123 / 198
第二部
68.憎悪
しおりを挟む十月の末の夕暮れどき。
帝都では、昨夜から激しい雨が降り続いていた。
雲は厚く、空は暗い。おまけに雷まで鳴り響いている。
そんな重たい街の景色を、リアムは自室の出窓から、冷めた瞳で見下ろしていた。
テーブルの上には、今朝方届いたエリスからの手紙が、開いたまま放置されている。
そこに書かれているのは、『申し訳ございません。先日のお申し出は、お受けすることはできません』という、短い一文。
それはつまり、『オリビアをアレクシスの側妃に』という、一縷の望みがついえたことを意味していた。
◆◆◆
――「今日からお前は、リアム・ルクレールと名乗るように」
それは彼が七つになったばかりの、ある雨の日のことだった。
娼婦だった母を亡くし、劣悪な孤児院で酷い生活を送っていた彼の前に、突然、『父の使い』と名乗る者が現れたのは。
「死んだ母親の名は?」
「“――”です、旦那さま」
「よろしい。私と一緒に来なさい」
そんな短い会話を交わし、連れてこられたのがこの屋敷。
そこにいたのは、見覚えのない父親と、今年二歳を迎えるという、腹違いの妹・オリビアだった。
父親は対面早々、彼を冷たく見下ろし、こう言った。
「お前の兄が死んだ。――よいか。お前は代わりだ。我が家門に泥を塗らぬよう、よく学べ」
ルクレール侯爵は、二年前のオリビア誕生時に妻を亡くし、続けて長男を事故で亡くしていた。
だが世襲貴族の制度上どうしても男児が必要だった侯爵は、かつて自身の子を身ごもった娼婦の情報を調べ上げ、内密に引き取ったのである。
新しい名前を与えられたリアムは、教えられることを必死に学んだ。
二度と孤児院には戻りたくないという一心で。
だが、彼がどれだけ努力しても、父の求める結果は残せなかった。
「お前の兄は優秀だった」
「あの子さえ生きていれば……」
「なぜ同じようにできんのだ!」
そんな罵声を浴びせられる度、リアムの心は抉られた。
日常的に行われる体罰も、心身を酷く弱らせた。
それでも彼が耐え忍んでこられたのは、オリビアの存在があったからだ。
「おにーさま、大好き!」と、太陽のような明るさで笑いかけてくれる妹の成長を、ずっと側で見守っていきたいと思ったから。
――それなのに。
◇
窓に打ち付ける雨音を遠くに聞きながら、リアムは拳を握りしめる。
目を閉じれば昨日のことのように蘇る、「オリビアを妃に迎えるつもりはない」と言い放った、アレクシスの冷たい声。
思えば、あの時から自分は、アレクシスへの復讐心を募らせていたのだろう。
(アレクシス。君は何もかもを手にしておきながら、私からオリビアを引き離そうとするのか)
その感情が逆恨みだという自覚はあった。
けれど、オリビアを失うことが決まってしまった今のリアムに、守るものは何もない。
家の存続も、与えられた役目も、立場も理性もプライドも、欠片も意味をなさなかった。
今彼の中にあるのは、アレクシスへの憎悪と復讐心。
ただ、それだけ。
(君も知るべきだ。私のこの胸の痛みを……。愛する者を失う、その苦しみを)
そのためにすべきことは、ただ一つ。アレクシスから、エリスを奪ってやること。
問題は、その方法だ。
――そう考え始めた、その矢先。
部屋の扉がノックされ、「私です」と若い侍従の声がした。
どうやら、頼んでいたものを入手したようだ。
入室を許可すると、侍従は周囲を警戒するような素振りで室内に入り、大きめの封筒を差し出してくる。
「こちら、頼まれていたカルテです」
「誰にも気付かれていないな?」
「はい。往診中を狙って忍び込みましたから」
「よくやった。これは報酬だ、好きに使え」
リアムは札束と引き換えに封筒を受け取ると、すぐに侍従を下がらせ、中身を確認する。
――それは間違いなく、エリスのカルテだった。
今朝、エリスから届いた手紙を読んですぐ、侍従に命じて診療所に盗みに行かせた、日付のみ書かれた無記名のカルテ。
これがきっと、アレクシスへの復讐の鍵になる。
リアムには、確かにそんな予感があった。
そしてその予感は、見事的中した。
カルテに書かれていたのは、『妊娠の兆しあり』との一文。
それを目にしたリアムは、一瞬驚きに目を見張ったが、すぐにほくそ笑む。
(……懐妊、か。――アレクシス。君のエリス妃への愛がいかほどか、見せてもらおう)
64
あなたにおすすめの小説
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめる事にしました 〜once again〜
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【アゼリア亡き後、残された人々のその後の物語】
白血病で僅か20歳でこの世を去った前作のヒロイン、アゼリア。彼女を大切に思っていた人々のその後の物語
※他サイトでも投稿中
ローザリンデの第二の人生
梨丸
恋愛
伯爵令嬢、ローザリンデの夫はいつも彼女より仕事を優先させ、彼女を無碍にしている。
彼には今はもういない想い人がいた。
私と結婚したことにいい思いをしていないことは知っていた。
けれど、私の命が懸かっていた時でさえも、彼の精神は変わらなかった。
あなたが愛してくれないのなら、私は勝手に幸せになります。
吹っ切れたローザリンデは自分自身の幸せのために動くことにした。
※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。)
1/10 HOTランキング1位、小説、恋愛3位ありがとうございます。
【完結】優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした
ゆきのひ
恋愛
伯爵令嬢であるディアの婚約者は、整った容姿と優しい性格で評判だった。だが、いつからか彼は、婚約者であるディアを差し置き、最近知り合った男爵令嬢を優先するようになっていく。
彼と男爵令嬢の一線を越えた振る舞いに耐え切れなくなったディアは、婚約破棄を申し出る。
そして婚約破棄が成った後、新たな婚約者として紹介されたのは、魔物を残酷に狩ることで知られる冷血公爵。その名に恐れをなして何人もの令嬢が婚約を断ったと聞いたディアだが、ある理由からその婚約を承諾する。
しかし、公爵にもディアにも秘密があった。
その秘密のせいで、ディアは命の危機を感じることになったのだ……。
※本作は「小説家になろう」さん、カクヨムさんにも投稿しています
※表紙画像はAIで作成したものです
私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~
marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」
「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」
私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。
暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。
彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。
それなのに……。
やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。
※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。
※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。
〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。
ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。
ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。
対面した婚約者は、
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。
「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」
今の私はあなたを愛していません。
気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。
☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。
☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる