ホームレスでしたが、このたび結婚いたしました。

希彗まゆ

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心、重なり合って 1

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椛さんは、本当に一度きりじゃ許してくれなかった。
わたしが初めてだってわかっているのに、幾度も幾度もわたしを抱いた。

抱かれるたびに、どんどん敏感になる──わたしのカラダ。
最後のほうはもう、椛さんの吐息が肌に触れるだけで、ビクリと快感に震えてしまうほどで。
ようやく椛さんが、心地良い疲れに満たされたわたしの身体を抱きしめて、ふたりで眠りに落ちたときには、たぶん真夜中をすぎていたと思う。

ふと目を開けるとまだあたりは薄暗くて、ベッドサイドの置時計を見ると、明け方のころだった。

「椛さん……?」

わたしを抱きしめていた椛さんの姿が、ない。
トイレにでも行ったのかもしれない、とも思ったけれど、なぜだか不安に駆られて、バスローブだけを身に着けて寝室を出る。

リビングにダウンライトがつけられていて、椛さんは、壁に立てかけてあるなにかに向かって立っていた。
ちゃんとシャツにセーター、ジーンズ姿だけれど、この寒いのに暖房もつけていない。

「椛さん……?」

そっと、その背中に声をかけたわたしは、はっと息を呑んだ。
椛さんが、見ているもの──それは、わたしの姿が描かれたキャンバスだった。
静夜が描いた、わたしの──裸の、絵。

そういえばこの絵は、椛さんが「この絵はぼくがもらうよ」って言っていたんだった。
出張先にも、持って行ったんだろうか。
椛さんが出張から帰ってくる前まではここにはなかったから、たぶんそうなのだろう。

「──この絵は」

じっとわたしの絵を見下ろしたまま、椛さんがつぶやく。

「確かに……りんごちゃんのことが、大好きな男が描いた絵だ」

椛、さん……?

「抱きたくて抱きたくてたまらないって──そう、伝わってくる」

椛さん……なにを、言っているの……?
勇気を絞り出して、そっと椛さんの隣まで歩み寄る。
そろそろと見上げると、椛さんのほうも、わたしを見下ろしてきた。
いまにも泣きそうな、……椛さんのこんな顔、初めて……見る。

「りんごちゃんは、いまでも初恋の人のことが忘れられない?」

その言葉に、わたしは再び息を呑む。
静夜がこの絵を、秘書室でわたしと椛さんに見せて”挑戦”した、あのときの静夜の言葉を……椛さんは、覚えているんだ。
椛さん、……もしかして……いままでずっと、……ううん、いまこうしているあいだも、わたしが誰か他の人のことが好きなんだって……そう、思っているの……?

「それとも、本当は寝屋川くんのことが好きなの?」

「そ、」

「りんごちゃんが好きな人は、だれ?」

なぜだか濡れたような椛さんの焦げ茶色の瞳を見ていたら、なにかの衝動に突き動かされた。
たまらなく、なった。
それは、椛さんと身体を重ね合えたあとだったから、かもしれない。

「わたし、」

だめ。
わたし、だめだ。

「わたしは、」

椛さんに、迷惑に思われてもいい。
わたしばかりが、椛さんのことを好きでも、いい。
もう、ズルいだなんて、思ったりしない。
なによりも、誰よりも、椛さんに誤解されたくない。
椛さんに、全力で伝えたい──。
その、一心だった。

「……もう、出逢ってすぐのころから……椛さんのことが、好きです」

知らず、椛さんのセーターの胸の部分を両手でつかんでいた。
しがみつくかのように。

「すごくすごく、好きです。たまらなく、好き。わたしだけが椛さんのことを好きになったら、いろいろ……椛さんが迷惑に思うと思ったり、……わたしばっかりズルいって思ったりして……いままで言えませんでした。こんなに好きになっちゃって、ごめんなさい──」

恐くて顔が上げられないわたしの頭を、椛さんの大きな手が、そっと撫でる。
その手のぬくもりに勇気をもらったような気がして、恐る恐る顔を上げると、真剣な顔つきをしていた椛さんは、くしゃっと泣き笑いのような表情になった。

「……ほんとに?」

「ほんと、です」

「嘘じゃない?」

「嘘じゃありません」

「迷惑に、思うわけがない」

そう言うと椛さんは、そっとわたしを抱きしめる。
そして、耳元でささやいた。

「だって……ぼくもりんごちゃん、きみのことが好きだった。恐らくは、きみがぼくのことを好きになってくれるよりも、ずっと前からね。ぼくだって……もうずっと、きみのことが……好きで好きでたまらない」

