ギレイ少年と愉快な仲間たち

千夜

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第1章

初めてのパソコン

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 儀礼ギレイは5歳の時に、初めてパソコンのネットと言うものを知った。
祖父の部屋に置かれている、父、礼一のパソコンをいじって、遊んだのだ。
 3月の終わり、村の学校は春休みに入る前だったが、教師をしている両親も祖父も卒業する生徒と新しく入学する子供たちのための準備で忙しいらしく、幼い儀礼の相手をしている暇はないらしかった。

 つまり、儀礼は退屈していた。
 そこで、一人暇を持て余した儀礼が、目をつけたのが父のパソコンだった。

 目の前にたくさんの文字が出てくる。
そのほとんどが、儀礼が普段使っているドルエドではなく、隣の国フェードの文字だった。
 儀礼はつい最近その文字を覚え始めたところだった。
 たまたま入ったチャットルームでは、こんにちは、などの挨拶から始まり、季節のことや、庭のことや、世間の事件のことなど、いろいろなことが会話の様に文字になって画面の中を流れていく。
 知っている言葉、知らない言葉、次々に浮かび上がる文字らを儀礼はしばらくじっと見ていた。
 みんなが、自分の前でしゃべっている。儀礼にはそう、思えたのだった。

 画面内に「名前」と書かれた入力用の四角があった。
 儀礼はそこに、フェードの字で「ギレイ」と打ち込んでみた。
 すぐに「名前を保存しました。」と表示された。次に、画面の下の方に「発言する」という四角があることに気付いた。

『こんにちは』

 儀礼はわくわくと心を躍らせながら、思い切ってキーボードで文字を打ってみた。
 表示された言葉を「決定ボタン」で「発言」する。
 モニターの下に書かれている指示通りのことを儀礼はしてみた。

『こんにちは』

 儀礼の打った文字が皆の会話の中に表示された。

「うわっ、すごいっ!」

 儀礼は感激の声を上げた。
『こんにちは』
『こんにちは』
 次々と儀礼へと挨拶が返されてくる。

 しかし、大人たちの会話は幼い儀礼にはとても速かった。
 読むことはできても、覚えたばかりの文字を打ち込むのにはとても時間がかかってしまう。
 文字を打っている間にも、会話の文字はどんどんと増え、儀礼が口を挟む隙はない。
 それでも、儀礼はそれが退屈だとは思えなかった。

 しばらくすると、「穴兎さん」という人が、儀礼に対して、二人で話をしないか、と誘ってきてくれた。
 チャットルーム内でゆっくりとしか会話できない儀礼に、何度も話し掛けてくれていた人だった。

 その穴兎に説明されながら案内された個別のルームで、儀礼は1対1での会話チャットをする。
 その場所で、儀礼は、分からなかった言葉や、パソコンの操作についてを穴兎に次々と問いかけた。
 穴兎は面倒くさがらず、全てを丁寧に噛み砕いて教えてくれる。

『穴うさぎさんはどんなウサギさんですか?』

 何時間もチャットを続けるうちに、儀礼はこの優しい人物の事を知りたくなった。そして、聞いてみたかったことを思い切って文字にしてみる。

 儀礼は普段、容姿の話をされるのはあまり好きではなかった。
 もし穴兎もそうだったとしたら、儀礼は嫌な思いをさせるのかもしれない。

 それでもどんなウサギがこの画面の向こうで、儀礼と話してくれているのか、とても気になったのだ。不安に思いながら儀礼は「発言する」ボタンを押した。

『白くって、耳が長くて、目が赤いんだ。』

返事はすぐにあった。
儀礼の知るウサギという生き物、そのものだった。

『うわあー。ほんとのうさぎだね。』

 質問に答えてくれたことに、またその存在が身近にあるものだと知って、嬉しさの込み上げた儀礼はパソコンの画面ににじり寄っていた。

 目の前に広がる文字の世界。
 親切に丁寧に接してくれる穴兎という、画面の向こうにいるうさぎの存在。
 それは、家の中で孤独に過ごす儀礼を、とてつもなく魅了したのだった。


