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2.桜舞い散る正門で(後編)
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「――っ」
陸の顔が俯く。
今まで誰が相手だろうと一度たりと目を逸らしたことない陸の瞼が、前髪の奥で伏せっていた。
「――陸! こっちを見ろ!」
そんな陸の胸倉を掴んで、湊斗は無理やりに視線を合わせる。
陸の瞳は、今にも泣き出しそうに揺れていた。
「……見るな」
今まで一度だって聞いたことのない陸の声。
それはまるで、雨の中捨てられた子犬のような……。
「こっちを見ろ、陸!」
「……っ」
「こっちを見ろっつってんだろ!!」
陸の胸倉を掴む、湊斗の分厚く硬い手のひら。
この三年間、何度この右手に殴られてきたことだろう。その痛みに、何度呻き、生を実感したことだろう。
疎ましいと思ったことは何度もあったし、湊斗の真っすぐな性格を呪ったことは数え切れない。
けれど湊斗がいなければ、陸の鬱憤の捌け口が学校内で収まることはなかっただろう。家族に虐げられ、心を荒んだ陸が喧嘩以上の悪事に手を染めることなく過ごせたのは、湊斗の存在があったからだ。
いつだって喧嘩をしかけるのは湊斗の方だったが、それによって救われていたのは陸の方だ。
――それだけではない。
陸はとうとう気が付いてしまった。
今自分の胸倉を掴む湊斗の力が、今までにないほど強いことに。
今までずっと、湊斗は手加減をしてくれていたことに……。
――ああ、何だよ。俺、こいつに甘えさせられてたってことかよ……。
そのことに気付いた途端、陸は自身に無性に腹が立った。
今まで大切なことから目を逸らし続けていた自分が猛烈に恥ずかしくなった。
このままでは目の前の湊斗に顔向けできないと、そう思った。
「――湊斗……苦し……」
「――ッ」
――次の瞬間、陸の口から出た自分の名前に、湊斗はパッと手を放した。
頭に血が昇り、つい全力で胸倉を掴んでしまった自分自身に困惑した。
と同時に、陸の口から出た”湊斗”という言葉に、驚きでいっぱいになった。
「お前……今――名前」
「呼んだよ。だって、深海って言っても全然放さなかったから」
「えっ? マジか、悪い。全然気付かなかった」
「いいって、別に。こっちこそ情けない姿見せて悪かった。俺、やるだけやってみるから」
「――!」
「確かに俺、ほんとは父親の仕事なんて手伝いたくないし、海外に行くのも嫌だと思ってた。でも今の言葉で目が覚めたっていうか……やれることはやってみようって思えたっていうか……」
「それ、本当だろうな? 無理してんじゃねーのか?」
「どうかな。――でも、俺が本気でやるって決めたら、湊斗は応援してくれるんだろ?」
「……そりゃ……まぁ……」
さっきまでの怒りが嘘のように、言葉を濁す湊斗。
きっと今頃自分の言葉が恥ずかしくなったのだろう。
陸をまっすぐ見ていたはずの湊斗の視線が左右に泳ぎ――そして……。
「――あ」
その視線が陸の足元を捕らえた瞬間、湊斗は呆けた声を上げた。
「何? どうしたんだよ」
「いや、悪ぃ。ボタン、取れちまった」
「ボタン?」
陸が問うより早く、湊斗は腰を折り、地面に転がった陸のボタンを拾い上げる。
それは制服の第二ボタンだった。
恐らく先ほど胸倉を掴んだ際、引っ張られて取れたのだろう。
「ってか、どんな馬鹿力してんだよ。他のボタンも全部取れかけてんだけど」
「や……マジでスマン」
「まぁいいけど。どうせこれ着るのも今日で最後だし……」
「……ああ、そうだよな」
陸の言葉で、その場は急にしんみりした雰囲気になる。
――が、それを破るように、湊斗が口を開いた。
「これ、預かってていいか?」――と。
「――え? そのボタンを?」
「ああ」
「別にいいけど……何で?」
「いや……それは何つーか……。べ――別に理由なんてなんでもいいだろうが……!」
「ふーん?」
「――ま、とにかくやるだけやってみろよ。お前結構根性あるし頭もいいし、こんなところでフラフラしてるような奴じゃねーって、実はずっと思ってたから」
「…………」
「じゃ、な。頑張れよ、陸。俺もこれからは、もうちょっと真面目に生きてみようと思うからさ」
「……ああ」
――こうして、桜舞い散る下、二人は別れた。
お互いの連絡先を交換することもなく、それは傍から見ればあまりにもあっさりとした別れだった。
けれど、その十年後――。
東条財閥の三男、東条陸が代表を務める東条コーポレーション・ロサンゼルス支社に、一人のエースが配属された。
日本の無名大学からミシガン大学に留学しMBAを取得後、東条コーポレーション・日本本社にて数々の功績を上げた経歴の持ち主で、ロサンゼルス支社への転属は入社当時からの希望だったという。