「え……?」

それって、どういう意味だろう。
一瞬、そう思ったけれど

『オレ、アキはりん子ちゃんのことが好きだったんじゃないかと思ってる』

お蕎麦屋さんでのナナシさんの言葉がふいに脳裏によみがえってきた。

「やっぱり、椛さんは……アキさん、だったんですか……?」

尋ねてみると、

「それをきみに明らかにするには、まず……神山千春のことを、きみに話さなくちゃならない」

「な、……、」

どうしてここで、千春先生の名前が出てくるのだろう。
もしかして、……もしかして。

「椛さんも、静夜みたいに……千春先生の、知り合いだったんですか?」

そういえば、わたしが寝言で千春先生の名前を呼んだとき。
あのとき椛さんは、「他の男の名前」と言っていた。
よく考えたら、あれはおかしな発言だ。
だって「千春」という名前は、一般的には女性の名前。
千春先生のことを知らない人間であれば、「千春」という名前を聞いたら、普通は女性のことだと思うに違いない。
だったらやっぱり椛さんと千春先生は、知り合いか友達、か──。

「──りんごちゃん」

椛さんは、抱きしめていた身体を離す。
そして、沈痛な面持ちでわたしを見つめた。

「ほんとうに、ぼくのことが好き?」

どうして、そんなに念を押すんだろう。
なんで、どうして……そんな顔で。
不思議に思ったけれど、

「はい。好きです」

「ほかの誰がきみのことを好きでも?」

「変わりません。万が一、他の誰かに告白なんかされたりしても、心変わりなんかしません。わたしは、変わらず椛さんのことが好きです」

自信を持って、毅然と椛さんを見つめ返す。

「それなら、安心して教えてあげられる」

いまだに、椛さんの意図がわからないわたしに

「神山千春は、ぼくの実の兄なんだ」

椛さんは、静かに真実を伝えた。
わたしは驚いて、目を見開く。

「千春先生が、……椛さんの……?」

え……でも、……待って。
もし椛さんがアキさんだとしたら、アキさんは、出逢ったばかりのあの夜

『……兄さんが、死んだんです』

確かに、そう言っていた。
だとしたら──だと、したら。

「神山千春は、──兄さんは……4年前に、事故で亡くなったんだよ」

一瞬。わたしの頭の中が、真っ白に、なった。
にわかには、信じがたくて。

だけど、椛さんの哀しく苦しげな面持ちが、なによりもその事実を物語っているのを感じて──頭よりも早く、感情が真実を理解した。
なにを考えるよりも早く、涙が頬を伝い落ちる。

千春先生、──あの千春先生が……。

あのとき突然連絡がこなくなったのは、千春先生がこの世からいなくなってしまったからだったんだ。
黙っていなくなる人じゃない、静夜もそんなようなことを言っていた。
それには、……そういう理由があったんだ。
そうだ、……静夜。

「静夜にも、あのとき……メールで……?」

急な出張が入った椛さんが、出張先から静夜に送ったメール。
それを見た静夜は、ショックを受けていた。急に秘書室を飛び出して、そのあと目が赤くなってもいた。

「寝屋川くんにも、兄さんのことを伝えた。兄さんが事故にあったとき、新聞にちいさな記事が載ってね。そのコピーも、メールに添付した。りんごちゃんには、まだ黙っていてくれとも追記しておいたんだ」

そうか、だから静夜は万が一にもわたしにそのことを知られないように、自分が席を外しているあいだ、パソコンの電源まで落として──。

「もうひとつ、寝屋川くんに伝えたことを……りんごちゃんにも言わなくちゃならない。……言っても、大丈夫?」

常にマイペースな、椛さんらしくない問いかけに、わたしはぐっと涙をこらえてうなずく。

「もうこれ以上、驚くことなんかありません。言ってください」

椛さんはちいさくうなずいて、それでも幾度かためらって、……苦しそうに告げた。

「兄さんは、りんごちゃん。きみのことが、好きだった。きみと兄さんは、ちゃんと……両想いだったんだよ」

「、」

喉の奥が、なにかをこらえたようにぐっと鳴ったのが、自分でもわかった。

『おまえはあの人の、……だったのに』

静夜が言っていた、わたしが聞き取れなかった、……あの部分の言葉が
ようやく、わかった気がする。

『おまえはあの人の、”好きな人”だったのに』

……たぶん、それで正解だ。
静夜は、千春先生のことを慕っていた。
慕っていた人の好きな女の子を、そうとは知らずにどんな形にせよ自分がイジメていたのだとわかったら、根は真面目な静夜には耐えがたいことに違いない。
自分のことが、許せないに違いない。
だから静夜はあのとき、急にわたしに対して謝ってきたりしたんだと思う。

「だって、……」

ようやく出した自分の声は、なぜだかとても震えていた。

「だってあのとき、先生は……わたしのこと、……ふったのに……?」

違う、……こんなことが言いたいんじゃ、ないのに。
急に様々な事実が明らかにされて、頭がついていかない。

椛さんがなにかを言いかけて、わたしの頭を撫でようと手を伸ばしかけて……それも、やめてしまう。
そして、わたしから目をそらして

「兄さんは昔、つきあっていた女に傷つけられたことがあってね。りんごちゃんと出逢ったときにはもう既に、一種の恋愛恐怖症だったんだと思う。──まあ、兄さんを傷つけたのは、その女だけじゃなくてぼくもだった、と思うけどね」

床に視線を落としながら、話し出した。
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