど柊一を本当に必要としているのは、この世にきっと俺だけだ。
 元・オーナーであった多聞氏さえ、欲しかったのはシノノメ某であって、柊一じゃないのだ。
 でも俺がどんなに柊一を必要としていても、柊一が俺を必要としているワケじゃない。
 それどころか柊一は、慇懃無礼な弁護士や夫人が元・オーナーに繋がる人間という理由だけで、俺よりも彼らの方に興味を抱くのではなかろうか。
 俺が柊一のオーナーである事を唯一認めてくれている松原氏だって、その根底にあるのは「多聞夫人以外の誰かが柊一を所有していればいい」というだけのことで、俺という人間を認めてくれてるワケじゃないのだ。
 柊一を欲しいと思ってる俺の+感情以外の全てが、俺の手元に柊一を置くのは無意味なことだと言ってる。
 俺はそれを認めたくなくて、ずっと逃げているのだ。

「やあ、おはよう」

 改札から出てきた松原氏が、俺を見つけて声を掛けてきた。

「おはようございます」

 挨拶を返して、俺は松原氏を案内するように歩き出す。

「わざわざ迎えにきて貰って、申し訳ないね」
「いえ、別に」

 俺が親切で駅まで迎えに来たと思っているらしい松原氏に、小さな後ろめたさを感じつつ、曖昧な笑みでやり過ごす。

「それで、ですね。先にちょっとお伝えしておきたいコトがあるんですけど…」
「なんだい、今更改まって?」
「実を言うとウチの柊一サンは、一応俺の所有物ってコトになってますが、柊一サン自身は未だに自分のオーナーは多聞サンだと思ってるンです」
「えっ? そうなの?」
「正確に言うと、オーナーライティング用のメモリを強制ブロックされちゃってて、オーナー情報そのものがロードもクリアも出来ないんですよ。だからオーナーの顔と名前は思い出せないけど、俺じゃないってコトだけは識別出来ちゃう状態でして」
「ええっ、そうなの? ちゅーか、俺が言うのもなんだけど、そんな状態で良く売る気にならないね?」

 松原サンの当然の疑問に、俺は苦笑いしか返せなかった。

「最初は、話し合いでそれなりにやってンですけどね。でもその、先日ちょっとモメまして……。実は今、柊一サンひとりで置きっぱなしにしてて、俺は家に帰ってないんです」
「はあ…。変わってるねェ、神巫君って」

 そこで言葉を切ったけど、松原サンの顔には「マリオネット相手に気を遣ってる変な奴!」ってな様子がありありと浮かんでいる。
 まぁ、それがフツーの反応なんだけど、さ。

「それで、ちょっとお願いがあるんですけど……」
「何? あ、もしかしてレンのコトは、マリオネットに黙ってて欲しいとか?」
「いえ、その逆で。柊一サンに多聞サンのコトを出来る限り教えてやって欲しいんです」
「えっ? だってそれじゃあ………」
「その方が良いンです。…実を言うと、記憶がブロックされてるせいで、ギターを見ただけでフリーズしちゃったりして、日常生活に支障をきたしてるんですよ」
「そうなんだ。…まぁ、俺としては話していいって言われた方が、色々ラクだから構わないけどさ」

 松原氏はそう答えながらも、心中では俺の事を「モノスゴイ変人!」と思ったに違いない。
 本当を言えば俺だって、柊一に多聞氏の情報を与えるのが正しいことなのかどうか、解らない。
 俺はただ、一途に元・オーナーを想いながらも全く記憶のない柊一が、あまりに哀れで放っておけなかったのだ。
 でも柊一が切望しているその記憶を取り戻すということは、多聞氏がどうして柊一を造り、そして手元に置いていたのかの理由を知るという事になる。
 すなわち、柊一は多聞氏の恋人の身代わりであり、多聞氏が持て余した感情の捌け口にされていただけ…という事実を知ることになるのだ。
 それが人間を模した人工物であるマリオネットの宿命と言われれば、そうなのかもしれないが、それを知った時に柊一が深く傷付くのではないかと想像すると、俺の胸は痛んだ。
 だがそんなことも全部、意味の無いことなのかもしれない。
 俺がどう思っていようと、記憶が戻れば柊一の心には、俺の存在などまったく無くなるに決まっているのだから。