 夜になり仕事を終えて帰宅してきた両親に儀礼は言う。

「パソコンで、うさぎさんとお話したの」

 この言葉を両親たちは儀礼のする、パソコンをウサギの家に見立てた空想の遊びだと思ったようだった。

「どんなウサギだい?」

 子供の想像の世界を大切にするように、父の礼一が聞く。

「あのね、白くって、耳が長くて、目が赤いの!」

 得意になって話す儀礼を両親は微笑ましく見ていた。

 5歳のこどもが語るそれが、まさか本物の、人間相手のチャットだったとは、その場にいた両親も祖父も、夢にも思わなかった。

 月に一度、父の礼一が『管理局』に行く時、儀礼はいつも父にねだってこの『管理局』にひっついて行っていた。
 管理局には面白い物がたくさんあって、面白い人たちもいて、儀礼はこの管理局という場所が大好きだった。

 何より、管理局の受付横にあるパソコンは、他の人が使っていなければ、自由に使ってよかったのだ。
 儀礼は、父が管理局のえらい人と話している間、そこで穴兎と会話していた。
 雑談チャットルームという所では、他の人は皆、儀礼の会話が遅いので、相手にしてくれなかったが、穴兎だけは違った。
 いつだって、儀礼の返事を待ってくれる。

『今、お父さんと管理局に来てるの。お父さんはお話してる。』
『そうか。』
 穴兎の言葉はだいたい短いかった、返事くらいしかない。
 それでも、儀礼が何か聞いた時は丁寧に噛み砕いて教えてくれる。
 儀礼にとっては優しい、兄のような存在になっていた。

「ギレイ君」
 パソコンの前で椅子の上に膝立ちになっていた儀礼は、見知った男に話しかけられた。

『お人形のおじさんが、ジュースくれるって。行ってくるね。』

 儀礼は穴兎へとメッセージを送った。
 このお人形のおじさんは、管理局の研究室によくいて、剥製はくせいの研究をしている人だ。
 その道ではそこそこ名のある人物らしいのだが、5歳の儀礼にはあまり関係のないことだった。

 月1ペースで父に連れられて管理局にやって来る儀礼を可愛がって、おかしやらジュースをよくくれる親切なおじさんだ。
 その人の研究室には、部屋を埋め尽くすほどの動物の剥製が置かれている。
 熊や馬といった大きなものから、小鳥やリスのような小さくて可愛いものまで。
 不思議で綺麗な動物たちの人形を見るのは、儀礼の管理局で好きなことの一つだった。

『魔法のジュースくれるって。きれいなまんまなんだって。』

 儀礼の言葉足らずな発言に穴兎は疑心を抱いたようだった。

『知らない人について行くなよ?』
『知ってる人だよ。いつも管理局にいるの。だから大丈夫。』

 儀礼は、お人形のおじさんが、知らない人ではないことを穴兎に説明した。

『そうか。またな。』

 それを聞いて、安心した様子の穴兎との通信はそこで途絶えた。

 そして、儀礼はこの剥製のおじさんについて研究室へと入ったのだった。

 たくさんの剥製が並ぶ部屋の中、楽しそうに室内を見て回る儀礼に、男はジュースを差し出してくれた。
 透明で、少しとろりとしている。

「これを飲むと、血が綺麗になるんだ。だから、体は元気なままで腐ったりしない。時間の流れに劣化することなく永遠にも近い時を留めておける、これこそ真の魔法薬だよ」

 恍惚とした表情で長々と研究の成果を語る男に儀礼は首を傾げる。
 おじさんの言葉は難しくてよく分からないが、元気で血が綺麗になるみたいだ、と納得する。

 手渡されたのは、ハチミツのような、とても甘い匂いのするジュースだった。

「ありがとう、おじさん。いただきます」

 儀礼は味わうように一口、二口と飲んでいく。
 甘くて、冷たくて、おいしい。

「おいしい。ありがとう、おじさん。おじさんは飲まないの?」

 儀礼がジュースを飲む姿を、ただじっと見ている男に不思議に思って儀礼は問いかける。

「おじさんはいいんだよ。おじさんは見る方が好きなんだ。ほら見てごらん、可愛い白ねずみだろ」

 男が、小さな白いねずみを一匹、机の上の籠から取り出した。
 そのねずみに、小さなトレーに注いで、男は儀礼が飲むのと同じ液体を与える。
 ペロペロとそれを舐めていたねずみが、だんだんと光るように見え、しばらくするとピタリと動きを止めた。
 キラキラと光っているようにすら見える白ねずみの姿は、この部屋にたくさんある剥製たちと同じだった。

