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38-「胎」
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身長はさほど高くなく、身体つきも痩せすぎず太っているということもない。清潔なユニフォームと白いエプロンがよく似合っている。金色の髪を愛らしく編み上げてハールアップにし、はんなりした丸顔にはほんのり薄化粧。それだけで一目で大衆を魅了するほどの可愛らしさをほこる彼女は、やはりというか、杼ねの血縁を感じさせる。
名を聞かなくても解るほど、その人物は花桃の人間だった。
花桃くゆりが目の前にいる。その事実にどうしたらいいか解らず、陽向は立ち尽くしていた。
「? おい陽向、入るぞー?」
「え、あ、うん」
「ど、どうぞ」
「? くー姉?」
さすがというか、与一はすぐに陽向とくゆり双方の態度がおかしくなったことに気付いた。そそくさとカウンターの奥に消えていく彼女を見送り、そのあいだ全く動かない陽向の手を引く。
「ほら、ここに居たらそれはそれで迷惑だからな」
「……ん」
与一に促され、陽向がくゆりの喫茶店に入った。その瞬間だった。
――たすけて!
今朝聞いたのと同じ声が頭の中に響いた。直後、目の前に赤いフィルターがかかる。
見えていたものが変わる。
閑散としていた喫茶店に何人かの客が座っている。
腹の大きなくゆりが笑顔で料理を受け取り、お客さんに運ぼうとしている姿が見えた。
彼女は料理を届けてカウンターに戻るところで突然うずくまった。え? と思い陽向はくゆりに駆けつけようとしたが、足が床にへばりついたかのように動かない。
しばらく荒い呼吸を繰り返していたが、やがてその呼吸に悲鳴が混ざる。彼女の股間から赤い液体がぼたぼたと床に流れ落ちた。
(……破水)
かつて庵手が吹雪を産んだ時と同じだ。陽向の目の前でくゆりが破水を起こした。早くなんとかしないと母子ともに危ないのではないか。
そうだ、救急車。救急車を呼べば助かるのでは?
解っていても陽向の脚は動かなかった。代わりに周りにいた人間たちが忙しなくくゆりを助けに駆け付ける。特にカウンターから出てきた男はくゆりを呼びながら必死に彼女の背をさすっていた。
だが。
くゆりが悲鳴を上げた。獣のような声を聞いて、陽向は咄嗟にお産が始まったのだと知った。
だが、何かがおかしい。
破水後の赤い液体が異常に多いのだ。
(……これって……、もしかして……?)
破水……ではない。明らかに出産に問題があり、血が流れ出ている。
出産はいつの時代も命がけ。産道にある血管に傷が付いたら大量出血が引き起こされ、そのまま母体が出血死することもあるのだと何かのドラマで見たことがある。目の前のくゆりの身に起きているのはまさにその症状ではないのか。
誰かが救急車を呼んでいる声がする。くゆりの夫らしき男がくゆりを必死に励ましている。
だが。
しばらくして、くゆりは意識を失ってしまった。その間も血は留まることなく流れ続けている。
救急車が到着したころにはくゆりの意識はなかった。運ばれていく彼女の腕がストレッチャーから落ちる。
――たすけて、たすけて
誰もいなくなった喫茶店の中、今朝も見た、鼻から頭頂部のない異形の人型だけが血だまりの上で泣いていた。産声ではない。悲痛な悲鳴のような鳴き声で母を求めて泣いている。
「……た、陽向!!」
強く揺さぶられて陽向はハッとした。
赤いフィルターがきえ現実が映し出される。
呆然と周りを見回している陽向を、与一が真正面から覗き込んだ。
「大丈夫か? 歩けるか?」
「……うん」
「ちょっとだけがんばれ。くー姉、わるい、水もらえる?」
「え、ええ。ちょっと待ってね」
与一は陽向を歩かせ端の席に座らせた。まもなく運ばれてきた水を与一が受け取り、陽向に渡す。
「熱中症の初期症状か? とりあえず水飲め」
「だい、じょうぶ……」
「ほんとに大丈夫か? さっきからなんか変だぞお前」
与一の顔が曇っている。
だが、陽向はそれどころではない。
(さっき見たのは……朝の夢と繋がってる……のか?)