俺と松原サンは一緒に駅から歩いて、マンションに向かった。

「そうだ、先に言っておこうと思ったんだけど」
「なんですか?」
「ハルカ君は、法要の日程知ってるよね?」
「そりゃまぁ…」
「じゃあ終わったらすぐ、引き取りに来られるよね?」
「え?」

 松原サンは困ったようにちょこっとだけ笑う。

「今の状態じゃ、マイコ女史がなにやらかすかワカンナイからさ。俺のトコに長く置かないほうがいいだろ」
「ああそうですね。でもそういう言い方したら、松原サントコでも俺ントコでも、あんまり変わらないと思いますけど」
「でも……ハルカ君が心配かと思って」
「そりゃそうなんですけど……」

 松原サンの気遣いには感謝したが、でも引き取りに行って柊一にイヤな顔をされたら、俺は今度こそ立ち直れないかもしれないなぁ……と、ちょっとだけ思っていた。
 あんな慇懃無礼な弁護士やら、その後ろに控えている強欲な奥方なんぞには、何があっても絶対に柊一を渡すもんか! とは思うけど。
 元・オーナーの情報が欲しい柊一にしてみれば、少しでもそっちに近い場所に居たいんじゃないだろうか。
 離れている時はこうして冷静に考える事が出来ても、実際に柊一を目の前にしたら、俺はまた暴走して、先日の二の舞を演じてしまいそうだ。
 そんなのは俺にとっても柊一にとってもちっとも良い事じゃない。
 最悪、松原サンに引き取って貰わなきゃならないような事態になるかもしれないな…。
 マンションの扉を開けて、中に入る。
 室内はやっぱりチリ一つ無く綺麗に片付いていた。

「柊一サン、俺だけど…」

 なんとなく腰が引けた声で呼びかけてみる。
 柊一は確かにいるはずなのに、返事がない。
 声の届きにくい部屋にいるらしいと察しを付けて、松原サンと一緒に「仕事部屋」を覗くと、窓際に脚立が置いてあり柊一はその上に乗って窓際の目張りを直していた。

「ハルカ?」

 扉が開いたのに気付いてこちらを向いた柊一が、ビックリしたような顔で、脚立から降りてくる。

「柊一サン、こちらは松原サン。柊一サンの元・オーナーの友達だ」
「えっ?」

 俺に言われるまで、そこに松原サンが居た事に全く気付いていなかったみたいに、柊一は目をしばたたかせた。

「松原サンは、柊一サンに用事があって、迎えに来たんだ」
「迎え?」
「元・オーナーの代理だってさ」

 俺がそう言えばきっと、柊一は以前に見せたような全開の笑顔を見せるんだろうと思っていた。
 なのに柊一は、ただ戸惑ったような顔で俺を見ているだけだった。
 柊一が戸惑っているのは、やっぱり先日の一件の所為なのだろうか。
 だとしたら柊一にそんな顔をさせているのは他ならぬ俺自身なのだけど、柊一が「俺に対する未練」で戸惑っているわけではないのだと思うと、やりきれないような苛立ちをどうしても押さえる事は出来なかった。

「行けよ。俺は別に引き止めないから」
「でも、ハルカ、俺は………」

 何かを言いかけた柊一を睨みつけて黙らせると、俺は松原サンに振り返る。

「じゃあ、あとはお願いします」

 俺と柊一の様子を理解しかねていたような松原サンは、取って付けたように返事をした。

「あ、うん。じゃあまた、連絡を入れるから」

 松原サンに促され柊一も歩き出したが、その背中を見送っていると、まだ不安そうに俺に振り返ってくる。
 俺は俺自身の未練を断ち切るため、部屋の扉を閉めると、松原サンを見送りもしないでその場に蹲った。
 あんなふうに戸惑ったり、振り返ったりしていた柊一の行動が、もしも俺に対する恋慕からだったらどんなに嬉しいだろう。
 でも松原サンの元に行けば、柊一は元・オーナーの事を知る。
 そしてその元・オーナーの所に戻る事は出来なくても、元・オーナーの友人である松原サンや、その他諸々の多聞氏の友人達と、元・オーナーの事を語り合う事も出来るだろう。
 そこに俺は必要ない。
 もっと言ってしまうなら、柊一の時間の中に俺は全く必要なかったのだ。
 最初から今に至るまで、柊一にとって俺はイレギュラーでしかなかった。
 それが痛いほど解って、とてもじゃないけどやりきれなかった。

