ヴィスタリア帝国の花嫁 〜婚約破棄された小国の公爵令嬢は帝国の皇子に溺愛される〜

夕凪ゆな

文字の大きさ
124 / 198
第二部

69.リアムの悪意(前編)

しおりを挟む

「僕は先に本を見てくるよ。マリアンヌ様によろしくね」
「ええ。また後でね、シオン」

 ――その日、エリスはシオンと共に帝国図書館を訪れていた。
 久しぶりに、マリアンヌと会うためだ。


(マリアンヌ様とお会いするのは、三週間ぶりになるかしら……)

 最後に会ったのは月の始め。エリスの妊娠が判明した日である。

 その後は色々と慌ただしく、体調的にも気持ち的にも、マリアンヌに連絡をしている余裕がなかった。

 けれど先週マリアンヌの方から誘いがあり、リアムとのお茶会以降エリスの外出に渋っていたシオンも「マリアンヌ様からの誘いなら仕方ないか」と外出を認めてくれ、今日に至る。


 エリスは、貴族専用の雑談スペースでマリアンヌの姿を探した。
 だが、マリアンヌの姿はない。

(まだ着いていらっしゃらないようだわ。いつもの席で待っていましょう)

 エリスは一番奥のテーブルに腰を落ち着けると、ウェイターを呼んで紅茶を頼む。

 そうして、否が応でも思い浮かんでしまうリアムのことを考えて、小さく溜め息をついた。


 ◆

『先日のお申し出は、お受けすることはできません』

 エリスが悩みに悩んだ末、リアムに返事を出したのは、一週間前のこと。

 それはエリス自身が出した結論だったが、それと同じほど、シオンが激怒したことが大きかった。

 ◆

 そもそもは十日前。

 お茶会の晩に冷えた空気に当たったせいで熱を出したエリスは、三日三晩もの間寝込み、シオンから叱責された。

「妊娠中に夜風に当たるなんてどうかしてる! 取り返しのつかないことになったらどうするつもりなんだ!」

 ――と同時に、厳しい詰問を受けた。

「リアム様にいったい何を言われたの? 言うまで、姉さんの側を離れないから」

 それでもエリスは最初、これはあまりにもプライベートなことだからと口を閉ざした。

 けれど痺れを切らしたシオンが、「姉さんが答えないなら、リアム様に直接聞きに行くけど、いいんだね?」などと言い出したものだから、話さないわけにはいかなくなってしまったのだ。


(……あのときのシオンは、本当に怖かった)


 ひとまず、オリビアが火傷を負ったことと、その原因がアレクシスであることさえ伏せておけば、問題にはならないだろう。

 そんな考えの下、
「オリビア様を殿下の側妃にしてくれるよう、頼んでくれないかと言われたの」
 と口にした瞬間、明らかに変わったシオンの顔色。

 口調こそいつも通りだったが、まるで人を射殺しそうなほど冷たい瞳で、シオンはこう呟いたのだ。

「そういうことか」――と。

 エリスにはその意味はわからなかった。

 けれど、シオンが心の底から怒っていることだけは理解した。
 なぜならエリスはそれまで一度だって、あれほど冷たいシオンの顔を見たことはなかったのだから。

「姉さん、すぐに断って。リアム様からの手紙は、二度と受け取らないで」
「――!」
「オリビア様に同情する気持ちはわかる。でも、それとこれとは話が別だよ。リアム様のやり方はとても卑怯だ。それに姉さんは、『嫌だ』と思っているんだろう?」

 シオンにそう言われ、エリスはハッとした。

 そうだ。わたしは嫌なんだ、と。

 アレクシスがオリビアを受け入れるかどうか心配になるのは、受け入れて欲しくないと願っているからだ。
 アレクシスを他の誰にも渡したくないと、そう思っているから。

「……でも、それって我が儘なんじゃないかしら」

 エリスは、シオンにポツリと漏らす。

「帝国の皇子は、何人もの妃を持つのが普通なのよ? 事実、第一皇子殿下も、第二皇子殿下も、何人も妃を持たれている。……それなのに殿下を独り占めしたいと思うなんて、妃失格じゃないかしら」

『妃は一人でいい』と言ったアレクシスのために断るならいざ知らず、自分のアレクシスへの独占欲のためにリアムの提案を拒否するのは、どうしても違う気がした。
 どちらであろうと『断る』ことには変わりないのに、そこには雲泥の差がある――そんな気が。