夢の中で見たお葬式。
今なら解る。埠目の中のあの遺影の中にいたのは間違いなくくゆりだ。
そして今見た白昼夢はくゆりの命が散る間際の映像なのだろう。
だとしたら、あの異形の人型は……妖怪の類ではなく、胎児だったものなのではないだろうか。
陽向は携帯端末を取り出した。異形の人型をできるだけ雑に表現した文字を選び、検索にかける。
するとすぐに該当する症例が2つ出てきた。文字だけでは判断が付かないため覚悟を決めて画像で確認する。
(……あった)
無脳症。
その項目に、陽向がみた異形の人型によく似た胎児の写真が残っていた。かつて無脳症児を腹に宿した女性が、同じ運命を背負った女性たちのために遺した記録だった。
陽向はその女性の記録を読み込んでいく。読めば読むほど残酷な現実がそこに綴られていた。
(……生きられない子供、と、臨月で出産しようとした場合のリスク……。てことは、やっぱりさっきの映像でのくゆりの死因は産道の血管裂傷)
泣き叫んでいた異形の人型は、くゆりの胎児で間違いない。
陽向が映像で見た状態の無脳症児をくゆりが自然分娩で産み落とそうとしていたのであれば、胎児のむき出しの頭蓋骨を先頭に、産道を傷つけながら降りてくることになる。産道の血管を傷つけて大量出血を誘発するのも当然だろう。
先ほど与一から、くゆり夫婦は不妊治療の末に治療を諦めたというのも聞いている。また、無脳症であっても生存できる症例もあるとネットにはあった。
おそらく映像のくゆり夫妻は、無脳症だと告知されても子供が生き残る可能性にかけて妊娠を続行してしまったのだろう。しかしその結果、くゆりは命を落とし、耐えきれず夫も後を追う選択をした。
子供を望んだ結末がこれかと思うと部外者の陽向ですら泣きそうになるほど辛かった。たとえその運命が、何も知らぬ陽向を説明もなしに生贄にした悪因悪果の帰結だとしても。
コトリと小さな音を立てコーヒーが置かれる。陽向は咄嗟に携帯端末を胸に押し付けて画面を隠した。
その正面で、与一はコーヒーを運んでくれたくゆりに礼を告げていた。彼の前にもコーヒーが置かれている。
与一は陽向が画面から顔を上げたのを見て、軽く手を振った。
「調べ物は済んだか?」
陽向は頷いた。与一は溜め息を1つつくと、テーブルに身を乗り出して陽向に尋ねた。
「で? 何がどうなってんだ今」
「……ん」
「連絡くれた時点で変だったけど、今しがたの硬直といいさすがにほどがある。全部包み隠さず話さねぇとマジで怒るからな」
「全部……」
陽向がちらりとくゆりをみた。くゆりはバツが悪そうに顔をそらす。
当然、与一はそれすら見咎めた。
「ほら。さっきからくー姉を見ては表情暗くしてるよな? ってことは、神社絡みでなんか問題発生したんじゃないのか?」
「……ん」
一先ずの主題はそこだ。陽向は頷き、しかし言い澱んだ。
与一にとって、くゆりはくー姉呼びするほど親しい人物だ。そんな人の悪行を本人の目の前で暴露するのははばかられた。
陽向が言い澱んでいる間も与一は鋭い視線を向けたまま外さない。いい加減居心地が悪くなって陽向が目をそらすと、与一は舌打ちをした。
「じゃあ、紅一郎呼ぶか?」
「……?」
「松葉だよ。神社が絡んでるなら分家の俺には荷が勝つ。なら土地の権利者のほうが話しやすいだろ?」
「まつば……!」
陽向がひゅっと喉を鳴らした。名を聞いて嫌な思いが即座に掘り起こされるほどに陽向は松葉に苦手意識を抱いていた。
与一は腰を引くと自分の隣の椅子に置いていたバッグの中を漁り始めた。今度は陽向が身を乗り出し、与一の腕を必死になって掴んだ。
「松葉は嫌!!」
