ヴィスタリア帝国の花嫁 〜婚約破棄された小国の公爵令嬢は帝国の皇子に溺愛される〜

夕凪ゆな

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第二部

80.憤怒の炎

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「……何、だと……?」


 ――刹那、アレクシスの中に揺らめいたのは、憤怒の炎だった。

 エリスを信用していないわけではない。噂を信じるわけでもない。
 だが、アレクシスはどうしようもなく、心が乱れるのを止められなかった。


「――誰だ」


 アレクシスは目を赤く血走らせ、声を荒げる。

「誰だ……! そんな噂を流した奴は……ッ!」

「……っ」

 ――まるで戦場の中にでも放り込まれたような強い殺気。
 マリアンヌは、アレクシスの全身から立ち昇る強烈な殺意に肩を震わせながらも、ふるふると首を振った。

「わかりませんの。……ただ」

「……ただ?」

 マリアンヌは、膝の上でぐっと拳を握りしめ、アレクシスを見据える。

「噂の内容、おかしいと思いませんこと? エリス様が身ごもっているということ自体、わたくし、どこからも聞いたことがございませんのよ。……ねぇお兄様。エリス様が妊娠されているというのは、間違いなく事実ですの?」

「――!」


 瞬間、マリアンヌが言わんとすることを理解して、アレクシスは打たれたように立ち上がり、執務室を飛び出した。

「お兄様!? いったいどちらへ――!」

 マリアンヌが後ろから何か叫んでいるが、アレクシスは立ち止まることも振り返ることもせず、エリスの部屋へと一目散に駆け抜ける。


 ああ、そうだ。
 エリスの妊娠は、まだ宮の外には漏らしていない。使用人たちはそう言っていた。

 それなのに、噂の内容はエリスの妊娠を示唆するものだった。
 ということはつまり、噂を流した人間は、エリスの妊娠を知っていたということになる。

 ――それはいったいどうしてか。

 噂を流した犯人が、エリスの腹の子供の父親だからか?
 いいや、違う。

 エリスは絶対にそんなことはしない。
 自分以外の男に身体を許すなど、エリスに限って有り得ない。

 それにそもそも、自分が不在だったのはたったの一ヵ月である。

 その間に子を成したとしても、妊娠が判明するのはもっと後になるはずだ。

 ――それくらいの基本的知識は、アレクシスとて身に着けていた。
 ということは。

 可能性として最も高いのは、エリスの妊娠が判明してからこれまでの間に、第三者に妊娠の事実を知られてしまったということ。

 つまり、この一月の間にエリスが連絡を取り合った人物。それが、噂を流した犯人である可能性が高い。


 アレクシスは、噂を流した何者かへの殺意をむき出しにしながら、エリスの部屋の家具の引き出しという引き出しを片っ端から開け放ち、中身を床に投げ捨てていった。


「どこだ……! どこにある……!」――と。

 この部屋のどこかにあるはずの、エリスがやり取りした相手との痕跡を見つけるべく。


(俺は絶対に許さない。エリスを貶めた奴の正体を突き止め、必ず制裁を下す……!)


 部屋の外では、後から追いついてきたマリアンヌや使用人らが、真っ青な顔で立ち尽くしている。

 皆、突然エリスの部屋を荒らし始めたアレクシスのことを、乱心したとでも思っているのだろう。

 見かねたマリアンヌが、「お兄様、おやめになって……!」と止めに入るが、アレクシスは妹の腕を乱暴に振り払い、引き出しの中身を一心不乱に漁り続けた。


 だが、チェスト上段の引き出しを開けたときだ。
 見覚えのある一枚の絵ハガキが、アレクシスの動きを止めた。

「――!」

(……これは)

 そう。それは紛れもなく、アレクシスがエリスに宛てた絵ハガキだった。

 演習先のロレーヌから送った、夕暮れどきの海を背景にした、美しい港町。
 そこには、短いメッセージが書き込まれている。


『この景色を、君に贈る』


 たったそれだけ。

 それだけのメッセージだったが、アレクシスはその一文を書いたときの気持ちを思い出し、ほんの束の間、意識を現実に引き戻した。

 だが、それはあまりにも一瞬だった。

 なぜなら、アレクシスは見つけてしまったのだから。

 引き出しの奥に隠されたように仕舞われた、一通の白い封筒。
 その開封された封蝋の形が、見覚えのある紋章であることに――。


「……っ」


 刹那、ドクン、と、心臓が鼓動を強める。

 まさか、と全身の血が騒ぎ、アレクシスの身体から、容赦なく体温を奪っていった。


(この、家紋、は――)


 ああ、見間違えるはずがない。
 何度も不毛なやり取りをした、その相手を。
 

 アレクシスは、ざわめく心を必死に抑えつけ、真っ白になりかけた頭で、封筒をそっと手に取る。

 そうして中を覗けば、そこには見覚えのある几帳面な文字が並び――その最後には……。
 

「……リアム、……ルクレール」


 ――と、自分が突き放してしまった友人の名が、しっかりと刻まれていた。
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