グリモワールの修復師

アオキメル

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2章 リリスと闇の侯爵家

70 エリカの想い

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 エリカは薔薇姫が逃げ出したのは兄のせいだと考えている。
 なぜなら、迷い込んだ薔薇姫の塔での光景を見てしまったから。
 薔薇姫の塔でのできごとは、エリカにとって衝撃的なできごとだった。
 ダミアンお兄様が変わってしまった原因を突き止めた日になったのだ。
 そして、知った。
 ダミアンお兄様の最愛の人は薔薇姫であると。

 とても小さな頃エリカはダミアンお兄様に絵本を読んでもらうのが好きだった。
 優しい瞳に見つめられながら、穏やかな声を聞くのがエリカにとっての幸せだった。
 頭を撫でてもらう感触は今でも覚えている。
 あの日もエリカはいつものようにダミアンお兄様を追いかけた。
 大好きなお兄様に絵本を読んでもらおうと。
 だか、あの日は急用があったようで読んではもらえなかった。

『至急、父上に呼ばれて行かなくてはならくて…』

『…そうですか』

 断られてしょんぼりしたのを覚えている。
 それにダミアンお兄様は優しくあとで必ず来てくれると話していた。

『あとで遊んでくださいね』

『もちろん』

 あの日、交わされた約束はずっと守られていないままだ。
 エリカはずっと待っていた。
 大好きなダミアンお兄様が来てくれるのを…。
 しかし、あの日を境にダミアンお兄様は変わってしまった。
 エリカのもとへ来ることは無かった。

 きっとあの日にダミアンお兄様は薔薇姫の塔に行ったのだと思う。
 そして、出会ってしまったんだ。
 薔薇姫リリスという宝物に。
 それからはエリカの事など、いなかったかのように無視されるようになった。
 優しかったダミアンお兄様は夢か幻だったかのように、目を合わせようもしない。
 エリカはとてもショックだった。
 立派な淑女になれば、褒めてくれるかもしれないと見当違いな努力をしていたこともあった。
 原因は別にあったというのに。

 そしてエリカは十歳の時にいつもどこかへと消えてしまうお兄様のあとをつけた。
 いつもなら見失うのに、その日は迷わずに最後までついて行くことができた。
 お兄様が入って行ったのは、屋敷の離れの塔だった。
 そこが立ち入り禁止であることは知っていたが、自然に開いた門に誘われるように階段をのぼった。
 薔薇の装飾が彫られた木の扉の前に立った時、ダミアンお兄様と見知らぬ少女の声を聞いた。

『愛しいリリス。
 今日はこの本を読んであげよう』

『また、お姫様が魔族に食べられて酷い目に遭う話ですか?
 物語はハッピーエンドがいいです…』

 そう扉の中から聞こえていた。
 あの時の感情は間違いなく嫉妬と怒りだった。
 愛されている少女にエリカは嫉妬した。
 エリカが失った物をその少女は与えられていたから。
 優しい瞳も慈愛に満ちた声もエリカの大好きな頭を撫でる手も全て、黒髪に赤い瞳を持った子が持っていってしまった。
 しかし大きくなって薔薇姫の事情を知り考えてみたら、ダミアンお兄様は酷いことをしていたと思う。
 魔族へ嫁ぐ者になんて物語を読んでいるんだろうと呆れてしまう。
 ああやって、幼い頃から魔族は恐ろしいものと洗脳していったに違いない。
 薔薇姫リリスはお兄様の最愛の人だから、どこにも行って欲しくなかったのだろう。
 そして薔薇姫はお兄様が望む通りに行動した。
 魔族の婚約者が迎えに来た日に怖くなって逃げ出してしまたのだと思う。
 そこまではよかったのに、兄の思惑通りには薔薇姫は兄を愛さなかったみたいだ。
 偏執的な愛情。
 優しいけれど狂気に充ちていては、避けられてもしかたないことだわ。

 エリカはそんなダミアンお兄様を正気に戻したい。
 元の優しいお兄様へ戻してあげたい。
 末の妹メアリーのためにも。
 このままではメアリーは兄などいないと思ったまま育ってしまうだろう。
 あんなにも優しいお兄様が変わってしまったのは薔薇姫のせいだというのに、優しさを知らずに他人のままいて欲しくない。

「薔薇姫には、早いところ地底に引っ込んでもらいたいわね」

 エリカの目的は逃亡したリリスを円滑に保護し、兄と引き離し兄を正気に戻すこと。
 このまま正気に戻らないのならば、私がこの家を継いでみせようとも考えている。
 両親はダミアンお兄様のことを信用しすぎている。
 薔薇姫を見つめるあの瞳を妹思いで済ますなんて、どうかしていると思う。
 お兄様の狂気はリリスに会ったときに発動する。
 決して薔薇姫と会わせてはいけない。
 誰よりも先に私が見つけなくては…。

「ふぅ…」

 ダミアンお兄様とダークエルフの女を見つめて気持ちが焦ってしまう。
 口からはため息が漏れた。

「あの二人がどこに行くのか、私自身がこっそり付けられたらいいのに残念ね。
 きっと外へ行ってしまうのよね…」

 エリカは侯爵令嬢の身。
 屋敷の中なら好きなように動けるが、外で自由に行動するのが難しい。
 動けないのが悔しくて眉を寄せる。
 いつだってエリカは置いていかれる。

「だからこそ、貴方達がいてくれるのでしょうけれど」

 エリカは何も無い場所に話しかける。
 こういう時のために用意されていた存在がエリカにはいた。
 エリカのために動いてくれる配下の者だ。
 オプスキュリテ家の女にはメイドの他に護衛をしてくれる影と呼ばれる存在がいる。

「二人とも頼めるかしら?」

 そう話しかけるだけで、その兄妹はどこからともなく現れる。

「「「はい、エリカお嬢様」」」

 この屋敷では見なれたフットマンとメイドの姿をしていた。
 彼らは、変幻自在にその存在を変える。
 護衛が主な仕事だが、諜報もできる。

「ダミアンお兄様があのダークエルフと共に薔薇姫を探しに行くと思うのだけど…。
 バレないように尾行してちょうだい。
 そして薔薇姫をどこかに連れ去ろうとしたら、それを邪魔して欲しいの。」

「薔薇姫を見つけて保護することが、オプスキュリテ家の命だったと思うのですが?」

「邪魔していいのですか?」

 印象に残りにくい二人はきょとんと首を傾げる。

「いいのよ。
 お兄様が薔薇姫を見つけたら、ろくなことがないわ。
 場所さえ分かれば、私が薔薇姫を保護するわ。
 お兄様は危険なのよ。
 きっと薔薇姫をみつけたら、どこかに隠してしまうわ。
 だから頼んだわよ」

「「分かりました、エリカお嬢様」」

 エリカの命を受けた、兄妹はすぐに姿を消した。
 定期的な報告は彼らの魔術で知らせてくれることだろう。
 心配な気持ちになるが、エリカは待って指示することしか出来ない。
 薔薇姫の居場所を把握するまでは、動けるように準備をしていよう。

「ダミアンお兄様、私が必ずお兄様を正気に戻して差し上げますからね…」

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