 レコーディングも佳境に入って、ほとんどスタジオに入り浸りの日々が続いている。
 ほとんどみんなが徹夜と仮眠を繰り返しての作業に煮詰まってきているが、特にプロデューサーのマツヲさんは無精ヒゲもぼさぼさの酷い状態だった。
 俺やカズヤはそれでもたまに家に帰っていたけれど、マツヲさんはスタジオ缶詰状態で、それこそもう1週間近くも家に帰っていないのだ。
 作業途中で息抜きモードになると、ひたすら「愚痴」の嵐になるのも道理だった。

「ああ、俺のいないサミシイ夜を、ノリカちゃんとマリンちゃんはどうやって過ごしているんだろう!」
「でも、サムは毎日ココに顔出してますよね?」
「しょーがないだろ! 着替え持って来てって言うと、サムが来ちゃうんだもん!」
「ならオンナノコをご指名すればいいじゃないですか」
「ヤダ! 深夜だからノリカちゃんとマリンちゃんの身に万一の事があったら困るモン!」
「昼間に言えばいいじゃないッスか」
「だって気付くともう夜なんだモン!」
「まぁまぁ、もうちょっとで終わりますから~。そしたらオフになるんだし、日がな一日ノリカちゃんとマリンちゃんのおっぱい揉み放題ですよ~」
「ヤダ~! 俺は今すぐノリカちゃんとマリンちゃんに慰めて欲しいんだよ~!」

 そういえば、松原サンに柊一を預けてから、既に2週間ほどになるのだ。
 俺のテンションは最低だったけど、レコーディングそのものはもう後半に入っていたから、実質的な影響はほとんど無かった。

「同じマリオネット・オーナーとして、ハルカもやっぱりこーいう心境になるの?」
「なるワケ無いでしょ? 第一、今ウチに柊一サン居ないし」
「ああ、そういえば誰かに貸してるんだっけ」
「それ以前にハルカんトコのマリオネットは男だぞ! 俺の切実さと一緒にしないでもらいたいな!」

 プスプス音でも出しそうなぐらい拗ねているマツヲさんはそう言ったけど、俺の切実さは本当に、マツヲさんの比じゃない。
 今の俺は、柊一の事を考えないようにするだけでも必死なのだ。
 あっちで上手くやっているだろう柊一は、もう現オーナー(俺)の事なんてカケラも覚えてないんだろうけど……。

「そーいえば、スタジオに缶詰のマツヲさんは知らないと思うけど、俺が昨日ウチに帰った時にさぁ…」
「ウチに帰った話なんかすんなー! うえええ~ん、ノリカちゃ~ん! マリンちゃ~~んっ!」
「マツヲさんウルサイです。少し寝てきた方がイインじゃないんですか?」
「うるさいからって寝かすなーっ! 俺は赤ん坊じゃねー!」
「んで、カズヤはウチに帰ったらなんだつーのよ?」
「大した話じゃないんだけど。なんとなくテレビつけたら、ほら、こないだ噂したばっかの多聞氏さ、法要を大々的にやってたとかゆー話を芸能ニュースでやっててさ」
「いいなぁオマエらは! ウチに帰ってテレビ見てるヒマがあって!」
「マツヲさんも終われば帰れますってば…」
「んで、カズヤはその中継を見て涙でもしたのか?」
「涙したとは言わないケド~。でも坊さんが念仏あげる代わりに、集まったミュージシャンが1曲歌うって趣向になってて、なんかちょっとしたイベントライブみたいな感じでさ。俺もああいうのやってもらいたいな~なんて思ったワケよ」
「へえ、そりゃ面白いな。俺も死んだらそーいうのやってもらおうっと」

 拗ねていた筈のマツヲさんが、そんなこと言う。
 それにしても法要はもう終わってるのか。
 教えられた日程なんか、まったく覚えていなかった。

「それで、多聞氏のカミサンってのも歌手だったらしくて」
「そうそう! 永倉麻衣子ちゃん! 俺、昔ファンだったんだよなぁ!」
「マツヲさんってストライクゾーンが広いですねえ」
「そうか? 歌は下手だったけど、今時ゆートコの癒し系の声だったんだよナ~。美人顔のえくぼがチャームポイントでサ。でも今じゃきっとただ歌の下手なババアになっちゃったんだろうナ~」
「あの~、そんなに歌下手なんですか?」
「うん、下手だったナ~」

