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第二部
90.シオンとの一夜(後編)
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◇◇◇
「――さん、……姉さん!」
「――!」
瞬間、窓から朝の帝都の街並みを眺めていたはずのエリスは、名前を呼ばれて我に返った。
どうやら考え事をしてしまっていたようだ――そう思いながら背後を振り向くと、先ほどまではなかったはずのシオンの姿がある。
「……シオン」
いつの間に入ってきたのだろうか。
驚くエリスに、シオンは心配そうな、それでいて、かつてないほど穏やかな視線を向けた。
「姉さん、やっぱり寝不足なんじゃない? ごめんね。僕がずっと手を握ってたから、寝にくかったよね?」
「――!」
その言葉に、エリスはカァッと顔を赤く染める。
「……い、いえ。それはいいのよ。そもそもはわたしが言い出したことだし……それに、幼い頃のあなたを思い出して……その……」
「フフッ。いいよ、最後まで言わなくて。姉さんが僕を大切に思ってくれていることは、十分伝わったから」
「……っ」
――そう。
昨晩エリスは、シオンと共に一夜を過ごした。
と言っても、いかがわしいことは一切なく、同じベッドで眠っただけであるが。
経緯としては、一通りの話を終え「そろそろ部屋に戻るね」と潔く席を立とうとしたシオンを、エリスが引き留めた形だ。
「今夜はここにいて。あなたともっと話をしたいの」
と、懇願するような声で言われたシオンは、驚いたような、呆れたような顔でしばらく躊躇っていた。
けれど最終的には、「姉さんがそう言うなら」と、部屋に残ることを決めた。
エリスは、幼い頃そうしていたように、シオンの手を握り、ベッドの上で懐かしい思い出を語った。
生前、母親が読み聞かせてくれた絵本のこと。
飼っていたカナリアのこと。
使用人にいたずらをして怒られたこと。
そして、シオンが屋敷からいなくなってからの、心細かった日々の記憶を――。
「わたしはね、シオン。ずっといい姉でいたかった。あなたを守れる強い自分でいたかった。そうでなければ、わたしの存在価値がなくなるような気がして怖かったから。ずっとあなたに愛されていたかったから。……だから言えなかったの。ユリウス殿下に婚約破棄されたことも、帝国に嫁ぐことになったことも。あなたに失望されるんじゃないかと思ったら、どうしても言えなかった」
シオンは、エリスに手を握られたまま、黙ってその言葉を聞いていた。
薄暗い部屋のベッドの上で、その瞳にエリスの姿をしっかりと捉え、エリスの言葉の続きを待っていた。
「でも、こんなわたしに、あなたは言ってくれたわ。わたしと一緒にいたいって、昔と変わらず慕ってくれた。だからわたしも伝えたいの。わたし、あなたのことが大好きよ。あなたがいてくれたから、わたしは自分を保っていられたの。そのことを、どうか知っていてほしい」
それは、エリスが初めてシオンに見せた『弱さ』だった。
十年間、心の奥底に秘め続けていた、彼女の本音だった。
それを聞いたシオンは、エリスを強く抱きしめる。
「話してくれてありがとう、姉さん。僕も姉さんが大好きだ」と、今にも泣き出しそうな顔で――。
その後二人は、手を繋いだまま、同じベッドで眠ったのだ。
(まさか、この歳にもなって弟と手を繋いで眠ることになるとは思わなかったけれど、ちゃんと気持ちを伝えられたし、あれで良かったのよね)
昨夜のことを思い出すと今更ながら羞恥心が沸いてくるが、あれは必要なことだったのだと、エリスは自身に言い聞かせる。
するとシオンは、そんなエリスの心を知ってか知らずか、嬉しそうに目を細めた。
「ところで姉さん。馬車の用意ができたって、ジークフリート殿下が」
「――!」
その言葉に、エリスは再びハッとする。
そうだ。自分は一刻も早く、エメラルド宮に戻らなければならないのだった――と、気持ちを切り変える。
「わかったわ。急いで宮に戻りましょう」
だが、エリスが部屋の扉を開けた――そのときだった。
廊下の先にある、リビングの更に向こう側、スイートルームの玄関の方が、何やら騒がしいことに気付く。
「……?」
(何か、あったのかしら?)
