ヴィスタリア帝国の花嫁 〜婚約破棄された小国の公爵令嬢は帝国の皇子に溺愛される〜

夕凪ゆな

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第二部

88.決意の夜(後編)

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 祖国で姦通の濡れ衣を着せられたエリスにとって、何よりも恐ろしいのは、アレクシスから疑いの目を向けられることだった。

 リアムに襲われかけたことよりも、周囲から軽蔑の目で見られることよりも、アレクシスにどう思われるかが、何よりも気掛かりだった。

 と同時に、この件によってアレクシスをどれほど思い悩ませてしまうかと考えると、胸が苦しくてたまらなくなった。


 アレクシスの愛を信じていないわけではない。
 むしろ、信じているからこそ怖いのだ。

 かつてユリウスが、少なからず自分を愛してくれていたことを知っているから。

 愛があるからこそ、その気持ちが憎しみに変わるのは一瞬なのだと分かるから。

 相手への思いが強ければ強いほど、心に深い傷を負わせてしまうものだと、身をもって感じているから。


(リアム様は殿下のご友人だもの。きっと殿下は、とても悩まれるはずよ)

 
 エリスは、アレクシスへの申し訳なさに、ふるふると肩を震わせる。

 するとジークフリートは、そんなエリスの感情を見透かすように目を細めた。

「君たち姉弟は本当によく似ているね」と囁くような声で言い、エリスの瑠璃色の瞳をじっと覗き込む。

「シオンも同じようなことを言っていたよ。自分がもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかったと」
「そんな! シオンに非はありませんわ……!」
「うん、僕もそう思うよ。シオンは少しも悪くない。でも、それは君も同じだよ」

 咄嗟に声を荒げたエリスに、ジークフリートは諭すような声で続ける。

「確かに今回の件、君は偶然にも最後の引き金を引いてしまったのかもしれない。でも、悪いのは君じゃない、ルクレール卿だ。あるいは、彼の気持ちに気付こうとせず、問題を放置し続けたアレクシスに責任があると、僕は思う」
「…………」
「少なくとも、アレクシスは僕と同じように考えるだろう。だから君もシオンも、そんなに思いつめる必要はないんだ。君が悩めば、その分アレクシスは自分を責めなければならなくなる。それは、君の望むところではないだろう?」

 その言葉に、エリスは大きく目を見開いた。
 
 確かに、ジークフリートの言う通りだと。
 アレクシスを悩ませるのは、自分の本意ではない。


 エリスは数秒の沈黙ののち、「はい」と小さく頷いた。
 すると、ジークフリートは唇にゆるりと弧を描く。
 
「なら、君はどうか毅然きぜんとしていて。正直、アレクシスがこの件に対してどんな反応を見せるのかは、僕にもわからないんだ。でも、君がアレクシスの手綱を握っていてくれれば、きっと大丈夫」
「……手綱、ですか?」
「うん、手綱。彼は昔っから、後先をかえりみずに突っ走っていくところがあるからね」

 ジークフリートはやれやれと肩をすくめると、椅子から立ち上がる。

「じゃあ、僕はシオンを呼んでくるよ。彼、随分思いつめているから、今夜は側にいてあげてくれる? ――ああそれと、シオンには何日泊まっても構わないと言ったけど、アレクシスの手前、君をここに留めておくことはできないんだ。明日の朝には帰りの馬車を手配するから、そのつもりでいてほしい」
「はい、それで構いません。何から何まで、ありがとうございます」
「どういたしまして。食事も後で運ばせるね。じゃあ、また明日」
「はい。おやすみなさいませ、ジークフリート殿下」
「うん、おやすみ」

 最後にニコリと美しい笑みを浮かべ、背を向けるジークフリート。

 エリスはその背中が扉の向こうに消えるのを見送って、決意する。


(わたしはまだ、ジークフリート殿下の言葉の意味を、全て理解できたわけではないけれど……)


 ここまでしてくれたジークフリートの恩に報いるためにも、決してこの問題から目を逸らさないと。

 少なくとも、アレクシスひとりに負担を強いることは、絶対にあってはならないと。

 
(そのために、まずはシオンをどうにかしなきゃ。あの子がそんなに思いつめるなんて、余程のことだもの)

 二ヵ月ほど前、シオンがエメラルド宮を出て行ったあの日、シオンは明らかに様子がおかしかったのに、自分は追いかけることができなかった。

 あのときの後悔を、絶対に繰り返してはいけない。


 エリスはそんな思いで、ジークフリートと入れ替わりで駆け付けてきたシオンを、部屋の中へと招き入れた。
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