 マツヲさんは腕組みをして、感慨深いような顔つきで「下手だ、下手だ」と繰り返している。

「そんなに下手で、よく歌手なんてやってましたねぇ?」
「ナニ言ってンだよ、アイドルってのは歌が上手くちゃダメなんだ! 最初はイモ臭いくらいが丁度良くて、次第にあか抜けして行く様子をだな、ひな鳥を育てるようなココロで見守るのがファンの醍醐味なんだよ!」
「それなら歌唱力だって上達しなきゃ…」
「ダメなの! アイドルってのは危なげによろよろとしてるのが可愛いんであって、上手くなっちゃったらもうつまらんのだ!」

 マツヲさんの力説を拝聴し、俺はカズヤに目線で「判る?」と問いかけてみたが、カズヤは黙って首を横に振り、肩をすくめただけだった。

「それで俺がテレビで見た時に、式典中にカミサンが歌った場面をやってて。マツヲさんが言う通り、箸にも棒にも引っかからない歌だったけど、でも俺ムショーに感動したっていうか、ジーンとしちゃったんだよなぁ…」
「あのド下手なアイドル・ソングでか? マジ?」
「そーじゃなくて。歌ったのも持ち歌じゃなくて、なんつったけな…洋楽で、カバーされたりCMに使われてたりしてるから、割とスタンダードと思うんだけど……」
「チョイ歌ってみろよ」

 促されて、カズヤが数小節を口ずさむ。

「あー、あーあーあーそれ、ベット・ミドラーだ! 映画のタイトル曲で…タイトルは…あー……なんつったっけ?」
「ローズじゃないですか?」
「そうそう! 俺、あの映画見てシビレたんだよな~!」
「アイドルの次はベット・ミドラーですか? ホンットにマツヲさんって、ストライクゾーン広いッスね」
「バッカッ! ベット・ミドラーはストライクゾーンとは無関係だ! あの映画はジャニス・ジョプリンがモデルになってるのもイイんだけど、演じたベット・ミドラーが実にイイんだよ! 見たコトないんだろオマエら!」
「映画は見てないですけど、曲は知ってますよ」

 自分は旦那を偲んでるんです的なポーズを取るつもりなら、法要の際の「ローズ」は効果的な手段だったろう。

「でも俺は麻衣子ちゃんに歌われたローズなんて、最悪って言葉以外思い浮かばねェぞ?」
「マツヲさん、それって元・ファンとして、問題発言なんじゃないですか?」
「アイドルのファンなんてミズモノなんだよ」
「いや確かにそーなんです、最初カミサンが歌ってた時はもう、箸にも棒にもだったんです。でも途中から誰かが一緒に歌い出して、それがスゲー……なんつーか、ガツンと来ちゃって」
「誰かって、誰よ?」
「それがよくわかんなくて。深夜のニュース番組の中の芸能ニュースなんて秒撮で、詳細も語りませんからねえ。俺も知ってる歌手なら解りますけど、件のカミサンだって画面で見てた時には全くわかんなかったぐらいですモン、知らない参加者の声なんか解るワケ無いっす」
「そりゃそーだな」
「なあ、この着信音、ハルカの携帯じゃない?」
「え? あ、ホントだ」

 俺は、上着のポケットに入れっぱなしの携帯を取り出す。
 メールではないので、受話して耳に当てた。

「ああもしもし、ハルカ君?」

 繋がった瞬間、妙に逼迫した松原サンの声がする。

「そうですけど」
「今、レコーディングの最中なんだっけ? ゴメン、忙しいのは解ってるんだけど、すぐに出てきて欲しいんだ」
「ええ? 一体、どうしたンすか?」
「マリオネットのことで問題が起きた。でも電話で簡単に説明出来るような話じゃないんだ」
「えっ? 柊一サンがどうかしたんですか?」
「悪いけど一言じゃ説明出来ないから、とにかく俺もこれからそっちに向かう。途中で合流してくれ」
「マツヲさん! 俺、今すぐ抜けたいんですけど!」

 振り返った俺に、マツヲさんとカズヤは驚いた様子で顔を見合わせる。

「抜けるって………どうしたの?」
「柊一サンの件なんですけど、緊急を要するみたいなんです」
「緊急?」

 ますます不審な顔で、マツヲさんは首を傾げた。
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