――が、そう思うと同時に、エリスは新たに気付いてしまった。
騒いでいるうちの一人が、他でもない、アレクシスであることに。
「エリス! どこだ……!」と、自分の名を叫んでいることに――。
「――っ」
刹那――エリスは床を蹴っていた。
昨夜、ジークフリートから不義の噂を聞かされたときはあれほど不安に思ったのに、そんな気持ちはどこかへと吹っ飛んでしまっている自分がいた。
――ああ、どうして彼がここにいるのだろう。
いつ帰ってきたのだろう。
噂はもう聞いただろうか。
お腹の子どものことは知っているのだろうか。
どうやってこの場所を……。
ああ、もしや彼は、一晩中自分のことを探してくれていたとでもいうのか。
だからあんなに、焦った声で自分を呼んでいるのだろうか――。
「アレクシス殿下……!」
エリスはアレクシスを呼びながら、リビングへと駆け込んだ。
すると、ジークフリートの胸倉を掴むアレクシスと目が合って――次の、瞬間。
「エリスッ!」
気付けばエリスは、アレクシスの逞しい腕に、しっかりと抱かれていた。
「――さん、……姉さん!」
「――!」
瞬間、窓から朝の帝都の街並みを眺めていたはずのエリスは、名前を呼ばれて我に返った。
どうやら考え事をしてしまっていたようだ――そう思いながら背後を振り向くと、先ほどまではなかったはずのシオンの姿がある。
「……シオン」
いつの間に入ってきたのだろうか。
驚くエリスに、シオンは心配そうな、それでいて、かつてないほど穏やかな視線を向けた。
「姉さん、やっぱり寝不足なんじゃない? ごめんね。僕がずっと手を握ってたから、寝にくかったよね?」
「――!」
その言葉に、エリスはカァッと顔を赤く染める。
「……い、いえ。それはいいのよ。そもそもはわたしが言い出したことだし……それに、幼い頃のあなたを思い出して……その……」
「フフッ。いいよ、最後まで言わなくて。姉さんが僕を大切に思ってくれていることは、十分伝わったから」
「……っ」
――そう。
昨晩エリスは、シオンと共に一夜を過ごした。
と言っても、いかがわしいことは一切なく、同じベッドで眠っただけであるが。
経緯としては、一通りの話を終え「そろそろ部屋に戻るね」と潔く席を立とうとしたシオンを、エリスが引き留めた形だ。
「今夜はここにいて。あなたともっと話をしたいの」
と、懇願するような声で言われたシオンは、驚いたような、呆れたような顔でしばらく躊躇っていた。
けれど最終的には、「姉さんがそう言うなら」と、部屋に残ることを決めた。
エリスは、幼い頃そうしていたように、シオンの手を握り、ベッドの上で懐かしい思い出を語った。
生前、母親が読み聞かせてくれた絵本のこと。
飼っていたカナリアのこと。
使用人にいたずらをして怒られたこと。
そして、シオンが屋敷からいなくなってからの、心細かった日々の記憶を――。
「わたしはね、シオン。ずっといい姉でいたかった。あなたを守れる強い自分でいたかった。そうでなければ、わたしの存在価値がなくなるような気がして怖かったから。ずっとあなたに愛されていたかったから。……だから言えなかったの。ユリウス殿下に婚約破棄されたことも、帝国に嫁ぐことになったことも。あなたに失望されるんじゃないかと思ったら、どうしても言えなかった」
シオンは、エリスに手を握られたまま、黙ってその言葉を聞いていた。
薄暗い部屋のベッドの上で、その瞳にエリスの姿をしっかりと捉え、エリスの言葉の続きを待っていた。
「でも、こんなわたしに、あなたは言ってくれたわ。わたしと一緒にいたいって、昔と変わらず慕ってくれた。だからわたしも伝えたいの。わたし、あなたのことが大好きよ。あなたがいてくれたから、わたしは自分を保っていられたの。そのことを、どうか知っていてほしい」
それは、エリスが初めてシオンに見せた『弱さ』だった。
十年間、心の奥底に秘め続けていた、彼女の本音だった。
それを聞いたシオンは、エリスを強く抱きしめる。
「話してくれてありがとう、姉さん。僕も姉さんが大好きだ」と、今にも泣き出しそうな顔で――。
その後二人は、手を繋いだまま、同じベッドで眠ったのだ。
(まさか、この歳にもなって弟と手を繋いで眠ることになるとは思わなかったけれど、ちゃんと気持ちを伝えられたし、あれで良かったのよね)
昨夜のことを思い出すと今更ながら羞恥心が沸いてくるが、あれは必要なことだったのだと、エリスは自身に言い聞かせる。
するとシオンは、そんなエリスの心を知ってか知らずか、嬉しそうに目を細めた。
「ところで姉さん。馬車の用意ができたって、ジークフリート殿下が」
「――!」
その言葉に、エリスは再びハッとする。
そうだ。自分は一刻も早く、エメラルド宮に戻らなければならないのだった――と、気持ちを切り変える。
「わかったわ。急いで宮に戻りましょう」
だが、エリスが部屋の扉を開けた――そのときだった。
廊下の先にある、リビングの更に向こう側、スイートルームの玄関の方が、何やら騒がしいことに気付く。
「……?」
(何か、あったのかしら?)
――が、そう思うと同時に、エリスは新たに気付いてしまった。
騒いでいるうちの一人が、他でもない、アレクシスであることに。
「エリス! どこだ……!」と、自分の名を叫んでいることに――。
「――っ」
刹那――エリスは床を蹴っていた。
昨夜、ジークフリートから不義の噂を聞かされたときはあれほど不安に思ったのに、そんな気持ちはどこかへと吹っ飛んでしまっている自分がいた。
――ああ、どうして彼がここにいるのだろう。
いつ帰ってきたのだろう。
噂はもう聞いただろうか。
お腹の子どものことは知っているのだろうか。
どうやってこの場所を……。
ああ、もしや彼は、一晩中自分のことを探してくれていたとでもいうのか。
だからあんなに、焦った声で自分を呼んでいるのだろうか――。
「アレクシス殿下……!」
エリスはアレクシスを呼びながら、リビングへと駆け込んだ。
すると、ジークフリートの胸倉を掴むアレクシスと目が合って――次の、瞬間。
「エリスッ!」
気付けばエリスは、アレクシスの逞しい腕に、しっかりと抱かれていた。
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