 ここに至って、ようやく儀礼は気付いた。

(僕、お人形にされちゃうんだ。動けなくなって、ここに飾られちゃうんだ。父さんにも母さんにも、祖父ちゃんにも、もう……会えないんだ)

 この時、顔面を蒼白にして焦ったのは、儀礼だけではなかった。

 縁がありいつも儀礼のそばで見守っていた火の精霊がいた。

《儀礼が剥製にされちまう!》

 その事実に気付き、慌てて父親である礼一のいる部屋へと飛び込んだが、実体のない精霊ではいくら危機を叫んでも、周囲を飛び回っても気付いてもらえなかった。

 カーテンや紙くずなどを精一杯燃やしてみるが、魔法の存在に疎いドルエド国の住人達は、首を捻りながら火を消すだけで異変を察知してはくれなかった。

《もう、どーすんだよ! ギレイがヤバいってのに》

 考えた末、火の精霊は思い切ってパソコンのネット回線へと飛び込んだ。
 そこは無線で繋がる、細い細い魔力の道。

 この世界のネットというものは、精霊たちにも関わりがあった。
 魔力を利用したネット回線は、精霊の気の多い所ほど、繋がりやすいという不思議を持っている。

 火の精霊が向かったのは、儀礼がパソコンで会話していた相手。『穴兎』という知り合ったばかりの、それも正体のわからない人間の元だった。

 それでも火の精霊は、そこに賭けるしかなかった。
 儀礼に親切にしてくれた、ネット回線に魔力を感じさせる人間の元へ。

 ネット回線から飛び出した火の精霊は、目一杯の力を出す。

 部屋にあったパソコンが熱を持ち、ついには黒い煙りを上げた。

 『穴兎』こと、ディセードはすぐにこの異変に気付いてくれた。
 険しい表情を浮かべると無事なパソコンに向かって操作を始めた。

《よかった》

 それを見た火の精霊は呟いた。後は、儀礼が無事に助かるのを祈るばかり。
 火の精霊は、魔力を分け与えてくれる契約主のないままに自らの力を使い、存在そのものである魔力を使い果たしていた。

 それでも火の精霊は儀礼の無事を確認するため、ネット回線を伝い再び管理局へと戻ってきた。
 剥製へと固まりかけた儀礼の元へ、研究室の扉を蹴破って入る血相を変えた礼一。
 その後ろからは複数の警備兵が雪崩れ込む。
 礼一が男を殴りつけ、胸ぐらを掴み、怒鳴るようにして解毒の方法を聞き出している。

「言え! どうやったら息子は元に戻る!」

 これほど強い父の怒りを、儀礼は生まれて初めて見た。
 いつも穏やかな父が、人が変わったように怒っている。

 今すぐにでも安心して父に抱きつきたいのに、儀礼の体は動かない。

(父さんっ、父さん!)

 火の精霊もまた怒っていた。大切に守っていた儀礼を傷つけられ、礼一の怒りに同調するように、そして儀礼を守るように、儀礼の前に立ちはだかり、命ともいえる魔力を燃やして、空気中に火の粉を散らす。
 命を燃やす熱い火の粉は、身動きのできない儀礼にも降りかかっていた。

 ジリジリと肌の焼けるような感覚。
 恐ろしいほどの父の怒り。
 全く動かず、このまま死んでしまうのかもしれない自分の体。
 すべてが、儀礼は怖かった。
 泣き出したいのに、固まり始めた体は涙すら流せない。
 その後、解毒の薬で無事に救出されたが、この出来事は儀礼の記憶に一生残る、恐ろしい体験だった。
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