メビウスのトンネル

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第3話

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「珍しいな、若いミュージシャンにわざわざ声をかけるなんて」

 東雲氏と多聞氏の間からひょこっと顔を出したのは、俺の本命・中師氏だった。

「わざわざとか言われるほど俺は偉くないって。以前からハルカのファンだし」

 東雲氏に紹介されて、俺は中師氏に名刺を渡し、しっかり顔も覚えてもらった。
 業界トップの権力者は、一見したところ実に穏やかな紳士だった。

「イベントはどうでしたか?」
「はい、東雲サンのステージって、俺は初めて見せて頂いたんですけど。圧巻でした」
「初めてって部分が、ちょっと引っかかるなぁ」
「あースミマセン、勉強不足で…」
「そういう柊一は、ハルカ君のステージを見てるのか?」
「先日のO-Eastで3回目かな? オーディエンスが男多いよねェ?」
「そうっすね、俺のファンはオンナノコよりヤローの方が多いですよ。そーいう意味では、ステージから見た時に花がないですけど」
「そりゃまぁ、フワフワした女の子の方が可愛いけどさ。でも男のファンが多い方が、ロックやってるって感じしてイイじゃん?」
「そうっすか~?」
「そー言う割りに、シノさんってばステージの上からオンナノコが薄着で来てるのチェックしてるんじゃん」
「してねェって」
「え、してないの? それはそれで精神科医としてひっかかるナ」
「オマエ、それどっちなんだよ~!」
「多聞サンって、精神科のお医者サンなんですか?」
「ん? 言わなかったっけ?」
「ハルカ君は、キミが柊一の主治医なのに、専門が精神科なのが不思議なんだろう?」

 ちょっと言い出しにくい事を中師氏にサラッと言われてしまって、俺はどういう顔をしていいやら少し困ったが。

「本業は精神科なんだけどね。でもほら、個人経営のお医者サンは病気の選り好みなんてしてられないからさ。内科も外科も小児科も婦人科もオールマイティでやってま~す」
「だからなんでそこで、小児科だの婦人科だの俺に無関係の分野を出してくるんだよ、オマエは?」
「シノさんに関係なくても、俺自身の紹介だもん。いーじゃん別に」

 打ち解けた感じの東雲氏やトボケた多聞氏との会話は、意外に面白くて。
 せっかく中師氏がそこにいるって言うのに、俺はこれといったアピールもしないまま、雑談ばかりで時間を過ごしてしまった。
 
「ハルカは、この後帰るのかい?」

 三々五々と客が引き始めた頃に、東雲氏がそう訊ねてきた。

「特に予定は無いッスけど……」
「俺、腹減っちゃったナァ。カクテルは美味しかったけど、つまみが乾きモノばっかりなんだもん」

 皿の上のポテトチップスを指でつつき、実に不満そうに多聞氏がぼやいた。

「どうしたんだ?」

 引き上げていく客を見送っていた中師氏が、東雲氏が引き上げモードに入ったのに気付いたように戻ってくる。

「レンが腹減ったとか言ってるから、ちょっと食って帰ろうかと……」

 答えた東雲氏に笑みを向けたまま、中師氏はチラッと俺の様子を見た……ような気がした。
 その仕種から、てっきり海のものとも山のものともつかぬ俺という存在を牽制しているのかと思ったが。

「食事に行くのは構わないが、今日は北沢クンがいないから、キミの嫌いなボディガードが付いて回るよ? 明日に響くようなことになれば困るしな」

 途端に、東雲氏の表情が曇る。

「…でも、レンも一緒だし…。別に大丈夫だよ」
「北沢クンがいない時は、ボディガードをつけるのが約束だろう?」

 東雲氏と中師氏の会話は、なんだか妙なカンジだった。
 それは、ずっとバリアを張っててシモジモの者を寄せ付けなかった中師氏が、東雲氏と話を始めた途端に俺の隣にぴったり付いたままになった時点で、既に感じていた違和感なのだが、中師氏は東雲氏の身を案じているようでいて、実は東雲氏の言動を見張っているような気がしてきたのだ。
 確かに先程からほんの数時間ではあるが、言葉を交わした東雲氏は、意外なほど気さくというか天然素質を持った人柄だったが、しかしここまでガードを固める必要があるようにも思えない。
 とはいえ中師氏みたいな人間が考える事が、俺に計り知れるものでもないから、そんなモンなのかと思うだけだが。

「シノさん、今日は止しとこうよ、中師サンはシノさんのためにボディガードをつけてくれているんだからさ」

 不満そうな東雲氏を多聞氏が宥める形で場を納め、東雲氏は半ばボディーガードに拉致されるみたいな格好で、その場から連れ去られた。
 早々に中師氏も消えてしまい、俺は多聞氏と二人で残された。

「ハルカ君は、地下鉄?」
「ええ、大手町で乗り換えです」
「じゃあそこまでは一緒だ」

 連れだってラウンジを出て、俺はなんとなく無言のまま多聞氏の隣を歩いた。

「シノさんもすっかり売れっ子になっちゃったから、気易くラーメン屋に誘うのも憚られるようになっちゃってさぁ」
「多聞サンは、東雲サンと古い付き合いなんですか?」
「うん、まぁね。俺はオヤジが医者だったから、ほとんど強制的に医者にならされた…って感じなんだけど。シノさんとは幼なじみで、最初はオヤジがシノさんの主治医だったんだ。あとを継いで、今は俺が主治医になってるってワケ」
「お父さんも精神科医なんですか?」
「オヤジは外科で、オフクロが内科だよ。最初は二人で個人経営の開業医を始めたんだけど、途中から調子に乗って総合病院にしちゃってさぁ。で俺に、自分達とは違う科の専門医になってこいとか言うから、血を見なくて済みそうな精神神経科ってのを選んだんだけどさ」
「でも東雲サンくらいのVIPになると、カウンセリングとか出来る主治医も必要になってるんじゃないんですか?」
「うん、偶然とはいえ、今は勉強しておいて良かったなって思うよ。シノさんは元々繊細なタイプだし、俺はシノさんの友達として、役に立ちたかったからね」
「親身になってくれる友達がいるってだけでも、充分羨ましいですよ」
「シノさんもそう思ってくれてるなら嬉しいけどねェ。…ああ、そろそろ乗り換えだね?」
「次ですね。…あ、そうだ。俺のアルバム、本当に必要ですか?」
「もちろん。お世辞じゃなくて気に入ってるんだよ、インストだから診察室でも聴けるし」
「じゃあ、住所を教えていただければお送りしますよ」
「ありがとう、ぜひお願いします」

 屈託なく笑うと、多聞氏は携帯電話を取りだした。

「携帯のアドレス教えてよ。住所送るから」
「そうですか? じゃあ……」

 結局俺は、そこで多聞氏とメアドと住所の交換をして、乗り換えの駅で別れたのだった。
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