――そう、その男の名前は……。
陸の顔が俯く。
今まで誰が相手だろうと一度たりと目を逸らしたことない陸の瞼が、前髪の奥で伏せっていた。
「――陸! こっちを見ろ!」
そんな陸の胸倉を掴んで、湊斗は無理やりに視線を合わせる。
陸の瞳は、今にも泣き出しそうに揺れていた。
「……見るな」
今まで一度だって聞いたことのない陸の声。
それはまるで、雨の中捨てられた子犬のような……。
「こっちを見ろ、陸!」
「……っ」
「こっちを見ろっつってんだろ!!」
陸の胸倉を掴む、湊斗の分厚く硬い手のひら。
この三年間、何度この右手に殴られてきたことだろう。その痛みに、何度呻き、生を実感したことだろう。
疎ましいと思ったことは何度もあったし、湊斗の真っすぐな性格を呪ったことは数え切れない。
けれど湊斗がいなければ、陸の鬱憤の捌け口が学校内で収まることはなかっただろう。家族に虐げられ、心を荒んだ陸が喧嘩以上の悪事に手を染めることなく過ごせたのは、湊斗の存在があったからだ。
いつだって喧嘩をしかけるのは湊斗の方だったが、それによって救われていたのは陸の方だ。
――それだけではない。
陸はとうとう気が付いてしまった。
今自分の胸倉を掴む湊斗の力が、今までにないほど強いことに。
今までずっと、湊斗は手加減をしてくれていたことに……。
――ああ、何だよ。俺、こいつに甘えさせられてたってことかよ……。
そのことに気付いた途端、陸は自身に無性に腹が立った。
今まで大切なことから目を逸らし続けていた自分が猛烈に恥ずかしくなった。
このままでは目の前の湊斗に顔向けできないと、そう思った。
「――湊斗……苦し……」
「――ッ」
――次の瞬間、陸の口から出た自分の名前に、湊斗はパッと手を放した。
頭に血が昇り、つい全力で胸倉を掴んでしまった自分自身に困惑した。
と同時に、陸の口から出た”湊斗”という言葉に、驚きでいっぱいになった。
「お前……今――名前」
「呼んだよ。だって、深海って言っても全然放さなかったから」
「えっ? マジか、悪い。全然気付かなかった」
「いいって、別に。こっちこそ情けない姿見せて悪かった。俺、やるだけやってみるから」
「――!」
「確かに俺、ほんとは父親の仕事なんて手伝いたくないし、海外に行くのも嫌だと思ってた。でも今の言葉で目が覚めたっていうか……やれることはやってみようって思えたっていうか……」
「それ、本当だろうな? 無理してんじゃねーのか?」
「どうかな。――でも、俺が本気でやるって決めたら、湊斗は応援してくれるんだろ?」
「……そりゃ……まぁ……」
さっきまでの怒りが嘘のように、言葉を濁す湊斗。
きっと今頃自分の言葉が恥ずかしくなったのだろう。
陸をまっすぐ見ていたはずの湊斗の視線が左右に泳ぎ――そして……。
「――あ」
その視線が陸の足元を捕らえた瞬間、湊斗は呆けた声を上げた。
「何? どうしたんだよ」
「いや、悪ぃ。ボタン、取れちまった」
「ボタン?」
陸が問うより早く、湊斗は腰を折り、地面に転がった陸のボタンを拾い上げる。
それは制服の第二ボタンだった。
恐らく先ほど胸倉を掴んだ際、引っ張られて取れたのだろう。
「ってか、どんな馬鹿力してんだよ。他のボタンも全部取れかけてんだけど」
「や……マジでスマン」
「まぁいいけど。どうせこれ着るのも今日で最後だし……」
「……ああ、そうだよな」
陸の言葉で、その場は急にしんみりした雰囲気になる。
――が、それを破るように、湊斗が口を開いた。
「これ、預かってていいか?」――と。
「――え? そのボタンを?」
「ああ」
「別にいいけど……何で?」
「いや……それは何つーか……。べ――別に理由なんてなんでもいいだろうが……!」
「ふーん?」
「――ま、とにかくやるだけやってみろよ。お前結構根性あるし頭もいいし、こんなところでフラフラしてるような奴じゃねーって、実はずっと思ってたから」
「…………」
「じゃ、な。頑張れよ、陸。俺もこれからは、もうちょっと真面目に生きてみようと思うからさ」
「……ああ」
――こうして、桜舞い散る下、二人は別れた。
お互いの連絡先を交換することもなく、それは傍から見ればあまりにもあっさりとした別れだった。
けれど、その十年後――。
東条財閥の三男、東条陸が代表を務める東条コーポレーション・ロサンゼルス支社に、一人のエースが配属された。
日本の無名大学からミシガン大学に留学しMBAを取得後、東条コーポレーション・日本本社にて数々の功績を上げた経歴の持ち主で、ロサンゼルス支社への転属は入社当時からの希望だったという。
――そう、その男の名前は……。
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