思っていた以上の大きな声で陽向が拒絶を示す。与一は陽向をギラリと睨みつける。
「でも俺じゃ話せないんだろ?」
「話す。話すから、松葉呼ばないで」
「話すんだな?」
「話す」
念を押すように与一に聞かれ、陽向は覚悟を決めて頷いた。与一はバッグから手を抜き自分の腕を掴む陽向の手をポンポンと叩いた。お前の嫌がることをしないからお前も行動を止めろ、という学生時代に決めたサインだ。陽向は促されるまま与一の腕から手を離し、椅子に座り直す。
与一は首を回し、カウンターの奥にいる人物を睨め付ける。
「というわけなんで、渉さんも松葉に連絡入れないでくださいね?」
「あ、ああ。約束するよ」
釘を刺された渉さん――おそらくくゆりの夫らしき男も、与一の苛立った声に圧されたのか焦って首肯した。
名を聞かなくても解るほど、その人物は花桃の人間だった。
花桃くゆりが目の前にいる。その事実にどうしたらいいか解らず、陽向は立ち尽くしていた。
「? おい陽向、入るぞー?」
「え、あ、うん」
「ど、どうぞ」
「? くー姉?」
さすがというか、与一はすぐに陽向とくゆり双方の態度がおかしくなったことに気付いた。そそくさとカウンターの奥に消えていく彼女を見送り、そのあいだ全く動かない陽向の手を引く。
「ほら、ここに居たらそれはそれで迷惑だからな」
「……ん」
与一に促され、陽向がくゆりの喫茶店に入った。その瞬間だった。
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そうだ、救急車。救急車を呼べば助かるのでは?
解っていても陽向の脚は動かなかった。代わりに周りにいた人間たちが忙しなくくゆりを助けに駆け付ける。特にカウンターから出てきた男はくゆりを呼びながら必死に彼女の背をさすっていた。
だが。
くゆりが悲鳴を上げた。獣のような声を聞いて、陽向は咄嗟にお産が始まったのだと知った。
だが、何かがおかしい。
破水後の赤い液体が異常に多いのだ。
(……これって……、もしかして……?)
破水……ではない。明らかに出産に問題があり、血が流れ出ている。
出産はいつの時代も命がけ。産道にある血管に傷が付いたら大量出血が引き起こされ、そのまま母体が出血死することもあるのだと何かのドラマで見たことがある。目の前のくゆりの身に起きているのはまさにその症状ではないのか。
誰かが救急車を呼んでいる声がする。くゆりの夫らしき男がくゆりを必死に励ましている。
だが。
しばらくして、くゆりは意識を失ってしまった。その間も血は留まることなく流れ続けている。
救急車が到着したころにはくゆりの意識はなかった。運ばれていく彼女の腕がストレッチャーから落ちる。
――たすけて、たすけて
誰もいなくなった喫茶店の中、今朝も見た、鼻から頭頂部のない異形の人型だけが血だまりの上で泣いていた。産声ではない。悲痛な悲鳴のような鳴き声で母を求めて泣いている。
「……た、陽向!!」
強く揺さぶられて陽向はハッとした。
赤いフィルターがきえ現実が映し出される。
呆然と周りを見回している陽向を、与一が真正面から覗き込んだ。
「大丈夫か? 歩けるか?」
「……うん」
「ちょっとだけがんばれ。くー姉、わるい、水もらえる?」
「え、ええ。ちょっと待ってね」
与一は陽向を歩かせ端の席に座らせた。まもなく運ばれてきた水を与一が受け取り、陽向に渡す。
「熱中症の初期症状か? とりあえず水飲め」
「だい、じょうぶ……」
「ほんとに大丈夫か? さっきからなんか変だぞお前」
与一の顔が曇っている。
だが、陽向はそれどころではない。
(さっき見たのは……朝の夢と繋がってる……のか?)