 すると、それを聞いたシオンは「気に入らない」と言いたげに目を細める。

「じゃあ聞くけど、姉さんはリアム様の提案を受け入れるの? 殿下が帰ってきたら、『オリビア様を二番目の側妃に』ってお願いするのか? それって、殿下にすごく失礼だ。もし僕が殿下の立場で、愛する妻にそんなことを言われたら、一生立ち直れないくらい傷付くよ」
「……っ」
「それに今の姉さん、酷い顔だ。もうすぐ殿下が戻ってくるっていうのに、そんな状態で殿下を出迎えるつもり? 殿下に心配をかけたいの? ――そういう気の引き方は、僕は好きじゃない」
「――!」

 瞬間、エリスは頭を強く殴られた気がした。

『そういう気の引き方は、僕は好きじゃない』

 シオンにそんな言葉を言わせてしまった自分自身に、心底腹が立った。

(シオンにこんな顔をさせてまで、わたしはいったい何を悩んでいるのかしら。答えなど、とうに決まっているというのに)

 そもそも、今回のことは全て自分が蒔いた種だ。
 オリビアに助けてもらったことは別として、その後、勝手な正義感と同情心から、シオンに相談せずに、リアムからのお茶会の招待を勝手に受けた。

 もしあの時断っていれば、リアムに期待させることもなく、こんなおかしな申し出をされることもなかったはずだ。

(それに、もしわたしがここできちんと断らなければ、殿下を困らせてしまうことになる。わたしのせいで殿下にご負担をかけることになるなんて、それだけは嫌)

 自分の気持ちとアレクシスの立場、それを考えれば、答えはおのずと導き出される。

 そう悟ったエリスは、リアムに断りの返事を出したのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

本日、貴方を愛するのをやめます~王妃と不倫した貴方が悪いのですよ?~

なか
恋愛
 私は本日、貴方と離婚します。  愛するのは、終わりだ。    ◇◇◇  アーシアの夫––レジェスは王妃の護衛騎士の任についた途端、妻である彼女を冷遇する。  初めは優しくしてくれていた彼の変貌ぶりに、アーシアは戸惑いつつも、再び振り向いてもらうため献身的に尽くした。  しかし、玄関先に置かれていた見知らぬ本に、謎の日本語が書かれているのを見つける。  それを読んだ瞬間、前世の記憶を思い出し……彼女は知った。  この世界が、前世の記憶で読んだ小説であること。   レジェスとの結婚は、彼が愛する王妃と密通を交わすためのものであり……アーシアは王妃暗殺を目論んだ悪女というキャラで、このままでは断罪される宿命にあると。    全てを思い出したアーシアは覚悟を決める。  彼と離婚するため三年間の準備を整えて、断罪の未来から逃れてみせると……  この物語は、彼女の決意から三年が経ち。  離婚する日から始まっていく  戻ってこいと言われても、彼女に戻る気はなかった。  ◇◇◇  設定は甘めです。  読んでくださると嬉しいです。

余命六年の幼妻の願い~旦那様は私に興味が無い様なので自由気ままに過ごさせて頂きます。~

流雲青人
恋愛
商人と商品。そんな関係の伯爵家に生まれたアンジェは、十二歳の誕生日を迎えた日に医師から余命六年を言い渡された。 しかし、既に公爵家へと嫁ぐことが決まっていたアンジェは、公爵へは病気の存在を明かさずに嫁ぐ事を余儀なくされる。 けれど、幼いアンジェに公爵が興味を抱く訳もなく…余命だけが過ぎる毎日を過ごしていく。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~

塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます! 2.23完結しました! ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。 相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。 ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。 幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。 好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。 そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。 それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……? 妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話 切なめ恋愛ファンタジー

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます

おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。 if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります) ※こちらの作品カクヨムにも掲載します

白い結婚に、猶予を。――冷徹公爵と選び続ける夫婦の話

鷹 綾
恋愛
婚約者である王子から「有能すぎる」と切り捨てられた令嬢エテルナ。 彼女が選んだ新たな居場所は、冷徹と噂される公爵セーブルとの白い結婚だった。 干渉しない。触れない。期待しない。 それは、互いを守るための合理的な選択だったはずなのに―― 静かな日常の中で、二人は少しずつ「選び続けている関係」へと変わっていく。 越えない一線に名前を付け、それを“猶予”と呼ぶ二人。 壊すより、急ぐより、今日も隣にいることを選ぶ。 これは、激情ではなく、 確かな意思で育つ夫婦の物語。

処理中です...