夢の中で見たお葬式。
今なら解る。埠目の中のあの遺影の中にいたのは間違いなくくゆりだ。
そして今見た白昼夢はくゆりの命が散る間際の映像なのだろう。
だとしたら、あの異形の人型は……妖怪の類ではなく、胎児だったものなのではないだろうか。
陽向は携帯端末を取り出した。異形の人型をできるだけ雑に表現した文字を選び、検索にかける。
するとすぐに該当する症例が2つ出てきた。文字だけでは判断が付かないため覚悟を決めて画像で確認する。
(……あった)
無脳症。
その項目に、陽向がみた異形の人型によく似た胎児の写真が残っていた。かつて無脳症児を腹に宿した女性が、同じ運命を背負った女性たちのために遺した記録だった。
陽向はその女性の記録を読み込んでいく。読めば読むほど残酷な現実がそこに綴られていた。
(……生きられない子供、と、臨月で出産しようとした場合のリスク……。てことは、やっぱりさっきの映像でのくゆりの死因は産道の血管裂傷)
泣き叫んでいた異形の人型は、くゆりの胎児で間違いない。
陽向が映像で見た状態の無脳症児をくゆりが自然分娩で産み落とそうとしていたのであれば、胎児のむき出しの頭蓋骨を先頭に、産道を傷つけながら降りてくることになる。産道の血管を傷つけて大量出血を誘発するのも当然だろう。
先ほど与一から、くゆり夫婦は不妊治療の末に治療を諦めたというのも聞いている。また、無脳症であっても生存できる症例もあるとネットにはあった。
おそらく映像のくゆり夫妻は、無脳症だと告知されても子供が生き残る可能性にかけて妊娠を続行してしまったのだろう。しかしその結果、くゆりは命を落とし、耐えきれず夫も後を追う選択をした。
子供を望んだ結末がこれかと思うと部外者の陽向ですら泣きそうになるほど辛かった。たとえその運命が、何も知らぬ陽向を説明もなしに生贄にした悪因悪果の帰結だとしても。
コトリと小さな音を立てコーヒーが置かれる。陽向は咄嗟に携帯端末を胸に押し付けて画面を隠した。
その正面で、与一はコーヒーを運んでくれたくゆりに礼を告げていた。彼の前にもコーヒーが置かれている。
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「調べ物は済んだか?」
陽向は頷いた。与一は溜め息を1つつくと、テーブルに身を乗り出して陽向に尋ねた。
「で? 何がどうなってんだ今」
「……ん」
「連絡くれた時点で変だったけど、今しがたの硬直といいさすがにほどがある。全部包み隠さず話さねぇとマジで怒るからな」
「全部……」
陽向がちらりとくゆりをみた。くゆりはバツが悪そうに顔をそらす。
当然、与一はそれすら見咎めた。
「ほら。さっきからくー姉を見ては表情暗くしてるよな? ってことは、神社絡みでなんか問題発生したんじゃないのか?」
「……ん」
一先ずの主題はそこだ。陽向は頷き、しかし言い澱んだ。
与一にとって、くゆりはくー姉呼びするほど親しい人物だ。そんな人の悪行を本人の目の前で暴露するのははばかられた。
陽向が言い澱んでいる間も与一は鋭い視線を向けたまま外さない。いい加減居心地が悪くなって陽向が目をそらすと、与一は舌打ちをした。
「じゃあ、紅一郎呼ぶか?」
「……?」
「松葉だよ。神社が絡んでるなら分家の俺には荷が勝つ。なら土地の権利者のほうが話しやすいだろ?」
「まつば……!」
陽向がひゅっと喉を鳴らした。名を聞いて嫌な思いが即座に掘り起こされるほどに陽向は松葉に苦手意識を抱いていた。
与一は腰を引くと自分の隣の椅子に置いていたバッグの中を漁り始めた。今度は陽向が身を乗り出し、与一の腕を必死になって掴んだ。
「松葉は嫌!!」
思っていた以上の大きな声で陽向が拒絶を示す。与一は陽向をギラリと睨みつける。
「でも俺じゃ話せないんだろ?」
「話す。話すから、松葉呼ばないで」
「話すんだな?」
「話す」
念を押すように与一に聞かれ、陽向は覚悟を決めて頷いた。与一はバッグから手を抜き自分の腕を掴む陽向の手をポンポンと叩いた。お前の嫌がることをしないからお前も行動を止めろ、という学生時代に決めたサインだ。陽向は促されるまま与一の腕から手を離し、椅子に座り直す。
与一は首を回し、カウンターの奥にいる人物を睨め付ける。
「というわけなんで、渉さんも松葉に連絡入れないでくださいね?」
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